2.あなたは話しかけてくれていいんだけど
事後処理はつつがなく行われた。
温情とやらでもう一日準備の時間が与えられ、ルーベルたちはそれぞれ家に帰って荷物をまとめた。
不思議なことに、俺とフィアリルのこの国における国民権は剥奪されないらしい。
もともと細かいことを気にしない性格の我が家だ。父親がちゃんと聞いていなかっただけかもしれない。
まあ有っても無くてもそうそう戻ってはこれなそうだが。
ルーベルの父親と母親は、息子が追放された悪女(?)に付いていくことになったと言っても少しも驚きはしなかった。それどころか、『結婚はいいぞぅ』と意味不明の助言をされて、背中を強めに叩かれた。母親には『あなたが結婚出来るだなんて……』と泣かれた。
おいコラどういう意味だよ。
そんな、緊張感も哀惜の念も微塵も感じない別れを両親と済ませ、フィアリルを迎えに子爵家へと足を運んだ。
子爵家に着くと、これまでの人生で見たことも無いような広い広い部屋に通され、とても美味しい紅茶を出してもらった。
ミルクを入れると、これまたまろやかな甘さになって美味しい。
きっと茶葉がいいんだろう。
しばらくすると、リー子爵が先に部屋へと入って来た。
彼は俺の前の椅子に座ったかと思うと、深々と頭を下げた。
「この度は、何の関係もない君を巻き込んでしまって本当にすまなかった。娘を案じてくれて、手を差し伸べてくれて、ありがとう」
「…………いいんです、子爵様。俺が自分のためにしたことなんですから」
そう言うと、リー子爵はがばっと顔を上げ、驚愕した顔でこちらを見た。やっぱり親子だ。驚いた顔が娘とそっくりである。
「君はもしや……フィアリルを好いてくれているのかね?」
頷く。
それを見て、子爵の表情はゆっくりと穏やかなものに変わる。
「……そうか。なら、よかった」
子爵の反応に驚く。ルーベルは平民だし、もっと、こう、「おまえみたいなやつに娘はやれん」的なやつがあるかと思っていた。
子爵からはまったくそういった感情は見えない。
「あの子、娘はな、いい子なんだ。学園に行っている間ずっと、優秀だからと王太子の代わりに政務をさせられて、毎回試験も一番をとって……。それでも周りに弱音一つ吐かずに、笑顔で明るく振舞っていたんだ。優しい、やさしい子なんだよ」
「はい」
「もう、解放してやりたかったんだ。アレの元から」
子爵はその先をつづけた。
「毎日、アレがやるはずの政務を押し付けられて、働かされて、あんな、擦り切れそうになるまで……。アレが王太子になれたのは、フィアリルが仕事で成果を出していたから! さらにその上……!」
拳を腿にたたきつけた子爵は、ルーベルがいたことを思い出したのか、一度怒りを逃がすように息をはき、困ったように笑った。
「その上、婚約者がいるはずのアレは、毎晩帰り際にフィアリルに迫るんだそうだ」
迫る。王太子という身分を持つ人間が、貴族のご令嬢に迫る。
それを毎回断ることがどれほど難しいか、どれほど彼女の立場をあやうくしたのか、王太子は分かってやっていたのか。
自分がいつの間にか爪が食い込むほど手を握り締めていたことに気付く。
王太子の愚行と、己の不甲斐なさへの怒りが視界を赤く染める。
気づかなかった。助けてあげられなかった。同じ城ではたらいていたのに。
「……どうか娘を、よろしく頼むよ」
「……はい」
もう一度頷く。
すると子爵は、ありがとう、と涙に滲んだ瞳を細めた。
ずっと気がかりだったことなのだろう。
貴族のことには詳しくはないルーベルでも、子爵が王族に逆らうことがどれだけ難しいかはわかる。
広間にこつんと控えめな靴音が響いた。
「おまたせ。……お父様、その人をあまり困らせないでよ」
重そうなドレスを脱ぎ捨てて、スカイブルーの軽やかなワンピースを身に纏ったフィアリルがこちらに向かって会釈した。
手には旅行鞄を持っている。
「いらっしゃい、ルーベル。……どう? このワンピース。似合うでしょー」
「うん。かわいい」
「そうだろうそうだろう」
腰に手をやり、むっふーとドヤ顔を見せるフィアリル。
柔らかそうな織地がふぅわり広がって、中地のレースが軽やかだ。
金茶の瞳と髪に、織地の水色が映えて、まるで湖に住む精のようだとルーベルは思った。
とてもいい。これを仕立てたお針子さんにぜひお話を伺いたい。
「もう馬車は着いてるの? 関所まで乗せてくれると聞いていたんだけど」
「ああ。さっきそこに」
「そう」
まだ滂沱の涙を流しているリー子爵と夫人が、フィアリルに抱き着いていた。
「……もう。お父様もお母様も、しんみりしすぎだよ。こういうのは、楽しんだもん勝ちよ。わたし、今とっても気分がいいわ。ようやく逃げられるんですもの」
「……そうか。苦労をかけたな」
「いいのよ」
子爵は娘を優しいまなざしを持ってみつめ、不思議な問いを投げかける。
「『鍵』は、持ったか」
「はい。ここに」
フィアリルは胸をとんと叩いて返事をした。
そして、うにゃ~~~~~~と両手を突き上げて大きく伸びをする。
しなる腕、首筋。かわいい。
「それじゃあ行こうか、フィアリル」
「ええ。いってきます。父様、母様」
差し出した手に、彼女の右手がそっと乗せられる。
本当にこの可愛い女の子が俺の奥さんなんだなぁ。
奥さん……いい響きだ。
***
王都を出てから早二時間。馬車は煌びやかな都会の街並みを抜け、青草の広がる酪農地帯に入って来ていた。牛の糞のにおいもするが、目の前に座るフィアリルは特に気にした風もなく、じっと窓の外を眺めていた。空は青く澄み、遠くに北部の山々が連なっている。
この間にした会話は
「長閑なところね」
「うん」
のみである。
絶望。
絶望的なまでのルーベルの社交性のなさ。五時間でこれとか、むしろよく持ったわ。
「ねえ」
「ん? なぁに?」
フィアリルの、伏せられた長い睫がついと持ち上がった。それは窓から差し込む日に透けて、とても綺麗だ。
その様子にわかりやすく俺はみとれる。きっとそれは、彼女にもバレている。
「退屈じゃ……ないか……?」
「どぉして?」
「だってほら、俺はあまりしゃべるほうじゃないから……」
(俺は―――天国だけど)
結婚したとはいえ、でかくて怖くて喋らない男と二人きりで馬車に押し込められるなんて、普通の貴族令嬢にとっては苦行そのものではないのだろうか。
「そんなこと、考えたこともない。別に、あなたが話そうが話すまいが、わたしの機嫌に関係ないもの。あ、でも、避けているのにずっと話しかけてくる鬱陶しい人いるじゃない? ああいう人は苦手」
「あ、そう」
思ったよりドライなタイプだ。気にする必要なんて全然なさそうだ。よかった。かわいい。
「………………」
「……なに?」
フィアリルがじいっとこちらを上目遣いで見てくる。やめてよもう。真顔もかわいいなもう。
「別に…………あなたは話しかけてくれていいんだけど」
「………………っ! がわ゛い゛い゛!」
ほんと、なんなの君は。
せっかく、せっかく、好きな人との二人きりの密室の中でがんばっていたというのに。
バカだろ君。かわいい。
「もうそれ聞き慣れたよ。いろんな人が言ってくれるから」
顔を覆って天を仰いだ俺の耳に、からからと笑うフィアリルの声が聞こえる。
それから一拍置いて、呟くように彼女は言った。
「でも、ありがと……」
今はダメだ。今彼女の顔を見ようものなら理性が仕事をしないだろう。
(耐えろ、耐えるんだ俺……)
「ねえ、顔が真っ赤だよ。どこか具合でも悪いの? 酔った? 馬車を止めてもらう?」
「……いや、大丈夫」
「とてもそうは見えないんだけど……」
不安そうな声がする。ぎゅっと、フィアリルが袖を握ったのがわかった。
手をどけて目を開けると、フィアリルの心配そうな顔が近くにあった。
あまりに近すぎて一瞬息が止まる。
「ほ、んとうに、大丈夫だから……」
「でも……」
「その…………ち、近い……」
(ああくそっ、こんなん俺じゃなかったらキスして押し倒してそんでそのまま……ああもう考えるな本当黙れ俺の脳みそ。とにかく今、君に触れられたら持たない。かわいい。誰か助けて―――)
フィアリルから、ふっと甘い、いい香りがする。
こちらにかがんだ彼女の胸元は驚くほど白く、やわらかそうで。
目の前には、見るからにおいしそうな彼女のくちびる。
(あ、やばい―――)
今、目が合ったら、襲う。
そういう確信があった。
だから、どうあっても目線を合わせることがないように必死で顔をよけた。
ふいにパッと袖が離される。
「……ごめんなさい」
フィアリルが一瞬、どこかが痛そうな顔をした気がした。伸ばしていた手を慌ててどけて、しょんぼり席に戻って。
(ちがう)
だってまだ、会って二日目。
自分たちの間の関係に、何て名前を付けるべきか。
(一目惚れだ、なんて、言い訳にすらならない……)
そんなこともわからないのに、フィアリルにこんな色情を抱いたルーベルが全面的に悪い。
謝る必要なんてない。自分の理性がゴミなだけ。だからそんな顔しないでほしい。しなくていい。
(って、なんで言えないかな、俺は……)




