退役医官の日常① ~ 道雪君が戻ってくる! 1~
番外編として、「新人医官の日常」シリーズと「退役医官の日常」シリーズを考えています。
まずは、本編の流れを受けている「退役医官の日常」シリーズを、本編の記憶が新しいうちに。
最初はしんみりしますが、途中から周りの魂胆が見えて面白くなるはずですので、気長に見ていただきたく。
「皆に協力をお願いしたいことがあるの」
終礼後、隊長が私たちに切り出した。私たち幹部は第1小隊事務室の応接セットに集まる。私を含め、全員がこの申し出を待っていた。いよいよその時が来たのだ。我慢できずに私から話を切り出す。
「隊長、協力って道雪君に関することですよね?」
「ええ。実は今週の金曜日、彼が相浦に戻ってくるの」
道雪君が戻ってくる!退院するんだ!
その場にいる幹部全員の顔が笑顔になる。でも、彼は失明したはず。協力っていうのは、彼を迎えに行くことだろうか?
「羽田空港まではお世話になっている前の上司が送ってくれるわ。問題はそこから先。彼は自力でここまで来るつもりでいるの」
自力で?・・・そんな!失明して3週間で、それはいくら何でも無理では?私の不安を曹長が代弁する。
「隊長、それはあまりに無茶なのでは?羽田からここまでは、飛行機、バス、電車そしてタクシーと、あらゆる交通機関を利用する必要があります。とても失明して3週間の方が無事に出来るとは思えません。それに彼は男性です。どこかに迷い込んだら、身の安全すら怪しいのではないでしょうか?」
幹部たちは曹長の話に頷く。目の見えない若い男性が東京からここまで一人で旅をするなど、無謀すぎる。隊長自身、重々承知のはずだ。幹部達は隊長の発言を待つ。僅かな沈黙に続き、隊長がその思いを口にする。
「彼は、今、自分が中途視覚障碍者になったことを受け止め、その上で前を向こうとしている。今の彼にとって、ここまで一人で来ることが大切な目標なの。そのために、彼は今、一人、必死に努力している。だから私は、彼のその願いをかなてあげたい。お願い、手を貸してほしい」
道雪君は立派な医官だった。人を救うためなら何事も恐れず成すべきことを成す人だった。だから失明してしまったんだ。きっと今も自分の境遇を受け入れ、前に進もうと努力しているのだろう。暗闇の中で・・・・一人で・・・・だめだ。想像するとまた涙が込み上げてくる。もう泣かないと決めたんだ。
私は気合を入れて隊長に協力を申し出る。
「分かったわ、隊長。私にできることなら何でもする」
幹部全員が私に続き協力を申し出た。隊長には考えがあるらしい。
*****
隊長の考えは、彼の相浦までの移動を私たちが手分けして支援するというものだ。彼に気づかれないように。否やがあろうはずない。私達は積極的な協力を約束する。隊長は申し訳なさそうに告げる。
「本当は私自身、彼を助けに羽田に行きたいの。でも、私は駐屯地の正門で彼を待とうと思う」
曹長が答える。
「そうしてください、隊長。彼は隊長に会うつもりで一人でここまで来るのでしょう?ならば隊長は正門で、彼を迎えてあげてください。正門にたどり着いた彼を、最初に出迎えるのは隊長であるべきです。どうか、ここまで来た彼を抱締めて、その努力を労ってあげてください」
その通りだと思う。それが彼の望みのはずだ。そしてそれを叶えてあげることが、今の私たちの望みでもあるのだ。
「ありがとう」
だめ!隊長、泣かないで。ここで隊長に泣かれたら、私だって我慢できないんだから。隊長は何とか涙をこらえ、支援する内容に話題を切り替える。
「まず問題は、どこから支援すべきか、ね。羽田空港の保安検査場までは送迎してもらえるので、そこから搭乗ゲートまでの移動や飛行機へのボーディングなどは空港関係者の補助が得られると思う。そうすると、私たちの支援は長崎空港以降でも事足りるかもしれない。でも、もし天候などの理由で飛行機が羽田に引き返したり、別の空港に行先変更されたりしたら、彼はとても困ると思うの」
そんな!知らない場所に放り出されたら、目が見えない道雪君は途方に暮れてしまうよ。そんなのはかわいそうすぎる。私は思わず自分から申し出た。
「隊長!私、前日の木曜日の夜に東京入りして、次の日、道雪君と同じ便で長崎に戻ってくることにする。もともと私の注意不足でこんなことになったのだから、私にやらせてほしい!」
私の発言を聞いた曹長が、ベテランらしくたしなめてくれる。
「副長、それはもう言わない約束ですよ。きっと、私たちが負い目に感じれば感じるほど、彼は心苦しく思うでしょう。この件の責任は特定の誰かにあるわけではないと、皆で何度も話し合ったはずです」
確かにそれはそうだ。でも、彼を一人で移動させるのはあまりに酷だ。出来れば保安検査場の入場から彼のことを見守り、場合によっては誘導してあげたい。
「責任は置いといても、私と隊長は防大時代を横須賀で過ごしたから羽田空港近くはよく知っているわ。だから、最初の支援役は私がやります。やらせてください。隊長」
隊長は笑顔で私の申し出を受け入れてくれる。
「ありがとう。一条二尉。では、羽田からの最初の誘導はあなたにお願いするわ。長崎空港で降りてから高速バスで佐世保駅まで来るでしょうから、そこで別の方に引き継ぎましょう」
「それでは、佐世保駅のバス停から私が引き継ぎます。松浦鉄道の佐世保駅から大学駅、そこからタクシーで駐屯地正門、というルートでしょうね。道雪さんがタクシーに乗るまで、私がずっと彼を誘導しようと思いますが、よろしいでしょうか?」
「そうね。入れ代わり立ち代わりするよりも、その間は曹長にお願いした方がむしろ安全よね。曹長、お願いします」
私たちの話を聞いていた別の幹部が、誰もが思った疑問を口にする。
「でも、副長と曹長だと、話しかけられたらすぐにばれてしまいませんか?」
幹部は再び全員で隊長を見守る。正直名案が浮かばない。
「その点については、私も名案がないの。だから二人には事情があって声が出せない人を演じてもらうしかないわね。この際、仕方がないと思う」
二人とも声が出せない・・・さすがにそれは無理がないだろうか。でもそれに代わる案がない以上、私たちは上官に従うことにする。それが自衛官というものだ。
*****
爽やかな早朝の羽田空港。
これからどこか旅に出かける人。仕事で地方に向かう人。行き交う人は心なしか皆、希望に満ちた表情に見える。長崎空港行きの搭乗ゲートに近い保安検査場の奥、私は道雪君の到着を待つ。彼を目にするのはあの日以来だ。私は、保安検査場の入場者に目を配りながら、あの日のことを思い出していた。
全通甲板を備えた護衛艦「いせ」の甲板上、道雪君は合衆国海兵隊員の腕に抱かれ、飛来したオスプレイに運ばれる。彼を載せたオスプレイはゆっくりと浮上し沖縄方面に消えてゆく。あんなに涙を流したのは私の人生でも初めてだった。あの時、私は、彼が元通りに治ることを必死で祈っていた。
彼が失明したことは駐屯地に戻ってから知った。それは第1小隊にとってこれ以上ない悲しいニュースだった。あの制圧戦に参加した第1小隊の隊員は、全員が強く責任を感じていた。あのとき自分が別の行動をとっていたら、あんなことにはならなかったと誰もが思った。私たちは皆で話し合った。そして一つの結論にたどり着く。これは、特定の誰かのせいではない、と。だが、同時にそれは隊の責任ということだ。それはつまり隊長が背負うことになる。隊員は皆、隊長のことを気遣った。声をかけるのが躊躇われるほど、あの時の隊長は見ていられなかった。
あれから3週間、道雪君は光を失いながらも一人で相浦に帰ろうとしている。きっと彼は隊長のところに行こうとしているのだ。たとえ失明しようと、自分は大丈夫だと、隊長に示そうとしているのだろう。彼の優しさを思うと、心が締め付けられる。
保安検査場の出口から、空港の女性係員と腕を組むようにして肩を並べて歩く男性が見えた。
来た!!道雪君だ。
係員に脇から支えられた彼の表情は優しい。なんて素敵な笑顔なんだろう。左手には視覚障碍者の方が持つ杖が握られている。搭乗ゲートに向かう廊下、私のすぐ目の前を彼が通り過ぎてゆく。その姿は以前の彼と何ら変わりがない。でも、開かれたその眼はどこも見ていない。
彼の姿を一目見た瞬間、ずっと我慢してきた涙があふれだしてきた。一度、涙が流れだすと、もはや止めることはかなわない。道雪君は本当に、失明してしまったのだ。もう二度と彼はこの世界を目にすることはないのだ。
私は大粒の涙を零しながら、彼と一定の距離を保って長崎行きの搭乗ゲートに向かった。




