罪人に送る地獄の業火
西サハリア ハングドマン異能研究所地下一階
そこは奇しくも火蟻が閉じ込められたミーティング室にそっくりだ。真っ白な空間。
あの時とは違い、机などの類いは一切なく、エレベーターと火蟻達が降りてきた階段への扉のみ。そこにいるのは囚人服の中年の男。男は若白髪を撫でつけ、目付きは鋭い。だが、どこにでもいそうな男だ。日常生活、例えば電車やバスにいたとして、誰がこの男を人喰いだと認識できるであろうか。
「蝟、準備はいいか」
蝟の体に青い紋様が浮かぶ。体表近い血管がすべて浮き上がっている。
「火蟻もな」
火蟻の右目が充血し、さらに血の涙を流す。
「なぜ私はお前たちに恨まれなければならないのだ?」
男は本気でわかっていない様子だった。
「私は子供であった君たちには一切の手を加えていない。もちろんそれは私が人道的だからだ。本当だったら君たちを殺して食べたかった。悪行は積めば積むほどよいものだが、それでも君たちを食べるのは倫理的でないと感じたからだ。それなのに」
ハングドマンの話を二人とも聞いてはいなかった。
音速を越える衝撃波で蝟がハングドマンの足を持っていく。動けなくなったハングドマンに対し、火蟻は蟻の大軍のような炎を地面から出した。ハングドマンが走り出して逃げようとするが、動くための足はすでに砂となって消えている。
「ぐおおおおおおおお」
ハングドマンは黒い炎に包まれ発狂する。だが、叫び声と共に炎が霧散する。炎に包まれたときの絶望を希望に変えたのだ。足も元通りに戻っている。
「まだナァ、ハングドマン。まダこんなんじャ足りネェぞ」
黒い炎が引くと次に地面から鎖が伸び、ハングドマンを締め付ける。さらに鎖から鉄刀が出現し身体を貫く。ただし心臓は的確に避ける。ただでは殺さない。
「こっちはおまえのもんしょうのいちをしってる。うるふはくちをわった」
蝟は青い紋様の影響でろれつが回ってない。身体中の血液が“最速の胃”に着いていくために流れているため喋るのでさえままならないのだ。
「そのうでもらう」
音速を越えるスピードで腕を引きちぎった後、その腕を、ハングドマンの口の中に突っ込んだ。ハングドマンは口から出そうともがくが腕は砂となり、口腔を圧迫する。絶望を感じる間もなく次の攻撃が迫る。
「つぶレろ」
ハングドマンの四方を熱した鉄の壁がせまる。その箱はいつもなら閉じ込めるだけのもの。今はハングドマンの身体を押し潰すために箱が小さくなる。ハングドマンは声もあげることができない。自分の腕だった砂が気管を蹂躙しているからだ。
「ひあり、のうはこわすなよ。あいつにはくるしんでもらう」
「ワかッてイル」
ハングドマンの入った箱が燃え上がる。攻撃を止めると絶望を感じる余裕が出るのか、その箱が爆発して無傷のハングドマンが出てくる。
「どうしてなんだ、俺はただ腹が減っていただけなのに。お前たちはなにも食わな」
「うるさいな」
ハングドマンは喋ることができない。蝟が下顎を持っていったからだ。そして、上顎から紅の花が咲く。その花は血の結晶。どんどん増殖し顔中を覆う。
だが、様子がおかしい。ハングドマンのではなく、火蟻の様子がだ。
ああ、あれをやるのか。
○○○
まずいまずいまずい殺される殺される殺される絶望的だ絶望的だ絶望的だ絶望的絶望的絶望的絶望絶望絶望絶望絶望絶望
絶望こそ希望。
私の能力は絶望を希望に変える能力。
悪人こそが救われる。
祈れば女神が助けてくれる。
○○○
火蟻の両目が充血し血の涙を流す。ハングドマンの能力によるものかそれとも彼が自主的に枷をはずしたのか。恐らく両方だろう。今や彼は正気に戻っている。この状態こそが彼の正気なのだ。
「グウウウオアアアアアアアアァァァ」
火蟻を中心として赤黒い空間が広がる。そこは無間地獄。その空間内に入ったものは殺し合いをし始める。無生物はエネルギーを与えられ生物のように動きだし、生物は無生物に食い殺される。生物が死んで無生物になる。すると死体が無生物を食いにいく。
ハングドマンにはこれがお似合いだ。この中に入ればよい。この中で壁や床、空気に喰われると良い。蝟はそう思った。火蟻には悪いが復讐のためだ。我慢できない。
蝟を火蟻を残し、部屋を出たその時、
「おいっ、ネズミっ、私たちは言ったはずだ。あれはやってはいけないと。火蟻が暴走したらお前が止めろと」
扉の向こうにいたのは雷蜘蛛と黒蛾それに蛇。
「私たちは手を出さない。だが、それは、無間地獄を作らせないのが条」
条件だっただろ、その雷蜘蛛の言葉を黒蛾が止めて、蝟に問う。
「あれを放っておくのは、約束を破ることになるんじゃないか。誰も殺さないんだろ。ハングドマン以外。あれだと火蟻が死んでしまうぞ」
衝撃が走った。
約束と言うのはもちろん、妹との約束のことだ。これでは妹の自慢の兄ではいられない。
「おれはっ」
「行って、火蟻を助けてやれ」
黒蛾は蝟の背中を押した。
○○○
無間地獄
周囲は赤黒く息が苦しい。と言うよりも空気に肺が蝕まれているだろう。蝟の紋章は胃。表面にはないのでまだ安全だが長居はできない。
空間の中心、火蟻が立ったまま血の涙を流し、うわ言を呟く。
「サバキ……センセイ……サトル…………サチ………アキラ………マルコ……シラハ………ハト……クチナワ……クチナワ……クチナワ……ダイジョウブ……」
「おいっ、かえるぞ」
予想に反し、火蟻は抵抗しない。力が入っていないのだ。
向こうには無間地獄からエレベーターで脱出しているハングドマンが見える。
クソッあいつを今から殺しに行きたい。だが、今は火蟻だ。ここで火蟻をおいて復讐に走れば……堕ちる。向こう側に行ってしまう。
蝟は火蟻を連れて、無間地獄から脱出する。
○○○
「雷蜘蛛さん、ハングドマンが逃げてます」
蛇は千里眼で見つける。目が焼けそうになっても無間地獄を見つめていた。彼が心配だったからだ。
もはや彼の仇は蛇の仇だ。例えこの目が焼けようとも、無間地獄の中で磔にしてやる。そう思っていたのだが。
「ああ、そっちは問題ない」
雷蜘蛛はもうすでに手を打っていた。
「えっ、あっそう言うことですか」
ハングドマンの逃げた先、エレベーターが開くとそこにはーー女王が立ち塞がっている。
○○○
「やはり、悪人こそが救われるのだ。私はあの状況から抜け出せた。奇跡。奇跡である」
なんとかエレベーターまでたどりついたハングドマンはボタンを押した。すでにエレベーターは来ている。それもまた幸運だと喜んでいたのだが。
「止まれ」
前方の女が縫い糸を持って立ち塞がっていた。
ーーまずい絶望て
「絶望するな」
ハングドマンは絶望さえ感じることができなかった。これでは手も足も出ない。
突然、ハングドマンの心の中に安堵が芽生える。だが、その心の安堵は一切の絶望が消えたことによるものだ。
安心してはいけない。絶望しなければ。そう思うほど心が穏やかになる。
「回れ右」
まずい、あそこは地獄だ行きたくない。大丈夫大丈夫大丈夫。女神が助けてくれる。
いつもならば心の中で絶望だ絶望だ絶望だと反復する。その事に彼は気づくことができない。
「そのまま歩いてあの地獄の中に入れ」
嫌だ嫌だ嫌だ。助けてくれ。絶望しなければ。絶望しなければ。絶望を希望に変えなければならない。
「そしてそこで止まれ。出てくるな」
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。だが彼は諦めることができない。どこかで誰かが助けてくれると思わずにはいられない。何故ならばもう彼は絶望できないからだ。一生希望を持ちつつ空間に喰われるのだ。
エレベーターが閉まる間際、もう一度蝗は口を開く。
「悪人こそが」
地獄へ落ちろ。
○○○
エントランス
血の涙を流す火蟻を背負って蝟は連れてきた。火蟻はうわ言を呟き、目の焦点は合っていない。
「火蟻さん」
「私たちはあの地獄の進行を止めにいかなければならない。行くぞ、雷蜘蛛、蝟」
黒蛾が二人を連れて下へ行こうとする。
「でも、俺は役に立たないですよ」
蝟の青い紋様はすでに消えている。
「そうだ、こいつがいても何にもならんぞ。お前と私でなければ」
雷蜘蛛は蝟を連れていく理由が本当にわからないようだ。蝟ならともかく、雷蜘蛛が気がつかないのは大丈夫なのだろうか。黒蛾は本気で心配した。
「お前らなあ、鈍すぎんだよ。行くぞ」
○○○
今この場にいるのは火蟻と蛇の二人だけだ。彼女は血の涙を流す火蟻を膝枕している。
「火蟻さん」
返事がない。聞こえていないようだ。
「火蟻さん、私、私が初めて出会ったとき、とても不安だったけど、火蟻さんといたから大丈夫だった。火蟻さんの手がとても優しかったから」
火蟻は変わらない。
「火蟻さん、私の能力を最初に受けたのはあなたでした。変な女に抱きつかれてたけど。私はまだあなたを許してません。あなたが他の女に心を動かしたら、私はあなたを見つめて一生動けなくします」
蛇は涙を流しながらも、笑いかける。
「火蟻さん、私があなたたちの敵だったとき、あなたは身体を張って助けてくれた。きっとあなたがいなければ今ごろは雷蜘蛛さん達に殺されているか、インターセプターに処分されてます。だから本当にありがとう。あなたは私の恩人。そして」
火蟻の血の涙が止まる。
「火蟻さん、私、」
あなたが好き。これからも私を守って。
火蟻の目の充血が引いて、正気に戻る。
「僕は、」
「火蟻さん!」
蛇は泣きながら火蟻に抱きつく。
「どうしたの、蛇」
「火蟻さん、私の話聞いてました?」
「いや、声が聞こえただけで、よくわかんなかった」
よかったが半分。ざんねんが半分。
蛇は質問した。
「火蟻さん、これから火蟻って呼び捨てにしてもいいですか?」
不思議そうな顔をしながら火蟻は。
「どうぞ、いくらでも呼んで」
黒蛾たちが戻るまで蛇は何度も何度も『火蟻、火蟻、火蟻』と呼びながら火蟻を抱きしめていた。




