2.森での目覚め ★
たまに挿絵が入ります。
暖かな陽射しを感じて、目を覚ます。
「背中がいてえ……」
どうやら地面に直接寝ているらしい。
はっ、として身体を起こし、慌てて周囲を確認する。
寝起きをいきなり魔物に襲われてはたまらないからだ。
幸い、見える範囲には何もいないようで安心する。
「ここは……」
俺がいたのは森の中だった。周囲には鬱蒼とした木々が立ち並んでいるが、ところどころ、木漏れ日が揺れているのが見える。俺が寝ていたのもそういう場所だったようだ。少し開けた場所になっていて、空から差す光がまぶしい。
だが、この森は明らかに普通の森とは違う。
俺の周囲に見える植物はみな一様に赤紫色をしているのだ。
おかげでかなり不気味な雰囲気になっている。ニューラの世界でも普通の植物は大体緑色をしているから、この場所が特殊なのだ。
そして、俺はこの場所を知っている。
「キーラの森か」
キーラ、というのは最初にこの森を発見した人の名前らしい。
この森の中央を流れる川はなぜか赤紫色をしている。その水を周囲の植物が吸収した結果、森全体がこんな色になったのだろう、とのことだ。
赤紫色の川は一見すると明らかに毒っぽいが、特に害はないらしい。
植物も見た目がちょっと気持ち悪いだけで襲ってくることはないし、凶悪な魔物はいるが数は多くないので中級者向きの狩場だったはず。
ちなみに俺はこの森のことを『シソ森』と呼んでいる。
なぜなら色がシソっぽいから。川なんか完全に見た目シソジュースだったし。
赤紫ならなぜブドウじゃなくてシソなんだ、という突っ込みが入るかもしれないが、そんなことは俺の知ったことではない。
気づいた時には皆、『シソ森』で定着していたのだから仕方ない。
「とりあえず移動しなきゃだよなあ……ここどのへんだろ」
服装は俺が部屋で着ていたときのままだ。黒い細身のパンツにグレーのシャツ。
何故かちゃんと靴も履いている。
すぐ横の地面を見ると何か文字が書いていた。
『ユズルへ。これは餞別です』
そこに転がっていたのは果物ナイフ。俺が料理で使ってたやつだ。
サービスのつもりなのだろうか。
なぜ包丁は何本もあっただろうに一番貧弱そうな果物ナイフなのか。
神様のチョイスはいまいちよくわからない。どうせなら刀でも置いていってほしかった。
ともあれ、まずはここを出て街へ向かわなくてはいけない。
ある意味飛ばされた場所がシソ森だったのは都合が良い。
この森を抜けて西へ行けば地下迷宮ヨルムのある都、ヒルルエに着く。
まずは装備を整えるにしても、情報を集めるにしても人の集まる所へ行く必要があるというわけだ。
「まずは、現在地の確認からだな。今のままじゃどっちが西かもわからん」
ここがシソ森のどのへんなのか確認する必要がある。
流石にほとんどこない狩場の地形まで熟知しているわけではない。
西に近ければいいのだが……。
「マップ、オープン」
まずは地図を見て方角を確認しなくては……って、あれ。
俺の視界に映るはずのマップが現れない。おかしいな。
「マップ、オープン!」
再度同じ言葉を唱える。
が、相変わらず反応はない。俺の言葉は鬱蒼とした森に虚しく消えていく。
「マップオープン! マップオープン! マップオープン!」
何度か大きな声で繰り返してみるが何も起こらない。
俺は思わず首を捻る。
……あっ。
「そうか。ここはゲームの世界じゃないんだ、当たり前か」
理解していたはずなのだが、どうもまだ実感がわかない。
プレイしていた時と全く同じで違和感が無かったので普通にマップが開くと思いこんでいたが、ここはゲームの世界じゃない。
マップが開かないのも当然だった。
森の中、一人でマップオープンを連呼する男の姿を想像して少し悶える。
この世界の人間に見られていたら危ない奴だと思われそうだ。
ともかくマップが開けないということは、おそらく他のシステム面でも同じことなのだろう。
試しにステータスオープン、と呟いてみるがやはり反応はない。
HPはいくらあっても首の血管とか切られたら一発でほとんど吹っ飛ぶだろうからまあ見れなくても良い。致命傷を貰わないように気をつけるだけだ。
だが、MPが確認できないのは少しつらいな。窮地で魔力切れを起こしたら死につながりかねない。
念のために確認してみるか。
「静寂の帳よ」
魔力を込め、呪文を口にする。
正しい詠唱はもっと長いのだが、めんどくさいので短縮仕様だ。
俺の囁きと共に俺の皮膚に沿って、魔力で作られた不可視の『場』が展開される。
<沈黙の外套>。
中級の風の魔術で、使用者が発する音に作用し完全に無音化する魔法だ。
主に魔物に自分の存在を知らせないように使われる魔法だが、敵に奇襲をかけるときにも役立ったりする。
続いて、今度は四肢に魔力を込める。
体内に流れる魔力を操作し、身体能力を上昇させる強化魔法。
こちらは使い慣れているので詠唱の必要もない。
そうして俺が発動させた魔法は計二つ。
中級魔法の<沈黙の外套>と下級魔法の<フィジカルエンチャント(弱)>だ。
記憶が確かならばこれで消費される魔力は全体のMPの2~3%に過ぎない。
ピリッ、とこめかみに極々僅かな痛み。消費した魔力の反動だ。
これも俺の記憶通りの感覚なので、やはりゲームの世界と感覚は一緒らしい。
うん。これならMP管理も大丈夫そうだ。
というか、改めて『NewEra』の再現度は完璧だったのだと感心する。
「移動する前に何ができるかの確認が先だな」
その後も俺は10分ほど、使える魔法などの現状確認に時間を費やすことにした。
◆◆◆
「きゃああああ!!」
自分の現在の状況確認をあらかた終え、そろそろ動き出そうかと思っていたとき。
突如、俺の耳に静寂を破る悲鳴が飛び込んできた。
「――叫び声!」
それも、遠くない。
聞こえた声は女性のものだ。
助けに行くか? それとも放置するか?
迷いは一瞬。
俺は果物ナイフを握り直すと声の方向へ駆け出す。
『狩場』に自分から入っておいて、出会った魔物にいちいち叫び声を上げる冒険者はいない。
とすれば、偶然迷い込んだ一般人か、知らずに森を抜けようとした旅人か。
どちらにせよ、助けられるなら助けよう。
今は情報を集める必要もあるからな。
「やだぁっ、来ないで! 誰か!」
草むらを飛び越え、木の根に足を取られないように走る。
急げ急げ。俺が着くまでどうか死なないでくれよ。
幸い、さっきかけた魔法の効果でスピードは通常よりも速い。すぐに到着するはずだ。
沈黙の外套の効果で音も出ないのでこちらに気づかれることもないだろう。
「……いた!」
10mほど先の草むらの奥に、魔物の後ろ姿が見える。
茶色い毛皮に覆われた、地球のそれより二回りも三回りも大きな猪。
「グランドボアか!」
グランドボアはキーラの森の王者と呼ばれている。生息数こそ少ないものの、この森では一番の強敵と言っていい。
硬く太い毛に覆われた皮膚は生半可な刃を通さず、打撃も分厚い脂肪に阻まれ効果が薄い。
更には火にも耐性がある。1トンを超える巨体にもかかわらず動きは驚くほど俊敏。その上巨大な二本の牙を持ち、貫かれれば人間の体などひとたまりもない。
中途半端な装備では傷一つつけられずに殺されるか、良くて追い返されるのがオチだ。
そんな相手に対してこっちの武器は果物ナイフ一本。
貧弱ってレベルじゃないが、まあいけるだろう。
巨体の影になっていて直接見えないが、グランドボアの向こうには悲鳴の主がいるはずだ。
動きが止まっているということは追いつめられたか。
早く助けないと手遅れになりかねない。
「丁度いい。肩慣らしといくか。覚悟しろよイノシシちゃん」
俺は闘争の予感に、笑みがこぼれる。
ナイフを構え戦闘態勢をとり、戦士として意識を切り替える。
さあ、こっちでの初戦闘だ。
気合入れていきますか。