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誕生日には歌を  作者: 風花てい(koharu)
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誕生日には歌を 3


「浩平! おまえっ!」

「落ち着きなさい。要くん。仲が良いのは結構だがね、兄弟喧嘩は余所でやってくれないかな」


 罪悪感の欠片も感じてなさそうな弟の顔を目にするなり頭に血が上りかけた要を、会長が右手を軽く挙げて制する。


「浩平くんもだよ。ここに来るなり君のために頭を下げてくれた要くんの気持ちを踏みにじるようなことしたら、さっきの話はなかったことにするから、そのつもりで彼と話しなさい」

「わかりました」

 要に対した時よりも厳しい口調で会長から警告された浩平が神妙な顔で応じた。


「あの。さっきの……話といいますと?」

「うん。援助というか、出資をね」

 このうえ浩平が会長に迷惑をかけるようなら生かしておかないと言わんばかりの顔をしている要をなだめるように会長が微笑む。

「させてもらおうと思っている。ああ、もちろん、浩平くんの熱意と計画の具体性を考慮したうえで決めたことだ。けっして同情とかではないよ」

「本当に?」

「ああ。ついでにいえば、茅蜩館も一枚噛んでくれれば……とも思っている」

 弟思いの要にとっても茅蜩館にとっても悪い話ではないはずだからと、会長が思わせぶりに微笑んだ。それどころか、彼は「なんだったら、君の奥さんのお義兄たちにも話を持ちかけてみたら、どうだろう?」と要をそそのかすことまでする。

「中村さまと森沢さまに、ですか?」

「どうやら彼らも興味を持っているようだからね。そういう訳だから、浩平くんに何らかの責任をとらせるにしても、そのへんのことを考慮してくれると、私としては嬉しい」

 会長にそこまで言われてしまうと、要としては、「わかりました」というしかない。悔し紛れに「浩平から、その話を聞かせてもらってから、じっくり考えます」と付け足すのが精一杯だ。ただ、厳しすぎる処分は不要だという圧力のようなものをかけてもらえて、要がホッとしていることも本当であったりする。


「実は、少しばかり責任を感じているんだよ」

 浩平を従えて部屋を出ようとした要を呼び止めて、会長が打ち明けた。

「実は、浩平くんにボタンのことを教えてしまったのは、私なんだ」

「え? 知って……?」

「なにを隠そう、私も、彼女のファンだったんだよ。といっても、話しかけたことさえなくて、ただ遠くから見ていただけだったんだが」

 会長が照れたような笑みを浮かべる。彼は、パンパン時代のボタンも覚えているらしい。


「彼女の美しさもさることながら、進駐軍の男たちを誘っているはずなのに卑屈な感じがしないばかりか、彼らをひざまずかせるがごとくに振る舞っていた彼女は実に爽快だった。だが、それ以上に私を魅了したのは、あの生活からきっぱり足を洗って茅蜩館に落ち着いた後の、頑ななまでの彼女の潔癖さだった」

 久志総支配人にボタンが恋していることも、ファンの目からはバレバレだったらしい。「あれだけ多くの男を翻弄してきたくせに、恋した男の前だと、あそこまで初々しくも不器用に振る舞えるものなのかと呆れるほどだった。本当に、見ていて飽きない女性だったよ」と、会長が懐かしそうに目を細める。つまり、フリルとレースで飾りたてたぐらいでは誤魔化せないほど、彼女は印象的な女性だったのだろう。

「でも、まあ、あれだけ印象を変えていたし、六条さんの他の奥さんたちが必死でガードしていたから、あの披露宴で彼女の正体に気がついたのは、私ぐらいだったかもしれない」

 ファン冥利に尽きるのか、どこが得意そうに会長が言う。


「ボタンの気持ちを考えたら、あの場は黙って見過ごしてやるべきだったんだ。だが、まさか、あの女好きが、数ばっかり多い彼の妻やら娘やらの中に、ボタンと娘を隠しているなんて思ってもみなかったものでね。つい考えなしに、浩平くんに話しかけてしまった。申し訳ない」


---------------------------------




「言うまでもないと思うけど、菱屋さんがボタンに気がついたのは、中村家と六条家の結婚式の時だよ」


 菱屋の本社を出たふたりは、皇居のお堀端を普段から公開されている東御苑に向かって歩いていた。観光客や休憩目当てのサラリーマンに紛れて、警備員に見守られながら橋を渡り、時代がかった瓦葺きの大門を抜け、雑木林を横目に見ながら、かつて本丸があったという広場へ向かう。


「披露宴が始まる前だった。会長から、『ボタンの居所がわかったのかね?』って訊かれたんだよ」


 紫乃と弘晃の結婚式の日、浩平は、給仕を担当していた。開場を待つ招待客に飲み物を勧めるのも、彼の役目だった。一方の要は、病弱すぎることを世間に隠している弘晃が長い一日を無事に乗り切れるようにと、花婿に付きっきりだった。


「だけど、僕は、ボタンさんの顔なんか知らないし、会長が、誰を見てボタンさんだと思ったのかもわからなかった。ボタンさんって言われても、久志父さんの恋人だった人だってことさえ、すぐには思い出せなかったぐらいだ」

 当惑している浩平を見て、会長は、すぐに訊ねる相手を間違えた……というよりも、そもそも、ボタンが紫乃の結婚式に出席するいわれなどないことや、ボタンが別人として披露宴に紛れ込んでいる可能性が高いことに気がついたらしい。「すまん、私の勘違いだったようだ」と、会長は早々に話を切り上げたそうだが、浩平の中に疑問は残った。 


「でも、あの時は、そのまま忘れていたんだ。それより、要! いったい、どこまで行くつもり?」

 ずっと話し続けていた浩平が、無言のまま前を行く要を呼び止めようとする。その声すら無視して、要は、石垣だけが残る天守跡前の枯れた芝生の広場の真ん中を目指して突き進んだ。 

「ねえ、こんな吹きっさらしじゃなくて、もっと暖かい所で話そうよ! 喫茶店とかさ! 寒いよ! 凍えちゃうよ! せめてベンチに座ろうよ! 暖かい缶コーヒーでも買ってさ」

「ここがいい」

 むっつりと要が振り返る。広い芝生を囲うようにして広がる木立の向こうに林立するビルが、浩平の肩越しに見える。要は、よほど不機嫌な顔をしているのだろう。不平を垂れ流していた浩平は、要と顔を合わせるなり、怯んだように身をすくめた。


「ここなら、多少大きな声を出したって、誰かに聞かれる心配もない」

 観光のほとんどは、強めの風に身をすくめながら遊歩道に沿って歩いている。芝生を突っ切ろうとする者などまれだし、誰かが近づいてきても遠くからわかる。聞かれて困るような話の最中であれば、その時、口を閉じればいい。喧嘩になったとしても、壊れるような物もない。 


「だから、浩平に言いたいことがあれば、幾らでも言えばいい。僕も言う。殴りたくなったら殴るかもしれないけど、その時は逃げてもいいよ。追いかけるけど」

 

 要は、そう宣言すると、大きく息を吸い、「この馬鹿!」と、まずは自分から弟を怒鳴りつけた。



-------------------------------------


 同じ頃。


 橘乃は、彼女と一緒に客室の掃除に取り組む年輩の女たちから、新婚生活についての有益なアドヴァイスを受けていた。曰く、いきなり完璧を目指してはいけない。主婦業ほど、経験の積み重ねがものをいう仕事はない。独身の頃にやってなかったことが、結婚したという理由だけでできるようになると思うのは、大きな勘違いだ。 


「少しずつ慣れていけばいいのよ。梅宮さんなら、橘乃ちゃんが失敗を繰り返しても長い目で見守ってくれるだろうし」

「そうそう。ここでキレずに見守れるかどうかで、男の器の大きさがわかるってものよ」

「それより、橘乃ちゃんよりも梅宮さんの方が、家事が早く上達しそう」

 誰かの冗談に、橘乃は顔をひきつらせた。


「とりあえず、ゆで卵から始めたら? それも無理なら、卵かけご飯」

「ところで、橘乃ちゃん、炊飯器の使い方はわかる?」

「お米の量り方は? 1合と1カップの違い、わかってる?」

 半ば本気で心配しつつ、女たちが橘乃をからかう。 


「いやだ。お米の量り方ぐらい知ってますよ」

 橘乃も一緒になって笑ったものの、内心では焦っていた。炊飯器についていたカップって、1合用だったわよね? 家に帰ったら確認してみなくちゃ。


 そんなことを考えながら橘乃が八重の居間に向かっていると、ドアマンの三上から声をかけられた。 彼は若い女性を連れていた。大きなサングラスをかけているのではっきりしないが、おそらく橘乃と同じぐらいの年齢で、背は橘乃よりも高い。襟足を長くしたショートヘアーは、地毛にしては、かなり茶色っぽいので、染めているのかもしれない。いずれにせよ、橘乃とは初対面だと思われた。


「正面玄関でウロウロというよりコソコソしていたのでね。要に会いにきたみたいなんだけど、彼は出ているし、待たせるにしても人の目が多いところはまずいだろうから、橘乃さんかオーナーに預かってもらうかと思って、こっちに連れてきた」という三上の傍らで、女性が「その節は」と言いながらを下げた。


「え? ごめんなさい、どちらさまでしたっけ?」」

「お嬢さん。 その姿では……」

「あ、ああ! そうでした! この格好では、わかりませんよね」

 三上に言われて、女性が茶色い髪の毛を束でつかんで勢いよく引っ張っぱると、中から黒いまっすぐなセミロングの髪が現れた。サングラスも外される。


「ま、まあ! マリアさん?!」

 彼女はまさしく、冬樹に協力してボタンの娘を騙っていたマリアだった。 

「よかった無事だったのね。今まで、どうしていたの? それより、こっちへ」 

 橘乃は、三上に礼を言うと、マリアの手を引っ張った。スタッフ限定エリアとはいえ、このあたりは、業者の職員などの出入りも多い。そして、冬樹は、土壇場で彼を裏切ったマリアを血眼になって探していると聞いている。だから、一刻も早く安全な場所……八重の居間にマリアを連れ込む必要がある。幸いというかなんというか、居間に来客はおらず、八重はひとりで居間にいた。



「橘乃ちゃん、ごくろうさま。あらまあ、その子は……」

 血相を変えて飛び込んできた娘たちを見て、八重が腰を浮かせた。


「心配していたんだよ。ここに来るまでに、誰かに見つからなかったかい?」

「大丈夫よ。マリアさんって変装の名人じゃないかしら。三上さんには、見破られてしまったけど」

「ええ、あの人、すごいですね。いいえ、そんなことより。私、謝らなくちゃって、思って……」

 一段高くなった八重の居間に上がり込むのをためらうように、マリアが立ち止まった。

「ああ、いいんだよ。 あんたは、冬樹さんに利用されてただけなんだろう?」

「そうよ。それに、あそこであなたが本当のことを言ってくれたおかげで、私たちは助かったんだから」

「違うんです!!」

 マリアが激しく首を振った。


「そうじゃありません。私がやったんです。姉のために竹里冬樹に復讐したかったのは、私です! 浩平さんは、手伝ってくれただけです。彼は何も悪くないんです!」



 ---------------------------------------



 一方。


「この馬鹿! なんで、彼女にあんなことさせたんだ?!」

 冬枯れの芝生の広場の真ん中で、要は、浩平をどなりつけていた。


「おまえが関わった時には、マリアさんは、すでに冬樹さんに取り入った後だった。それは聞いている」

 浩平はマリアの計画に乗っただけだと、探偵たちは言っていた。 


「だけど、彼女は好きで冬樹さんのそばにいたわけじゃない。それがわかっているなら、なぜ、彼女を冬樹さんから遠ざけてやらなかった?!」

「え、そこから?」

 要の剣幕を受け止めるべく身構えていた浩平から目に見えて力が抜けた。 


「もちろん、橘乃さんや茅蜩館やお客様に迷惑かけられたこととか、世間を騒がせたことにも、腹は立ててるよ」

 だが、要が一番情けなく思っているのは、そこだ。

 マリアにとって、冬樹は、いわば姉の敵だ。いくら復讐のためだとはいえ、いや、復讐したいほど憎い相手なら尚更、マリアは彼の側になどいたくなかったはずだ。 


「浩平はそのことを知っていたんだろう? それなのに、彼女にあんなことさせて、おまえは、なんの罪悪感もないっていうのか?」

 それでは、女性をもてあそんでも何の痛みも感じない冬樹と同じではないか。しかも、彼女が嵌めた相手は、冬樹だ。彼は自分を侮辱した人間を許さない。きっと、橘乃の時以上に、マリアを恨むだろう。何が何でも彼女を探し出して、ひどい目に合わせようとするに違いない。


「これから先、マリアさんは、ずっと追っ手に怯えながら生きていくことになる。もしも、冬樹さんに見つかって、マリアさんの身になにかあったら、どうするんだ?」

「でも、それは! ……ううん。 要の言うとおりだよね。ごめん」

 要の剣幕に負けない勢いで言い返そうとした浩平は、急にうなだれると同時に崩れるように芝生に腰を下ろした。

「マリアを駒にしたことは、ずっと後悔してた。彼女がなんて言っても、家に帰せばよかった。僕独りで……」

「だから、その『僕独りで』ってのが、そもそも間違ってたんじゃないのか?」

 要は、うつむいたままになってしまった浩平に近づくと、腹立ち紛れに、彼よりクセの強い浩平の髪をクシャクシャとかき回した。


「なあ、どうして、最初に僕たちに相談しなかったんだ?」

「『冬樹を破滅させたいんだけど、どうしたらいい?』 って相談したら、乗ってくれた?」

「もちろん、冬樹さんを破滅させる手伝いなんかしない」

 皮肉げに問いかける浩平にむっとしながら、要が断言する。 


「だけど、武里リゾートのせいで苦境に立たされた彼女の町のためにできることなら幾らでもある。今からだってね」

「……。まさか、要も手伝ってくれるの?」

「僕としては、菱屋さんに遠まわしに言われなくても、そのつもりで考えていた。だって、ここまで巻き込まれたら、手伝わないわけにはいかない気がするじゃないか。もちろん、茅蜩館ごと巻き込むなら、おばあさまと橘乃さんとも話し合わなくちゃいけないけど」

 『なんといっても、オーナーだからね』と要が苦笑いする。

「浩平一人で頑張るより、その方が早いし確実だと思うんだ。そのホワイトヘブンリゾート……っていうか、なんなんだよ? この恥ずかしい名前は!!!」

 要はわめいた。誰が名付けたのだか知らないが、口にする度に赤面したくなるような場所に、いったい誰が来たがるというのだろう。数ある武里のリゾートの中でも真っ先に流行らなくなったのは、この名前にも原因があると思う。


「だよねえ~!! まずは、その名前から変えないと」

「『まずは』じゃないだろう!」

 急に調子づいた浩平の頭を、要がひっぱたいた。  


「その前に、どうして浩平が彼らの復讐に関わるようになったのか、橘乃さんの結婚相手選びの裏で、おまえが何をしていたのか、僕にもわかるように説明しろ」



 -------------------------------------


 すぐに調子に乗りたがる弟の頭を要が軽くひっ叩いていた頃、八重の居間では、マリアが橘乃たちに向かって、とんでもない告白をしていた。 

 

「私、冬樹さんを殺そうと思ってたんです」








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