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42.隠れたるより現るるはなし4


 驚いたように見開かれる金茶が、瞬き一つせずにこちらを見つめている。


「―――……ん―――ふ」


 甘い。

 どれほど味わっても足りないくらいに、甘くて、欲しくて。もっと奥まで入れてほしい。

 ねだるみたいに角度を変えて何度も口づける。


 とろりと、ルーベルを見つめる金茶がとろける。


 くちびるが、離れる。

 その一瞬すらもどかしくて、すぐに彼女の唇を追いかける。


 フィアリルが息を吸おうと口を開けたそのすきに、舌を入り込ませた。


 フィアリルは一瞬ぴくっと震えて、顔を真っ赤にして、ルーベルの袖口をぎゅうっと握りしめる。


 愛しい。かわいい。離したくない。


(―――なんだよ。なんなんだよ……なんで―――)


 夢中でフィアリルのくちびるを味わっていたルーベルは、ようやく、本当にようやく、フィアリルを解放した。


 ルーベルの腕の中でくったりしているフィアリルは、その瞳を潤ませて、本気でわけがわからないというみたいに問うてくる。


「……なんでぇ……?」


 もうやめにするつもりだったのに、フィアリルがそんな目で見るから、そんな声で煽るから、衝動が止まない。


 一向に熱が冷めない。


「なんではこっちが言いたい。()()は、全部計算?」


 あまりにも、かわいくて。


 あまりにも、ルーベルにばかり都合がよくて。


 でも、現実に、フィアリルは、ルーベルをほしいと言ってくれている。


 だからもう、それでもいいと思った。

 ルーベルを求めての行動なら、裏があろうと、計算だろうと、もう、なんでもいいと思った。




 体に力が入らないのか、フィアリルはルーベルのシャツに縋りつく。


 愛しくて仕方ない。

 触れたフィアリルの頬が、りんごみたいに赤く火照って、熱い。


 けれどその両の瞳は、キッと睨みつけるようにこちらを見た。


「……て…………ないじゃん」

「え?」


 ぽそりと呟かれた言葉がよく聞き取れなくて、ルーベルは聞き返す。



 すると、さっきよりもずっと顔を真っ赤にしたフィアリルが、半ばブチ切れたように叫んだ。


「だって! しょうがないじゃん! 会ってから今まで一度だって! あなたからは一切! 一切、手を出されなかったんだから!」


「は……」


 フィアリルの言ったことをかみ砕くまでにルーベルの頭はたっぷり二秒の時間を要した。


 それって、それってつまりは―――


「最初の夜の宿でも、ブリンゲバールの家でも! あなたからは一切触れようとしなかったくせに……!」


 しゃくりあげて泣きじゃくりながら、フィアリルの手がこぶしを作る。


「わたしが洞窟でどれだけ勇気を出してあなたの頬にキスしたのかも、」


 そのこぶしで―――ぽか、ぽか、とルーベルの肩のあたりを叩く。


「求めて抱きしめてくれた時、どれほど期待したかも、」


 ぽか


「あなたに告白するのがどれほど緊張したかも、知らないくせに……」


 ぽか、ぽか……


「わたしが……わたしがどれだけ、どれだけあなたを好きか―――」


 ぽか、ぽか、ぽか


「あのとき手を離さなかった、あなたの優しい嘘に、どれだけ救われたか―――」


 ぽか、ぽか


「―――気づかないくせに」


 ぱし


「嘘じゃない」


 肩のあたりをこぶしで叩き続ける手。その手首を受け止めたルーベルにフィアリルが俯けていた顔をあげた。


「君は、俺が公爵令嬢様を好きで、その上で君にキスしたんだと言ってる?」

「だって! ……だって―――」

「君は、俺がそんな不届きな態度をとる男だと?」


 うっとフィアリルが言葉を詰まらせた。

 それからまた顔を俯ける。


「だって、そうじゃなきゃなんだって言うの? ―――まさか本当に、あなたがわたしを好きだとでも? ……そんな、そんな夢みたいなことが……あるわけない」


「好きだよ」


 フィアリルが目を瞠って固まった。


(そんなの……そんなの、だって、そりゃあ―――)


 それは、ルーベルにとっては当たり前のことで。

 ましてや相手は、好きでもない男に迫られた経験をトラウマに持つ、ただの一人の女の子で。


「好きな子にキスしたいなんて、当たり前だ」

「でも……」


「好きな子のことを大事にしたいなんて、当たり前だ」

「る、ルーベル……?」


 そろっと後ずさるフィアリルの、手首を掴んで離さない。


 この状況で、まだ本心をおあずけにされる、ルーベルの気持ちも考えてほしい。


 計算なんかじゃなかった。


 そのことに、ルーベルがどんなに浮足立っているか、わかって欲しい。


「逃げんな」

「ひゃい……」


 フィアリルの瞳が怯えたように揺れる。

 拒絶にも似たその色にルーベルの体が竦む。


「計算だなんて言って、ごめん……」


 フィアリルが瞳を瞬かせた。


「俺、君とは一緒に行かないと、言うつもりだったんだ」


「え―――」


「君は、さっきの王子様のような男のことが、好きなんだと、思っていた」


 一拍、おいて。

 フィアリルが全力で首を横に振った。


「そっ、か」


 それだけで、十分だった。

 それだけで、もう何も。


 安堵と喜びがルーベルの胸を占めていく。

 肩の荷が下りたような、緊張から解けたような。


 そんな笑みが自然と零れた。


 それを見て、フィアリルは目を瞠る。


 その男の笑みはまるで、本当の本当に、同情でも、哀れみでも、フィアリルを慰めるためでもなんでもなく。


 ルーベルが、フィアリルの心を求めてくれているようであったから。


 本当の本当に、ルーベルが自分の心を差し出してくれているようだったから。


 締め付けられるように、胸が痛い。


 思わず、心臓のあたりの服をぎゅっと握る。

 ふっと、浅く息を吸う。





「すき」





 ほとんど無意識に、フィアリルの口からその二文字がこぼれ落ちた。


 まるで、ときが、止まったみたいだ。


 それはもちろん、打算も、計算もない、他には何も含まない―――そのままのフィアリルの気持ちだった。


 ルーベルが見たことも無い顔で、ぽかんとフィアリルを見つめている。


 もう一度を、待ち焦がれていたと言わんばかりの赤面。


 もう一度があったのか、と戸惑いと共に囁かれる声。


 おそらく、いや、間違いなく、彼に負けず真っ赤になっているであろう顔で、フィアリルはまっすぐに見つめ返した。



「あなたがすき―――」



 二度目を言い終える前に、フィアリルの足は地面になかった。


夜七時に最終話掲載です。

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