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Peaceful  作者: 石丸優一
12/24

Listen

 

「よう!寒くて凍えてるってのはこのビルか!?」

 

最年長メンバーのパーシーが笑いながら火炎瓶を右手で掲げている。

やはりこの中年のオヤジの心は他のメンバーに負けず劣らず未だイタズラ小僧のままである。

 

「全員停車!エンジンを切れ!すぐに行くぞ!」

 

スティーブが声を張る。

 

何のことだか分からないメンバー達だが、素直にエンジンを切って地面に降り立った。

 

「急ぎか?ラファエルがいねーな!」

 

「説明は後だ!さっさと…」

 

パァン!パァン!

 

「…!!」

 

ビルの上部からだろうか。

拳銃の発砲音だ。

 

ラファエルに向けられたものである可能性が非常に高い。

 

「急げ!こっちだ!」

 

「スティーブに続けぇ!」

 

ファントムズMCがビルになだれ込む。


ビル全体が揺れているかと錯覚するような怒号と銃声。

火をつけて燃やしてしまえば警察や消防が駆けつける事態になるのは早いだろうが、先にここまで派手に暴れられてしまってはそれを待つ前に大事になる可能性がある。

 

「三階だ!ラファエルが抑えてくれてるはずだ!」

 

「丸腰でか!?」

 

「知らねーよ!銃ぐらいあんじゃねーのか!?」

 

スコットの問いかけへの回答にスティーブのおおざっぱさが見て取れる。

 

「みんな聞いたか!?ウチの大将はとんだ大馬鹿やろうだぜ!」

 

 

パァン!パァン!

 

「近いぞ!」

 

壁に隠れているラファエルが見えてきた。

腕に一発食らってしまったようで、そこからダラダラと血が流れ出している。

 

「ラファエル!!」

 

スティーブが駆け寄った。


「おせーんだよ、ボケ!」

 

「ケガしてるじゃねーか!」

 

「かすり傷だよ、クソったれが!」

 

確かに撃たれてはいるものの重傷には見えない。

ラファエルの言うとおり、銃弾が腕をかすっただけだろう。

 

 

「お前達、何者だ!」

 

中国語での罵声の中に、英語での質問が混じった。

 

「阿羅漢!てめーらは皆殺しだよ!」

 

スティーブが叫ぶ。

 

「質問に答えろ!なぜ我々をつけ狙う!」

 

チャンの情報が正しかったことが証明された。

やはり彼らは阿羅漢のメンバーで間違いない。

 

「自分たちの胸に手を当てて聞いてみな!

野郎ども!着火しろ!」

 

おう、といくつもの返事と火が上がる。

 

撃たれないよう、ファントムズの仲間が身を隠したままでフロアに火炎瓶を投げ込んでいった。


パリン!パリン!

 

耳をつんざくようなガラスの破裂音。

 

怒号から姿を変える悲鳴。

 

「うおっ!?あつっ!

クソ!火炎瓶か!貴様ら一体…!!」

 

「ファントムズMCだ!冥土のみやげに取っておきな!」

 

三階のフロアの気温がみるみる上昇する。

 

煙に巻かれてしまう前に、メンバー達は階段を駆け下り始めた。

 

 

「いやっほー!燃えろ燃えろ!」

 

ビル下で待ち構えるスコットは満面の笑みである。

 

スティーブとラファエルが最後尾で脱出し、ビルの方へ振り向いた。

 

パチパチと音を出しながら、三階部分からもうもうと黒煙がこぼれている。

 

ラファエルによればこのアジトにいた阿羅漢のメンバーは二人だったようで、もし他にいたとしても助かりはしない。


「キャンプファイヤーは終いだ!ホームベースに引き揚げるぞ!」

 

スティーブが撤退の号令をかける。

 

とりあえずの報復は完了となった。ジャック達やタカヒロを襲った男がビル中にいるのを願うばかりだ。

 

ウー!ウー!

 

「サイレン…!逃げ切れるか!?」

 

「スティーブ!先に行くぜ!」

 

手を叩いて喜んでいたメンバー達が蜘蛛の子を散らしたかのように出発していく。

 

「俺達も急ごうぜ、ボス」

 

「そうだな」

 

スティーブとラファエルはまだ車内から見ていたチャンと合流した。

 

「やりすぎだ!ここまでやるなんて知ってたらこの場所を教えたりしなかったのに!」

 

燃え上がるビルを見て興奮状態のチャンがガタガタと座席を揺らす。

 

「あんまり騒ぐと、てめーも捨てるぞ」


イライラとスティーブが言葉を放つ。

それでも駄々っ子のようにチャンは助手席を後ろから両手で揺らし続けている。

 

「聞き分けの悪い中国人だ」

 

「話はあとにしろよ。出すぜ」

 

運転席のラファエルはエンジンをかけてアクセルを踏み込んだ。

 

危機一髪という表現が適当だろう。

彼らの車がスッと路地裏に消える瞬間、バックミラーには現場に殺到するポリスカーや消防車が映りこんでいた。

 

 

 

ブルックリンに戻り、特に追っ手もいない事を確認して安心できたところでラファエルが車を停める。

約束通りスティーブはチャンに金を渡し、さっさと降りろと車外に引きずり出した。

 

「余計な事しゃべると、てめーも組にはいられねーだろうな」

 

「クソ!とんでもないバイカー共め!」

 

悪態をつきながらチャンが走り去っていく。


「終わったのか…?」

 

「もはやウチの連中をやった本人かどうかの確認は無理だ。

面の特徴っつっても似たような奴にしか見えねーしな」

 

「ははは!ちげーねー!

ジャックやタカを連れてきてたところでこう言っただろうな「『コイツだったような気がする』」」

 

最後の言葉はスティーブとラファエルが同時に口にし、二人で大爆笑した。

 

「地下闘技場に戻るか。ショベルヘッドが心配でよ」

 

「オーライ。こうも心配ばかりじゃラルフみたいに禿げちまうわな」

 

「はーん。なるほど、アイツのつるっぱげはチームのみんなのおかげだったわけだ」

 

 

ドルン!ドルン!

 

バイクは二台とも無事だった。

鍵くらいは抜いていたが、路上駐輪で蹴倒されもしていないのは不思議なくらいである。


 

ホームベース付近。

 

併走する二人が、それを目の前にして異変に気づいた。

 

「ボス、アジトにバイクが止まってねー」

 

「あぁ。他の連中は俺達より先にチャイナタウンを脱出したはずだが」

 

すでに帰ってきているはずの仲間達がいない。

アンディの車とジャックのバイクがぽつんと置いてあるだけだ。

 

そこにスティーブとラファエルの銃創つきの愛車が並ぶ。

例の赤いタホが襲撃してきた時についた痕である。

 

「連絡してみるか」

 

ラファエルがノキアを取り出して通話ボタンを押す。

 

「どうだ」

 

「つながんねー。

他にもかけてみよう」

 

その後、数人のメンバー達に電話をかけてみるが、誰からも応答がない。

 

「病院か?タカヒロかアンディにかけてみろよ」

 

「了解」


素直にスティーブの指示通り、ラファエルはアンディの番号に電話をかけた。

 

スティーブにも聞こえるよう、音声をスピーカーに切り替える。

 

「…なんだ。こんな夜中に」

 

眠たそうなアンディの第一声。

無理もない。時計の針は夜中の三時半を回っていた。

 

「もう医者の眼にビビらずに話せるのかよ」

 

「スティーブもいるのか。

…夜中にうろつくのは看護師だけだ。

しかも歳を食ったな」

 

携帯から離れているスティーブの声も、アンディにはしっかり届いているようだ。

 

「そのまま犯す気にもなれずに残念だってか?

てめーの見た目に合わせて病院側が気ぃ使ってんだろ、おっさん」

 

「だったらジャックの所にはナース服を着た小学生が夜這いでもしてる事だろうな」

 

「クソおもしれーな、それ」


アンディの冗談を珍しく誉めるスティーブ。

だが、それで機嫌がよくなるわけでもなく、アンディは当然通話を終了しようとする。

 

「…じゃあ切るぞ。夢の中で美人な看護師と会う約束があってな。

だいたい少しは怪我人らしく扱え。

疲れてしょうがない」

 

「あぁ、待て待て!」

 

ラファエルがそれを止めてくれた。

 

「なんだ…」

 

「別にてめーの冗談を聞く為に起こしたわけじゃねーからな。

アンディ、ウチの連中が消えたんだ。例の仇をぶっ潰して、もうホームベースに戻ってきていてもおかしくないはずなのによ」

 

これはスティーブだ。

 

「なるほど…何!?ぶっ潰した!?」

 

メンバー達の話しよりも、まずはそちらに驚く。

 

「おう!いい男は仕事も早いからよ」


「冗談だろ!なんてこった!お前達は最高だ!

大地の神に感謝しないとな!」

 

スティーブがアンディの冗談を誉める以上に珍しく、アンディが喜びと興奮とで大はしゃぎしている。

同時に彼の後ろからは「静かにしてください!」と叫ぶ女の声が聞こえた。

看護師に大声で電話をしているのを見つかって叱られているのだろう。

 

「大丈夫か?お楽しみなら遠慮なんていらねーぞ?」

 

スティーブがちゃちゃを入れる。

ラファエルも横でニヤリと笑っていた。

 

「馬鹿か!今のが噂の年寄りだろうが!」

 

「また騒いでるとハニーが飛んでくるぜ」

 

「ふん!とにかくウチの奴らはこっちには来てないみたいだぞ」

 

「わかった。もしひょっこり顔をだそうものならすぐに教えてくれ」


緊急事態であるのは間違いないが、アンディにはそこまで伝える必要はないと何気ない言い方で締めくくるスティーブ。

 

「ボス。奴らは大方、ホームベースに戻る前に大量の酒でも買い込んでるところじゃないのか?」

 

「あー…確かにその線が濃厚だな。

ソイツは考えつかなかったぜ。もしかしたらてめーの所にも何本か配達があるかもしれねーぞ、アンディ」

 

これは妙に納得させられてしまう意見だ。

 

「ははは!また例の看護師にどやされてしまうな。

出来れば勘弁願いたいものだ」

 

「上等だよ。ちっとばかし撃たれたぐらいでファントムズMCからの酒が断れると思ってんじゃねーぞ、ふにゃチン野郎!」

 

なかなか終わらない会話に、ラファエルが目で何か訴えかけてきた。

冗談もそのくらいにして、さっさと動こうという事だ。


「もう少し待ってみて、まだ帰って来ないようならぶらっと探してくるつもりだ」

 

「途中で酔いつぶれてたっていう笑い話を期待してるぞ」

 

「おう。ま、病人は看護師のババアとよろしくやってろよ。

熟年の技でしっかり抜いてもらうんだぜ」

 

隣のラファエルが険しい表情のまま首を押さえて吐き気を抑えつける。

 

「お望みならヌード写真でも送りつけてやろうか?

随分と熱心に語りやがる」

 

「ババアだろうと脱がせたら少しは誉めてやるぜ、インディアン。

とりあえず役立たずは寝てろ」

 

「ふん、くたばれ」

 

返事もせずにそのまま電話を切る。

 

「…ボス、どう思う?」

 

「誰かが絡んでいるとすればトライアドの他の組じゃねーか?」

 

「同感だ」

 

ドドドドド…!!

 

二台が出発した。


メンバー達がマンハッタンからブルックリンに戻るまでに通るであろうルートを洗っていく。

 

 

およそ一時間後。

 

「マジでチャイニーズマフィアの再報復なのか?

あれか?映画みたいに、スナイパーによる暗殺的なよ」

 

コンビニエンスストアの前に停車して飲み物を買った。

 

「そこそこの人数だぞ?撃ち漏らして逃げてくる奴がいたっておかしくねー」

 

「全員と連絡が取れないなんてな。

神隠しにあったガキかっつーの」

 

ラファエルが右手のビール瓶を道に捨てる。

 

「みんな護送車に押し込まれたってか?いや、俺達が車を捨てて戻ってくるまでにそんな…

仕方ねー。ホームベースに戻るぞ」

 

「なんでだよ!入れ違いの可能性でも夢見てんのか?

連絡がねーんだから誰も戻ってねー!せめて夜明けまでは探そうぜ、ボス!」


ラファエルが意気込む。

 

「そこまで言うんだったら違うルートを洗うか?

逆に夜明けを通り過ぎて夕暮れを心配しなきゃならねーな…どうなってんだよ」

 

「女々しい事言うなよ!」

 

「うるせーガキだ。おら!さっさとついて来い!

ケンカしか能がねーんじゃバイク乗りとは呼べねーぞ」

 

「なめやがって…!」

 

ラファエルの提案を拒否する理由はない。

 

…だが。

 

偶然ホームベースの前を通った時、スティーブは驚いて目を見開いた。

 

「ラファエル!見ろよ!

どうやら俺の意見が正しかったみてーだな」

 

ホームベースの敷地内にバイクがずらりと並んでいる。

 

「どうなってる…!連絡は無かったのに、コソコソと何をしてやがったんだよ!」

 

「知るか!とにかく一件落着だろ!」


言葉とは裏腹に、額には汗がにじむ。

帰ってきているならば帰ってきているで、わざわざスティーブやラファエルに対してコソコソする必要はない。

メンバー達の顔を拝むまでは安心などできないと、二人はホームベースの中に飛び込んだ。

 

 

「ん?」

 

「おかしいな。音楽も照明も…」

 

室内は窓がないせいで真っ暗。

誰もいなくてもながれているはずの音楽さえ消えてしまっていた。

 

「ラファエル、明かりをつけろ」

 

「了解」

 

パチリ。

 

チカチカと点灯管が点滅し、蛍光灯が弱い光を放った。

 

「ん…!!」

 

明かりがついたおかげで突如スティーブの目の前に姿を現したのは大勢の人影。

 

「せーのっ!」

 

「「サプラァァァイズ!!!」」

 

ラファエルのかけ声で、それは一斉にスティーブへと押し寄せた。


 

まるでF1の表彰台の上かというくらいに酒がまき散らされる。


コソコソと暗がりの中で息を潜めていたメンバー達はスティーブをこうして驚かすつもりだったらしい。もちろんエスコート役のラファエルもグルである。

 

だが、当のスティーブ本人は訳が分からずキョトンとしてしまった。

 

「なんだてめーら!心配かけやがって!

一体何の祝いを騒いでやがる!」

 

「とぼけんな、スティーブ!

少しは喜べよ!」

 

ガシリと肩を組んできたのはスコットだ。

スティーブは浴びせられたビールやらシャンパンやらでずぶ濡れだが、スコットはそれを気にせずにくっついて陽気に笑っている。

 

「だから何を喜ぶんだよ!」

 

「しらばっくれやがって!

すでに日付は変わったぞ!今日はてめーの誕生日だろうが!」

 

「…は?」


スティーブの眉間にしわが寄る。

 

「は?じゃねーよ!こっちはてめーを驚かせようとあくせくしてたのによ!

頭の中はキャンプファイヤーで盛り上がってたわけじゃねーぞ!」

 

「スコット」

 

「あー?なんだよ」

 

「この…お誕生日サプライズとやらの立案はてめーの仕業か?」

 

「おうよ!」

 

バキッ!

 

にやけ面のスコットが返事をした途端、スティーブの拳でふき飛ばされた。

もちろんお祭りモードのメンバー達からはどよめきが起きる。

 

「ぐあっ!?」

 

「まったくよう…余計な嘘を吹き込んでみんなを煽ってんじゃねーよ、バカが!」

 

「あぁ!?上等だ!恩を仇で帰すほどにクズだったとはな!

スティーブ、てめー終わったぞ!」

 

「俺の誕生日は来週だよ、アホ!」

 

場が凍りついた。


「バ…バカな!

毎年リーダーの誕生日サプライズを担当してきたこの俺がしくじるだとっ…!?」

 

スコットに向けられるのは呆れと怒りのこもった視線である。

 

 

特に決まっているわけでは無いが、スコットの言うとおり、ファントムズMCにはリーダーの誕生日を盛大に祝うという習わしがあった。

代わりにチームの結成日の祝いは、日にちが定かではない為に存在していない。

 

もちろんサブリーダーや他のメンバー達の誕生日にも祝いはあるが、リーダーのそれほど集まりは良くなかった。

 

しかし、今回はゴタゴタが多すぎて慌てたのも頷けるが、スティーブが新リーダーとなって初の大事な誕生日を取り違えるとは、大失態も良いところである。

 

「万年見張り番に任命だな」

 

「や…やめてくれ!」

 

スティーブがぼそりと言うと、スコットが涙目で腕にしがみついた。


「と、とにかく!バースデーパーティーを仇討ちの祝いに変えればいいじゃねーか!

酒は浴びるほど準備してあるぜ!」

 

「酒なんかいつでも飲みまくってるだろーが。

勝手にやってろ、俺は帰るぜ」

 

ひらひらと手を振るスティーブ。

おいおい、とみんなが落胆した。

 

「チッ…とんだ一匹狼だぜ!好意をシカトだなんてよ!」

 

スコットが開き直る。

 

「知るか!俺は今日は昼から仕事なんだよ!会社員なめんじゃねーぞ!」

 

外はすでに朝焼けが広がっている。

 

「けっ!表じゃスーツにカバンでエリート戦士、裏じゃジャケットに単車でバイカーのリーダーってか!

来週の本番で泡吹くてめーの面を拝ませてもらうとするぜ、スーパーマン!」

 

「シャブ中の煽りにゃセンスの欠片もねーな!…おらっ!」

 

最後にスコットの尻に蹴りを入れてスティーブは帰宅した。


 

 

ドルン!ドルン!

 

ショベルヘッドを家の前の道に停め、玄関をくぐる。

 

ガチャ。

 

「…?朝帰りとは余裕だね。アンタ、今日は仕事じゃないのかい?」

 

「うっせーな。遅出だから昼までは寝れるんだよ」

 

早速、出勤前の姉から嫌みを言われてしまった。

 

「そりゃ結構な事で…母さーん、行ってきまーす!」

 

キッチンにいるであろう母親に声をかけてレベッカが扉を開ける。

 

「気ぃつけてな」

 

「え?気持ち悪っ」

 

ガチャン。

 

「ふん…」

 

いつもと変わらない姉弟の会話。

 

自分の部屋に入り、そのままベッドに倒れ込む。

 

バタバタバタ…バン!

 

「スティーブ!またアンタはあんなところにバイクを停めて!」

 

「うおっ!?」


「毎度毎度、バイクが邪魔で家から出れないんだよ!早くどかせ!」

 

倒れ込んだばかりのスティーブをレベッカが引き起こし、外へと引っ張っていく。

 

「邪魔なら自分で押せばいいじゃねーか!かったりーな!」

 

「だったらハナから邪魔にならない場所に停めとくんだね!本当に人の迷惑を考えれない子なんだから、アンタは!」

 

 

ショベルヘッドを移動すると、レベッカはスティーブの方を見ないまま颯爽と車を走らせて行った。

 

「チッ…クソアマが…」

 

中指を立てて部屋に戻ると、ようやく眠りにつくことが出来た。

 

 

 

日が高く上る頃。

 

あらかじめセットしておいた携帯のアラームで目を覚ましたスティーブは、シャワーも浴びずに軽く香水だけふって支度を済ませた。


 

 

ドルン!ドルン!

 

ドドドドド…!

 

会社の前にバイクを停車し、事務所の扉を開ける。

 

「あ、スティーブ!おはよー!」

 

「よう。みんな出払ってるか」

 

時刻は正午。

もちろんドライバー達がこの場にいるはずもないが、適当な話題をふっておく。

 

「うん、今日はマーカスとアルとロッソが出てるよ。

あと、所長室でリー社長がスティーブをお待ちでーす」

 

「あー?社長が?臨時ボーナスの話だろうな?」

 

「さぁ?もしそうならすぐに報告するように!」

 

ピッと指をさすミリアの言葉は『奢りなさい』ということだ。

 

「それじゃあ、死んでも内容は言わねー」

 

スティーブはなんとなく社長の用件に察しがつくが、とぼけたふりをして所長室の中へと入っていった。


ガチャン。

 

「ノックくらいしてはどうかね」

 

指摘を受けるが、リーの顔は決して険しくはなかった。

どちらかといえば穏やかで温かい。

 

「なんだよ、堅物の所長様は不在か?

臨時ボーナスの件だって聞いてるぜ、社長」

 

「デイビッドは非番だよ。

ちょうどイイと思ってお邪魔させてもらっていたところさ」

 

スティーブの冗談は無視されてしまった。

 

「そうか。奴がいねーのは嬉しいよ。

アンタと違ってまったく面白くねーからな」

 

「ははは、私が面白いかね。

君ほど面白い男もいないと思うが。

…して、どうだった」

 

本題だ。

 

「何の話かさっぱりだが、阿羅漢とか言うトライアドは壊滅状態らしいな。

風の噂だ」

 

「なんと…!」

 

リーは驚きを隠せない。


「とりあえず俺はこの通りピンピンしてるし大丈夫だろ。

わざわざ俺に訊かなくても、マフィア繋がりのお友達から話があったんじゃねーのかよ?」

 

「いや、彼がそんな連絡をしてくるとは思えないな」

 

「なぜだ?」

 

「万が一、私がそのギャング連中を叩くのに関わっていると誰かに思われても困るだろう。

おそらくこの話題を私と話すことは二度とない」

 

「気が利くんだな」

 

なるほど、とスティーブが頷く。

実際は報復への助け舟を出したのでクロなのだが、そこはいちいち咎める彼ではない。

 

「もう面倒な連中に関わるのは止すんだぞ」

 

「風の噂だって言っただろ?」

 

「まったく…寿命が縮んだよ。

では仕事に取りかかってくれ。今日も一日安全運転でな!」


リーがひらひらと手を振った。

もちろん言葉と同じように『さっさと行け』の意味に他ならない。

 

呼び出しておいて…と苦笑いしながらスティーブは所長室を出る。

特に厳しく追及されたわけではなかったので、ひとまず胸をなで下ろしておく。

 

「さぁさぁ、いくら入ったのかしらー!」

 

「目ざとい奴だぜ。喜べよ、ミリア。

ボーナスの話じゃなかった」

 

「えーっ?信用性ゼロなんですけど」

 

ミリアがおどけて見せた。

 

「マジだっつーの!」

 

「はいはい。濃厚なプリンは次の機会におあずけね」

 

「奢れって話はプリンだったのか?はっ!幼稚園児ばりに安い女だな!」

 

「あ!チーズケーキでもいいよ!」

 

続きは完全に無視してスティーブは営業車に向かう。


 

平日の昼時。マンハッタンではなく、ブルックリン内での営業に努める事にする。

 

『スティーブ。もう出てるか?』

 

「なんだよ」

 

無線から入ったマーカスの声にぶっきらぼうに返してやった。

 

『何でもねーよ!先輩からようやく出社してきた新入りに向けて挨拶してやってんだろーが!

ありがたく頂戴しとけ、無愛想なチンピラめ!』

 

「あー?なんだって?

ウホウホまくしたてて言われても聞き取れねーぞ、ゴリ」

 

『また妙な新しいあだ名つけてんじゃねーよ!誰がゴリだ!』

 

無線には入らないが、聞いている連中はゲラゲラと笑っていることだろう。

 

「だからウホウホうるせーんだよ。

次からは英語で頼むぜ、ドンキーコング」

 

『殺すぞてめー!』


激動の中の日常。

昨夜までの命のやり取りが嘘に感じられてしまいそうな光景である。

 

『スティーブ、今どこ~?』

 

「フラットランズのニューアイランド水族館からの帰りだ」

 

『ビンゴ!ワールドクラス水族館にお願い!2ブロック先だからすぐよね?』

 

「水族館巡りかよ?中にも入れれば少しは気乗りするがな」

 

『じゃあ次の金曜日にでも付き合おうかしら?』

 

「あん?あー…パスだな」

 

普通ならば泣いて喜ぶお誘いだが、ケイティとの約束が確か金曜日だったはずだと、やむを得ず断りを入れた。

 

『あらあら、ボーナスの話はやっぱり無かったのかしらね』

 

「そういうこった」

 

『ボーナス!?おい、スティーブ、聞き捨てならねーぞ!』

 

「ゴリは黙ってろ」


スティーブの言い方も良くはないが、冷たく突き放されると分かっていて割り込んでくるマーカスも相当な手練れである。

 

『じゃあそのゴリの弟にしてやるよ、クソが』

 

「けっ、勘違い野郎が!ゲテモノなんかに盛ってんじゃねーよ!

てめーは大好きなバナナでもしゃぶってろ!畜生相手ですらメス狙いってだけで頭が高ぇ!」

 

差別や軽蔑と呼んではぬるすぎるくらいの言葉だ。

 

『あぁ!?いかがわしいレッテルを貼るな!

それに、あんなにも麗しいレディによくもそんな事が言えるな!

正気を疑うぜ、シド・ビシャス!』

 

「うまいこと言えたと思ってどや顔してるんなら、てめーの首を切り落として標本にしといてやるぜ。

メトロポリタンも大喜びってな」

 

『あーやだやだ。二人とも聞き苦しいよぉ』

 

ミリアも呆れ声だ。


『だってよー、ミリア。スティーブったらひどいんだぜー?

俺はいじめられてる方だからな』

 

マーカスが涙声でうったえる。

もちろん軽い冗談のつもりだろうが、実際に落ち込んでいる可能性も否定できない。

 

『え?あぁ、うん。

何だっけ?』

 

ミリアはいつの間にか上の空である。

化粧直しでもしていたのだろうか。

 

『…おい』

 

ミリアからも若干のいじめを受けたマーカスの低い声。

 

「びーびーうるせーぞ、マーカス。

お悩み相談ならよそでやれ。もうお客のところに到着しちまうもんでよ」

 

『てめーのせいだろ!

ま、今日のところはこのぐらいにしといてやるぜ!』

 

謎の上から目線にイライラしながらも、目的地付近に到着したのでスティーブは何も返さない。


 

水族館前には大きな荷物を持った外国人らしき観光客が待ち構えていた。

中年の夫婦だ。

 

「お待ちどうさん」

 

「やぁ、来てくれてありがとう」

 

白髪の男性が扉を開けて乗り込んでくる。

 

「どちらまで?」

 

「メトロポリタン美術館に頼めるかね」

 

「もちろん喜んで。さ、車を出すぜ」

 

偶然ではあるが、マーカスとの会話に出てきた美術館が行き先となった。

 

 

「観光かい?」

 

いつも通り、興味の無い話題を適当にふる。

 

「あぁ、今日クライストチャーチからニューヨークに着いたばかりでね」

 

ニュージーランド訛りのある英語が返ってきた。

 

「そうか。長旅だったろうに元気だな。

ニューヨークの街を楽しんでいってくれよ」

 

「はは、すぐにくたびれてもいられないさ。ありがとう」


先ほどからスティーブとの会話に応じているのは夫ばかりで、妻の方は一言も発さない。

単に彼らの会話に入ってこないだけというわけではなく、しばらく経っても夫婦間での会話すらない。

 

特に気になるわけでもないが、スティーブがたずねてみると、「妻は耳が聞こえなくてね」との返答があった。

 

「そうか。危ない運転をする車も多いからな。目を離してる間にはねられねーように気をつけてくれよ」

 

バイカーギャングのリーダーが言うにはあまりにも滑稽なセリフだ。

 

「あぁ、親切にありがとう」

 

そうとは知らない男性がにこやかに返す。

 

「着いたぜ。メトロポリタン美術館だ」

 

「おぉ、ここがあの有名な美術館か」

 

壮大な建造物に胸を打たれたのは夫だけではなさそうである。

まるで宮殿のような石造りに、妻も目を輝かせているのが分かった。


「本当に素晴らしい…運転手さん、ありがとう」

 

よほど感動したのか、男性は目に涙を浮かべているようにも見える。

 

料金を提示すると、思ってもみない額を差し出してきた。

ベンジャミン・フランクリンが五人である。

チップと呼ぶには大それた代物だ。

 

「いいのか?後日にタクシー料金を騙し取られたなんてクレームは勘弁してくれよ」

 

「なぁに、少しばかりの気持ちだよ。

馬鹿な外国人の老夫婦がアメリカの紙幣価値を履き違えたとでも思っていてくれ」

 

粋な年寄りが多い世の中だな、とスティーブは笑った。

 

 

 

メトロポリタン美術館まで足をのばしてしまっては、スティーブのお気に入りのセントラルパークに寄り道しないわけにもいかない。

 

腹など減っていないくせに、好物のホットドックを露店で購入した。


ベンチに座り、それを頬張る。

昼から出勤していたスティーブにとっては、昼食と夕食の間をつなぐおやつのような感覚だ。

 

「あら?スティーブ?」

 

「…あ?」

 

女の声に呼ばれ、顔を上げる。

 

「やっぱり!こんなところで会えるなんて奇遇ですね!」

 

そこには白いパーカーに黒いデニムという簡素な格好で、ガールフレンドのケイティが立っていた。

 

「よう!可愛い女にナンパされてラッキーだと思えば、ケイティじゃねーか。

どうしてこんな場所に?」

 

「それはこっちのセリフですよ!

穏やかな公園にあなたの存在は場違いすぎる!」

 

彼女がクスクスと笑うと、二つ結びの赤毛が揺れる。

 

「仕事で客をメトロポリタンに運んだついでだよ。

買い食いくらい許してくれねーか」


「え!?私もさっきまで美術館にいたんですよ!

それで会えたのね」

 

なるほど。確かにこの文学少女ならば美術館へ足を運んだとしても不思議ではない。

 

「まさか一人で?」

 

「えぇ。何も美術館はデートや家族だけの場所じゃないわ。

一人だと好きなだけ立ち止まって観賞できますからね」

 

「それもそうだな。デートの時は美術館や博物館を避けることにする」

 

「ふふ、気をつかってるの?

次はどこに行くのか楽しみにしてます」

 

「そろそろ営業に戻るぜ。

どこか行くなら乗せてやるよ」

 

メンソールをくわえ、スティーブがタクシーを停めている路肩へ歩く。

 

「あ、ブルックリンに帰るんですか?」

 

「それはお姫さま次第だぜ」

 

「じゃあ…家までお願いします」

 

にこりと柔らかく笑い、ケイティは車に乗り込んだ。


 

 

マンハッタンからブルックリン、ケイティの家があるハワードビーチに入る頃には、美しい夕焼けが見え始めていた。

 

「さぁ到着だ」

 

「短い時間だったけど、今日も楽しかったですね!」

 

しばしの会話を楽しんでいたケイティは満面の笑顔だ。

 

「あぁ。金曜日も楽しみにしてるぜ」

 

 

軽いデートとはいえ、タクシーに乗せたからにはきちんと料金は受け取る。

ケイティは車を降りると、運転席から顔を出しているスティーブの唇に軽くキスをした。

 

 

彼女に見送られて車を出すと、マーカスの営業車とすれ違った。

 

「アホ面のドライバーはもう上がりかよ」

 

無線を入れてやる。

 

『けっ!まだまだウチは問題が山積みだからよ、大将!』

 

クラッチロケッツを襲った連中の話だろう。

阿羅漢と同一であるかは未だに不明だ。


 

 

スティーブが営業を終えたのは従業員の中では当然最後で、事務所に戻るとあくびをしながらパソコンの画面を見つめるミリアが待ってくれていた。

 

「よう」

 

「あ、おかえりー。ふぁぁ…待ちくたびれたよ。帰ろ帰ろ!」

 

「眠いならソファで寝てても良かったのによ」

 

そう言いながらスティーブは帰り支度を手早く済ませていく。

 

「ダメダメ!あたしを襲いたいって男は星の数程いるんだから!

こんなところで寝てられないよ!特にスティーブは要注意人物なのだ!」

 

「ま、俺は紳士だけどな」

 

「いやいや、真逆!」

 

いじらしくミリアが舌を出す。

 

「決めつけるのはよくねーな。

試してみるか、お嬢さん?」

 

「いくら積んでくれるのかしら?」

 

「バカ言え!帰るぞ」


気がある素振りかただの冗談か。どちらにせよ安くない交渉はスティーブには無用である。

そそくさとショベルヘッドに跨がり、ミリアに向けて手を上げるとそのまま走り去った。

 

 

 

金曜日。

 

「ん…おいしい!スティーブも食べましたか、これ!?」

 

「そうか?もう少し脂っこくないものはねーのかよ」

 

食事の約束をしていたスティーブとケイティの二人はチャイナタウンにある中華料理屋にいた。

しかも、数日前にファントムズMCが火をつけた阿羅漢のアジトの一階部分にあったテナントである。

一階が焼け落ちていなかったのも驚きだが、あんな物騒な事件があった直後であるにも関わらず営業をしている事にはもっと驚かされる。

 

「あっさりしたものだったら…水餃子とか!」

 

「おう、じゃあそいつを頼むか」


「すいません、水餃子を下さい!」

 

ケイティの注文に、安っぽいチャイナドレスを着た女性店員が笑顔で「かしこまりました」と返事をした。

水餃子が何なのかわからないスティーブだが、注文から数分後に出てきたものを見ると、シュウマイのように蒸したか茹でたような餃子だったので胸をなで下ろす。

 

スティーブは決して高カロリーな食事が苦手なわけではないが、あからさまに脂にまみれた中華料理独特の食感が今日の気分ではないらしい。

現にリー社長に連れられて行った歓迎会では充分に料理を楽しめた。

 

「珍しいですね。あまり箸が進まないなんて」

 

「いや、実は今日の昼間の休憩中にマーカスとロッソって奴らと一緒にたっぷりと揚げ物を食わされてな。

もちろん腹は減ってるんだけどよ」

 

これにはケイティも納得だ。


「ふふ、それで」

 

「おうよ。腹の中がフライドチキンとフライドポテトの油でごった返してな」

 

昼食を取る休憩中に、たまたま三人が近くにいたおかげでそういう結果になったのだろう。

巨漢のロッソと悪乗りしたマーカスがたくさんの注文をした事も予想がつく。

 

「これからどうしますか?」

 

「そうだな。どこか行きたい場所は?」

 

「大抵行きたい場所は一人で行ってしまいますねぇ」

 

先日の美術館然りである。

他に彼女が興味のありそうな場所といえば、図書館や劇場、映画館などが思い当たるが、そのいずれもスティーブの方はまったく興味がない。

今までケイティのようなタイプの女性との付き合いが皆無だったスティーブは、難題であるデートプランを練る事を断念して目の前の料理に意識を戻した。


 

「じゃあ、スティーブが好きな場所に行きましょうよ!」

 

食事が済んでも特に答えを出さないスティーブにケイティが助け舟を出す。

 

「俺が好きな場所?そんなもんあったか…」

 

パッとは思い浮かばない。

どちらにせよ自宅か、入り浸っているホームベースかの二択である。

 

「なにもないんですかぁ?」

 

「そうだな、おめーの部屋のベッドがお気に入りだ。

もちろん美女つきでよ」

 

「もう!何言ってるんですか!

冗談にしてはあからさまですよ!」

 

ケイティがスティーブの肩を小突きながら顔を赤らめた。

 

「冗談なんかじゃねーぞ、麗しきお姫様?」

 

「あなたがどんな場所でどんなことをするのが好きなのか、知りたいんです」

 

彼女がにこりと笑う。


「じゃあ、ウチに来るか?」

 

ホームベースには意地でも連れて行きたくはないスティーブ。詰めている仲間達からの格好の標的にされてしまうからだ。

それでやむを得ず自宅を選択する。レベッカという別の敵が存在するが、背に腹はかえられない。

 

「え!?スティーブの家に!?」

 

「俺がどこで何をするのが好きかって話だろ?

バイク屋やクラブハウスに行って趣味の合う連中と語らうのも好きだが、家で音楽でもかけて酒を飲むのだって大事な時間なんだぜ」

 

「なるほど、分かりました!

きっとおいしいウィスキーが待ってくれているはずだわ!」

 

先日に飲めないはずの酒を美味くしてもらった経験があるケイティは、酒というワードに強く反応した。

 

「そいつはどうかな」

 

勘定を済ませてタクシーを捕まえると、二人はスティーブの家へと出発した。


 

 

「お客さん」

 

「ん?ついたか」

 

「ご乗車ありがとうございました」

 

家の近くの通りでタクシーから降ろされ、わずかな距離を二人で歩く。

 

「あのバイクは、スティーブのですか?」

 

家の前。

 

「あぁ、俺の愛馬…ん?」

 

違う。

 

シングルシートのショベルヘッドはデートには使えないので家に置いてきている。

だがケイティ、そしてスティーブの目にも映っているのはまるで違うものだった。

 

いや、厳密に言えばショベルヘッド以外にもう一つの影。

 

真っ赤なニンジャ。見覚えがある。

 

あれは…

 

「バカな!なぜマーカスのバイクが!ゴリめ!」

 

「え?え?お友達が来てるんですか?」

 

スティーブが不在であるのにマーカスのバイクだけがあるのは不自然だ。

本人が彼への用事の為にその場で待っているのならばまだ分かるが。

 

スティーブは妙な胸騒ぎを感じた。


ガチャン。

 

まずは玄関を開け、いつも通り帰宅する。

母親は自室にいるのか、ダイニングを覗いても見あたらなかった。

 

「わぁ、おじゃましますね」

 

「あぁ、その部屋が俺のだからよ。中で待っててくれ。

すぐ戻る」

 

ケイティを案内し、スティーブは忍び足で歩いた。

 

 

 

「~だよ…」

 

「はは!そり…だねぇ!」

 

レベッカの部屋。

会話がやや漏れてきていた。

いつもならば近づく事すら無い部屋の前に待機し、聞き耳を立てる。

 

さんざんレベッカにされてきた嫌がらせを仕返ししてやる良い機会である。

もっとも、そのお相手がマーカスだという事に驚きを隠せないのも理由だが。

 

コンコン。

 

「ベッキー、いるか」

 

「…!!」

 

中の動きが止まった。


カチャ…

 

ドアが僅かに開き、レベッカが顔を見せる。

 

「何?」

 

「ずいぶんと楽しそうじゃねーか」

 

「じゃあ、ほっときなよ。野暮な男だね」

 

つんけんされるのはいつものことだ。

 

「チッ…いよいよ日照りも末期症状か」

 

「うるさいわね!アンタには関係ないでしょうが!」

 

マーカスが部屋の奥にいるのは明らかだが、レベッカはそれ以上ドアを開こうとせず、また当人も口を挟まない。

後ろめたいのか口止めされているのか、おとなしくしていた。

 

「ま、拾ってくれる阿呆がいただけマシってか。

マーカス!上手くつけ込んだな!」

 

「うるせー!愛は乱暴な弟の迫害に勝つ!」

 

やっと奥から反応があった。

 

「は!なんだそれ、意味わかんねーよ!」


「もういいだろ!閉めるよ!」

 

レベッカがスティーブに眼で凄む。

 

「はっはっは!じゃあな、弟よ!」

 

「死ね!カス!」

 

バタン!

 

マーカスの捨て台詞がスティーブには腹立たしいが、レベッカは鍵までかけてそれを拒否した。

 

 

「わりーな、待たせて」

 

「いいえ、やっぱりお友達でしたか?」

 

ストレスのもとになるような二人と話した後は、愛しの恋人に癒やされる時間だ。

 

「あぁ。俺の姉貴と仲良くやってるよ。

マーカスだ。覚えてるだろ?この間、メシを奢らせた腑抜け野郎だぜ」

 

「へー!あのマーカス!?

お姉さんとお付き合いしてるんだ!世間は狭いですね!」

 

「迷惑な話だぜ。あんな奴がいると思ったら自分の家なのに全然落ち着けやしねーよ」


窓を開け、ぷかりとメンソールをふかす。

 

「でもお友達なんでしょう?お姉さんとお友達が二人とも幸せなら、こんなに素晴らしい事は無いじゃありませんか!」

 

「普通はそうなんだろうがな。どうにも腑に落ちねーもんだぜ。

片やガミガミうるせー年増の姉貴、片やこっちもガタガタうるせー雄ゴリラだ」

 

「あらあら」

 

悪態をつくスティーブに、ケイティはクスクスと笑いながら応対する。

 

「笑い事じゃねーぞ!

あんな奴らがくっついちまったら、俺にとっては鬱陶しくて仕方ねー。

二人とも俺との関係が近すぎて、何かとつまらねー話題や相談につき合わされちまうのがオチだろーが」

 

「つまりは、裏を返せばあなたが彼等のキューピッドとして恋の舵を握っているわけじゃないですか!

実力が試される時ですね!」

 

「何のだよ!?」


しばらくはそうやって話していたが、やはり話題はファントムズの事へと変わっていく。

 

スティーブの部屋にある雑誌や、壁の写真などを見れば当然の流れだろう。

ミリアがこの部屋を訪れた時もそうだったが、ケイティも例外ではない。

 

「お友達が写真にたくさん写っていますね。バイク乗りの人たちですか?」

 

「そうだ。どうしようもねーバカだらけだぜ。

みんなアホ面してんだろ?」

 

「ふふふ。その言い方だとあなたもその内の一人って事になりますね、スティーブ?」

 

「うっせーな…」

 

「口ではそう言ってても、楽しそうにしてるじゃないですか。

面白い人が多いんでしょうね。ほら、マーカスみたいに」

 

リル・トムとじゃれあっているスティーブはしかめっ面で写っているが、ケイティにはそう見えたようだ。


「彼等は普段何をしてるんですか?」

 

ケイティの口から出ることは珍しくもないが、やはり冷静に聞けば突拍子もない質問。

普通に考えれば、バイカーギャングの集まりなどロクでもない事をしているに違いないのだが、彼女は分からないのだ。

 

「普段?さぁな。タクシーに乗って仕事でもしてるんじゃねーのか」

 

「えっ!?まさかみんなタクシー会社の仕事仲間なんですか!

すごい!」

 

こんな具合である。

世間知らずというよりは、どこか抜けているというしかない。

 

「さて、何を飲むかな」

 

部屋に無造作に置いてあるいくつかの酒瓶をかき回すスティーブ。

 

そばにいるレベッカとマーカスの存在を否定するために、わざと強めのスコッチを引っ張り出したのであった。


 

夜もふけてきて、酒の酔いから二人が寝静まった頃。

 

ドルン!ドルン!

 

一台のバイクの音。

間違いなくファントムズメンバーの誰かのものであろう。

 

「スティーブ!スティーブ!

のんきに寝てんじゃねーぞ!」

 

窓の外から聞こえる声はスコットのものだ。

 

実はこの少し前からスティーブの電話は鳴り響いていたのだが、気がついたのはこの肉声のせいだった。

 

ガチャン。

 

「うるせーぞ、てめー!」

 

窓を開けてつばを飛ばす。

ケイティはすやすやと眠っていて、別の部屋にいるレベッカやマーカス、そして母親からも特に反応は無いので彼女と同様のはずだ。

 

「あぁ!?電話に出ねーから中世の騎士よろしくわざわざ早馬飛ばしたんだろうが!

ぶっ殺すぞ!」


バキッ!

 

「でけー声出すな!」

 

窓越しに殴られてスコットが吹っ飛んでいる。

 

「なにしやがる!お前も十分うるせーだろ!」

 

スティーブはケイティが起きてしまわないように気遣っているのだが、スコットの位置からは彼女は見えない。

 

「家の奴らが起きたら面倒だからな」

 

レベッカや母親が言い訳に使われる。

確かにレベッカが起きればただ事では済まないだろうが。

 

「で、どんな急用だ。大したことなかったらもう一発なぐらせろよな」

 

「ホームベースにサツが入った。

突然、包囲されてな」

 

「何っ!?」

 

スティーブは目を丸くする。


「冗談なんかじゃねーぞ。

ヤクや銃の所持で何人か引っ張られてる。当分はあそこには近寄れねーだろうな。

ま、ジャック達がケガで入院してたのは不幸中の幸いってもんだぜ」

 

「クソ!なんだよそりゃ!

どうしていきなりサツが嗅ぎつけて来る!

つーか、てめーは何で逃げおおせてんだよ!シャブ中は大人しく捕まってりゃイイんだよ!」

 

「残念そうに言うんじゃねー!

逃げるのが下手でパクられた奴らがバカなんだろーが!」

 

ハッキリ言って幹部メンバーくらいでなければ、仲間が捕まろうとも彼等ファントムズにとってはどうでも良い。

ファントムズは時折逮捕者を出す事も少なくは無いからだ。

 

問題なのは、なぜ警察が踏み込んできたのか。阿羅漢のアジトを焼き落とした事がバレているのであれば面倒な事になる。


「とにかく行かねーと!」

 

「どこにだよ!?てめー、人の話聞いてたか!?ホームベースには近寄れねーんだよ!」

 

もともと廃ビルに住み着いていただけなので、ハッキリとファントムズが所有している建物ではない。

今までは警察や自治体の暗黙の了解とやらに甘んじていただけに過ぎないのである。

 

もっとも、人の行き交いがない場所に不良グループが集まっているのは誰にとっても都合がイイ。

その均衡を打ち破ってくるという事は、何かしら得るものがあってのことだろう。

 

「チッ…誰がやられてるんだ?」

 

捕まったグズを問う。

 

「みんなまではわからねーよ。ラファエルはやられたのが見えた」

 

「バカが…」

 

心配よりも、スティーブの口から出たのはやはり悪態であった。


「どうする、リーダー?」

 

「サツの考えがわからねー。

アンディとジャックに相談したい。朝になったら、病院に集合かけとけ。それからホームベースにはサツが張ってる事もな。

俺も酔いが醒めたら向かう」

 

「ふん。どれだけ集まるか楽しみだな」

 

ドルン!

 

ドドドド…!

 

迷惑な排気音を響かせてスコットが帰っていった。

 

 

「スティーブ、大丈夫なんですか?」

 

「あ?起きてたのかよ」

 

直後にケイティから話しかけられる。

 

「えぇ、少し前から。盗み聞きしてるみたいで悪かったかな」

 

「いや、何も気にすんじゃねーよ。

話を聞いてた事も、話の内容もな」

 

無茶な願いだろうが、チームと関係ない人間にとやかく言われては面倒だと一蹴した。


軽く寝て朝を待ち、ケイティを見送るためにタクシーを呼ぶ。

 

「じゃあまたな」

 

「楽しかったです!また遊んでね」

 

朝になってからは、彼女がスティーブの抱えるファントムズの問題に触れる事は無かった。

気丈に見えるのは強がりだろう。

 

だがスティーブも、これ以上ケイティに心配事を増やすつもりはない。

 

軽く笑顔で手を振り、自らもバイクに跨がった。

ちなみに未だマーカスのニンジャはその場に佇んでいる。

 

「チッ!」

 

帰ってきた時にも停まっていたら蹴り倒すと心に決めて出発した。

 

ドドドド…!

 

 

 

「ちょうど十人か。上出来だな、スティーブ?」

 

「数には興味ねー。みんな聞け」

 

集まった面々がいるのは、回復が遅れているジャックの病室だ。

もちろんアンディやタカヒロも出席していた。


「何があったんだ?ホームベースにも近づくなとは」

 

最年長のパーシーがスティーブの言葉に割り込んできた。

 

「俺も直接見たわけじゃねーが、サツが入ったらしい」

 

みんながざわつく。

案外、状況を知っているメンバーは少なかったようである。

 

「誰がそれを?」

 

療養の為に車椅子に座って腕組みをしているアンディが言った。

同じくケガを負ったタカヒロは足で立っている。

 

「スコット、詳細を。

曖昧なようなら後で俺と偵察だぞ」

 

「勘弁してくれよ」

 

みんなの視線がスティーブからスコットに移った。

 

「あー…俺は裏手でバイクを見てたんだが、連中はサイレンを鳴らしながらやってきて先ずは正面からビルに突入してきた。

二十人程度の数だったと思う。俺が逃げたくらいには包囲が始まってた」


「ま、そんなもんで十分だろ。

よく知らせてくれたな、西洋の騎士さんよ。見事だったぜ」

 

スコットの言葉を信用し、納得したスティーブ。

最後の冗談にみんなは首を傾げるが、状況把握には全員が理解出来た。

 

「ふん、誉めたきゃ銭をくれよ」

 

「死ね、パシり」

 

「…サツの動きがいくらなんでも急すぎやしねーか?今までは見て見ぬふりだったろ?

ファントムズが力を持っていることでこの街の荒くれ共の均衡は守られていた。

俺たちと揉めたところでロクな事にはならねーって分かってるはずだが」

 

さっそくタカヒロが誰もが思う意見を述べた。

 

「サツを動かせるのは…お偉いさんか、マフィアだけだ」

 

アンディが言う。

やはり仕留めた香港マフィアの影を感じ取ったのだろう。


「情報の出どころは?」

 

「いや待て。第一、それが理由だったのか?

引っ張られた奴らの罪は何だった」

 

「おい、阿羅漢の件ならメンバーの名簿を調べて自宅まで捜査が入るんじゃねーか?」

 

「それならケガ人とはいえ、まずはジャック達がやられるのが筋だろう。

入ってる病院なんか調べ上げるまでもねー」

 

様々な意見が飛び交う。

 

パタパタ…

 

ふいに誰かの足音が近づいてきた。

 

「あの、お静かにお願いしますね」

 

病室の前でそう言ったのは女の声。

姿までは見せなかったが、看護師か近くの病室の患者だろう。

 

「ところでスティーブ。お前がラファエルと連れてきてた中国人がくさくねーか?」

 

「あ?チャンのことか、スコット?」

 

「名前なんか知らねーよ。チラッとしか見てねーが、ソイツが阿羅漢の事務所の在処をゲロったんだろ」


阿羅漢のアジト襲撃の際、車内に置き去りにされていた人物をスコットは知っていたようだ。

そのまま殺さなかったのは奇跡的だと言える。

 

「ま、簡単に金で釣れる男ではあったがよ。

だが、サツにトライアド事件の真相を売ったのがアイツだとして…何になる?」

 

「どうせまた金だろ。仲間を売る奴のことなんて信用しちゃならねーぞ」

 

「サツからアイツ個人にコンタクトがあったってのか?

それとも自ら?いや、あんなバカにそんな知恵はねー」

 

スティーブとスコットの顔をメンバー達が交互に見ている。

 

「なんだよ、やたらとそのチャンって中国人の肩を持つじゃねーか。

さては出来てんな、スティーブ」

 

「くだらねーんだよ。自分が優しくされねーからってへそ曲げてんのか、コラ」


「なんだなんだ。お前達のくだらん痴話喧嘩を聞かされるために俺達は呼ばれたわけか?」

 

アンディが呆れた様子でやんわりと場を取り持つ。

 

「チッ。話を戻すぜ。

とりあえず今回捕まっちまったバカ共はヤクだの銃だのって、つまらねー話だ」

 

これはスコットだ。

 

「直接サツに聞こうが阿羅漢の件との関連性は分かりゃしねーだろうな」

 

「そりゃもちろんだ。そしてそのバカ共と話しても同じ答えだろうな。

おっと、仲間をバカ共呼ばわりしたのはてめーが先だからな、スティーブ」

 

スコットは揚げ足を取られる前に釘をさした。

 

「いや、てめーだろ!…ん?」

 

ウー!ウー!

 

遠くでポリスカーのサイレンが鳴っている。

ほぼ全員が窓を見た。全く関係がなかろうと、それにさえ反応してしまう程メンバー達は敏感になっていた。


 

「誰が何のためにサツを動かしてやがる」

 

一旦サイレンが聞こえなくなるまで通り過ぎるのを待ち、タカヒロが口を開いた。

警察が自発的にファントムズの取締りに乗り出したという考えは捨て去られている。

 

「チャンの野郎に訊く以外ねーのか」

 

「俺は…」

 

初めて、ジャックが声を漏らした。

意識があるのは分かっていたが、話せるとは思っていなかった仲間達がわずかに沸く。

 

「俺は…まず、礼を言いたい。

突然襲ってきやがった…中国人ギャングをぶっ潰してくれた…お前ら全員に…」

 

「おう。ふざけた密売人は事務所ごとぶっ飛ばしたぜ」

 

スティーブは得意気だ。

 

「そして聞け…三合会は、マンハッタンとブルックリンを牛耳るつもりだ…スタテンを牛耳るシチリアンみたくな…」

 

「バカな!どういう…!」

 

過ぎた話に、アンディさえ声を荒げた。


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