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4.遠い背中


 何とか入浴を済ませ、さっぱりした体で風呂を出た。

 フィアリルはまだ戻っていないようで、がらんとした部屋に荷物だけがぽつんと残っている。

 ドリンクを何にするか迷っているのだろうか。それともルーベルが早風呂なだけか。


「ドリンク、三種類くらいしかなかったと思うんだけどなあ」


 たしか、バールベリーのジュースか、冷えたヨーグルト、それと、この宿自慢のコーヒーだったか。


 フィアリルなら、コーヒーにはミルクを混ぜるんだろうか。


(裁縫でもして、待ってようかな)


 自分の荷物の中から薄めの布を取り出す。

 作りかけだった髪留めの、装飾の続きをやろうと思ったのだ。


 装飾のモチーフは、迷ったが硝子牡丹ガラスボタンの花にする。


 少し難しい意匠だが、白くてうすやわらかい布を幾重にも重ねて、真ん中に透明なガラスビーズをあしらえば、うまく行きそうだ。


 使っているうちにほつれてきてしまわないよう、同じ白い色の糸で花弁になる布を縁取る。

 長く使えるよう丈夫に、けれど硝子牡丹の、雪のようなふわふわした感触を損なわないようにするのが、ルーベルの腕の見せ所である。


「フィアリル、気に入ってくれるかなー。きっと金髪に映えてきれーだろうな」


 自分の作ったものを使ってもらう本人に手渡しするのは初めてだった。

 いつもは、ケーキ屋を営む母親が、俺の作品も一緒に店に並べてくれていたからだ。


「あなたが売ってもお客さんは買うと思うけど」と母親は言ってくれたが、普通に考えてそんなわけはない。


「よし。いい感じ。あとは…………」


 バレッタにしたかった。彼女が普段使いできるように。

 毎日着けてくれたら、なんて。


 そのための金具を取り出した、そのときである。


「離して!」


 遠くでフィアリルの声がした。

 がしゃんと何かが壊れる音があとに続く。


 すぐそばに置いてあった武器を反射的に手に取る。

 ダッシュで下に向かう階段を駆け下りた。


 宿の正面玄関は騒然としていた。


 いつも宿泊客や予約を取る人たちでにぎわっている土産物コーナーや、無料で提供されるドリンクコーナーも、今は物が散乱し、割れた食器の破片が床に散らばっている。


 どうやら暴れているのは冒険者くずれの男たち三人のようだ。

 冒険者は、魔物の多い北側諸国では、セントランドよりもよく見かける職業である。


 魔物の討伐を生業にする彼らだが、うまくいくのはほんの一握り。

 多くはランクの中盤で留まり、食うには困らない程度の収入を得て生きるが、依頼をこなせないまま年月を経るとああなる。


 その男の内の一人が、フィアリルの顎を掴んでいた。

 ぐいっと男が引っ張ると痛そうに顔を顰める。


「―――っ!」


 ルーベルは、反射的に武器を引き抜きそうになる手を抑えた。


 ここは宿だ。


 乱闘になれば、こちらに分がない。

 切りつけられないものが多すぎるからだ。


「ほーら。お嬢ちゃんが素直に俺たちと来ないから、宿に迷惑が掛かっちまったなぁ。見ろよ。食器がこーんなに散らばっちまってよぉ」

「…………わたしには夫がおりますから見知らぬ殿方に付いて行くわけには参りませんと、何度申し上げればご理解いただけますか」


「その旦那さんは姿が見えねぇなぁ!? 嬢ちゃんに愛想尽かしてどっか行っちまったんじゃねえの? それとも俺たちにビビっちゃったかな?」

「お風呂入ってるだけです!」


 飲み物をかけられたのかもしれない。

 フィアリルの宿の着替えはびしょびしょに濡れて、裾からぽたぽたと滴り落ちている。


 視線を少し下に落とすと、彼女の下着が透けているのがルーベルの位置からでもはっきりと分かった。


 それを見た男たちが下卑た視線を向けているのにも。


(くそどもが)


 勝手に足が動いて男の後ろに回っていた。


「おいその手を離せ。三秒以内だ」


 ぽんと男の肩に手を置く。

 こんな場所に、ノコノコとヒーロー気取りで現れた人間をコケにしてやろう―――そんな下心を隠そうともせずに、男はにやにやと笑ってこちらを振り向いた。


「ああん? なんだおま、え……? 君の、旦那さん……?」


 しかしその顔はすぐに崩れ、強気な口調は語尾に向かうに連れ勢いをなくしていく。


「さーん、にーい…………」

「あいだだだだだだだ! わかった! 離す! 離すから!!」


 ルーベルは空いた方の手でフィアリルに上着を着せかけた。


 男の肩からミシリと音がする。


(やべ、やりすぎたかな)


「俺の奥さんになにしてくれてんの? 人の大事にしてるものに、勝手に触らないでくれよ」


 手を置かれた部分をさすっていた男が、ルーベルの顔を見てひゅっと息を吸った。


 人の顔を見てなんて表情をするんだ。クマに会ったんじゃあるまいし。失礼な。


「よくも俺の奥さんに宿のもん壊した責任なすりつけてくれたね。おまえがひっくり返して散らばしたんだろカスが。誰から見てもおまえのせいだよ」

「す、すびばせ……ひぃっ!」


 顔を覚えてやろうと近づけると極限まで避けられた。

 やっぱり俺の目つきが悪いんだろうか。眼鏡でも買おうかな……。


「俺の奥さん連れてどこ行くつもりだったの?」

「ちっ、ちがっ! お、男に! ある男に頼まれたんだ! 外に居たら! この宿に泊まったフィアリルって女を自分のとこに連れてこいって……! 報酬は弾むからって!」


 男の手に力を籠めると、顔色がどんどん悪くなっていく。

 この期に及んでそんな言い訳をするなんて男の風上にも置けない。


(フリじゃなく本当に折るぞこの腕)


 男の腕にさらに力を籠めようとしたとき、フィアリルの声が耳に飛び込んでくる。


「待って! ルーベル、その人たちの言ってること嘘じゃない。今ほんとのことしか喋れない魔法かけてるから」


 有能すぎる発言が飛んできてルーベルは瞬く。


「かわいい」

「はいはい」


 冒険者くずれの男たち三人は、ぽかんと口を開けてこちらを見ている。

 はいこの人俺の奥さん。うらやましいだろうそうだろう。


(夫でもなんでもないお前らが、なんでフィアリルに触ってんだよ)


 男を睨みつける。

 よっぽどこの顔が怖いのか、男はほとんど腰を抜かしていた。


「そんなかわいい私に手を出そうとしている不届きな輩がいるらしい」

「はいはい、そうみたいだね」


 フィアリルはなんでか機嫌がよさそうだ。

 ルーベルが着せたぶかぶかの上着の袖にきちんと腕を通し、誇らしげに胸を張った。


「極刑だね」

「わあ過激」


「真面目に言ってるのに」

「真面目に聞いてるよ」


 フィアリルはルーベルの棒読みの返事をにむくれつつ、宿の人たちに頭を下げながら男たちを縄で縛っていく。


 リチャードさんが見回り兵を呼んできてくれているのでそれまでの簡易的な措置だろう。

 男たちは抵抗する気力もないらしく、大人しくお縄にかけられている。


「片付ける魔法かけよっか。でも、ドリンクとかは新しいものの方がいいかも。ご迷惑をおかけして本当にごめんなさい…………」


 フィアリルがぺこりと頭を下げた。

 それを見て、男たちが気まずそうな顔をする。


 成り行きを心配そうに見守っていた、善良そうなお客さんたちが、口々に言う。


「嬢ちゃんは悪くねーぞ!」

「そーだそーだ!」

「旦那さん、強くて安心だぁ。ありがとうなぁ」

「俺たちも片付け手伝うべ」


 わあ、っと場内に拍手が沸き起こった。よかったなあ、ありがとう、と労う声があちこちから飛んでくる。

 


「……えへへ。―――こちらこそ」


 フィアリルが「片付け魔法」を唱えた。

 割れたグラスがみるみるうちに元通りになっていく。

 散乱していた破片はなくなり、零れていたドリンクは綺麗に拭き上げられた。


 いくつもの魔法陣が床に浮かび上がっては消えていく。

 その模様は緻密で、くっきりと鮮明に、ほんの数瞬見える。

 こんなに早くて手数の多い魔法を見るのは、ルーベルは初めてだった。


「すっご……」


 後ろでノーマンが呟く。


 ほかのお客さんたちも、呆気にとられたようにフィアリルが魔法を行使する姿を眺めていた。


 魔法陣から発される光がフィアリルの体を照らし、巻きおこる小さな空気の流れが髪をなびかせる。


 その様子はとても綺麗で、どこか神聖な輝きを帯びていた。


「これ、高等魔法だろ……こんなん見るの、はじめてだ……」

「俺も。Sランク冒険者パーティにもいないぞ。あんな複雑な古代魔法の使い手」

「それを、冒険者くずれにめちゃくちゃにされた宿の片付けに使うっていうチョイスのセンスもまた……」


 後ろでお客さんたちが呟いているのが聞こえた。

 ここに来るのはほとんどが冒険者や旅人なので、いろんなところに行ったこともあるんだろう。


 そんな経験豊富な人たちも、これほどの魔法はなかなか見たことがないという。


 ルーベルと同じ年なのに、もうすでに魔法の道を究めようとしている。


(―――本当に、なんで俺の妻なんてやってくれているんだろう)


「ルーベル!」


 世界で一番、ルーベルの心を浮き立たせる声に呼ばれた。


「片付け手伝ってくれてありがとう―――って、なにをぼーっとしてるの?」

「ん? ああ、いや、君の魔法を見て惚れなおしてたとこ」

「それはどうも」


 言わないと、積もってしまいそうで。

 冗談交じりにルーベルは言う。


 フィアリルの顔が赤い。

 かわいい。

 かっこいい上にかわいいとか、もう最強じゃん。俺の奥さんに死角なしかよ。


「見て。お客さんに、お礼にってお菓子をたくさんもらってしまったの。部屋に戻って一緒に食べよう?」


 どうやら人望も厚そうだ。どこにだれと居ようとすぐに打ち解けて、みんなから頼りにされる。


 だって、前を歩くその背中はルーベルよりもずっと華奢なのに。


 国のために走り回っていた彼女がその肩に背負ってきたのはきっと、想像もつかないような、重たい覚悟。


(遠いなぁ……)


 あんなに近くに居るのに。

 手を伸ばせば届くのに。


 ―――自分と彼女の間の距離は、ひどく、遠い。


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