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第1章⑯、対マジカル大阪、その四

『ゴオオオオオオオオオオォーーーーールッッ!』


 アナウンスが響き渡ると同時に、スローモーションのような状態が色彩と共に元へ戻り、監督、控え選手、コーチ、スタッフ、そして会場のホームサポーターが一斉に沸いた。

「え、あ、あれ――き、決まった、のか?」

 当事者でありながら、まだ信じられないという、きょとんとした表情で立ち尽くす浅川に、チームメイトが飛び掛かってくる。

「おっしゃあああっ! よく決めたぜ、仁っ!」

「ナイスゴールじゃねーか!」

「まだまだ行けるぞ! もう1点もう1点!」

「う、うす……!」

 浅川はハイタッチを交わし、笑みで応える。けれど、心の中ではまだ動揺していた。

 ――いったい、何がどうなってるんだ?

 よく分からないが、今のが、ガムの効果、ということなのだろうか?

 ――いや、しかしそんなことが現実に……?

 頭の中を整理出来ていないまま、マジカル大阪側のボールで試合が再開されてしまう。

 後半45分が過ぎて、ロスタイムの掲示は3分……。

 浅川の混乱など知るよしもなく、両チームの攻防がラストスパートをかけるように激しくなっていた。

 とにかく、まだ試合は終わっていない……。今は、もう1点決めることだけに集中しなければ。

 ゲームは、選手同士の距離が間延びしたピッチを、ボールが行き交うカウンターの応酬。

 浅川はその動きを注視しながら、チャンスが来ることを信じ、前線に位置を取る。すると、

「いやあ、さっきは油断したよ……。もしかして初ゴール? おめでとう」

 マンマークにつく沢中が、肩越しにボソリと話しかけて来た。かと思えば、声色がドスの効いたものに一変する。

「でも、調子に乗らないほうがいいぜ。ビギナーズラックはもう終わりだ」

 浅川はその言葉を無視して口を動かし、ガムをひたすら咀嚼そしゃくする。香りの強いグレープのような味を舌に感じると、再び、視界に映る色が白黒に変わり、スローモーションへ変化する。

 それと同時に、やはり、この現象はガムの効果なのだと確信する。決して、『ラック』なんかじゃない。

「こっちだ!」

 浅川は一度下がって受けようと考え、味方のパスコースに顔を出すと、センターサークル上で手を挙げてアピールする。そこで一瞬目が合ったCBの熊沢から、フィードが飛んできた。

 ――ギリギリ、届くか?

 やや高めに迫ってくるボールに対して、浅川の選択はバックヘッド。もう一人のFW、近藤の傍へ落とそうとジャンプするが――、その両肩を押さえ込むように、沢中が上から圧し掛かってくる。

 まるで背後から巨大なヒグマでも覆い被さって来たかのような衝撃。なすすべなくピッチへ潰れた浅川だったが、傍でしっかり見ていた審判が笛を吹き、ここは相手のファールを取ることに成功する。

 気のせいかもしれないが、ゴールを決めたことで、何か、審判の判定までもが好転したような印象だった。

「ちっ」

 沢中が舌打ちを残して最終ラインまで下がれば、浅川も素早く起き上がり、逆にそれを追いかけるかのごとく、相手陣内の深い場所へポジションを取る。

 時間は、すでにロスタイムの2分を経過。

 これがラストのプレーになるかもしれない。浅川はガムを噛むペースを上げる。

 ゲームが止まっている間に、マッドスターズの攻撃陣は一気呵成に前線へ入り込んでいた。

 ボランチの中津がリスタートしたボールを左サイドへ通すと、MFの早坂が受ける。ディレイ守備の相手を惹きつけながら、サイドライン際をオーバーラップしてきた左SBの多野にノールックパス。

 多野は、対峙する相手SB飯塚をフェイントで縦に振り切ると、ペナルティエリアの外、エンドライン際まで切り込む。

 浅川の目には、それらが全て、非常にゆっくりなものに見えていた。例えるなら、スローのリプレイ映像を見ているかのような感覚に近いかもしれない。だからこそ、多野の一挙手一投足がはっきり分かった。

 味方選手が声を上げる中、多野はチラリとエリア内を見て鋭く左足を振り上げる。

 その選択は――、

 ――グラウンダー!? ……いや違う! それにしては身体の重心が後ろに残りすぎだ。それに、軸足も若干内側を向いている。あれは大志さんがよくやるフェイク前の癖……ということは、切り返してのクロス! だったらここはグラウンダーが入ってくると思わせるために、あえてダイアゴナルに動いて……!

 浅川は、相手GKに向かって斜めに走り込む。

「やらせんっ!」

 すると案の定、沢中が前に入れさせまいと食いついてきた。

 浅川はさっきのゴールで、沢中についても分かったことがあった。

 ぶつかり合いでは、体格の差から確かに勝ち目は無い。だが、それだけ重量があるということは、その分、急な反転にはついて来れないということだ。つまり、そこが弱点になりえる。

 向こうがワゴン車だとしたら、コッチは車体の小さい軽自動車みたいなもの……。

 ゆえに、ターンの速さならば上回れる!

 ――ここだっ!

 浅川が急ブレーキを掛けて身を翻したタイミングと、多野が左足のインフロントでボールを切り返したタイミングは、ほぼ同時、いや、もしかしたら、浅川のほうがコンマ数秒早かったかもしれない。

 ほぼラストプレーということもあり、両軍の選手たちが軒並みゴール方向へ前がかりになる。それによって、ぽっかりと空いたスペースへ、多野による右足のクロスが飛んできた。

 これに反応出来たのは浅川だけである。

 巻いて入ってくるボールに対して、勢いよく跳び上がる。

「――な、なにぃっ!」

 マークについていた沢中がここでようやく浅川の位置に気づくが……もはや間に合うはずもない。

 苦し紛れに伸ばす沢中の手は、眼下からとても小さいものに見えて――、


「先に跳び上がっちまえば、コッチのもんなんだよおおおおおっ!」


 今までの鬱憤を晴らすかのように、浅川は自分の額を思い切りボールにぶつけた。

 強烈な勢いで叩きつけたヘディングシュートは、GKの手前でほぼ直角にバウンドし、グローブの左親指部分を掠めるようなコースで、ゴールネットに美しく突き刺さった。

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