私はお前を救ってみせる
巨大樹のうろの中、階段を一歩一歩下るごとに、臭いがきつくなってくる。あまりの臭さに私はたじろいだ。
地下街は煙で覆われていて、全貌がよく見えない。
「何だこの臭いは」
「ああ、終末を予測して薬にでも耽っているのだろう」
と、ザドキエル。
「ったく、臭すぎる」
すると、ラストが手を上に構えた……おい、おい、おい。
「ラスト、何する気だ!」
「ヴィル、この臭い、嫌なんだろ。消してあげる」
ザドキエルが笑い、オルムデスが天を仰ぐ。
光が目の前を貫いた。
◯◯◯
もう臭いすら残っていない。そこに人がいたかどうかも不明だ。
頭が真っ白になって、再び気づいたときにはラストの胸ぐらをつかんでいた。
「貴様! 何をしている!」
「え?」
ラストは自分が何をしたのか全くわからないようだった。
無邪気な子供がなぜ怒られたかわからないように困惑していた。
「貴様! 自分が何をしているのかわかっているのか!」
「ヴィルが傷つくこと何かした? ごめんよ、ヴィル」
違う。そうじゃないだろ!
「ここにいたはずの人々はどうした」
ラストが木っ端微塵に吹き飛ばした。その事実が理解できずにわかりきった質問がこぼれてきた。
「ごめんヴィル。分かった」
ラストが指を鳴らすと、何事もなかったように人々が戻った。
その光景は元の通り、否、先程よりもずっと健全な光景が広がっていた。
吐き気を催すような空気は消え去り、人々の荒廃した姿も今は確認することができない。
「これでいい?」
屈託なく笑顔で笑うラストに、私は戦慄した。
「お前は……」
そのあとの声が出ない。
「ヴィル! 誉めて!」
これが、ラストジャッジメント……。
「ラスト……」
心ならちゃんとあるはずだ。サバキとは違うはずだ。
だから救ってやれる。
私ならラストを救える。
取り返しがつかなくなる前に。かつて黒蛾に救われたように。
「ラスト。私はお前を救ってみせる」
罪という名の鎖から。
◯◯◯
私たちはうろの中の、地下街のような場所を歩いた。煙も臭いももはやしない。
ここもまた、地上と同じように中世の町なみを描いていた。
「とりあえず、こいつに聞いてみるか」
私は近くにいたじいさんに話を聞こうとしたが、
「ぐあああああああああ!」
じいさんが突如、呻き声をあげた。
「ラスト! いい加減にしろ! この人が何をしたと言うのだ!」
「ヴィルと話した」
ああ、そうか。そうだったのか。やっと分かった。
ラストは私が誰かと話すのが嫌なのだ。まるで小さい子供が親を独占したいがために暴れまわるのと似ているのかも知れない。ただラストの場合は力が強すぎるのだろう。
「いいか、ラスト。私のことを好きなのはいい。でも私だって他人と話くらいする」
「ヴィルは俺様のこと嫌いなの?」
他の人と話すと嫌いということになってしまうのか。
まったく。仕方のないやつだ。
「嫌いじゃないからそんな顔するな。話をするだけだ。話をするだけで、私は誰かを好きになることはないから安心しろ」
「違う! ヴィルが誰かと話しているのを見るとここが苦しい」
ラストが胸の前で拳を握りしめる。
参った……これではろくに話すら聞けない。最初からラストが私の父を探せばいいものを。
だが、そういうことではないのだろう。
私の父を探すことなど、こいつにとっては私と仲良くなるための餌にしか過ぎないのだから。
仲良くなるため……。そうか、じゃあ。
私はラストの手をとる。
「では、私の父親を見つけるまでずっとこうしていよう。それなら文句ないな」
ラストの手が暖かい。暴君のようなラストの手からは、彼が血の通っている者であることがわかる。
「嬉しい! ヴィルの手!」
ぎゅっと、握り返してきた。私は人肌に触れる機会さえ無かったので何だか優しい気持ちになった。
ラストの機嫌が良くなっているうちにさっさと話を聞こう。
「ここで一番偉い者ならば私の出生がわかるそうなのだが、どこにいる?」
さっきのじいさんはさすがに、ブルブルと震えるだけで何も聞けそうになかったので、別のじいさんを捕まえて聞いたところ、
「王様はもうずいぶん前からここにはおりませぬ。かの方は旅に出たと聞きましたが、実際どこにいるのかは誰も知らぬのです」
はあ。ここで聞いても無駄なのか……。
私はとりあえず手当たり次第に聞いていったが誰もが同じような反応しかしない。昼なのか夜なのか、うろのなかにいてはわからない。
しかも眠くなってきた。いつまでもここにいてもしょうがない。
少し休みたい。
「宿の類いでもあればいいのだが、どこにあるかわかるか?」
あいかわらず、ずっと手を握りしめたままだ。
「ヴィルの部屋作れるよ!」
通路のど真ん中、突如として宮殿が作られる。地下道路は広めであったが、邪魔にしかならない。
でもまあ、今までのラストにしてはいい方だろう。せっかく建ててもらったわけだし、ここは甘えるとしよう。
宮殿に入れるのは、私とラストのみ。ザドキエルとオルムデスは宮殿の結界に阻まれているようだ。
かわいそうだが、どうするべきであろうか。ザドキエルは論外だとしても、オルムデスは入れてあげてもいいのではないだろうか。
私はラストにオルムデスは入れてやれと言おうとした。
すると、オルムデスは首を振った。オルムデスがそういうならまあいいか。
そう思って、私は宮殿の中に入った。
宮殿の中は真っ暗だ。何も見えない……まさか。
身体中に雷をほとばしらせ、ラストが襲ってくるのではないかと警戒する。
「どうしたの、ヴィル。まだ何も決めてないんだけど、どういう家にしたい?」
こいつは私を油断させようとしているのかそれとも、素……素だな。
やましい想像をした自分が恥ずかしい。
「じゃあ、ワインレッドの絨毯に、とりあえず机とベッドだな。蜘蛛柄を基調にしてくれると良い」
ラストが指を鳴らすと、その通りの部屋が広がる。ただし、でかい。机とベッドと部屋の大きさが割にあっていない。
「もう少し、部屋を小さくしてくれるとありがたいな」
さらにラストが指を鳴らすと部屋が小さくなり、ちょうど黒蛾の館の私室とそっくりになった。
「風呂に入りたいのだが」
ラストが指差す先にはもうすでに扉が出てきていた。おそらく、この先が風呂なのだろう。
扉に向かい、ドアノブを捻るとすぐに浴場が広がっていた。脱衣場がない。
それはいい。それはいいのだが、
「風呂に入りたいのだが」
なぜ二回も同じことを言うのか……という顔をしてるな。わからないのか。この手を放せと言っているのだ。
「言っとくが一緒には入らんぞ。手を放せ」
ぎゅっとしたままで振りほどけない。
「いいか、私とラストは会ったばかりだ。そんな男女が一緒に風呂に入るのはよくないことなんだ」
「なんで! 俺様はヴィルが好きなのに! さっきずっとこうしてるって言ったじゃないか。ヴィルは俺様のこと嫌いなのか?」
「嫌いじゃないが、だからといって常識的にだなあ……」
この私が常識を教えるとは、お笑い草もいいところだ。昔を思うとわらけてくる。
「俺様、ヴィルと風呂に入る!」
「だめだ。じゃあ、私は風呂に入らない。ずっと風呂に入らなかったら、私だってきっと臭くなるからな。知らないからな」
「ヴィルはならないよ」
ラストは手をぎゅっとして笑う。
私はベッドの方に向かった。ラストと一緒に……あ、そういえば。
「だめだ。ベッドに入ってくるな。それはいけないことなんだ」
「何で?」
「お前が私を襲うかもしれないからだ」
「そんなことしない! 好きなんだから!」
言い得て妙だな。一緒に寝るくらいはいいか。
別に何されるわけでもなかろうに。身体は青年だが、心は少年でしかない。その前に、
「ラスト、カーテンを閉めてくれ。カーテンを閉めるだけだ。あいつに雷を落とすのは私がやる」
あいつ……ザドキエルのことだ。窓にへばりついていた変態を電撃で落とすと、蜘蛛柄のカーテンが窓を包んだ。
「おやすみ、ラスト」
「おやすみ、ヴィル」
手の温もりを感じながら眠りについた。




