終わりと始まり(4)
【SIDE:ネルガスト】
サロンの入り口手前には、サーシェの両親が私達を待っていた。
本来はもてなす側の家長が入室するべきだが、誕生会の主役はサーシェである。彼女がいなければ、会は始まらない。
なにより、親族内において一番身分が高い私を差し置き、自分たちが先に入室するべきではないと判断したらしい。彼らにとって、私は既にサーシェの夫であり、自分たちの息子であると認めてくれたからこその行動。
そういった、さり気ない気遣いのできる両親が傍にいたからこそ、サーシェは心の優しい女性の育ったのだ。
貴族たちが彼女の両親のような良識と柔軟な思考を持っていれば、いずれ公爵領を治めることになる私の頭を悩ませる事案がだいぶ減るだろう。
貴族の中には、『身分が高い分だけ自尊心も高い』という厄介な者がいる。
周囲への配慮を怠らない、穏やかな人柄である貴族が大半だが、数が少なくとも、厄介なものは厄介だ。
今日より義理の両親となるサーシェの父母には一切問題ないので、私達は心置きなく幸せな夫婦生活を送れるはずである。
ただ、こちらが公爵家の者とはいえ、幼かった私の申し出通りにサーシェと許嫁関係を結ぶことになってしまった義父の優しさというか、気の弱い部分は多少心配ではある。
しかし、今日から我がハーヴェス家とカイザルフェンド家は、正式に家同士の繋がりを持つことになった。
彼女の両親は、私の両親であるも同じ。彼らに僅かでも不幸をもたらす輩は、この私が全力で叩き潰してやろう。心優しいサーシェを驚かせてしまわないよう、誰にも知られることなく、秘密裏に。そのくらいやってのける権力と人脈と能力と腹芸は、すでに手中にある。
まだ起きていない事案についてはさておき。私は、一歩大きく進み出た。当然のことながら、私の腕の中にサーシェを抱き上げたまま。
これならば、主役である彼女も、最高位である私も同時に入室できるのだから、素晴らしい状態だと思う。
まぁ、本当の狙いは、違うところにあるのだが。
私たちが姿を現すと、会話を楽しんでいた招待客たちが揃ってこちらに顔を向けた。
サーシェと同じ年頃の女性たちは、友人なのだろう。年齢が離れている紳士と淑女は親族か、付き合いのある貴族といったところ。
彼らについては、予想がついていた。
ところが、こちらの予想をはるかに上回った若い貴族男性の数の多さには、微かに眉をしかめてしまった。招待客の半数ほどは占めているだろうか。
サーシェと同じ歳の者から、二十代半ばと思しき者。彼らのすべてが、笑顔を浮かべつつも、強い視線を私に向けている。
彼女には私という許嫁がいるのを知りつつも、その私が彼女を少しでもないがしろにしているのであれば、その隙を突いて彼女を我がものにしようという貴族の子息たちだ。
サーシェは王都でもその噂が届くほど美しく、また非常に聡明で優しい。妻にするには、最高の女性だ。私の存在を知っても、諦めきれない気持ちは理解できる。
もし、サーシェの許嫁が私以外の男性であったのならば、権力と人脈と能力と腹芸を駆使し、全力でその関係を解消してみせる。それほどまでに、サーシェは魅力的なのだから。
私は腕の中の彼女に微笑みかける。
「さぁ、行こうか」
「ネルガスト様、あの……。いえ、なんでもございません」
なにかを言いかけたサーシェが、ユルリと首を横に振った。
おそらく、降ろしてほしいと告げるつもりだったのだろう。
ところが、私が笑顔のまま、抱き締める腕の力を強めたものだから、降ろしてもらえないと察したようだ。
恥かしがり屋のサーシェには申し訳ないが、隙あらば彼女を攫っていきそうな輩がいる前では、少しの油断も禁物なのだ。
愛しいサーシェを抱き上げたまま堂々と入室すれば、若い女性陣が「誕生日、おめでとう!」と明るく声をかけ、足早に近づいてくる。
「抱き上げられての登場だなんて、とても羨ましいわ」
「お噂には聞いていたけれど、ネルガスト様は本当にサーシェを好いてらっしゃるのね」
「こんなにも仲睦まじいご様子を拝見できて、なんだか、こちらまで幸せな気分になれますわ」
素直で優しいサーシェには、同じように人柄の良い者が友人であるようだ。
そんな彼女たちに、頬を薄紅に染めたサーシェは、「ありがとう」と、はにかみながら返していた。
恥かしそうに、それでも嬉しそうに微笑むサーシェは、文句なしに可愛くて綺麗である。だからこそ、貴族子息たちが私に向ける視線は、射殺してやろうとばかりに鋭い。
――さて。いい加減、分からせてやるか。
心の中で呟くと、サロンの中心へと進み出た。
そこでじっくりと招待客の顔を眺め、やがて真面目な顔で口を開く。
「少々、お時間をいただきます。皆様にお集まりいただいたことですし、いい機会ですので、はっきりさせておきましょう」
突然、私が声高に言いだしたものだから、皆が戸惑いの表情を浮かべた。
改めて招待客の顔を眺め、私ははっきりと宣言する。
「本日、私達は許嫁という関係を終りにします」
同じ言葉をすでに耳にしてしたサーシェは驚くこともなく、ただ、なぜ私がこの場でそういったのかが分からないという顔をしているだけ。
一瞬の間の後に、サロンは若い女性陣の悲鳴に包まれた。
「そんな!サーシェとネルガスト様は、こんなにも仲がよろしいのに」
「嘘でしょう!?そのようなこと、まさか……」
「お二人が許嫁ではなくなるなんて、わたくし、信じられませんわ!」
彼女の友人たちは、先ほどのサーシェと同じく、顔をこわばらせている。
それとは対照的に、貴族子息たちは目を輝かせて期待に満ちた表情を浮かべていた。
「本当か!?二人が許嫁じゃなくなるなら、俺にもサーシェ嬢に交際を申し込む機会が巡ってくるということか!」
「馬鹿言え!彼女と付き合うのは、この俺だ!」
興奮気味に囁き合う彼らに、私はにっこりと笑顔になる。
「そして、夫婦という関係を始めます」
「…………え?」
私の言葉を聞いて、サーシェの友人たちはさらに驚き、貴族子息たちは訳が分からないといった様子で立ち尽くす。
そんなかれらにニコニコと微笑みかけながら、言葉を続けた。
「本日をもって、正式にサーシェ嬢に婚姻を申し込むことができます。ああ、これには少々語弊がありますね。申し込みました、と言うべきでしたね。もちろん、彼女は承諾してくれました」
皆の前で宣言されたことがたまらなく恥ずかしいのか、ギュッと身を縮めて俯くサーシェ。彼女の仕草に愛しさがこみ上げ、まろみのある額に小さな口付けを落とした。
「きゃぁっ!」
思わず歓声を上げてしまった若い女性員たちは、咄嗟に手で口元を覆う。彼女たちの目は安堵の色が濃く、この結婚を祝してくれていることが伝わってくる。
当然、面白くないのは貴族子息たちだ。もしかしたらサーシェを妻にできるかもしれないと抱いた淡い期待を、即座に潰されたのだから。
私が正式にサーシェを妻に迎え入れれば、公爵家より家格が低い彼らには、どうすることもできない。西から太陽が昇ろうが、真夏に雪が降ろうが、万に一つの可能性もないのだ。
それでも、あえて言葉を続ける。
「私は妻であるサーシェ嬢を、一生、心の底より愛し続けます。皆様、どうぞ、私の言葉をお忘れなく」
往生際悪く、今の今までサーシェを狙っていた貴族子息に向けて。
そして、大切で愛しい、私の腕の中のサーシェに向けて。
●ようやく、番外編が一段落しました。ここまでお付き合いくださいまして、本当にありがとうございます。
サーシェとネルガストが初めて許嫁として顔を合わせた日のネタもありますが、まだ形になっていませんので、公開までにはしばらく時間がかかるかと思われます。
ですので、いったんここで完結設定とさせていただきます。ご了承くださいませ。




