第5章③
スパーズがJ1昇格を決めたことにより、浅川の選択は二つに絞られた。
一つは来シーズンも引き続きマッドスターズに残留する道だ。
代理人を介し、クラブサイドと浅川サイドの希望のすり合わせが行われた結果、二年契約に年俸二十万程のアップ査定が提示されていた。
これに不満が無いといえば嘘になるが、A契約になったばかりの選手は、年俸を無制限に吊り上げることは出来ないという決まりがあるらしい。二桁ゴールを決めたとはいえ、今季の後半戦以外はほぼ戦力になっていないし、チームも成績振るわずJ2のままだから、致し方ない部分とも言える。
実際、オファーをくれた別のJ2クラブからの評価も、それと同等か若干良いくらいだったから、それぐらいであれば、まあ無理に移籍する必要はないだろうと結論付けていた。
一方で、J1昇格を果たしたスパーズからの提示はというと、二年契約に加え、年俸は現在よりも六十万近くアップするものだった。
つまり単純計算で、両クラブの間には約四十万の金額差が出ることになるわけだ。
年間四十万円の違いなんて、プロ野球選手なんかにとっては微々たるものかもしれないが、国内でプレーするサッカー選手にとっては、充分に大きな差だと言える。
しかもスパーズからのオファーの魅力はそれだけではない。金銭面はもちろんだが、やはり前述したとおり、J1でプレー出来るというのは非常に大きいわけだ。当然、トップリーグでは降格最有力なクラブのカテゴリに入るだろうが、ステップアップとしては申し分ない。過去にはタイトルも獲得していて、日本代表選手も輩出している。消滅の危機があったとはいえ、輝かしい歴史のあるクラブには違いないし、あわよくば、自分もそこに続けるのではないかという思いも出てくる。
そこ、というのはつまり、侍ブルー……『日本代表』の地位である。
子供でも大人でも、アマチュアであろうがプロであろが、サッカー好きな日本人であれば誰もが憧れる、あの澄んだ海のような青いユニフォーム。左胸に燦然と輝く日本国旗とヤタガラスのエンブレムは、歴代のレジェンドたちが繋いできた、まさに伝統と格式の塊であると言えるだろう。
浅川はこれまでアンダーの代表にさえ選ばれた経験もない、ただの一無名プレイヤーだったため、日本代表のユニフォームを着るなど、夢のまた夢だったし、そんなことを考えること自体、おこがましいとも思っていた。しかし今はその可能性が、僅かかもしれないが、出てきていることを感じていた。
だったら、そのチャンスを掴むためにも、上のステージでチャレンジしてみるべきではないかと思うのは当然の思考と言えた。たとえそこで跳ね返されたとしても、自らにとって大きな経験になることは間違いないだろう。
だが浅川には気がかりな部分もあり、それによって、まだ決断出来ないままでいたのだった。
そうこうしているうちに、イルミネーションで彩られたクリスマスも気がついたら過ぎていて、街は早、年末の年越しモードに変遷していた。百貨店やスーパー、コンビニのウィンドに張られていたケーキのポスターは、おせちのソレに変わり、カラフルな電飾で飾られたクリスマスツリーやリース、赤白の大きな靴下なんかは、厳格然とした、しめ縄や門松、鏡餅にすげ替えられている。メリークリスマスと笑顔を見せていた店員たちも、洋を象徴するサンタコスを和のはっぴにチェンジし、せわしなくカゴ一杯に買い物をする大勢の来店客を分刻みで捌いていた。
そんな年末の慌しさが起因しているのかどうか、というのは分からないが……この頃になると、スポーツ紙が関係者からの話として、浅川に届いているスパーズからの移籍話を非常に小さくではあるが、新聞の片隅に載せ始めた。
記事の内容を確認したところ、スパーズへ移籍する可能性が高いことを示唆するニュアンスになっていたが、浅川としてはまだ決めかねていて、勝手なことを書くなあ……という感じだった。
だいたい、こういうニュースはどこから漏れるのだろうかということは、浅川も学生時代から不思議に思っていたが……どこにでもコネクションというものはあるということなのだろう。人と人が繋がる以上、そこには『ここだけの話だよ』というような前置きと共に、無数の情報が行き来するのだ。そしてそれが、プライベートと称した異性との酒の席やパーティー、あるいは年末の油断からポロッと出てしまうのだ……と思う。結局、どうやったって人の口にパスワードは掛けられないわけだから……。
そういった内部情報は、互いが何かを得るためのカードとして使われたりしているのかもしれないが、浅川には知らぬことだ。メシの種にされて面白くない気持ちもあるが、片端から疑いを掛けて、誰が漏らしたのか? などという犯人探しは色々な関係性を悪くしかねない行為だし、そんなことに労力を割きたくもないと思っていた。
しかしこのことによって、浅川の周辺が若干だが慌しくなったのは確かと言えよう。
忘れた私物を取りに年末休業前のクラブハウスに行けば、駐車場で待ち構えていたスポーツ担当の記者が、挨拶ついでに「で、どうなんですか?」と質問をしてくるし、偶然顔を合わせたスタッフやチームメイトからは、心なしか気を遣われている感じがして、少し気まずかった。
注目してくれるというのは悪い気分ではないが、妙な圧力というか、早く決断しろと急かされているような気もして、記事が出てからの数日間は、余計に落ち着かない日々を過ごすはめになってしまった。
ただそれでも、こういう話は、年を越す前にハッキリさせておくほうがそれぞれのチームにとって良いことは間違いない。いつまでも先延ばしにしてしまうと、それだけ両チームの戦力確保に悪影響を及ぼして、いらぬ軋轢を生んでしまうし、なにより自分自身にとっても晴れやかな気持ちで新年を迎えられない。この選択は、近いウチに結論をつけようと考えていた。
そうして、日にちにして約一ヶ月間の熟考を重ねた結果……。大晦日を前日に控えた十二月の三十日のことだった。
浅川は代理人を介し、クラブの強化担当者へ、返答のための連絡を繋いでもらった。




