77.ちいねえの“お兄ちゃん”
ボストンバッグを玄関にドサリと置いた遼太郎は、
「ふう……」
千夏と春菜と駅で会ってから、丸一日は過ごしたような気分だった。それくらいこの大阪からやって来た従姉妹達は、濃い。
「千夏ちゃん、春菜ちゃん、遠いところをようこそお疲れ様」
出迎えた母さんに、千夏は遼太郎に見せたこともない笑顔で、
「お久しぶりです、お姉さん。妹ともども、三日間お世話になります」
二泊三日の滞在に、呆れるくらい猫を被って、完璧な挨拶をしてみせた。
「お姉さんって何だよ。叔母さんだろ」
「何言うたはりますんや、遼太郎はん。女の方に、オバさんや言うもんやおへんえ。ヨソさんは知らしまへんけど、ウチらの方では、女子衆は幾つにならはっても“お姐さん”ゆうもんやし、はあ」
「何で京言葉になってんだ、大阪人」
エセはんなりが腹立つ千夏の傍らから、
「オバちゃーん、よろしくやでー!」
春菜が小学生らしい屈託のなさで叫んだ。
リビングに荷物を下ろし、おかーさんが出してくれたコーヒーとお菓子でひと息つくと、早速桜子が兄と従姉妹の顔を見回した。
「ね、みんな、これからどーする?」
というものの……
桜子達の住んでいるのはいわゆる“郊外”の町だ。
概ねが〇〇台というような名称の住宅地で、町の中央に走る一本太い幹線道路に沿って2・3キロも行けば、食べ物屋でも量販店でも、およそ思いつく限りのチェーン店の看板が見られる……そういう種類の町。
「都会でもないが田舎でもない、さしずめ“トナカイ”ってとこだな」
遼太郎の評は言い得て妙だ。余談だが、幹線道路沿いにサンタクロースという洋菓子屋さんがある。どうでもいいけど。
トナカイは、住みやすい反面、娯楽性はあまり高くない。
例の兄妹で映画を観た大型モールはあるけれど、都会から来た従姉妹をわざわざ連れて行くほどのものでもない。
いっそ突き抜けて田舎なら、山や川でカブトムシだのドジョッコだのフナッコだのを取るのも楽しかろうが、ここらはそこまで自然豊かでもない。
逆に桜子が大阪に行ったなら、丸ごとアミューズメントのような日本一アクの強い都市、有名テーマパークを始め、行きたい観光地はいっぱいあるけど。
要は、よそに来て面白いのは、自分のところにないモノ。都会から来た千夏と春菜のところになくて、桜子達のトナカイにあるモノと言えば……
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「なあ、遼ちゃん……あんた、ワザと1位取ってへんやろ?」
「戦略、戦略♪」
「うああ! またバナナ踏んだあ!」
「何や、吸い込まれるようにバナナ踏むなあ、桜子ちゃん」
「脳みそドンキーなんじゃねえの?」
「何だと! 食らえ、りょーにぃ、トゲゾーどーん!」
「ぎゃあああっ! 今1位ウチやっちゅうねん!」
「戦略、戦略♪」
リビングで開催される第1回此花家カップ。兄妹従姉妹がテレビゲームで一喜一憂するのを、おかーさんが生温かい目で見守っている。
ひとレース終えて悲喜こもごも、遼太郎が千夏と春菜に言う。
「でも、いいのか? わざわざ大阪から来て家でマリカとか、友達ん家に遊びに来たのと変わらないんじゃん?」
これを聞いて、笑うと、タイプのまるで違う従姉妹達はそっくりな顔になった。
「ええねん。ハルらは桜子ちゃんと遼兄ちゃんと遊びに来てんもん」
「せやで。無理から特別なことしよ思てくれんでええし。いっつも通りに、ちゅうか、昔みたいに仲良う遊んだってえな」
そう、千夏と春奈は桜子達と会うために来たのだ。大阪になく、桜子のところにあるモノとは、他ならぬ“桜子と遼太郎”なのだから。
そこで桜子、テレビゲームにも飽きてくると廊下の物置に上半身を突っ込み、何やらゴソゴソしてたかと思うと、端のヨレた平べったい箱を持ってきた。
「ドンジャラ!」
「また懐かしいモンを引っ張り出して来たな」
「いや、昔みたいに言うたかて、小学生やないんやから」
「ハル、小学生やけど、それはちょっと……」
この後、滅茶苦茶半荘した。
何だかんだ言って、ボードゲーム系はやれば鉄板で盛り上がる。おかーさんは夕飯の買い出しに行き、イトコ同士四人、床に直座りでワイワイと5戦か6戦やったところで、千夏が「ふう」と息をついて立ち上がった。
「ちょっとウチ、休憩え~」
そう言って、ぼふっとソファに腰を沈める。
これに口を尖らせたのが春菜だ。
「ちょお、小姉。もう一回やろーな」
「待ってえな。ウチかて、長旅で疲れとんねやから」
千夏は涼しい顔で、ソファに背をもたせ掛けている。春菜も引かない。
「ちいねえて。ちいねえ抜けたら、続きでけへんやん」
「ちょっとくらい休ませてーなー」
「ちいねえて!」
と、千夏がすっと真顔になって春菜を見た。
「春菜。お姉ちゃんな、アンタのお守りでここまでついて来て、アンタの分の着替えまで詰めたボストン持って電車乗って来とんねん。ちょっとの間、休まして言うたら、そないにアカンか?」
常に笑いながらしゃべっているような千夏の、ひやりとした声に、春菜はもちろん桜子も遼太郎もギクッとなった。
姉妹の間に張り詰めた空気が流れて、桜子が困って遼太郎に目をやると、こくっと頷かれた。
「じゃ……じゃあさ、春奈ちゃん、あたしの部屋に来る?」
桜子はおずおずフォローを試みると、不満顔になっていた春菜はすぐ機嫌が直り、
「ええのん、桜子ちゃん?」
「うん、おいでよー」
桜子は言いながら、千夏の表情を窺う。妹の方は見ないけど、一瞬の険しさはもう消えている。
そんな姉に、春菜は精一杯の最後っ屁に、
「あーあ、桜子ちゃんは優しいなあ。ちいねえと違うて」
千夏は微笑んで妹を見ないまま、
「せやったら、ここんチの子になったらエエんちゃう?」
そう言い返す。
桜子は兄と従姉を残し、そそくさと従妹をリビングから連れ出した。
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ソファで半目を閉じている千夏に、遼太郎はすっと台所に立ち、電気ケトルの湯を沸かし直して二人分紅茶を淹れた。
「……お待ち」
テーブルにカップを置くと、
「おおきに」
千夏は目を上げ、照れ臭そうに笑った。
床のクッションに腰を落とした遼太郎、千夏はソファ。
「ゴメンな、遼ちゃん。しょうもないとこ見して」
「いや、俺も妹いるし、千夏の気持ちもわかるよ」
「別に、ハルがキライなワケやないねん。けど、あの子ああゆうとこあるやろ? 時々、ちょっと腹立つ日ぃもあるんやァ……」
千夏は黙って聞いている遼太郎の目を、じっと覗き込んだ。
「遼ちゃんも桜子とケンカすること、ある?」
「んー……」
遼太郎は首を傾げた。記憶喪失を境に、“今の桜子”とは昔に戻ったように仲が良く、“以前の桜子”は生意気だったけど……
「ウチは基本俺が折れるから、あんまりケンカにはならないな」
「尻に敷かれとうやん。兄妹ゆうより夫婦やな」
千夏に笑われ、遼太郎が頭を掻く。
そこで千夏の笑顔に、ふと複雑なものが過ったように、遼太郎は思った。
「ほら、ウチとこ女ばっか三人やん? 普段は仲悪ないし、美雪かて優しいけど……女同士て、たまに、な」
そんな目で、千夏は遼太郎をじっと見つめる。
「“お兄ちゃん”て、何かエエな……」
「そうか?」
男である遼太郎には、姉妹という関係が、想像はできても理解できるとは言えない。桜子が妹じゃなくて同性の弟だったら、ケンカしたり、また違ってたのかもしれないけれど……
そこで千夏が姿勢を改め、少し照れたような口調で言った。
「なあ、遼ちゃん? ここにおる間だけ、ウチも遼ちゃんのこと“お兄ちゃん”や思たら、アカンかな……?」
(おー……こういう時の関西弁、なかなか破壊力あるな……)
“アカン”のイントネーション、いつも少年のような千夏のしおらしさ。さすがの鈍感男も、ちょっとグッとくる。
「いいよ、千夏がそうしたいなら」
遼太郎は座ったまま言って、軽く両腕を開いた。
「さ、“お兄ちゃん”に甘えなさい」
「え、え?」
これには千夏も目を瞬いたが、言われるがまま、ソファから滑り下りて正座で遼太郎の胸にコツンと額を当てた。
「よしよし」
従兄の大きな手が、ポン、ポンと優しく頭を撫でてくれた。
「って、これ、“兄妹”ちゃうやろ!」
「え、何が?」
「何がて自分、逆に“お兄ちゃん”ってこういうんフツウなんか? え、遼ちゃん、桜子にもこうゆうことするん?」
真顔になって見上げる千夏に、遼太郎はきょとんとする。何が怖ろしいって、この男、この行動に微塵の下心もない。
従妹であっても、“妹”と名の付く相手にはどこまでも優しく、そして対象外。まさに“妹”に対しては精神的ED。
とは言うものの、
(……でもコレ、桜子と春菜が見たら大騒ぎしそうか、な?)
遼太郎とて、さすがにそれくらいには考えを巡らせる、が……
(な、な、な……何やってんだ、お兄ちゃん……?!)
絶妙なタイミングで二階から下りて来た桜子に、今まさに目撃されているとは思いもしていなかった。




