テイシュツしよう
第一突撃部隊の宿舎。
開いた窓の外からは訓練をしている者達の声が響いている。
暑くもなく微風が吹く中、二百人程が剣を振って汗を流していた。
皆、真剣な表情で前を向き、自分の口から発する声と共に振り下ろす。空気を切る鋭い音がした。
「後、五十回!気を抜くな!一、二・・」
激を飛ばされ、腕にはさらに力が入る。
訓練をしている者達は、白い半袖の服を着ており、腕の袖口の部分が翡翠色になっていた。
生地の丈夫な黒いパンツは、足に怪我をする事のないように膝のある裏地の部分が強化されている。
腰には太めの灰色のベルトを付け、剣の鞘が取り付けられている。灰色の革の靴は足首よりもかなり高い位置まであり、翡翠色の紐できつく結ばれていた。
手首と肘の部分に、刃物を通さない伸縮性のある黒い布が装着されている。
掛け声と共に剣を振り下ろす動作を繰り返しているが、上から魔力圧を掛けられているので、腕を動かすのも大変そうだった。
そんな中、宿舎内の休憩所で、第一突撃部隊のオスマンドが、皇帝一家の名前が書かれた紙を持って掲示板の前にいる。
「どこが相応しいかなぁ」
そう言いながら貼りつける場所を探していた。
掲示板には色々な紙が貼られている。
食堂の時間や、清掃の時間、各地に出現している獣の情報など様々だった。
特に獣の情報は多く現地の戦力では間に合わない場合が多々あるので、軍の部隊を派遣して獣の鎮圧を行っていることが書かれている。第一部隊から第一五部隊まである部隊が臨機応変に対応している事が読んでみると分かった。
討伐された獣の情報は量が多過ぎるので隅に貼られている。多種多様な獣が出現し、村や街に出ている事が記録されていた。
オスマンドは軍から支給された室内用の服を着ており、襟のついた白い半袖の服には前側にボタンが付いていた。黒いパンツに自前で買った白い靴をはいている。
腕の袖口が、黒色と翡翠色の二重になっているのは隊長の証しだった。
掲示板は外からでも確認できるように窓辺に設置され、直ぐ側には外に行ける扉もある。
オスマンドは考えた末に、一番目立つ場所に貼る為に他のものを移動させる事にした。
「ちょっとごめんよ」
一番目立つ位置に貼り付ける為に、臨時情報の紙などを横にずらす。そして掲示板の中央部分に持っていた紙をペタリと貼った。
内容は以下の通り。
ーーーー
ギルデイザイス帝国皇帝
ルセルデルモンド
ギルデイザイス帝国女皇帝
ニナルファイシス
第一皇女殿下
ルナミリス
第二皇女殿下
ドミナトルシア
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綺麗に貼り付ける事が出来たのか確かめる為に、少し距離をとって全体を見る。
理想通りにできたので貼り直す必要はないと満足そうにオスマンドは頷いていた。
「上手く貼れたな」
「おーい、オスマンド。何してるんだ?」
そんな時、同じ部隊に所属しているモイスが後ろからやってきてオスマンドの隣に並ぶ。
モイスの服装も同じようなものだが、腕の袖口の色は翡翠色で、靴は黒かった。
「あれ?モイスも素振りに参加するって言ってなかったか」
「途中で止めたんだよ。ユースベール隊長だけだと思ってたら総隊長が参加するって聞いて、直ぐに不参加で逃げてきた」
「お前なぁ」
「総隊長には内緒な」
ウィンクくするモイスにオスマンドは呆れ顔になる。モイスは適当な所のある、憎めない性格をしていた。
二人とも茶色の髪をしており、オスマンドは緑色の瞳。モイスは青色の瞳をして、後ろ姿が似ているので、一見すると兄弟のようにも見える。
オスマンドにとって、モイスは弟のような存在だった。
モイスは普通に短く切って癖毛もないのでそのままで、オスマンドの方は短い髪だが額を出すように横の髪を少し長くしている。
開いた窓から風が吹いてきていたので、モイスは風が当たるように体勢を変えた。
「で、何してたんだ?」
聞かれたオスマンドは誇らしげに言う。
「皇帝様一家のお名前を一番目立つ場所に貼ったんだ。ここなら目立つだろ」
「そうか」
モイスは何かに気づいたように紙を凝視する。そして眉間に皺を寄せ考え事をしていた。
「あれ?おかしいな・・」
「どうした?」
不思議に思ったオスマンドが聞くが、モイスは答える事なく独り言を呟いている。皇帝一家の御名前を順番に口に出しているようだった。
何度か繰り返すとモイスは諦めオスマンドの方を見る。その表情は複雑そうだ。
「第二皇女殿下のご尊顔を思い出せないんだよ。こんな事って普通あるか?」
「いやいやいや何言ってるんだよ。記憶喪失にでもなったか?毎日見てるじゃないか」
「え、毎日ってそんな事あるはずが・・」
「正気に戻れ!鍛えられすぎて記憶も飛んだのか。窓に近寄って外を見てみろ」
オスマンドの指差す方向には、かなり離れた場所で訓練をしている者達が剣を交えて汗を流している。
そして一番先頭で腕を組んで訓練を監視している者がいた。
翡翠色の目を鋭くさせて全体を見ている。短く跳ねた黒髪に銀の魔力を散らし、歴戦の猛者の雰囲気を漂わせる巨体には太い腕がついている。
手首と肘の部分に黒い布が装着されているのは隊員達と同じだった。
服装は全体と同じだが、腰にベルトはせず、両肩にベルトを巻き、自分の体に合う訓練用の長い剣を鞘に挿した状態で背中に装備している。
腕の袖の部分が全て黒色をしており、袖口の部分だけ翡翠色になっている。総隊長だと一目で分かるようになっていたが、例え軍の服を着ていない休日だったとしてもドミトルを間違える者などいなかった。
「ドミトル総隊長がいるな」
当たり前のようにモイスが言ったので、オスマンドはホッと安心する。
「そうだろ。分かったか?」
「え?何が?」
聞き返すようにオスマンドを見たモイスは、純粋に何も知らないような目をしている。それに気づいたオスマンドの顔色がサッと青ざめた。
「おまっ、本当に、知らないの」
「そこまでだ。オスマンド」
遠くから声がかかる。
オスマンドがその方向を向くと、片手を上げた第一遊撃部隊隊長のエリオストがいた。
エリオストは軍に所属して長いので、オスマンドが尊敬している隊長の一人である。
赤い瞳で、結んだ銀髪の長い髪を後ろに垂らしている。腕の袖口は黒色と翡翠色の二重になっていた。
「いかんな、オスマンド。自ら地獄に足を突っ込む趣味があるとは、このエリオスト、まったく知りませんでした。どうぞお許し下さい」
優雅にお辞儀するエリオストにオスマンドは恐怖を感じる。何らかの意図を感じた。
「突然の敬語!?怖すぎるっ」
「将来、上司になるやもしれないだろ?第一突撃部隊所属、支援部隊隊長。婚約者のいない伯爵家第四子息殿」
「調べられてる!?何でっ・・はっ!」
「気づいたか?私は婚約者のいない者を全て余す事なく調べ上げている。この意味が分かったなら口を閉じていろ」
オスマンドとエリオストが話している。
「あの~言ってる意味が分からないんですけどっ!?」
その時、暗くなったと同時にモイスの頭にズシッと重い何かが乗って体が縮む。
そろりと見上げると自分の頭を覆う巨大な手が見えた。
それは窓の外から身を乗り出すようにしてモイスの隣にいるドミトルのもので、巨体のせいで光が遮られ影になっている。暗いと感じたのはこのせいだった。
「そ、総隊長」
モイスはまだ入って半年の新参者だが、ドミトル総隊長の補佐の一人に抜擢されている。
そのドミトルから上から見下ろされ目が合い、獣よりも鋭い目がモイスを見ていた。
エリオストの隣でオスマンドが震え、まさか窓から来るとは思ってもいなかったようで口が開いたままになっている。
ドミトルは表情を変えずに淡々と話すが起伏のないその言葉は、明日の天気でも話しているような気軽さがあった。
「ただいまコンカツチュウの妹です。姉のルナミリスにダレデモイイカラ連れてこいと言われてるノ」
ドミトルから出た言葉にモイスは蒼白になる。姉の名前がルナミリス様ならもう一人の名前はドミナトルシア様しかいない。
オスマンドもドミトルとエリオストに挟まれているので同じような顔色になっていた。
「モイス、オスマンド」
「「はい」」
ドミトルの声に二人はしっかりと返事をする。そこは訓練されているので様になっているが表情は強ばり、今から何を言われるのか緊張していた。
「巨大な奥さんが待つ家なんて安全で安心じゃないか。どんな暗殺者が来ようとも、どんな軍隊が押し寄せようとも家の中に一歩も踏み入れる事ができない。そんな家に帰ってみたいと思わないか?」
全く思いません、とモイスとオスマンドは思う。
口に出せないので目力だけで訴えてみるが効果があるようには思えず、隣で聞いていたエリオストは二人の事などどうでもいいように微笑みながら頷いていた。
「とにかくだ」
ドミトルは二人を捕まえると簡単に担ぎあげる。二人は捕まった恐怖で硬直して動く事が出来なくなっていた。
「少しでも姉を納得させないと軍の予算を削られる可能性が出てきた」
先程の様子とはうって変わり真面目な様子のドミトルだが、突然話された内容にエリオストは驚く。そんな大事になっているとは思ってもいなかった。
「それは本当に大変な事態ではないですか。どうしてそんな事になったのですか?」
「妹が結婚出来ないのは軍にかまけているせいだと大変ご立腹でな。軍が責任をとるべきだと叫ばれている」
「厄介ですね。しかし適齢期ならまだ二百年ほどあるじゃないですか。第一皇女殿下も七十五歳でお若くてらっしゃる」
「たったニヒャクネンなんだそうだ。俺にとってはな」
「ああ・・・・・」
エリオストにはルナミリスの気持ちが分かった。
「こいつらを一応姉に提出してくる。二人も予算の為なら本望だろう。第五突撃部隊隊長ユースベールに抜ける事を伝えておけ」
「了解いたしました。ご武運を」
「任せておけ。予算は絶対確保する。そういえばエリオスト。お前は何でここにいる?」
「用があったのはそちらの支援部隊隊長だったのですが、後でかまいません。連れて行って下さい」
エリオスト隊長ぉー!とオスマンドとモイスは悲しげな表情で見るが、相手はニコニコしている。二人の事など見えていないようだ。
「助けて下さい。エリオスト隊長ぉ」
モイスの声を聞いても、行ってらっしゃーい、とばかりに手を振っているエリオストの姿がある。
二人は絶望したかのように顔を歪めるが予算には勝てずに連れて行かれた。
ドシドシと去っていくドミトルの両肩には目を潤ませた二人がいたが、通り過ぎる者達がそれがオスマンドとモイスだと気づくと、ああ、と納得したように道を開ける。
誰にも声を掛けられる事なく、止められる事なく同じように、行ってらっしゃーい、と手を振られていた。
オスマンドとモイスはそういう人物だと認識されているので、またか、と思われただけだけで緊張感も何もなかった。
遠ざかっていく二人を見送るとエリオストは外にいるユースベールに会いに行く。
程なく見つけドミトルの言った事を伝える為に近寄ると、相手も気づいてやってくる。
先ほどあった事を説明すると笑って、了解した、と言っていた。
二人は連れていかれる最中に、
「この服装はまずいか。服を礼服に変えれば印象も良くなるかもな」
とドミトルから言われて、行く場所が衣装部屋に変更される。そこで着替えをさせられた後、第一皇女のいる場所に同じようにして運ばれ、その頃には諦めもついたのか担がれた状態で大人しくしていた。
「姉上に話しかける事はなしだぞ」
そんな事を言われるが最初から二人は口を開くつもりは全くなく、何なら行きたくもないがそれは無理なので黙っている。
ドミトルの足音だけが響いていた。