少女
目の前の少女が気になっていた。
最愛の息子ーーと言っても義理なのだが、もはやそんなことは関係ないほどに愛しているーーの足がなぜか治っていて歩いてしまっているのも、二の次になってしまうほどに、その蒼い少女が気になっていた。
少女は一度も目を合わせない。それどころか、その顔をフードで隠し、口元しか見えなかった。
だが、それでも、その華奢な体躯や口元、そして何よりも、その身から漂う独特の雰囲気があの少女に似ていると感じた。
元々、私はこの少女を引き取るはずだった。
村全体からの虐待、を受けていたと思われる少女。
確か、名は兎塚花菜といった。
あの村の住民が、何を血迷ったか、私に税の代わりにと差し出した少女だ。
今思い出しても腹立たしいことだし、異常なことだった。いつの時代だと言いたい。
しかし、私と妻の間に子はいなかったし、虐待されているのが不憫だったため、私はそれを承諾した。
それが、間違いだったとは思わない。私は、私が、あの子を助けなくてはならなかったのだ。
しかし、子を思わない親などいない。そんなフレーズを、本気にしていた私はこの少女の両親が、おそらく、虐待をしてきたのであろう両親がこの子と離れるのを悲しむのではないかと思った。それなら、別れをさせてやるのもまた、義務だと思っていた。
その日、その少女を帰したのが間違いだったのだろう。私の一生で最も重い間違い。
帰り着いた家で、少女に何があったのか、私にはわからない。ただ、程なくして出てきた少女が
血だらけで包丁を握っていた光景は、今でもハッキリと覚えている。
その後、生き残った隆太を引き取った。
村長の息子ということで、少し複雑な思いはあったが、あの子も隆太が生き残っていると知った上で、それどころか、目さえ合わせた上で生かしておいたのだから、私はせめてあの子への罪滅ぼしとして、隆太を育てることにした。
あの子は、村人全員を虐殺した男と共に、何処かへ消えて行った。
先ほど会いにきた、見知らぬ赤髪赤目の男が言うには、この世界には裏があるらしい。
そちらとこちらは時間の流れが違うとか。
それなら。
この少女があの子、ということもあり得るのではないのかと思ったのだ。
もしも、あの子なら、私は謝罪をしなくてはならない。
そして、いっぱい、世話をしてあげたかった。
両親から一切受けてこなかったであろう愛情を一身に注いであげたかった。美味しいものも食べさせてあげたかったし、綺麗な格好もさせてあげたかった。
だから、私は問う。
自己満足だとわかっていたが、それでも、私は問うた。
「…君は昔、助けたかった少女と何処と無く似ているね。よかったら、顔を見せてくれないかい?」
蒼い少女はピクリと肩を震わせて、恐る恐る、と言った具合で長めの前髪の中からこちらへ目を向ける。蒼い目と目が合った。
「…久しぶりだね、花菜ちゃん」
「……お…久しぶりです…」
笑かけてあげるとそう返答があった。一応の確認として、尋ねる。
「…花菜ちゃん、なんだね?」
「……あの頃の名は、知らない…だけど、あなたに会ったことはあります。あの、村で」
おずおずと答えてくれた内容は、大体予想通りの回答だった。
しかし、名を知らなかったのか。それを呼ぶ人がいなかったということか。
とにかく、言葉が話せるようになっていたことだけでも安心した。あの時は何を言っても無言で無表情だったから感情というものを一切持っていないのかと思っていた。それに、あの頃よりも心なしかふっくらとしている。おそらく、幼少期にロクなものを食べていないだろうから身長はそれほど伸びないだろうし、骨格も柔だろう。華奢な印象はいつまでも付き纏うと思う。しかし、それでも、今はまともな人のところにいるのだなと思うと、まともな生活をできてるのだなと思うと、本当に肩の荷が下りた気分だった。
「アイルさん?」
「はい?」
花菜をアクアと呼び、慈しむような目で見て、今は元気がない彼女を本気で心配している白い猫に声を掛けると不思議そうに返された。構わずに続ける。
「花菜ちゃん…今はアクアちゃんなのかな。その子の世話をしてくれて、ありがとうございました。私が言うのはおかしいということは、重々承知の上ですが、これからも、その子をよろしくお願いします。私は、そちらには行けないので…」
私がこう言うと、ルシウス、ノア、アイルはもちろんのこと、アクアや隆太も目を丸くして見てきた。
しばらく、私以外の面々の頭からクエスチョンマークが放出され続けた後、クスッとアイルが笑ってやっと私に向かっていた視線が外れ、アイルに向かう。
「宗太郎さん、私はアクア様のお世話は、残念ながらさせて頂いておりません。私はノア様の執事ですので。余裕があれば、もっと関わらせて頂くのですが、アクア様よりもノア様の方が何かと手がかかるのです。……ふふ、まあ、最近はアクア様も、脱走したりとヤンチャしてるようですが」
最後の言葉にルシウスも笑い声を押し殺すようにして笑う。しかし、ノアとアクアは何を言っているのか、という顔をアイルに向けて、口をパクパクしていた。おそらく、何から言ったらいいのかわからないのだろう。
「脱走、ですか?アクアちゃんは何処かに捕まってる?」
少し意外に感じつつも、何処かで納得する。あの男たちが今もなおアクアと一緒にいてくれてるとは限らないし、それなら、いきなりそっちに行ったアクアが何処かの施設に入っているのは当然の話だった。
「いや、違うぞ。アクアさんは俺の城にいる。保護してるんだが、勝手に城を出てしまうんだ」
私の言葉に素早く反応したルシウスに、今度はアクアが、まだ城外には出てないもん、と反論する。そこでやっと顔を上げ、明るい声を出してくれた。そして、顔を見て一人でやっぱりか、と納得する。やはり、アクアは花菜だった。
しかし、今触れる必要はないだろう。この四人の要件こそが、それなのだろうから。
「いや、アクアさん。あんまり城内でも逃げ回るのはやめてくれますか?この間も使用人たちが話してましたよ?『アクア様は冒険者をやっていただけあって、物陰に隠れて気配を消すのが上手すぎる』って。それに、『魔法をフレイア様が封じてくれて助かっている、もしもあったらとっくに城にはいないだろうから』とも言っていたかな」
ルシウスはからかうように続けて言い、アクアは顔を赤くして反論を続ける。その際に2人の間に挟まれるようにして座っているノアとアイルはまた、別の話をしているようでノアがアクアと同じような顔でアイルに何かを言い、アイルが笑いつつそれを受け流していた。
「あれはみんなが悪いんだよ!ルシウスからも言ってやってよ!!私は着せ替え人形じゃない!」
「そんな報告は上がってないがなぁ。まあ、ちっちゃい子が珍しいんだろ?俺はまだ結婚してないからなぁ」
「なら、莉八ちゃんがいるじゃない!」
「あの子、めっちゃ精神が大人じゃないか」
「な!それは暗に私が子供って言ってるのかな!?」
そんな言い合いをするアクアを見つめる。
もう随分元気で明るくなったようだった。
どこの誰だかは知らないが、アクアを変えてくれたこと、いつかお礼を言いたい。
少しして、やっと場が落ち着き、隆太の方の話も聞いた後、本題に入った。
「2人とも、気づいているようだがにゃ、一応。この子はアクア。以前この世界に住んでいた子にゃ。実は、あの村の泉について聞きたいにゃ。この子や泉にまつわる話、にゃにか少しでも知っていたら教えて欲しいにゃん」
ノアの言葉に私と隆太は顔を見合わせた。
そして、私はノアに顔を向け、頭を下げる。
「申し訳ないんだけどね、私は何も知らないんだ。聞かされていたことは全て嘘だったしね」
だが、と私は隆太に視線を送る。隆太も私に向かって一つ頷いたあと、話を始める。
「花菜が拾われた時、俺もまだ幼かったからよくは知らない。だけど、あの村の村長、俺の元の父親に聞いた話を話すよ」
隆太の話は単純明快、摩訶不思議。
非日常の匂いが漂う、まるで出来の悪い御伽噺か神話のようで、人間の醜さが如実に現れたものだった。
「ーーその当時、村人は酷い干ばつに苦しんでいた。あの泉は実は、地下水が水源じゃないんだ。もともとは、ただの、謎の穴だった。なぜ、あれだけ深く、広い、クレーターと呼べる穴が空いていたのかはわからないが、そこに水を溜めていただけのものだった。その土に、染み込んでくれたらよかったんだ。実際に、先先代の村長があの穴に水を溜める計画を立てたときは水が染み込んで、いずれ本当に水が湧いてくれるかも、とかを言っていたらしい。まあ、立地としては、無理な話でもなかったはずなんだ。少し遠いけど川があったし、泉の近くの森の地面を掘れば湿気ていたから、きっと保水能力はあったはずだった。しかし、その代の人達の歳は雨が多くて、常に溢れるほどの水があったから、それを確かめられることはなかった。
その次、先代の村長の時にも水嵩が目に見えて減ることはなかったから、問題ないだろうと判断して、いつしか、村長一家以外はあの泉を本当の泉だと勘違いするようになった。
そして、俺の父さんの代には、父さんすら、半分忘れていた。
だから、気づけなかったんだ。
あの水が透明過ぎることに。
花菜が夜な夜な泉に入っていることは村人の誰もが知っていた。だけど、誰もその現場を見ることはなかった。だから、その時にも気づけなかった。
あの、泉の内部の地面に保水能力がないということに。
一体何をどうやったらそうなったのかわからないが、俺は花菜が沈められたあの頃、時々、泉の様子を見ていたんだ。それで、あまりにも鮮明に花菜のバラバラの身体が見えるから、辛くなってたんだが……あの地面、表面の石とかが全て溶けて、泉の内側を綺麗に覆うようにしているんだ。だから、土のような保水性がない。だから、あれはいつまで経ってもただの水溜りだった。
…ああ、すまない。泉の説明が長くなってしまったな。
とにかく、水溜りなら、日照りが続けば水を失う。それは当然のことだった。
そして、村人皆が水に困りあぐねて、連日祈っていたある日のことだ。
その日も祈ろうと泉に向かった父さん…村長達は泉の中心に女の子を見つける。
相談の結果、干ばつで苦しい中でも赤児を捨てる訳にはいかないと言うことになり、拾うことになった。また、審議の結果、その女の子は、当時子供を欲していた兎塚夫妻に預けられる。
そして、その子を拾った次の日、泉は溢れるほどの水に満たされていた。
村人はその女の子を神の子だとして、大切に育てることにした。
兎塚夫妻に任せておきながら、もし叱っている場面を見ようものなら村人皆で攻め、かと言って泣かせたままなら子育てもできんのかと罵られた。
兎塚婦人は次第に心のバランスを崩したそうだ。
それから、兎塚さん、旦那さんの方が女の子を嫌うようになった。
幸せな結婚生活。それを壊した張本人として。
それでも、表向きは頑張ってきちんと育てていたんだ。しかし、ここでまた問題が起きる。
泉の水で育てた野菜や米の成長が異常に早く、一瞬で育ち枯れてしまったんだ。
おかげで、その年の苗や種は尽き、その年は何も収穫できず村人たちはひもじい思いをすることになった。
そうなると、村人の女の子を見る目も変わる。
父親がすでに嫌い、母親の精神が止んでいたため、女の子を虐めるのを止めるものは一人としていなかった。
初めは、八つ当たりのはずだったんだ。
それが、やがて、日常になり、酷くなる。
ここからは…話さなくても、いいよな?」
隆太は顔色悪く、しかし、キチンと説明をし切った。
皆が何も言えない中、アクアだけが、隆太に微笑みかける。
はっきりと、微笑みかけていた。
「うん、話してくれてありがとう、隆太」
さて、今日はアクア出生のお話でした。
いかがでしたが?
さてさて、薄々お気づきかなとは…思うのですが…泉の元になったクレーター、人間界の表にも遊びに行っていたあの2人…
いや、深くお話はしませんがw




