1.クマとキツネ
新連載はじめました!
毎日一話ずつ更新します。
※R15は一応です
「ひっ! あ、ありがとうございましたぁぁぁぁ!」
すたこらと逃げていくのは、先ほどまで護衛対象だった行商だ。
彼らの姿はもう豆粒ほどに小さくなっている。
なんたる逃げ足の早さだ。
この先もきっと生き残るだろう。しぶとく頑張ってほしい。
だが、それはそれとして、
「このおつり、もらっちゃっていいのか……?」
手のひらに乗った多すぎる支払いを見ながら、ルーベルは困り果てていた。
***
ルーベル・アウストラリスは戦士である。歳は二十。
目つきの悪さは折り紙付き。
加えてクマみたいにでかい図体のせいで、話しかけただけで走って逃げられる。
先ほどの行商のようなことは日常茶飯事。
お礼がついていたから、むしろ稀有な出来事であるかもしれない。
これは昔からなので半分あきらめてはいるが、それでも傷つくものは傷つく。
ひっ! てなんだよ、ひっ! て。
一応趣味は裁縫である。
「あんた、つくるもんは可愛いのにね」
というのはルーベルの母の言だった。
あんまりな物言いであるが、それに頷けるくらいには自分の容姿をきちんと理解しているつもりだ。
さて、そんなルーベルにも妻が居る。
彼女はまさしく頭脳明晰、天真爛漫、外を歩けば犬も振り向く見目麗しい元子爵令嬢。
ルーベルみたいな男にはもったいないほどの女性である。
もちろん―――国外追放された、悪女でなければ。
【妻には秘密が多すぎる】
今思えば、あの日のルーベルはこの上なく幸運なポジションにいた。
初めて会ったとき、彼女、子爵令嬢フィアリル・リーは断罪されていた。
なんでも、王太子殿下を誑かして次期王妃の公爵令嬢を陥れようとしたらしい。
出会う前から彼女のことは知っていた。学園の魔法科一番の才媛。在学中ずっと最優秀成績者の座に君臨し続け、卒業以前から政務に携わっていたという噂もあった。
周囲からの評判も良かった。誰にでも分け隔てなく接し、身分を弁えない行動をとることもなかった。しっかりしているのに、ときどき抜けたような天然ぽい言動をするところが可愛らしいと、貴族令息の間での人気も高かったようである。
平たく言えば、モテたのだ。
そんな彼女の噂は学科のちがうルーベルの耳にも当然入っていた。直接かかわったことは、もちろんないが。
そんな彼女のスキャンダル。それも、王太子の横恋慕だとか。
耳を疑った。
会場の警備で雇われていたルーベルは、フィアリルを押さえつける役目だった。
と言っても、フィアリルは少しも抵抗しなかったから、座り込んだ彼女の手首を握りこんでいるだけでよかった。
それでも、貴族の彼女からしてみれば、この上ない屈辱には違いなかっただろう。
「フィアリル、君は子爵令嬢にも関わらず、この僕に許可もなく国の重要書類に触れ、夜ごと僕にすり寄り、果ては善人を装いルルフィーナに近づいた。すべて王妃の座の簒奪を目論んでのこと」
しかし、王太子が一つ一つ罪状を並べ立てている間、フィアリルは騒ぎ立てるでもなく、喚くでもなく、ただ静かに静かに聞いていた。
涙も流さなかった。
「おまえの浅はかな考えに次代の王たる僕がしてやられるわけもない。おまえの罪は以上だ。フィアリル・リー。おまえに国外追放を言い渡す」
「……」
「その足りない脳みそでも意味がわかったのなら、とっとと国を出て行け。まあ泣いて許しを請うのであれば側室の座を用意してやらぬことも……」
最後、王太子殿下がフィアリルに追放の命を下し、温情措置かもしれぬ一言を口にしようとしたとき。
それを遮らんとばかりに彼女はようやく立ち上がって、それから飛び切り笑顔になって、ルーベルに両手首を握られながらした渾身のガッツポーズとともにこう言い放った。
「よぉぉぉぉぉぅっっっし!!! ラッキー!!」
会場中の人間が目を剥いた。
負け惜しみでもなく、強がりでもなく、やけくそで叫んだ意趣返しでもなく。
彼女は心の底から、本心でそう言っていたのだ。
「それって、この国から出てっていいってことですね? 嘘ではありませんね? 念のため書類を交わしましょう。国王陛下と父と母のサインは……もう貰った!? ありがとうございます! なんて仕事が早いんでしょう! 政務のときとは大違いですね」
全員が彼女に注目していた。
小動物のように小柄で華奢。どこからあんなにパワフルな声が出たんだろう。どんぐりみたいなまんまるの瞳がきゅうっと細まって、ツンととがった唇がやわらかに弧を描く。
「にゃはーーーーっ! 解放! 長い政務代行からの解放! こんなに簡単だっただなんて! 神様ありがとうっううっ……長かったぁ……」
その笑顔に、ルーベルの心臓は撃ち抜かれた。
きっと会場中の人間がそうだったはずだ。
断罪している王太子殿下本人でさえ、フィアリルの態度にすっかり毒気を抜かれ、見惚れているようですらあったのだから。
しかしどうやらそのことが、王太子殿下のお隣に立っていたお嬢さん、公爵令嬢の気に障ったんだろう。公爵令嬢(多分)さんは、むっとした表情をして、キッとフィアリルを睨みつけた。
「みなさま、騙されてはなりません。彼女は女狐。国を傾けんとした悪女です。追放は絶対です。しかしそれだけではあまりに生ぬるい罰」
十分やりすぎだと思う。見た感じ。それに、この子は王太子殿下に気があるようにはこれっぽっちも思えない。
公衆の面前でこれだけの屈辱を受け、その上追放。貴族にしてみれば死んだほうがましなくらいだ。
それを生ぬるいとは。高位貴族様の考えることは随分むごい。
断罪される方も大変だとフィアリルの方を見たときだった。
公爵令嬢の白く細い指がこちらに向かってすっと伸ばされた。
「わたくしが命じます、フィアリル・リー。あなたの結婚相手を決めました。おまえを押さえているその戦士です。異論は受け付けません」
「は?」
思わず間抜けな声が出て慌てる。
フィアリルも驚いたように目を見開いてこちらをみつめていた。
「あなたのような女狐には、彼のような平民がお似合いですわ。クマとキツネ。動物どうし、気もあうでしょう」
なんだこいつ。失礼にもほどがある。
大体、いくらなんでもその結婚はまかり通らないだろう。
彼女にだって選ぶ権利くらいある。
「…………い、い……」
ほら見ろ。いやだ、さえ言えないくらい困惑しているじゃないか。
公爵令嬢様もご立腹なのはわかるが、人の心は操れない。
ここはおとなしくあきらめ……
「いいんですか!?」
「『いいんですか!?』!?」
フィアリルの言葉に驚きすぎて、ルーベルは思わずオウム返しをしてしまった。
そう来る? え? そう来ることある???
「合法……? これは合法なの……? いえ、フィアリル、正気になりなさい。戦士さんを巻き込むなんてダメよ。こんなわたしみたいな女と一緒に追放されるのなんて絶対にダメ……」
何やらぶつぶつ呟いていたフィアリルは、長考の末ようやく顔をあげた。
「それはあんまりですルルフィーナ様。彼には彼の生活がございます。こんなにカッコいい御方ですもの。恋人もいらっしゃるでしょうに」
会場中が『それはない……』という雰囲気に包まれる。
何の冗談かと思ったが、彼女は本気でそう思っているようだった。
途端にこそばゆい心持になる。
「いいえ。これはもう決定事項よ」
「ルルフィーナ様!」
一瞬、公爵令嬢様が、見定めるようにルーベルを見た気がした。
なぜかはわからない。
ルーベルは握りこんでいた彼女の手首を離す。
それから王太子殿下に敬礼をした。雇われだからしなくてもいいのだが、国民である以上は、一応。
「発言をお許しください、殿下」
「許可する」
「ルーベル……いや、私ルーベル・アウストラリスは、先ほどの公爵令嬢さまのご命令、謹んでお受けいたします」
ルーベルの肩にも届かない位置で、フィアリルの淡い金髪が驚いたように揺れた。
どうして、と呟く彼女の声は、ルーベルを本気で案じてくれている。
ごめん。俺はさっきから、君のそういうところ全部に惚れっぱなしなんだ。
「む、そうか。では、今日中に荷物をまとめて関所を抜けるように」
使用人に促されて、ルーベルとフィアリルは会場の外に出る。
先ほどとは打って変わって、フィアリルは、今度はすっかり黙り込んでしまった。
なにか言おうかと迷ったが、ルーベルの乏しいボキャブラリーではかえって気をつかわせてしまいそうだ。
なにかいいものはないか……。
辺りを見回すと、開けた中庭が視界に入った。
綿詰草が植えられた地面に腰を下ろし、フィアリルを手招きする。外の空気を吸えば、少しは気もまぎれるだろう。
「あの罪状って、本当に君がやったの?」
無言に耐え切れず、隣に座るフィアリルに尋ねてみる。
でも、今これを話題に選んだのは間違いだったかもしれない。
「そんなわけない。アレに恋する理由がわたしには思い浮かばない。……あれは、パフォーマンスみたいなものだよ。多分ね」
なんでもなさそうにフィアリルはそう言った。パフォーマンスで国外追放だなんて中々ダメージを食らいそうなものだが、そういうわけでもないらしい。
彼女はいかにも悪そうに「ふっふっふ」と笑うと、ドヤ顔で言い放った。
「しょうがないよ。わたしかわいいもん」
うんうん。自覚があることはいいことだ。
「あなたこそ、なんで付いてきてくれたの? 聞いていたでしょう。私は悪女で、公爵令嬢様を蹴落とそうとした偽ヒロインなんだよ? 今からでも遅くない。早く行って、取り消しを申し入れて……」
「なんで?」
まじめな顔に戻ってそんなことを言い出すフィアリルに逆に問い返すと、彼女は呆気にとられたようにぽかんと口を開けた。わけがわからないと言わんばかりに怪訝そうな顔で首を傾げる。
それはこちらのセリフだ。
「俺は自分の意志で君と行くことを決めたよ」
綿詰草の、丸く白い花で冠を編みながらルーベルは言った。
本当は、ルーベルから付いて行かせてくれと言おうかとすら思っていた。だけど幸運なことに、貴族であった彼女との結婚の許しまでもらえるだなんて。
公爵令嬢様はフィアリルを荒くれのぶっきらぼうな平民男に嫁がせることで意趣返しをしたかっただけかもしれないけれど、ルーベルは本当に嬉しかったのだ。
らしくもなく舞い上がって、こんなことまでしゃべるくらいには。
てか、偽ヒロインってなに。
「バカよ、あなた。顔だけの女に付いていって、人生棒に振るだなんて。私、本当は全然おしとやかじゃないし、家のこともできない。顔以外なんのとりえもない、見掛け倒しの、おまけに悪女。あなたまで一緒になってバカにされて、苦労までする謂れ、ないのに」
「バカ、ねぇ……」
ルーベルは冠を編んでいた手を止める。ちょうどいい長さになったそれをうまいこと綺麗な輪っかにして、形をちょいちょいと整える。けっこう上手にできたかもしれない。手先を使うことは昔から得意なのだ。
そうしながらルーベルは口を開いた。
「そうかもね」
フィアリルがやっぱりと言いたげな顔をした。
まあ世間一般からすれば、ルーベルはバカなのかもしれない。ここまで言われても、怒った顔も可愛いな、という感想しか出てこないくらいだ。
脳内は真っピンクのお花畑だと言っても過言ではない。
でも、フィアリルはさっきからずっと、ルーベルのことしか心配しない。
一人で知らない土地に放り出されると知って、不安じゃないはずがないのに。
俺に、君の心配をさせてほしい。
「君のためにする苦労なら、悪くないなと思ったんだ」
出来上がった花冠を彼女の頭の上に載せる。
驚いたように目を見開いて、ついでぼふっと赤くなるフィアリル。
「な、な、なな……」
彼女は真っ赤な顔のままで、はくはくと口を開け閉めした。
見開かれた金茶の瞳が、西日を浴びてきらりと揺らめく。
ルーベルは思わず笑ってしまった。
ああ、やっぱり。
「よく似合うな」
「ひえ…………」
フィアリルの口から出た、ため息のような呟きは、一番星の光る宵の空にぽつんと響いて溶け消えた。
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