4.自己紹介と食事 ★
俺は10分に渡る説明の上、なんとか少女の誤解を説くことに成功したのだった。
今は周囲に魔物除けの結界を張り、二人とも手近な岩に腰を下ろしている。
「つまり、ユズルさんは別の世界からやってきたということですか」
「ユズルでいいよ。そういうことだな。でもこっちの迷宮の状況がわからないんで、まずは情報収集というわけ」
俺が助けた少女は、クーニャという名前らしい。歳は16歳程だろうか。赤い瞳に金髪のボブカット。身長は俺とあまり変わらなさそうだ。
顔は、正直言ってかなり可愛らしい。
「……私の顔に何か?」
クーニャがきゅっ、と深くフードを被り直し俺を見る。
しまった、思わず見とれていたらまた警戒させてしまったらしい。
慌てて俺は話題を変える。
「ああ、いや。君はどうして一人でこんな場所に? 荷物を見る限り旅人か何かのようだが」
俺は視線でクーニャの横のリュックを示す。大きく膨れ上がったそれは、明らかに旅をしている人間の荷物だ。こんな少女が一人旅というのも珍しいんではないだろうか。
クーニャは岩に座り直すと、やがてゆっくりと喋り出す。
「私、冒険者になるためにヒルルエを目指してたんです。でももう食料が無くなっちゃって。遠回りする余裕がなくて仕方なく、この森を抜けることにしたんです。そうしたら、グランドボアがいて……私、怖くて腰が抜けちゃって」
さっきの恐怖を思い出したのか、そう語るクーニャの手はまだ震えている。
なるほど。切羽詰まっていたというわけか。なら納得だ。
それと同時に、俺は意外な答えに少し驚いていた。とてもではないが目の前の少女が血なまぐさい冒険者に憧れているとは思えなかったからだ。
冒険者という職業に富と名誉を夢見る者は多い。
だが、綺麗事だけではとてもやっていけないというのが事実だ。魔物とはいえ生き物を殺し、ときには同じ人間同士で争うこともある。
「冒険者に、君みたいな女の子がどうして」
「私、独りなんです。独りになっちゃったんです。一人で生きるためには強くならなくちゃいけない。だから、冒険者になろうと思ったんです。……ううん、ならないといけない」
生きるため、か。
富や名誉なんかよりもよっぽど切実な願いだ。
クーニャは震える手を握りしめながらはっきりと、「なりたい」ではなく「ならないといけない」と口にした。
その瞳は真剣だった。意思は固いのだろう。
なぜ独りになったのか、気にはなったが理由は聞くまい。
「ならちょうど良かった。俺もヒルルエに行こうと思ってたんだが、地図も持ってないもんだから迷ってたんだ。君さえ良ければ一緒に行かないか?」
「い、いいんですか! ユズルさんのように強い方と一緒なら心強いです! ぜひお願いします!」
立ち上がって深々と頭を下げるクーニャ。女の子にそんなに頭を下げられるとなんか恥ずかしい気持ちになる。きっと根が良い子なのだろう。
「いいよ、頭を上げてくれ。俺は戦う、君は道案内をする。お互い様だ」
「あ、はいっ」
と、クーニャが頭をあげると、その拍子に被っていたフードがめくれて落ちる。
露わになったクーニャの頭の上には特徴的な二つの膨らみがあった。
人とは明らかに違う、獣の耳。ローブに隠れて見えなかったが、その下からはフサフサとした尻尾ものぞいている。
ラビリス族と呼ばれる亜人のそれだ。
「君は……ラビリス族だったのか」
「あっ、これは……!」
慌ててフードを被り直すが時既に遅し。
クーニャが俺の方を見る。その目には少し恐怖の色があった。
その目を見て、クーニャがなぜ出会ったときから用心深い態度をとってた理由がわかった気がした。
俺は意識して笑顔で話しかける。
「大丈夫だ。俺は人さらいじゃないからな。君がラビリス族だからと言って何もする気はない」
「あ……ありがとうございます。あの、すいません。私、助けてもらったのに失礼な態度を」
「気にしなくていいさ。悪いのは君じゃない。人さらいと、それを買う連中だ」
ラビリス族はニューラの世界では人口の少ない種族だ。獣の耳と尻尾を持ち、見た目が美しい者が多いため、一部の貴族や商人に奴隷として人気がある。
勿論違法だ。
しかし需要はなくならないらしく、ラビリス族を狙う山賊や冒険者崩れの犯罪者が後を絶たない。俺も何度かそういった連中をクエストで捕まえたことがある。
警戒心が強いのもそのためだろう。もしかしたら過去に何かあったのかもしれない。
俺はあえて気にしてない風に装って立ち上がる。
「よっしゃ、堅苦しい話はここまでにしよう。とりあえず腹減ってるだろ? 飯にしようぜ」
「あ、はいっ。でも私はもう食べるものが……」
「食うものならあるだろ。さっき仕留めた馬鹿でかいのが」
「あっ」
俺は背後に横たわる巨体を指差す。
そう。グランドボアの肉だ。
「あまり知られてないが、グランドボアの肉は食用になる。こんな見た目だけど肉は淡白でクセがなくて食いやすいんだ。調理の素人でも、焼いて塩をかけるだけでかなり旨い。まあ、ちゃんとした調理人に頼んでステーキにしてもらえばもっと旨いんだけどな」
「ステーキ……ほわぁ……」
俺の説明を聞いて、その味を想像したのか、ほにゃっとしたクーニャの可愛らしい口からはよだれが垂れている。地面にどんどん落ちてますよクーニャさん。
きっと指摘しない方がいいよな。乙女の恥じらい的に。
……本人が気づく前にこの場を離れよう。
「そ、それじゃ、俺はちょっと肉を切り取ってくる」
「じゃあ、私は火を起こしときます!」
やはり余程腹が空いていたのか。
クーニャは元気に答えると、すぐにリュックの中から火打ち石やらを取り出しはじめる。
そうそう。なにはともあれ腹が減っては戦は出来ぬ、だ。
◆◆◆
「はぁー食った食った」
「久々にこんなに食べましたぁ……お腹いっぱいれふ」
30分後。俺たちは食事を終え、食後の休憩をしていた。
クーニャの食欲は凄まじく、用意した肉はあっという間に彼女の胃袋へと消えていった。
彼女の細い体のどこにそんなに食べ物が入る場所があるんだろうか。
「さて、一休みしたことだしそろそろ行くか。できれば日が暮れる前にはヒルルエに着いておきたいからな。ここには夜になると活発になる魔物もいるしな」
「そうですね! ユズルさんのおかげで元気も出てきました!」
最初の警戒心はすっかり消えたのか、クーニャの話し方も大分砕けてきている。
「最初にも言ったけど、ユズルさん、じゃなくてユズルでいいよ。そんなに歳も変わらないだろ、俺たち」
「そうですか? じゃあ、私のこともクーニャと呼んでください!」
「はいよ。じゃあ改めてよろしくな、クーニャ」
「はい、よろしくお願いしますね! ユズル!」
笑顔で答えるクーニャの顔が眩しい。
目を合わせると顔が赤くなりそうなので俺はそれとなく視線を外す。
「でも勿体無いですよね、これ」
「ん?」
クーニャに視線を戻すと、横たわるグランドボアの死体を見上げていた。
二人で食べたとはいえ、その巨体に比べれば切り取った肉の量は極々僅かだ。残りのグランドボアの体はとてもではないが、人間が担いで持っていける重さではない。
でも確かに、これをそのまま残しておくのは勿体無いな。
「そうだな、よし。ちょっと待ってろ」
俺はまた肉を何切れか切り取ると、それを大きな葉で包み、木のつるで結ぶ。それを何度か繰り返し、合計で6つの包みをつくる。これで2日分くらいの食料にはなるだろう。
「ほら、3つはクーニャの分。道具箱……アイテムボックスに空きはあるか?」
「わあ……ありがとうございます! それくらいならなんとか私の魔力でも入りそうです」
俺から包みを受け取ったクーニャが、むむむ、と魔力を込めるとその手から包みが一つ消える。
更にそれを三回繰り返し、全ての包みをアイテムボックスの異空間に収納する。
やはり普段は使うことが少ないのか少し時間がかかっている。
俺は手慣れたもので包みを3つまとめてアイテムボックスに放り込むと、残ったグランドボアの死体に近づき、その身体に手を当てる。それから道具箱の魔法を発動し、アイテムボックスの『口』を開く。次の瞬間、小山程もあったグランドボアの体がパッと、消える。
「ええええええ!? ユズル、い、今、何したんですかっ!?」
「え、何って。アイテムボックスに入れただけだけど」
「そんなわけありますかっ! 普通そんな大きな獣、一匹だって入るわけないですよ!?」
「そう言われてもなあ……こんなのだったらいくらでも入るぞ」
「なんですかその非常識なアイテムボックスは……」
クーニャの反応を見るに、やはり俺のように道具箱の魔法を強化してる人間は珍しいようだ。
クーニャにとってはかなり驚きなのかもしれないが、俺からすればこの程度の大きさはなんでもない。シソ森に生息する全てのグランドボアを放り込んでも全く問題無いだろう。
道具箱の魔法を最大まで取得した俺は、その過程でいくつかの特性を獲得している。
<空間歪曲>によって変化したアイテムボックス内の空間は俺の魔力が持つ限りは無尽蔵に物が入るようになっているし、生き物以外ならほぼ何でも入る。更に<効率化>の特性によって維持に必要な魔力を抑えることで夢の大容量を実現しているのだ。
「さあ行こうぜ。道案内よろしく頼む」
「あ、は、はいっ」
俺に背を押されてクーニャが歩き出す。
よたよたと歩くクーニャの表情はニヤけきっており、なんか変だ。
ぶつぶつと何かを呟いているクーニャの声に耳を澄ます。
「大きなボアがまるまる一匹……しばらくはボア肉づくしですね……へへ……」
どうやら、グランドボアの肉が相当気に入ったようだった。