遥かなる師を越えて その壱
伏義が巨大樹を下ると、そこには広大な地下都市が広がっていた。人々は賑わう。なぜならば、ここは昼も夜もない。ずっと黄昏色に染まっていた。
王が帰ってきたというのに、人々は皆、伏義に見向きもしない。
それもそのはず。
能力共有による霧化の影響で、人々は伏義の姿が確認できない。
伏義が向かう先には、区画を無視して作られた宮殿。中には恐ろしい存在がいるが、用があるのはそちらではない。
「久しぶりだな。ザド」
窓に張りついている羽虫……違った、堕天使に呼びかける。その瞬間、ザドキエルが雷に打たれて落ちた。
「ん? ああ、伏義……。調子はどうだ……」
ーー調子はどうだ……か。どうせあの子のことだろう。
「お前に似てきて心配だ」
「俺に似ているなら、大丈夫だ」
大丈夫な訳があるかと言おうとしてやめた。
あの子はあの子で楽しくやっているのだから。問題は蟻のことを伝えるかどうかだ。怒るだろうか、喜ぶだろうか。喜ぶとして、その理由が“娘にそんな人ができたなんて……”なのかそれとも、“俺の娘が訳のわからんどこぞの奴に……興奮する!”なのか。
「あの子はその……私の手を離れたよ」
ザドキエルの顔が歪んだ。さすがに怒るか。
「どういう意味だ」
「いずれは私から離れるべきなのだ。いつまでも一緒にいてやれるわけあるまい?」
その瞬間、伏義を虚空から現れた無数の剣が囲む。
「それでもあの子は!」
はっと笑った。
「お前があの子の何を知っているのだと言うのだ。私が面倒見ていたのはお前に負い目があるからだ。だがもうじきそれも終わる」
ザドキエルの出した無数の武器が伏義を覆う。
「火克金」
刃が炎に包まれて消えた。
「俺の娘を、お前を信用して預けたんだ! それをそれをそれを!」
「あの子をずっと私の元に置いておくわけにはいかない。あの子はもう立派に成長した」
「うるさいうるさいうるさい! ぶっ殺す!」
「羽虫がそう、いきがるな」
◯◯◯
「まったく」
無傷のインターセプターの前には、ボロ雑巾のような堕天使。陰陽魔法など使わず、素手で殴りつけた。ザドキエルもまさかそんな物理的にボコボコにされるとは思っていなかったのだろう。
その姿は出会った時と同じだった。
○○○
導師服が荒れ地に揺れる。
門番である俺は困り果てていた。
「ここを開けてくれ! 頼む! セシリアが怪我を! 誰か誰か!」
扉の向こうには明らかに他種族の男女。怪我をしているのは人間だろうか。珍しい。助けを求めているのは天使……にしては少し黒ずんでいる。半落ちか。こちらの方も大分憔悴しきっているようだった。関わるとろくなことがない。
俺としても通してやりたかったが、これが演技だとすれば民を傷つけることにつながる。
それでは爺に申し訳がたたない。
「この扉の先でお前たちが暴れないという保証がない。だからここを通すわけには」
通すわけにはいかない。と言おうとしたところで門が開かれた。内側から誰かが開けたのだ。
「怯えて人を助けない、なんていうのは良くないぞ。黄仙」
「じじい!」
現れたのはこの国の王であった。
「こんばんわ。私の名前は伏義。救助はするが、あなた達を監視させてもらう。それでいいかな」
老紳士が二人を門の中へ誘った。
「あんた、自らそんな仕事するのか?」
一介の王がすることとはとても思えなかった。監視なんて下っ端の仕事だ。
「いいか、黄仙。王の仕事は民を守ることだ。目下、最大の危険は彼らだ。だろ」
そう言って門の中へ入っていった。
黄仙は門の中の様子がよくわからない。なぜなら彼は門番であった。門番の仕事は外敵の排除。
名誉な仕事でかつては伏義自身も門番だったらしいが、多くを語ってはくれなかった。
死んだものと生まれ変わったものは違う。
たとえ姿かたちが同じでもそれは違うものだというのがこの世界の掟だった。そうするしか自分を守る方法がなかったのだろう。
「それにしても」
このあいだの二人についての情報は限られていた。教えてくれる者はここを出入りする者。もしくは伏義自身。
下界人と天使が禁断の愛がどうのこうの。
正直興味はない。
人間の女が悪魔たちに追われ、天使の男は天使たちに追われているらしい。
この世界の種族は主に7つ。
亜人、天使、悪魔、幻獣、巨人、聖霊そして吸血鬼。
各種属はそれぞれ異能を持つ。
例えば幻獣や巨人はそのまま幻獣化、巨人化。
天使は真紅の炎。
亜人は魔術。
吸血鬼は霧化。
悪魔は外の世界に意識を飛ばせるらしいが、詳しくは不明。
聖霊に至ってはその存在を見つけることすら難しく、よくわかっていない。
それとは別にある種の個体は固有の能力を持つ。
あの天使崩れの固有能力は剣の創造らしい。
互いが互いにいがみ合っていた。
だが、下界人と悪魔はそこまで仲が悪いわけではないらしいし、天使に至っては同属だ。
おそらく下界人と天使どうしの恋なんて認めない、みたいなことだろうか。どうでもいいか。
そう、この黄仙の仕事はこの門の向こうにネズミ一匹入れないこと。
「とりあえず、ここを通してもらおうかな、兵隊さん」
鋭い牙の男が近づいてきた。
黄仙は兵隊ではなく門番だ。この国で戦闘能力を持つのは黄仙か伏義くらいなもので、軍隊なんてものはない。
普段、吸血鬼がここを攻めてくることはない。それは伏義の存在が大きい。単純に強いからなのかもしれないし、抜け目のないじじいは裏で何かをしているのかもしれない。
ただ、時おりこうやってはぐれの吸血鬼がここにやって来るときがある。そういう場合は黄仙の出番だ。人々が吸血鬼によって殺されるのを防ぐのが黄仙の仕事である。
「失せな。吸血鬼。じゃなきゃ死ぬぜ」
「黙れよ、食料。お前たちはただ、ぶくぶく肥えときゃいいんだよ!」
早速の霧化。男の姿が消える。と言っても彼は必ず黄仙の目の前に来なければならない。石門を通りに来たのだ。物質透過ができるほどの吸血鬼は個体差もあるだろうが、だいたい公爵級くらいから。はぐれの吸血鬼など爵位すら持っていないだろう。
「らあああ!」
ほら来た。目の前に現れた吸血鬼が手刀で襲ってきた。
その爪くらいでやられるとしたら門番などさせてもらえるはずがない。
「土生金」
吸血鬼の手前、地面から鉄の壁が伸びる。
「痛っ」
吸血鬼の手刀は鉄壁を鳴らした。かなり痛そうだ。だが、それだけで終わるほど甘くはない。
「金生水」
吸血鬼の手は鉄壁から離れない。鉄壁はどんどん液状化し、吸血鬼自身が鉄壁の中へ吸い込まれていく。鉄壁の色がだんだん透き通っていく。
「くっ」
吸血鬼は急いで霧化をし、拘束を解こうとする。姿が完全に消えるまでに一秒。時間かかりすぎだ。
「水生木」
液状化した鉄壁はほとんど水になっていた。宙に浮く水から木の根が霧化する前の吸血鬼を串刺す。
「終わりだ。木生火 天照!」
……。なにも起きない。
吸血鬼は木の根に捕まって身動きがとれない。霧化をしようとすればするほどそれを糧に木の根がどんどん太くなっていく。
「天照!」
状況はなにも変わらない。このまま放っておいても吸血鬼は“転生”するだろう。だが、そんなやり方は余りに非道だ。ここは一瞬で燃えカスにさせるのが望ましい。
「あ・ま・て・ら・す」
みるみる吸血鬼が干からびていく。目からは生気が失われ、肌は血を抜かれたようにボロボロになっていった。
ーーああ、まずいな。
木の根に縛りつけられる吸血鬼。指でつついただけで粉になって消えてしまった。
後ろを振り返ると、伏義がいた。彼は大きくため息をついた。
「またか、黄仙。いい加減、炎も使えるようになったらどうだ」
「うるせえ、どうやってやるか教えてくれないのはあんたの方だろ!」
「だから言ってるだろ。炎を見て、真理を読みとく。お前は土、金、木、水でそれをやっているはずだ。同じことをするだけだ」
そんなことをしているつもりはない。感覚だ。だからどうして伏義ができるのかがわからない。同じようにして、この国の亜人たちが一属性の相剋しかできないのかもわからない。
「まあ、練習だな。練習。私は外に出るから内側のことも頼むよ」
そう言って伏義は国を出た。外に出るといっても、たかが一晩くらいなので、それくらいなら大丈夫だった。内側にだって二属性の相生までできる亜人は少ないが、いることにはいる。
だから心配の必要は……ってあの人間と天使はどうすんだ!
黄仙はここを離れることができない。だから彼ができたことはただ一つ。
そわそわすることだけだった。
「おい、どーすんだよ!」




