11/9
長めです
私は朝早くに学校に来ていた。
今の時間に学校に来る人は殆どいないだろう。それでもここにこうしているのは、砺波さんのことを知るためだ。
羽合くんの言っていた言葉を確かめたい。
—石狩が好きなら気を付けてやれよ。何考えてんだから知らんが、ここんところやたら仲良くしてるし絶対ロクでもねえこと考えてるぞー……
羽合くんが私をまたからかっている可能性は大いにある。
だが、確かに彼女の行動は腑に落ちない。そもそも砺波さんは誰かと積極的に仲良くなるタイプじゃないのだ。誰とでも満遍なく仲良くなる、広く浅くの交友関係。それがどうしてここに来て急に石狩くんと仲良くするのか。
彼女の言う通り石狩くんを好きになったというのなら、何故彼女はお昼しか石狩くんと一緒にいないのだろう。
昨日も2人は一緒に帰るのかと思っていたが校門手前で分かれていた。2人とも電車通学なのにも関わらず、だ。
朝も砺波さんは挨拶は交わすが石狩くんと一緒にいようとはしない。そのくせお昼だけは一緒にいる。
砺波さんが今朝早くに学校に来ることは羽合くんから聞いていた。
彼も何がしたいのか分からないが、彼の話に乗ることにし、ここに来た。
羽合くんによると砺波さんは体育館の横のちょっとした休憩スペースに来るらしい。
私は自動販売機の陰に隠れた。
「先輩、待ってましたよ」
砺波さんの声だ。先輩、と呼ばれた坊主頭の男子生徒はどこか思い詰めた顔をしていた。
「砺波……もう許してくれ。俺は、お前にテストの問題を盗んでまで渡しただろ? 」
「ああ、お陰で良い点が取れました。ありがとう。
でも先輩、物理のテストはくれなかったじゃないですか」
「そんな、全教科は無理だ……! 」
「ハア? 何舐めたこと言ってんだよ」
砺波さんの口調が急に変わる。
「そもそもお前が万引きしなけりゃ良かっただけだろ? お前の犯罪を誰が隠してやった? 私だろ? 私が、店の人に誤解だって言ってやったからお前はこうしてここにいる。違うか? 」
「それは……」
「きちんと働けよ役立たず。
次のテストの問題も撮ってこい」
「だが、もう無理だ! 先生に怪しまれてる……! 」
「これで盗みの練習しとけって。そしたら次の万引きは私みたいなのに見つからないで済むかもなあ」
……どういうこと。
砺波さんは、この先輩にテストの問題を盗ませていた?
彼女はゲラゲラと下品な笑い声を上げる。
「もういい! もう俺は自首する! 」
坊主頭の先輩がそう叫ぶと、砺波さんは思い切り彼のお腹を蹴り上げた。
「どいつもこいつも役に立たねえな!
言っとくけどな、お前の弱味は万引きだけじゃねえだろ? カツアゲもして、飲酒運転もしてたよな。優等生の皮被って恐ろしい奴!
万引きだけでもヤバいのに、カツアゲ、飲酒運転とあったら……なあ、お前の家って結構良いとこなんだろ? 息子のせいで斜陽になるとは。かわいそうにな! 」
そう言いながら砺波さんは何度も先輩を蹴りつける。
怖い。これが本当に砺波さん……?
羽合くんの言っていたことが分かった。石狩くんが危ない。
きっと彼も何かに利用するつもりなんだ。
*
「砺波さん、少し良いかな」
「ん? どうかしたの? 」
朝、何食わぬ顔で教室に入ってきた砺波さんに声を掛ける。
先程までのチンピラのような姿は微塵にも感じさせない。いつもの優しくて明るい砺波さんだ。
「石狩くんと一緒にいるのはどうして? 」
私の質問に面食らったように砺波さんは苦笑する。
「どうしてって、言ったじゃない。好きだからだよ」
「……お昼しか一緒にいないよね。他の時間は話そうとしてない」
「ああ、それは讃岐さんに遠慮してただけだよ。讃岐さんが石狩くんのこともしかしたら好きなのかなって。でも違うんだよね。なら今後はお昼以外も仲良くさせてもらうよ」
そう言われればそうなのかもしれない。
だが、彼女のあんな姿を見た後ではいそうですかと納得など出来なかった。
「この間は嘘をついたの。私も石狩くんが好き」
砺波さんの目が僅かに見開かれる。
「……え? でも、讃岐さんって、出水先輩と付き合ってるんだよね……? 」
「違う。出水先輩とは全然、そういうんじゃないから。
私が好きなのは石狩くんだけ。
だから……石狩くんに何かしようとするなら私は絶対阻止する」
砺波さんは、暫く私を見つめていた。まるで鳥のような、魚のような、ただ視ているだけのなんの感情もない目だった。
それから唇を歪ませると態度が一変した。
「何かって? 何すると思うわけ? 」
「て、テストのために利用しようとしてる? 分かんないけど、けど、傷付けようとしてるでしょ」
「んー……。そうだね、傷付けてるよ。現在進行形でね」
「なっ……! やめてよ! なんでそんなことするの! 」
「なんでってお前にゃ関係ないよね」
「ある! 石狩くんのこと、好きな人のこと傷付けられて関係なくなんかない! 」
「え」
え、と言ったのは砺波さんじゃない。
……じゃあ誰だ。
嫌な予感がした。そして私の嫌な予感は大体当たる。
顔を上げると目線の先に教室のドアを開ける石狩くんがいた。
「……え? 」
「…………おはよう…………」
「おは、よう」
彼はぼーっと私を見ていたが突然顔を真っ赤にした。
やはり聞かれていたのだ。私の顔も赤くなる。
「……ごめん、俺……。出てる」
「い、いや、私の方こそごめん」
「あ、やまらないで、いいから」
そうは言われても。石狩くんからしたら私は過去の人なわけで。
そんな人から好きと言われても今更何言ってるんだと思うだろう。
なんとも言えない沈黙が流れた。
だが、その沈黙を低い、地を這うような声が壊した。
「……なんでこのタイミングで……」
砺波さんが顔を歪ませて石狩くんを睨んでいた。
いつも向けていたあの明るい笑顔ではない。
「くだらねえなあ! 何が好きな人だ! 笑わせんじゃねえ」
「と、砺波さん? 」
「笑わせてない」
石狩くんは至って冷静だ。まるで彼女の本性を分かっていたかのように。
「なんだよ、お前……クソ! 全部無駄にしやがって! なんでこんな早くに学校に来るんだよ! 」
「それは……まあ。いいじゃん」
「良くねえよクソが! 」
怖い。いつもの清廉な砺波さんに戻って欲しい。清めの塩でも撒くべきだろうか。
「砺波さん、落ち着いて」
「これが落ち着いてられっかよ! ああーッ! お前を今度こそ一位の座から引き摺り下ろしてやろうと思ったのに、お前を最悪な気持ちにさせてやろうと思ったのに! 」
「この間まで割と最悪だったけど……ごめん。今は最高」
「ふざけんじゃねぇよ!」
今にも石狩くんに殴りかかりそうだったので、私は慌てて砺波さんの腕を掴んだ。物凄い筋肉。
「お、お、落ち着いて!
あの、一位の座から引き摺り下ろすって、どういうこと? 」
「私はな、こいつが何より大っ嫌いなんだよ! こいつさえいなけりゃ私が学校で一位になれるのに! 全国模試も一位!? 糞食らえだ! 」
砺波さんは大きく息を吸い、それから彼女を掴む私の腕を引き剥がした。
「石狩が邪魔なんだよ。わかるだろ」
「そもそも石狩くんは全国模試受けてないし……」
「そうだとしても、学年一位だろ。努力もしてない、夢があるわけでもないのに、なんでこいつが! こんな奴が! 」
「ズルして一位になって何の意味があるの? 砺波さんが姑息な手段を使って一位になったところで石狩くんが砺波さんよりも成績が上なのは変わらないよ」
「変わるさ! 実際がどうであれ記録には私が一位と残るんだから」
私は唖然とした。
そんなことのために、あの坊主頭の先輩を脅していた?
「な、なんでそんな……。怖いよ。
……待って、ならなんで私に対して石狩くんが好きって言ったの? 」
「……お前はどうか分からなかったけど、石狩は讃岐のことが好きなんだって分かったから。私が石狩のこと好きって言えば讃岐は私に遠慮して関わらなくなるだろう? そうしたら石狩はショックを受けるだろうと……」
「い、石狩くんは、砺波さんのことが好きなんじゃ……」
「まさか」
「気付いてないの? アイツ讃岐のこと春からずっと好きだよ」
「え? 」
私が石狩くんを見ると彼はパッと目を逸らした。
……春から?
「ずっと……? 」
「そうだよ。あんなあからさまなのに気付かなかったのか? 」
石狩くんいつも無表情だし……。
「い、石狩くんは、私のこと……その……」
「待って。その前に俺砺波さんのこと好きじゃない」
「へ? あ、そっか。
ごめんなさい、砺波さんといる時の石狩くん楽しそうだったから……」
「それは砺波さんが」
石狩くんは言葉を切って砺波さんを見た。彼女は般若のごとき形相で石狩くんを睨んでいる。
「……前に見たんだよ。砺波さんが羽合の知り合いを殴ってるところ。
砺波さんが荒れてることは知ってて、でも最近話しかけて来る砺波さんは随分落ち着いて見えたから更生したんだと思った。良かったなって……まあ、実際は何も変わってなかったけど」
「なんだ……条の父親シめてるところ見られてたのか」
「条? 」
「羽合だよ。羽合 条。クラスメイトなんだから名前くらい覚えてやれ」
「いや……知ってるよ。そうじゃなくて、名前で呼ぶ仲なの? 」
「幼馴染みたいなもんだ。仲良くはない」
なるほど、と私は頷いた。父親に暴力を振るわれていたらそりゃ、こうやって砺波さんの正体を知らしめたくもなる。
羽合くんの目的はそれだったのか。
「なんでお父さんを……」
「ああ? いいんだよ、あのクソ親父。最初に条に手出したのはあいつだ。それが跳ね返ってきた……因果応報だな」
「……? 羽合くんのために、お父さんをその、殴ったの? 」
「そうだよ。文句あんのか」
「無いです……けど、ならどうして羽合くんは私に対して警告したんだろう……」
「警告? 条がなんか言ったのか……だから讃岐は鈍いくせに矢鱈と追求してきたんだな。
あいつ最近おかしいからな。私のこと避けてるみてえだし。
なんか考えがあってのことだろうけど」
「砺波さんの考えは」
「邪魔な奴は殺す」
怖すぎる。私とは違う……いや、普通とは違うルールで彼女は生きている。何故こんなマッドマックスな人が目の前にいるのかそれすらも分からなくなってきた。
「話を整理させて欲しいんだけど」
石狩くんは砺波さんの言動をまるで気にしていないかのように席に座る。
「砺波さんは俺を蹴落とすために讃岐さんを脅してた? 」
「違う。あのな、私は気に食わない奴はとことん潰すけどそうじゃない奴には優しいんだぞ?
讃岐は可愛いし、成績も低いから気に入ってるんだ」
その割には暴言吐かれた気がする。
「だから脅してなんかない。
讃岐に私がお前のこと好きだから協力してって言ったら離れていったんだ。空気を読んだんだろうな」
「なんでそんな……俺は、……。まあいい。
少し讃岐さんと2人で話したいんだけど」
「させるか! この後の展開は誰だって想像つく! 」
そう言われて私は耳まで熱くなった。慌てて手で顔を隠す。
そうだ。私結局石狩くんと両想いだ。
「……石狩、讃岐のこと見過ぎだ。
なんで讃岐も石狩のことなんか好きになるかなー……」
砺波さんが仰け反った時だった。
廊下からパタパタという足音がして、それから勢いよく教室のドアが開いた。
「讃岐っ! 生きてるか!? 」
「羽合くん! 」
「よ、良かった! 命はあったか! 耳と鼻は……無事だな! 腕はくっついてるか!? 足は!? フウ……元気そうだな……」
羽合くんは不穏なことを言った後にニコリと笑って砺波さんを見た。
「良かったよ。まだ殺してないみたいで」
「人を殺人鬼みたいに……。何の用だ」
「おうおう、お前がご機嫌斜めになってると思って甘いもの持ってきたんだ」
彼はカバンから大量のチョコやキャラメルやクッキーを取り出すと砺波さんに押し付けた。
「甘いもの食べれば機嫌が直るから」
「え、と、その、なんで来たの? 」
「砺波が石狩に何かしでかすのはわかってたからさ。石狩がどうなろうと構わないけど、もし讃岐が石狩のこと好きなら可哀想だなと思って讃岐に教えたは良いけど、あんた鈍臭いだろ? もしかしたら逆上させて殺されてると思って心配になったんだよ」
砺波さんのことなんだと思ってるんだろう。さすがに人殺しなんか、しない、よね?
彼女は大量のお菓子を丸呑みするかのように食べている。
少なくとも今のところは暴飲暴食モンスター程度だ。
「心配になるくらいなら讃岐さんを巻き込むなよ」
「石狩……よく生きてたなあ。
ほら、砺波。もう行こうぜ。俺たちお邪魔だよ」
「分かってるよそんなことは。でも邪魔しとくべきだと思わない? 」
「空気読めって。お前はもう負けたんだよ。……学年一位は諦めようぜ。
全国模試は次頑張ればいいし。な? 」
「ハア。お前なあ……なんのためにやってると思うの?
……まあ……今回は諦めるしかない……」
砺波さんはすっかり落ち着いた様子で荷物を抱え教室から出て行った。その後を羽合くんがついていく。
甘いものを食べると機嫌が直るというのは本当らしい。
2人、教室に残された私たちは顔を見合わせる。
「色々話したいことがあるんだけど」
「ひゃい! 」
「……俺って怖い? 」
石狩くんは少し悲しげだ。私は慌てて首を振る。
「ちが、くて、緊張してて……」
「なんで? 」
「へ、変なこと言って嫌われたくない……」
彼は黙って私を見ていた。表情から思考は伺えない。何を考えているのだろう。
「あ、の……」
「嫌わないから、怯えないで」
私は黙って彼の顔を見つめた。
石狩くんはいつもの無表情だ。だけどもしかしたら私がビクビクしていたせいで彼のことを傷付けていたのかもしれない。
心の声が聞こえないから分からない。
「……ごめんなさい」
「謝るのはもういい。讃岐さんって悪いことしてないのにすぐに謝るよね」
そう言うと彼は立ち上がって私の指先を軽く掴んだ。掴む、というか摘むという方が正しいかもしれない。それくらいささやかな接触だった。
「俺、あんまり話すの好きじゃないんだ。特に自分の気持ちとか、そういうの。だから誤解されやすいみたいなんだよね。
でも今俺は怒ってないし、悲しんでもない。むしろすごく……嬉しい。讃岐さんが俺のことを好きって言ってくれて本当に……」
「……石狩くんの期待に応えられないし、忠告も聞けない、どこも良いところが無いのにどうして私なんかを」
「……? 期待……? テストのこと? 」
「そう。悪い点数だった」
「焦ってたもんね。そういう時は良い結果が出にくい。けど別に俺は讃岐さんに良い点数取ってほしいとは思ってない。讃岐さんに悩んで欲しくなかっただけ……力になりたかった」
彼はそう言うと悲しげに目を伏せた。
「ごめん。力になれなくて」
「そんな! 違うよ! 石狩くんは私の力になってくれた……」
「……そう? 例えば? 」
「私を助けようとしてくれた。それがすごく……嬉しかったの」
おずおずと石狩くんが私を見た。私はその仕草に思わず笑う。
「嬉しかった。ありがとう」
「それで言うなら、俺は君を助けきれなかった」
「ううん。結果が全てじゃない。過程が……」
石狩くんが私を好いてくれて、助けようとしてくれて。あの温かな気持ちに触れられたことが嬉しかった。
「……そう……」
彼は微かに微笑んだ。柔らかな日差しのように優しく穏やかな笑みだった。
「……石狩くんは、私といるときはあんまり……笑わないよね。砺波さんといる時はニコニコしてるのに」
「そ、それは、讃岐さんといるとニヤニヤしそうになるから堪えてて……。でも別に砺波さんといるから笑ってるわけじゃない」
ニヤニヤを堪えている……? この無表情はそういう意味だったのか。
しかし、全く顔に出ないものである。まさにポーカーフェイス。
「讃岐さんはあまり自分に自信がないみたいだけど、俺からしたら讃岐さんは……魅力的だよ。優しいし、か、可愛いし。
その……讃岐さんといると……あまりの可愛さについ、ニヤケてしまうことがあって。気持ち悪がられたら嫌だから隠そうとしてたんだ」
顔が熱い。面と向かって可愛いと言われたのは初めてだ。
「そ、そうなんだ? でも私そんな可愛くないから落ち着いて……」
「いや、そんなことない。
だから……出水先輩も讃岐さんのこと好きなんじゃないかと。それから讃岐さんも先輩のことを好きなのかなって。だから再婚が嫌なのかと」
急に出水先輩の名前が出て驚く。
何故彼が?
「そんなことあり得ないよ」
「そう?
先輩は話しててあまり捉えどころがないから分からないけど……先輩が、2人は付き合ってるのって聞かれたとき、そうだったらきっと良いんだろうねって言ってたから……先輩は讃岐さんのこと好きだと思う。
讃岐さんが変質者に遭遇した時だって……いや、これは俺が勝手に嫉妬してるだけだ」
彼はそう言って息をゆっくり吐き出した。
「嫉妬……? 」
「……讃岐さんが変質者に遭遇したって聞いて、それを助けたのが出水先輩って聞いて……すごく嫌な気分になった。讃岐さんが俺の忠告を聞かなかったこともだけど、讃岐さんが困ってる時に助けられる人になりたかったのに、それは俺じゃなかった。出水先輩だった。風邪で倒れた時だって、俺は何も……。いつだって出水先輩が讃岐さんを助けてる」
彼は苦しげだった。
「それは偶々……」
「先輩はいつも讃岐さんのことを気にかけている。それは好意の表れじゃないか?
……あの人は目障りで妬ましい」
「絶対違うよ」
「……どうしてそう思うの」
石狩くんは苦しそうな顔から不思議そうな顔になった。
私がこうもはっきりと言い切れることが不思議なようだ。
「同じ学校の生徒が兄妹になるんだ。家でも学校でも接点は増える。好きになる可能性は低くないよね? 」
「そうかな……」
「違う人も勿論いると思うけど、先輩はそうなんじゃないかって話。
じゃなきゃあんなに気にかけない」
「そ、れは……違う」
「なぜ言い切れる? 」
「だって」
だって、私と先輩は。
石狩くんを見つめる。不安そうな目だった。
先輩が私を好きで、そして逆もあり得ると本気で思っているのだ。
私が好きなのは石狩くんだ。そして先輩が好きなのは—。
「……お兄さんじゃなくて、お父さんになるから」
「……え? 」
「お母さんの再婚相手は、出水先輩なの」
私たちは家族になる。
お母さんの新しい再婚相手は出水先輩だ。
出水先輩は私の新しいお父さん。
先輩は私という義理の娘が邪魔で仕方がない。ライオンと同じだ。昔の男の子供を消し、自分との間の子供を作りたい。
だから先輩は私が独り立ちできるように気にかける。私と仲良くもしておく……母が私と先輩の仲が悪いと心配するから。
だが反対に母は先輩と仲のいい私に嫉妬した。歳は私の方が近いのだ。私と何かしらの事が起こってもおかしくないと思っている。
そして……先輩のお父さん、出水伊鶴さんはこの結婚に反対している。
せめて私が先輩と結婚するのなら受け入れられた。せめて私が義理の娘なら受け入れられた。
だが現実では私は彼の孫になる。
そして私もこの結婚に反対だ。
出水先輩と母の年の差が開いていること、これは最早何も言わない。
だが先輩は高校生なのだ。私と歳が変わらないのだ。
きっかけは母のパート先のカフェに先輩がお客さんとして来ていたことらしい。その後学校で再会し……。
いやそんなことはどうだっていい。
相手が未成年だと分かった時点で母は身を引くべきだった。
例え18になったら結婚できるとはいえ、高校生と結婚するだなんて。
それも、私の通う学校の生徒だなんて。
だが母と出水先輩は深く愛し合っている。
かなりの頻度で我が家に訪れてはこちらが恥ずかしくなるほどのバカップルぷりを見せつけられている。
二人の聞くに耐えないラブラブな、あなたたちフランス人?というほどの会話が漏れ聞こえるから私は家で勉強が出来ない。
—……お前も大変だよなあ。きょうだいが出来るのは中々楽しいもんだけど
楡の言葉がふと思い出される。
せめて兄妹なら。先輩を好きになれずとも表面上は仲良くすることはできたかもしれない。
だが父親なんてのはもってのほかだ。
「お父さん……」
石狩くんは呆然としたように呟いた。
そりゃそうだ。どんな家族だって話である。
「……石狩くんが、私と先輩が兄妹になるって勘違いしてるのには気付いてたけど……訂正、しにくくて……」
「そうだろうな……」
「ごめんなさい……。
……気持ち悪い……よね……」
「気持ち悪くは! ないけど、ただ……」
彼の眉が下がる。
私の顔を覗き込む。
「……讃岐さんは、辛くない? 」
思わず石狩くんに縋り付きたくなった。
辛い。
母との対話は平行線に終わり、先輩は私を追い出そうと露骨にあの手この手で責めてくるし、伊鶴おじさんは心労からどんどん痩せていくし、周りの生徒たちは私が先輩となんらかの関係であると邪推して疎む。
誰も頼れない。
「……辛いよ……私、こんなの嫌だし。お父さんは私にとって一人だけ……出水先輩じゃない。
でも最終的にはお母さんと出水先輩の人生だから、好きにさせるべきなのかもとも思うし……」
「そうだよなあ……。
一緒に、讃岐さんが辛くない方法考えよう。
落とし所があるはずだから……ね? 」
「……うん……」
彼はそっと私の手を握った。私はその手を握り返す。
温かい手だった。




