退役医官の日常① ~ 道雪君が戻ってくる! 3~
「教子さん・・・・・あの時、教子さんが伝えようとした言葉を聞きに来ました」
道雪はあの時の約束を忘れなかった。例えその目が見えなくろうと。その約束を果たすために積み上げてきた努力を誰に告げるわけでもない。
でも、私は知っている。あの日、辞令をもって中央病院まで行き貴方の上司の言葉を聞いたから。
<・・・・・君はもう十分頑張ったろう。これ以上、何を頑張る必要がある?>
貴方は十分に頑張った。そろそろ貴方の抱える物を肩からおろすときよ。私があなたを支えるから。
「道雪。あなた、今日、泊まる当てはあるの?」
私の思いは先を急ぐ。その先の言葉をかけてしまう。彼の理解は私の急ぎ足に追い付かない。
「え?いえ」
「そのリュック一つで、ここまで来たのね?」
「はい」
「そう。ちょうどよいわ」
いけない。彼はこの言葉を聞きたくて努力してきたのだ。ちゃんと彼の聞きたがっている言葉をかけてあげないと。彼の努力に報いてあげなければ。
「あの時私は言ったの。<帰ったら一緒に暮らそう>って。さ、帰りましょう。私たちの家に」
道雪はしばらく黙った後、涙を拭いて笑顔で応えてくれる。
「はい!」
あの日以来、止まっていた私たちの時がようやく動き出す。
*****
「教子さん、制服で待っていてくれたのですね」
私の手の中で彼がつぶやく。そう、私はこの時のために準備してきた。あの日、初めて君に駐屯地の案内をした時と同じ格好。これは私たち自衛官が大事な時に纏うフル装備。
「ええ。分かるのね?」
「はい。襟章が当たって少し痛いです」
「あ!ごめんなさい!」
私は驚いて抱締める手を緩める。彼は手を伸ばし私の肩の階級章をその手でゆっくりと触り、嬉しそうに声をかけてくれる。
「やっぱり。教子さん、一尉、昇進おめでとうございます」
「道雪、貴方は三佐よ。結局、私は階級で貴方に追いつくことはできなかったわね」
「僕の昇進は一尉も三佐もどちらも怪我による功名です。でも教子さんは違う。領土を守るという戦果を挙げての昇進です。僕よりずっと価値があります」
「それは違うわ。貴方は人を救うことで昇進したのよ。自衛官としてこれ以上ない戦果よ。貴方以上に立派な昇進はないわ。胸を張って、道雪」
何気ないやり取りが懐かしい。私はこの時をどんなに待っていたか。もう何があっても彼を手放したくない。再び私は強く彼を抱締める。そんな私の思いは彼にも伝わったのか、嬉しそうに私にささやく。
「教子さん、分ったから。手、少し緩めてください」
「ごめんなさい・・・・」
謝りつつもその手の力を抑えることができない。この先、何があってもこの手を緩めるつもりはない。募る思いが体からあふれ出てきそうだ。彼は戸惑いながら言葉をかけて来る。
「あの、教子さん・・・その・・・」
「どうしたの?」
「ごめんなさい。お手洗いに行きたい・・・」
「え?あ!うん。わかった。案内するわ」
*****
彼を支えて駐屯地内のトイレに向かおうと振り返ると、私と同じく制服を着た部下たちがいる。正門の奥の構内道路の脇、静かに1列横隊で整列し敬礼している。皆、この時を待っていたのだろう。声を殺して号泣して居る者もいる。私と道雪はその前をゆっくりと進む。彼も何かに気づいたようで小声で尋ねる。
「教子さん、周りに人の気配がする。もしかして第1小隊の人たち?」
「そうよ。皆、貴方の帰りを待っていたのよ。今、私たちの横で1列横隊で整列している」
「え?・・・どうしよう?今からトイレに行くのに・・・なんかちょっと恥ずかしいよ」
「大丈夫よ。私たちの隊舎はすぐそこだし、皆整列して見送るだけだから。彼女たちもずっと待っていたの。あれは自衛官としての彼女たちのケジメよ。好きなようにやらせてあげて」
「・・・うう。もっとちゃんと挨拶したいよ。後で、皆と話をする時間ある?」
「分かった。第1小隊の事務室で時間を作るわ」
「定子さんと曹長さんもいる?お礼を言わないと」
「気づいてたのね?道雪」
「あれは気づくよ!二人とも僕が気づかないと思ったのかな?ふふふ!」
返事をする彼の笑顔はいたずらっ子のように無邪気だ。きっと何か楽しい事でもあったのだろう。彼女たちも背後にいるはずだ。道中、何があったのか、後で聞き出してみよう。
*****
第1小隊事務室。応接コーナに腰を下ろした道雪を中心に、私と副長、曹長が席に着き、その周りを隊員たちが取り囲む。彼女たちは皆笑顔だ。全員が彼の声を聴きたくて仕方がないといった感じだ。
私は先ほどの彼の言葉を確認する。
「道雪、案内しているのが副長と曹長だって気づいたのはいつ?」
「定子さんについては、飛行機に乗ってすぐに変だなって思ったよ!ずっと泣いてると思ったら、僕が独り言をつぶやくと急に笑ったりするし」
「だって、なんとか涙をこらえようと頑張っていたら、道雪君、突然、<民間機の前向き座席は落ち着く> なんて、一丁前の陸自隊員みたいに自衛隊あるあるを呟くんだもん。あれは笑っちゃうよ!」
「副長!そこはスルーしないと、自衛官だってバレバレですよ!」
部下たちも皆、楽しそうだ。私は今回の支援活動の立案者として少し責任を感じる。でも副長、そこで笑ってはダメよ。部下の誰かが曹長について彼に尋ねる。自分たちの上司のダメっぷりが楽しいらしい。今日だけは無礼講だろう。彼を前にして怒るものはいない。
「道雪さん、曹長に気づいたのはいつですか?」
「支えてもらった瞬間!こんなに頼りになりそうな手の人、いないもの。それに足音も。普段から安全靴みたいなブーツの足音の人なんてそうそういないよ!」
「あはははは!曹長!手だけで特定されるって、どんだけですか?」
「ちょっと、道雪さん、そこはもっとオブラートに包んでくださいよ!」
私たちは腹を抱えて笑いあう。こんなに楽しいのはあの場所から戻ってきて初めてかもしれない。
彼が戻ってきて本当によかった。
この日、彼は連隊長以下、水陸起動団幹部や衛生隊の面々とも挨拶を交わした。全員が彼の言葉に涙と笑顔を零した。
戻ってきてくれてありがとう、道雪。あなたの笑顔と笑い声ほど私たちを幸せにするものはなかった。彼女たちにとって、あなたは確かに天使のようなものね。
お疲れさま。さ、家に帰ろう、道雪。
読んでいただきありがとうございます。
この先、不定期ではありますが、小隊長は当然の事、副長、曹長、元上司、合衆国海兵隊員(Force Recon隊長)による楽し気な交流を書いていければ良いなと思っています。
とりあえず元上司は彼の古傷を”診察”しなきゃ、と思ってるようです。




