涙
「突然すまない」
やってきたウイリアム様は、部屋に入るなり、そういった。
「直接、話をする必要があると思ったんだ」
ソファに向かい合って座ったウイリアム様。
いつものように、私の目をまっすぐ見ている。私もウイリアム様の目をじっと見つめる。
婚約の剣でやってきたんだろうけれど、この状況をどう説明したものかと不安になる。
じーっと見つめていると、
ウイリアム様はクスリと笑って、こういった。
「君が、とても落ち込んでいるんじゃないかなと思って。でも、どうやら・・・そういう感じではなさそうだね」
そんな気もしていたんだけど。ちょっと自嘲気味に付け加えた。
あれ?どういう意味だろう。
私だって、この事態に驚いていないわけじゃない。精霊ディオンとか聞いたこともなかったし・・・。
神経が図太いと思われていたんだろうか。
「僕と君の婚約内定は白紙になる。僕は、皇太子として世継を設ける義務がある。でも、君の身に降りかかった魔法の影響が、正直なところ読めないんだ。だから、この状態で婚約を結ぶことはできない」
「おっしゃる通りと存じます」
婚約内定白紙。これは予想通りの展開だ。
ウイリアム様は皇位継承権第一位であり、幼い頃から優秀で周囲からの期待も大きい。
だからこそ、早くから婚約による地盤固めをし、次代への引き継ぎが行われようとしていたのだから。
ウイリアム様の婚約者になるということは、すなわち「皇太子妃になる」ということ。
不安要素はひとかけらでもあってはならないはずだ。
「そうだね。でもね、マリアベル。僕は、この事態を非常に残念に思っている。君との婚約は、僕が強く望んだものだったからね」
少し目を伏せたウイリアム様の口から飛び出た言葉に、思わず顔をあげる。
え・・・そうなの?政治的なアレで、周囲に押し切られたとばかり思っていたのだけれど。
怪訝な顔をする私を見て、ウイリアム様は苦笑いだ。
「5歳の年の差。君はまだ幼いという者もいたんだよ。だけど、君との時間があまりにも楽しくて。将来を望むほどには、君のことを好ましいと思っていたんだよ」
一瞬、ウイリアム様の目が私からそれた。
「君の気持ちが、兄に対するそれであることはわかっていたよ。だけど、婚約期間の間に、別のものに変わったらいいなと思っていたんだ。もちろん、そう努力するつもりだったしね。」
それが、まさかこんなことになるとは思ってなかったんだ。
ポツリとこぼした言葉。
それまで、どこか楽観的に考えていた私の心に、ズシンと重く響く。
「僕は、皇太子の責務を放棄することはできない。だから、いずれ婚約者には別の女性を据えることになるだろう。だけどね、マリー。僕は、君が少しでも楽しく人生を送れるよう、ずっと見守っているよ。そして、そういう国を作ると約束しよう」
マリー。愛称で呼ばれた瞬間、ウイリアム様との楽しい時間が頭の中を駆け巡った。
途端に、悲しくなって涙が溢れていた。
いつの間にか、ウイリアム様は私の隣に座っていた。
そっと肩を抱き寄せると「これで、お別れだね」と囁いた。
そうだ。あの優しく楽しい時間。
私は、精霊ディオンのいたずらによって、それを失うのだ。
私自身の自由を引き換えに。
そのことの意味を唐突に理解した。
しゃくりをあげる私の背中をさすりながら「僕も悲しいな」とウイリアム様も呟く。
まぁ、アレが黙っているとは思えないんだけどね・・・と、ウイリアム様がふとこぼした言葉は、
泣きじゃくる私の耳には届かなかった。
ウイリアム様は私の肩をぎゅっと抱き直して「絶対に、良い国にするから。君が幸せになるように」
そして「誕生日プレゼントに用意していたものなんだ」と言って、
ネックレスをプレゼントしてくれた。
ウイリアム様の目の色と同じブルーサファイアのネックレス。
あまり派手な装飾の好きではない私のために、日常使いできるデザインだ。
そして、私の誕生日パーティーが始まる前に帰っていった。
殿下と私の婚約内定は、本当にごく一部の者しか知らなかったので、
初めからそんな話などなかったかのように、婚約者候補から外れることになった。
それから二年経っても、ウイリアム様は婚約者を決めることはなかった。
婚約者に選んだ人が厄災に見舞われるという、縁起の悪い経験をさせてしまったからだろうか・・・と申し訳ない気持ちでいっぱいだったけれど、二年を過ぎた頃、ようやく婚約者が決定された。
これには心底ホッとした。
私はといえば、案外楽しい生活を送っていた。
精霊ディオンの魔法は「性別転換魔法」と言って、やはり人間には解くことのできない厄介なものらしい。
指定した条件通りに発動するというので、
「水を被る」がどこまでの行為を指すのか、検証するところから始めた。
わかったことは、身体の一部に水をかける、例えば手を洗うと言ったことでは性別転換しないこと。
頭からザッと被る。この動作によって作動することがわかった。
そして、元に戻る場合も検証した。「お湯に浸かる」ということだから・・・と、頭からお湯をかぶってみたけれど、ただ被るだけではダメだった。浸かるというのは、どこかにお湯をためて、そこに入らなければならないらしい。
貴族の令嬢は水浴びなどしないので、日常生活のなかで性別転換してしまうことは、ほとんどない。
一度、流行りのロマンス小説を読んで「お友達に意地悪をされて水をかけられてしまうとかあるんじゃないかした?」とロイドに相談したら、「お友達は、水をかけたりしません」と真面目に返された。
水をかけられるようなお友達を作るな・・・そして、それはそもそも「お友達」とは呼べない。
そういうことらしい。
私の弟ながら、かなりの現実主義者に育ったものだ。
私はといえば、時々「男の子」になって城下町に出ることにした。
この身体では、おそらく他家に嫁ぐことはできない。
かといって、侯爵家にいつまでも居続けることもよくないだろう。
ここは、いずれロイドが継ぐ。その重荷になってはいけない。
だとしたら、平民として街中で生きていくことを考えよう。そう思ったのだ。
女の子では無理かもしれないけれど、男の子だったらなんとかやれるかもしれない。
そのためには、平民の生活を学び、生活スキルを身につけなくては。
この提案をすると、両親は大反対したし、ロイドも「ずっとこの家で一緒に暮らしていこうよ」といってくれた。
でも、好意に甘え続ける訳にはいかない。渋る両親を説得して、護衛付きで街に出ることが許された。
もちろん、街に出るときは男の子で。ナンシーに安全な場所やお店を教えてもらいながら、そこで買い物をしたり、ちょっぴりお店を手伝ってみたりもした。
そうやって来るべき自立の時に向けて準備をしていた。
そして、私は12歳になった。
この国の貴族の子どもは12歳で魔法学院に入学する。
12歳までは家庭教師を雇って魔法の基礎を学ぶが、より高度な魔法を学ぶために学院に通うのだ。もちろん、人脈づくりという意味もある。経営学などの一般的な学問も学べるので、平民を目指すに当たっても参考になるのかも・・・。そう考えて、入学の時を心待ちにしていた。
ところが。
ある日、父が青い顔をして帰ってきた。
「第三王子から、マリアベルに婚約の申し入れがあった」
・・・どういうこと?