第1章⑮、対マジカル大阪、その三
マジカル大阪サイドが待望のゴールに喜びを表す中、マッドスターズの面々は呆然と立ち尽くす。
ベンチサイドでも落胆の息が一瞬漏れるが、すぐに切り替えるしかない。
ピッチ内ではキャプテンの中津が声を出し、ウォーミングアップスペースでは浅川を含めたリザーブメンバーがアップを始める。
スコア0対1のまま、苑田監督は14分に、右MF三田をイム・ヨングと交代、24分にはCMF笹木を大村と交代させた。
これで残りの交代カードは一枚……。各選手が追加点は許すまいと奮闘する中、監督がチラリと時計を確認する。
ここで意を決したように呼ばれたのは、
「仁! ピッチに入る準備だ!」
「え……あっ! う、うっス!」
一瞬、自分だと思わなかった浅川は、慌ててベンチから出ると、ウォーミングアップスペースで身体を温める。
心拍数を適度に上げたところでビブスを脱ぐと、コーチたちと戦術の最終確認を済ませた。
「前線からのプレスを欠かすなよ。後は……とにかく一点決めて来い!」
「わ、分かりましたっ!」
久々のリーグ戦。しかもホーム……。泥臭く、最後まで諦めるなという意味が込められてチョイスされた褐色ベースのファーストユニフォームでサイドライン際に立てば、心が高ぶると同時に、緊張感が駆け巡る。
後半32分。そのときが来た。
マジカル大阪の相田がミドルシュートを放ち、それが大きくエンドラインを割ったところで浅川の背番号『23』が電子掲示ボードに示される。交代は『9』……FWの高村だ。
前線で運動量豊富に戦っていた高村は、その分、体力も相当に消耗していることが明白だった。それでも、肩で息をしながら急いで浅川の元へ駆け寄ってくると、
「頼むぞ、仁」
すれ違いざま、想いを託すように背中をバシッと叩いて言った。
浅川は強く頷くと、ダッシュでピッチに入り、高村のいた前線のポジションへと向かう。
それを待って、GK犬飼がリスタートのゴールキックを蹴り出す。
センターサークル際、やや相手陣内での攻防から、どうにか中津がボールをキープすると、右サイドへ繋げる。
ボールを受けたイム・ヨングが途中出場のフレッシュさを活かし、切れ味鋭いドリブルで相手を一人交わす。そこから、以前の練習試合でもあったようなサイドでのパス交換。浅川が裏抜けを試みる。
「ヨンっ! ここだっ!」
イムのふわりと浮かしたパスに、浅川の抜け出し。オフサイドの旗は……上がらないっ! 今回のタイミングは完璧だった。
――いける!
そう、思いかけた。
けれど。
「ふぐあっ!?」
相手ペナルティエリア右角の外でボールをタッチしかけた瞬間に、浅川の身体は横からの凄い力で吹っ飛ばされたのだ。
一瞬、何が起きたのか分からなかった。
顔を上げた先にいたのは……沢中だった。ファールの笛が無いところから察するに、ショルダータックルで弾かれたということなのだろう。
「くそっ!」
急いで立ち上がり、プレスを掛けるも、片手でのディフェンスを外せず、奪われたボールは前線に大きく蹴り出されてしまう。
――このっ! なんてボディバランスだよっ!
これが元日本代表の守備……。
近くに立つと、その威圧感に内心、息を呑んだ。
浅川の体格は172センチ、68キロ程度。対する沢中のプロフィールは、186センチ、90キロと、その差はかなりなものだ。
重戦士の異名を持ち、これまでの日本代表の試合では、ヨーロッパのトップ選手相手でも、抜群の安定感を見せていた。今はその相手が敵なのだ。
ディフェンス力は、まさしく鎧を着ているかのように強靭。だからといって、臆すわけにはいかないが、とにかく圧力がすさまじい。
後半37分。
右SBの伊沢から、くさびのパスが入る。浅川はそれをキープして、味方の上がりを待とうとするが、そこへ再び沢中が後ろからさり気なく身体を押しながら、ボールを奪いに掛かってくる。
たまらずバランスを崩して倒れるが……ここでも笛は鳴らず、カウンターからシュートまで繋げられてしまう。幸い精度を欠いて救われたが、思わず審判を睨みつけ、口からは文句が出る。
「今のはファールだろ! 押してるじゃないか!」
しかし、一瞥するだけで、取り合ってはもらえない。
すると、
「どうしたんだい? ピッチに足でも取られたか?」
沢中が白々しく、挑発的な発言をしてきた。
――くっ、このやろう……!
まるで、悔しければ倒してみろ。そんな態度に見えた。
しかしその後も、浅川はまともにボールを収めることが出来ない。
ファールを取ってもらえないのは、倒れすぎていることが悪印象を与えているからなのかもしれない。けれど、自分としても決してわざと転がっているわけではない。
というか、これだけ体格が違うのでは、吹っ飛ばされないほうがどうかしている。
それでも、ゴールを決めるにはこの相手に勝たなければいけないのだ。その点はもちろん分かっている。分かってはいるが……。
――こんなバケモンみたいな相手、どうやって振り切るんだよ?
これだけレベルの高いチームでもJ2だなんて……もはや絶望的だ。
浅川はピッチの芝草が付着した頬を拭うと、ボールが自陣のサイドラインを割ったタイミングでずれたレガースを直すために屈みこむ。そこでふと、思い出した。
――そういえば、俺、ここにガムを入れてたんだ……。
出場できたことが予想外だったため、その驚きでガムのことはすっかり失念していた。
残り時間は……3分とロスタイム……。
こんなものを食べたところで、今更どうなるとも思えない。けれど、このままいい所なく敗北すれば、自分が公式戦のピッチに立てる機会は、もう無いのかもしれない。
だったら。
――使うなら、今しかない、か。
藁――いや、『ガム』にもすがる気持ちで、浅川はレガースの内側に忍ばせていたそれを取り出すと、ソックスを直す素振りをしながら、こっそりと口に含み、奥歯で噛み締める。
コーティングがパキリと割れ、そのまま何度か噛めば、唾液が分泌されて、溶け出してきたガムの味が舌に広がる。ほんのり甘酸っぱい……ただのグレープのような……?
「――いったぞ、仁!」
そう思いかけたのとほぼ同時に、スローインから大村の蹴り出したロングボールが風に乗る形で、前線に残っていた仁の傍へ飛んできていた。
「くっ!」
急いで落下点へ走る浅川に対し、
「させるかいっ」
すかさず、後ろから沢中がチェイスに来る。
また潰されるわけには……。
……そのときだ。
――え……?
周囲がモノクロに塗り替えられ、全ての動きが、唐突にスローモーションのような状態に変化した。
空から山なりに落下してくるサッカーボール、チームメイト、相手選手達の挙動、視線。そして、背後からイノシシのように迫ってくる沢中の動き……。それらが全て、まるで走馬灯でも見ているかのようにゆっくりとしたものに変わったのだ。
――な、な、なんだこれ……?
困惑する浅川の元に、ボールが落ちてくる。位置はペナルティアークの外側……。とにかく、今はこいつをなんとかしなければ!
一度トラップして……いや、すぐ後ろからは沢中が来ている。キープするのは無理だ。
ならば。
浅川は、ボールが胸ほどの高さまで落下してきたところで、その下を右足のつま先で軽く蹴り、ワンタッチで肩口から後ろへと流すと、即座に反転してペナルティエリアへ侵入する。
意表を突いた軽やかな動き。前がかりになっていた沢中は対応出来ない。
他のディフェンダーも、まさか元日本代表が交わされるとは思っていなかったのだろう。その信頼感が油断となり、ケアの遅さに繋がった。
前にはもう、キーパー一人だけ……一対一だ!
相手GKはシュートコースを惑わせようと、身体の重心を小刻みに左右へ揺さぶる。
だが浅川にとっては、その動きが遅すぎる。
両手を広げる相手GKの体重が左足から両足、そして、右足に移ろうかという、そのタイミングで、ゴールの向かって右隅へ、ふかさぬよう右足のインサイドで蹴り込む。
完全に逆を突かれる格好となったGKは、慌てて横っ飛びを見せるが……!
ボールはそのまま、ゴールに吸い込まれていき、ネットを鮮やかに揺らした。




