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11.甘味料

 リーゼロッテが来てから一か月が経過した。


 リーゼロッテの元では、二百人の子供たちが暮らしている。

 彼女の提案を断る子供は、結局一人も出なかった。

 全員が共同生活を希望し、施術を望んだ。女性たちは子供を望み、その子供への施術も納得した。


 ドミニクが言うように、リーゼロッテに心囚われた人間は彼女の提案を断れなくなるのかもしれない。

 だが、囚われた人間の心を解放してあげる方法を彼女も知らず、感情を食べなければ彼女も死んでしまう。

 そんな彼らに自分たちの運命を判断させるのは彼女も気が引けたが、心が囚われる前では全てを恐れて拒絶するだけだ。


 自分が体験して初めて自分が生んだ子供たちに何が起きるかを理解できるし、その上で判断してもらうしかないと考えた。

 リーゼロッテにとれる、可能な限り誠実な対応だと判断している。



 さすがにリーゼロッテの自宅に全員は入らない。

 子供たち十人単位で別れて周囲の家屋に分散してもらった。

 リーゼロッテの自宅は食糧庫などの倉庫として扱われ、リーゼロッテとラフィーネ、ヴィクターの部屋だけがある。


 子供たちの実家からはその家族たちがやってきて、日々子供たちにこの国の家庭料理を教え込んでいる。

 家族たちも空き家屋に居場所を見つけ、住み着く者が多いようだった。



 当初とは見違えるほど見事な料理が朝食の食卓に並んだ。


 リーゼロッテとラフィーネは一緒になり、日替わりで順番に各家屋で食事をとる事になっていた

 子供たちが、自分たちの所で食べて欲しいと言い合った結果、順番に巡ることが決まったのだ。


 リーゼロッテは人間たちが幸せそうに食事をとる光景を眺めながら、紅茶の香りを楽しんでいる。


 この紅茶は配給品ではなく、ドミニクから譲ってもらったものだ。

 食材の謝礼と言って、ドミニクのところに茶葉を置いていく商人が居た。


 食肉の流通はまだ正常化していない。

 平民で肉を口にできるのは反魔族同盟の拠点に近い家庭や、そこまで食肉を求めに来る商人たちがほとんどだった。


 そういった商人の一人が、物々交換として茶葉を置いていくのだ。

 ドミニクたちはあまり紅茶を飲まないので、半分をリーゼロッテに譲り、彼女は子供たちと一緒に嗜んでいる。




 リーゼロッテは週のほとんどを狩りに使い、残りの時間で近い集落から魔族を殲滅していった。

 養う人間が増えたので、どうしても狩りに使う時間が増えてしまった。

 これは彼女にとって誤算である。


 今では根菜類などの野菜の配給も増えて、王都市民たちの食料事情はかなり改善した。

 食肉の流通が正常化すれば、リーゼロッテが狩りに出る必要もなくなるのだが、それにはもう少し時間が必要のようだ。

 王都とその近郊の家畜類は既に全滅しているので、野生種の捕獲から始める必要があった。

 家畜の飼料に回せる耕作力の余裕もないので、当分はお預けとなっている。



 明るい笑顔の婦人がリーゼロッテに笑顔を向けた。


「子供たちに家庭料理を教える日が来るだなんて、夢みたいな時間をありがとう!」


「私の方こそ、そうして技術や伝統を伝えてくれる人を大切に思ってるのよ。伝えられるだけの事を伝えてくれれば私はそれで満足。お礼なんて要らないわ」


「こうして食卓に満足な食事が並ぶなんて、二十年ぶりなのよ?

 お礼ぐらい言わせてよ。

 神魔大戦中から食糧事情が厳しくなって、私たちもあまりちゃんとした食事を知らずに育ってるの。

 だからこれだけ満足な食事は、本当に久しぶりなのよ」


「そう? それはよかったわ。

 人間もきちんと食べないと、数を増やす事なんてできないものね――

 まったく、それさえできなかった前任者の無能振りには呆れるばかりよ」


 婦人たちが苦笑を浮かべて笑い合っている。


「こうしていると、リズが魔族だってことを忘れてしまうわね。

 あなたがこの地方を治める魔族の執政官だなんて、今でも実感が湧かないわ」


「あら、私はあなたたちから愛しい子供を奪い取り、孫を魔族との合いの子にしてしまう忌まわしい存在よ?

 その子供たちも同じ目にあうわ。

 その説明は、あなたたちにもしているはずよ?」


「……そうでもしないと、人間が滅びの道を避けられない事は分かっているもの。

 子供たちの数が余りにも少なすぎるわ。

 なにもしなければ、百年もする頃には、王都も無人の街に代わっているんじゃないかしら」


「他の集落を正常化させるにしても、魔族を殲滅しただけでは人間たちの生活を立て直すのは難しいみたい。

 一度心を絶望で折られてしまった人たちを立ち直らせるのは、簡単ではないわね――

 あなたたちは、そういう意味で立ち直りが早い個体ね」


 婦人たちが微笑んで応える。


「私たち母親は、子供たちが楽しくて笑っているのが何よりの元気の素よ。

 まさかこんな時代に、子供たちにあんなに満ち足りた笑顔を見せてもらえるとは思わなかった。

 今も他の国では絶望に心を浸したまま、なんとか命を長らえている人たちが大勢いる。

 そんな人たちと比べれば、幸福を感じられるだけでも充分よ」



 リーゼロッテはラスタベルト王国、それも王都近郊の街しかまだ解放できていない。

 王都以外は機能回復なんてまだまだ先の話だ。

 王都以外で人間が満ち足りた笑顔を浮かべられる状況ではない。

 どの街も絶望に覆われ、リーゼロッテが長居していられる場所ではなかった。


 食料の配給をしたくても、道は荒れ放題で整備されておらず、運搬する人手も足りていなかった。

 今も魔族から解放されただけの街は、小さな畑から取れるわずかな収穫で何とか飢えを凌いでる状態だ。


 リーゼロッテは魔族殲滅の帰りに途中の集落の様子も覗いているが、一か月では目ぼしい変化がなかった。

 むしろ、無法者たちが蔓延り幅を利かせる為、彼女が衛兵がわりに低級眷属を置いているぐらいだ。

 その低級眷属の説明を受けていない集落の住民にとっては、まだ魔族から解放された実感を得る事の出来ない状態とも言える。


 毎日二百人の子供たちから愛を捧げられているリーゼロッテの魔力は日増しに増えており、解放した集落に低級眷属を何体か常設していってもまだまだ余力があった。

 だが主要な集落を全て解放した場合、余力を残す自信が彼女にはなかった。

 その頃には近場の街からも生贄を募らねば、それ以上手を広げるのが難しいだろう。


 だがこれ以上の受け入れに、リーゼロッテは疑問を感じ始めていた。


 住居の空きは余裕があるが、食材の仕入れで魔族殲滅の時間が削られる。

 早期に王都の食料事情を正常化しておく必要性を感じていた。



 婦人の一人が楽しそうに語り出す。


「主要な料理は教え終わったし、そろそろお菓子作りも教えてあげたいところね。

 甘味料があれば何か作れると思うんだけど」


「甘味料? 例えばどんなものになるの?」


「甘い果物とか、お砂糖、蜂蜜ね。

 そう言ったものはまだ街に出回っていないわ。

 今は麦と野菜を増産することに手一杯みたいだから、果物の生産が再開されるはもう少し後になりそう」



 ヴィクターが手の空いている王都市民を総動員して農業に従事させ、必死に今の人口を支えていた。

 豊穣の神の奇跡で少しずつ穀倉地帯や他の畑の実りも増えていたが、そろそろ人手が限界だった。

 それでもなんとか増産を続けなければ、他の集落への配給など望めない。


 ――他の集落の人間も、一時的に王都に呼ぶしかないのかな。


「お砂糖や蜂蜜はどうやって作るのかしら?」


「お砂糖は原料となる野菜があるの。

 蜂蜜は森の中にミツバチが作る巣の中にあるわ。

 北の森を魔族が瘴気で汚染してしまってからは手に入らなくなったみたい」


「わかったわ、甘味料も少し検討してみるわね。

 お菓子も文化の一つ、途絶えさせるわけにいかないものね!」





****


 リーゼロッテがヴィクターに他の集落の人間を連れてこれないか相談を持ち掛けてみたところ、彼もそれは検討中だと応えた。

 ただ、民衆を移動させるにも人手が必要なので、すぐには取り掛かれないのが課題だった。

 野盗があちこちに出没し、民衆だけで移動させるのは厳しい状況だ。


 リーゼロッテは野盗の対処にも頭を悩ませた。

 更生させられるなら貴重な人手に化ける。

 何より人命を無駄に潰すのを惜しんだ。


「殿下が心を虜にしてしまえば言う事を聞くのではありませんか?」


「え、私はそんな年を食った魂の感情なんて美味しくないもの、食べたくないわよ?」


「ですが、殺さずに改心させるにはそれが最も手っ取り早いでしょう」


 大前提で、巷に蔓延る野盗を収容する施設も人手も足りない。

 改心させずに王都で受け入れると治安悪化は免れず、それも容認できないとのことだった。


 さらに食料事情が改善したことで問題を起こす市民も出始めた。

 王都の兵士は治安維持に忙殺され、それが民衆移送の人手を奪う一因となっていた。



 リーゼロッテが深いため息をついた。


「あっちもこっちも人手が足りないのね……

 街道の野盗を何とかしないと商人が行き交う事も難しいし、流通の正常化を優先するなら盗賊たちの命は諦めるしかないかしら……」


「殿下が盗賊たちの命を見捨てることが出来るなら、手はあります」


 リーゼロッテが王宮の役人を連れ、隣町から民衆を護送してくる、というプランだ。

 役人たちには民衆を説得してもらい、道中の安全をリーゼロッテが守る。



「え? 手が空いてる人間は全員農業に従事させてるんじゃなかったの?」


 ヴィクターが薄く微笑みを浮かべた。


「貴族階級は農業に従事する事を拒否しました。

 それはそれで使い道があるかと思い、今は容認しています。

 つまり、こういう時の為ですね」


 ――どんだけ働きたくないの……。


 リーゼロッテは呆れていたが、すぐに頭を切り替えた。


「わかったわ、明日でも構わないから、なるだけ早いうちにその手配をしておいて頂戴。

 優先度は高くしておいて」


「畏まりました。

 住居の手配と同時に、護送に同行する役人と兵士の手配をしておきます」





****


 リーゼロッテはドミニクから蜂蜜の採集についてレクチャーを受けていた。


 天然の蜂蜜を採取するには相応の道具が必要だ、という話だ。

 それを用意できないと、命懸けの危険な作業となる。


「危ないって具体的にはどういう事なの?」


「毒を持った蜂に刺されると人間は最悪死ぬことがある。

 刺されないように身体を保護する道具が必要だが、俺の手元にはない」


「なんだ、『人間には』危ないのね。

 毒を持った生物なんて魔族は怖くないわ。

 それなら私が採取すれば、蜂蜜を持ち帰れそうね」


「ああまぁ、確かに蜂に刺されて死んだ魔族の話なんて聞いたことないしな……

 採取の仕方は簡単だ。

 巣を砕いて、中の蜜だけを瓶に落としてやればいい」





 リーゼロッテはドミニクたちを連れて、アンミッシュの森に向かった。

 彼らはいつも通り、鹿や猪を狩っている。

 リーゼロッテはその間に、彼らから離れてミツバチの巣を探した。


 蜂の反応はかなり多い。

 巣の数も多くて数えきれない。

 人間の足が途絶えて十年以上が経過し、この森はすっかり野生生物の楽園になっていた。

 探査術式でミツバチの巣を探り当てては蜂蜜を採取していった。


 リーゼロッテが持ってきた瓶は五つ。その全てを満たすまで蜂蜜を集めた。

 ミツバチを殺さないよう気を付けつつドミニクたちと合流した。




 彼らは目を見開いて驚き、生唾を飲み込んでいた。

 強烈な羨望の感情に、リーゼロッテが思わずたじろぐ程だ。


「本当に蜂蜜を採取してきたのか……

 器用だな、あんた。

 そんな嗜好品を見るのなんて、十数年ぶりだ」


「そんなに欲しいなら一瓶分けてあげるわ。

 いつもお世話になってるお礼よ」


 ドミニクが苦笑する。


「狩場まで連れて来てもらって、獲物の運搬までしてもらってる。

 世話になってるのは俺たちの方だ」


「じゃあ、労働の労いって事で受け取っておいて頂戴。

 正しく働いた者には報いがあるべきよ。

 あなたたちはとてもよく働いていると思うわ」


 ドミニクが微笑んで頷いた。


「それなら有難く頂いておこう――

 だが、反魔族同盟の俺たちと共に、魔族のあんたが王都の人間の為に身を粉にして働いている。

 複雑な気分だ」


 ドミニクは感慨深そうに語った。

 確かに、魔族と反魔族同盟が一緒になって、というのは中々不思議な状況だろう。


「私は人間の文化を次の世代にきちんと受け継いでほしいだけよ。

 数だけを維持しても文化が失われたら、そこに価値なんてないと思ってるの。

 その為に必要な事をしてるだけよ」


 ただ数だけ揃える――それこそ家畜の扱いだ。

 リーゼロッテは人間の増産には納得したけれど、家畜の扱いに納得してはいなかった。


 魔王が直轄する魔王城では不可避だったが、彼女の直轄地でそれを許す気はなかった。

 例え人間が事実上の家畜だったとしても、彼らには人間として在ってほしいと願っていた。

 人間を人間足らしめているもの、それこそが文化だ、というのがリーゼロッテの持論だ。



 ドミニクさんが肩をすくめた。


「その姿勢を、人間の王侯貴族たちにも真似してもらいたいもんだ」


「あら、私は人間の感情を文字通り食い物にする魔族よ?

 その姿勢なら真似するまでもなく体現してるんじゃない? あの人たち」


 確かに、平民を食い物にして貴族がのさばっている状態とは言える。


 リーゼロッテが声を上げる。


「さぁ、王都に帰るわよ!

 甘味料を待ち望んでる人たちがこれを見たら、どれだけ喜んでくれるかしらね!」


 リーゼロッテたちを乗せたミネルヴァが、白銀の流星となって王都に飛び立っていった。


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