堕天
天理久夜は、十八歳の成人を迎える者に課される、天理家にとって最も重要な儀式へと向かおうとしていた。
その儀式とは、己の武術の才を一族や権力者の前で示し、政治への参加を表明するためのものだ。
権力にも、天理家の伝統にも微塵も興味のない久夜にとって、それはどうでもいい行事に過ぎなかった。
だが、天理家という一族そのものを嫌悪している久夜にとって、一族と権力者どもが一堂に会するこの儀式は、ある意味で好都合でもあった。
久夜は自身の相棒である無数のダガーを確認し、演舞台へと上がっていく。
一度、深く息を吸い込み、彼は過去を思い返した。
久夜の最後の穏やかな記憶は、三歳頃にまで遡る。
かなりやんちゃな性格だった彼は、何かにつけて叱ってくるメイドに、玩具のナイフを額へと突きつけて遊んでいた。
その後も、ペンを投擲して家庭教師の後頭部に当てるなど、無茶な行いは続いた。
そんなある日、兄・日煌が公爵の爵位に就く宴が開かれることになった。
久夜はそこで、ダガーの技を披露することになった。
しかし、手を滑らせた一瞬の事故で、飛び出したダガーは日煌の額に深い傷を刻んだ。日煌は責めるどころかむしろ久夜の才能を喜んでくれたが、その場にいた来賓達によって天理家の次男はダガー使いであることが知れ渡った。
代々独自の武術を重んじてきた天理家にとって、銃や投擲武器は「弱者の手段」とされていた。
すぐに、一族の実権を握る長老が久夜を呼びつけ、刃物遊びをやめ、武術と政治に奉仕するための教育を受けるよう命じた。
確かに久夜は、武術においても学問においても才能を示し、次々と潜在能力を開花させた。
だが、決められた型に従う武術も、定められた答えをなぞる勉学も、彼にとっては耐え難く退屈なものだった。
彼は座学を抜け出し、自身の未知なる能力の覚醒や、得意分野を伸ばすための研究に没頭した。
その結果、久夜は音よりも速く動けるようになり、投擲技術を神域にまで高めることに成功する。
すべては長老に見透かされていた。
若き日煌は、出来損ないの弟を叱責する役目を命じられた。
久夜にとって、日煌は数少ない理解者だった。
しかし、部族の長として立つ日煌は、情を押し殺し、久夜を厳しく戒めた。
期待を裏切られた久夜は、かつて親しかった兄の面影に嘆く。
目の前にいる日煌公爵は、血と伝統に侵された、若き老害と化していた。
兄弟で食卓を囲んだ夜、久夜は問いかけた。
「天理家には、ダガー使いの武人はいちゃいけないのか?」
日煌は小さく息を吸い、静かに答えた。
「天に君臨する者として、時には趣味を隠し、他者に畏れられる存在でなければならない……」
久夜は、それ以上何も言わなかった。
思い返してみれば、良い思い出などほとんどない。
だが、それも今日で終わる。
天理家の成人の儀――それは、選ばれし闘士との実戦である。
演舞台の上に立つ久夜は、堂々たる佇まいで闘士と向き合っていた。
戦いの鐘が鳴ると同時に、闘士は常人離れした速度で迫り、剣を振り上げる。
その刹那だった。
久夜が放った二本のダガーが、闘士の両腕を削ぎ落とした。
天理家長老会に衝撃が走る。
久夜の操るダガーは、もはや刃物遊びの域を逸脱し、一つの完成された「技」となっていた。
呆然とする長老たちを横目に、久夜は観覧台へと跳び上がり、一本のダガーを天理家初代当主――天理赫天の彫像の額へ突き刺した。
「これがお前たちが信じた、赫天の言葉――
『敬愛より畏怖を』だ!」
怒号が会場に響く。
激昂した長老たちは武具を手に取り、「不届き者」へ裁きを下そうとした。
その時、沈黙を保っていた日煌が立ち上がる。
「現当主、天理日煌が告げる。
今より天理久夜を――破門とする」
雷鳴のような声が会場を支配し、空気は一変した。
長老たちは武具を置かざるを得なかった。
久夜はそれを聞くと、振り返ることなく歩き出した。
未来がどうなるかなど、考えたことはない。
ただ彼は、暗夜に沈みきった大地において、自身の力こそが闇を引き裂く刃になると自負していた。
――これは、久夜が天界から下界へ降りるまでの短い物語。




