誕生日には歌を 4
「ホワイトヘブン? 白い天国?」
そこが、マリアの故郷だという。もちろん本物の天国のことではない。ホワイトヘブンとは、彼女の故郷である馬子路という集落を中心に開発された武里リゾートの名称だそうだ。それはともかく、橘乃としては、『冬樹を殺そうと思った』という言葉から始まったマリアの告白のその先が気になって仕方がない。だが、ここでマリアを急かすのは禁物だろう。彼女にしてみれば、この話をすること自体が苦痛なのだろうし、ここに来るまでに、何度も何度も、どんなふうにして話を伝えるか、どうやったら相手に自分の言いたいことが伝わるかを考え抜いてきたに違いない。期間的には短くても数だけはこなしている橘乃の経験によれば、こういう時は、むしろのんびりとかまえて、『あなたの話を聞く時間は、たっぷりとってある』と相手に思わせながら、言いたいことを全部言わせてあげたほうがいい。そうでないと、『言わされた』『言い足りなかった』という悔いが彼女に残ってしまうかもしれない。それどころか、その悔いが、彼女を更に苦しめることになってしまうかもしれない。それでは、彼女が気の毒だ。
八重も同じように思っているのだろう。彼女もまた、マリアから知りたいことだけを聞き出すようことはせずに、彼女の話に耳を傾けている。時々マリアの言葉を繰り返したり、それまで聞き出した話を簡単にまとめたりするのは、言いたいことが自分たちに正しく伝わっていることを、マリアにわからせるためでもあるのだろう。そのうえ、八重は、時々話を脱線させることで、深刻すぎる場を一時的に和ませることまでする。だが、脱線するのは一時的で、話が本筋から大きく外れることはない。マリアも話しやすいようで、ずっと八重のほうを見て話している。年の功とはこのことかと、橘乃は感心せずにはいられない。
「そういえば、そんな名前のお土産を浩平が買ってきたことがあったねえ」
マリアが持ってきた土産を咀嚼しながら、八重が言う。要が研修で外国に行っていた頃だそうだ。ということは、この前の冬だ。
「あの時は、チョコレートが挟まったクッキーだったねえ」
ちなみに、今橘乃たちが食べているのは、いかにも観光地の土産物らしいピンク色の餡がかすかに透けて見える小さな白い大福である。
「たしか北の方だったよね。栃木だったか……」
「もう少し北の方です」
ふたりのやりとりに耳を傾けつつ、橘乃は、箱からはずしたばかりの包装紙を引き寄せた。晴れた日の雪山の写真と一緒に紙の上に直接印刷されている菓子の名前は、《真白の園》。信じられないほど賞味期限が長い。ところで、赤色の合成着色料というのは何号まであるのだろう? だが、なによりも橘乃を驚かせたのは、この菓子が製造された工場の住所だった。
「これ、住所が大阪になってますけど」
「え? ええっ! なんで?」
マリアも知らなかったようで、橘乃が指さすところを覗きこんで声をあげた。八重は動じていない。東京土産の中にも、そういうものがあるという。逆に、地方の土産物の中に東京産が紛れていることもあるそうだ。「時々あるんだよ。 浩平がくれたクッキーもそうだったねえ」と、茶をすすりながら涼しい顔をしている。
「あそこは、まとめて作った同じ菓子を、包装紙だけ変えて売っているようだから」
「武里リゾートのことですか?」
「そう。同じ武里系列とはいえ輝美も知らなかったみたいで、怒り狂ってたし、浩平は呆れていた。『これじゃあ、どのリゾートに行っても同じだってことだよね。だから、簡単に潰れるんだ』って」
「え? ホワイトヘブンって、潰れちゃったんですか?」
橘乃は驚いた。もっとも、ホワイトヘブンという名前からして、流行らなそうな感じがしないでもない。
「いえ、まだ、です。でも……」
潰れる以上に悪いことになっているかもしれないと、マリアが肩を落とす。
ホワイトヘブンリゾートは、冬樹が手がけたリゾートの中でも特に当初からの客の入りが悪く、年々赤字を積み上げており、このままでは経営が立ち行かなくなることが火を見るよりも明らかなのだそうだ。 よって、武里リゾートは、ここを手放すことを既に決めているという。しかしながら、このリゾートを抱える自治体のほうは、リゾート施設を開業させるための環境整備に莫大な資金――つまり税金をつぎ込んでおり、負債もある。また、そこで働いている地元の人間も多くいる。武里リゾートが「やめる」と言っても、簡単にやめられるわけがない。どうにかして存続させ、投資に見合った利益を取り返さなければならない。
「だから、引き取り手を必死で探しているところらしいのですけど」
これが、なかなか難しいらしい。
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ホワイトヘブンリゾートが落ち目になった理由は、明確だ。
もっと使い勝手のいいスキーリゾートが近くに開業し、そちらに客の大半が流れた。オープン時の話題性だけで客を集めていたにすぎないホワイトヘブンに、客を引き留める術はない。しかしながら、その新しいリゾートを手がけたのも武里リゾートなら、誘致したのも――市町村単位であれば別の自治体ではあるものの――同じ県である。自分で自分の首を締めるようなことをして、彼らは、いったい何がしたかったのだろう? 要でさえ呆れずにはいられない。
「だから、はじめは、あいつの無能を笑ってやるつもりだったんだ。ホワイトヘブンの失敗を取っ掛かりにして、あいつを失脚させることができないかとも思った」
浩平の言う《あいつ》とは、冬樹のことだろう。
「じゃあ、浩平は、本気で……」
「だから、さっきから言ってんじゃん。僕は、マリアに同情したからこんなことをしたんじゃない。彼女に会うよりも前、ばあちゃんが六条さんに茅蜩館を譲るって言い出した時よりもずっと前から、僕は僕のために、冬樹に復讐したいと思っていた。冬樹が憎かった」
依怙地にも思える表情を浮かべながら、浩平が言い張る。
「でも、どうして?」
それほどまでに冬樹を憎まなければならない理由が、浩平にあっただろうか?
「そんなことよりも、どうして、要は、僕が裏で糸を引いているってわかったの?」
「話を逸らすなよ」
だが、要が無理に聞き出そうとすれば、浩平は頑なに口を閉ざしてしまうかもしれない。要は、コートのポケットに両手を突っ込むと、種明かしに応じることにした。
「冬樹さんが持ってきたレジスターブックだよ」
『それと、久志総支配人が遺したもう一つのレジスターブックのおかげだ』と、要は心の中で言葉を足した。どちらのレジスターブックも、今のところ要の手元にある。
「前にね。美術品を扱っているお客さんが、『よくできた贋作ほど、手本に忠実だ』というような話をしてくれたことがあったんだ」
全くのでたらめでは、人は騙されない。本物らしい偽物ほど、手本にした本物をよく観察したうえで模倣している。その客は、そう言っていた。
「僕が見る限り、冬樹さんが持ってきたレジスターブックは、よくできていた。昔から家族ぐるみでご贔屓にしてくださっているお客さまの名前もあったし、当時の住所表示に間違いもないようだった」
そんなよくできた偽物をじっくり眺めているうちに、要は、そこに記載されている人々の名前の多くを、久志が私的に所有していた、いわゆる《裏》レジスターブックの中で見かけたばかりであることに気がついた。茅蜩館のレジスターブックの偽物である以上、久志のレジスターブックと同じ記載が見られるのは、当たり前といえば当たり前だ。それでも、要は、宿泊者の名前と宿泊日に注意して、このふたつを丁寧に突き合わせてみた。その結果、冬樹のレジスターブックが、失われたとされる昭和15年から16年……西暦に直すと1941年から42年の記録を元にしているものではないことがわかった。
「お手本にしたのは、昭和12年から13年のうちのレジスターブックだよね?」
偽のレジスターブックが真似たのは、この2年間の茅蜩館の宿泊記録である。茅蜩館の事務室に保管されている原本も確認してみたところ、いっそのこと丸ごと抜き取っていけばよかったのではないかと要が呆れるほど、そっくりそのまま写し取られていた。各ページの筆跡も、そっくりとまでは言わないが、それなりに似せてあった。
「でも、新館の事務室なら、僕じゃなくても入れるよ。それでも、要は、僕を犯人だと疑ったの?」
「もちろん、それだけでは、浩平の仕業だと絞り込むのは無理だ。でも、あのレジスターブックって、中身は偽物だけど、外身……っていったらいいのかな、あれは本物だよね?」
昔のレジスターブックは、今の茅蜩館が使用しているものと、紙質もフォーマットも違う。だが、冬樹が持ってきた偽のレジスターブックは、浩平たちが書き足したところを除けば、当時の茅蜩館が使用していたものと同じものだった。
「20年近く前に使わなくなったものだから、まっさらな状態の昔のレジスターブックなんて全部捨ててしまったと誰もが思っているはずだ」
ところが、使われなくなったからこそ、未使用のレジスターブックを自由にすることができた者がいたのだ。それが、当時子供だった要たちだった。「絵でも描いたらいいよ」と、つるつるとした茶色い包装紙に20冊ばかりをまとめて包んだものを3セット、八重は3人に渡した。毎日何十人もの客が書き込めば、あっという間に消費されるレジスターブックではある。だが、3人の子供たちで使い切るとなると、かなり骨が折れる。始めのうちこそ喜んで使っていた3人も、祖母からの贈り物を次第に持て余すようになり、いつしか忘れてしまった。しかしながら、忘れられた冊子が使い切れないまま残っていることや、それらを置き去りにした場所のことならば、要はまだ覚えていた。
「本館の居住スペース前の廊下におかれているガラクタの中に、紙に包まれたまま3冊ばかり残っていたはずなんだ」
改装に改装を重ねて迷路化した新館のとある物入れの奥にも数冊が放置されていたはずだった。飛び上がらないと扉も開けられないために使われなくったそこは、身軽な子供たちならば、足を掛ける場所さえ知っていれば簡単に入り込むことができたので、彼らの秘密基地になっていた。
「2カ所とも確認してみたけど、どちらもなくなっていた」
秘密基地の未使用レジスターブックについては、つい最近まで、そこにあったことを示すように、床にホコリの痕がついていた。
「あそこ、入ったんだ?」
浩平が笑う。言い逃れするつもりはないようで、「埃まみれになったんじゃない? しかも、今の自分のサイズだと、めちゃくちゃ窮屈だよね」と人なつっこい笑みを浮かべた。
「でも、念のために訊いてみてもいい? 隆文のことは、疑わなかったの?」
「疑わないよ。だって、あいつは、まだ使っていないのを8冊ばかり、自分の部屋の引き出しにしまいこんでいたから」
今回のことで隆文に確認してみてわかったことである。誰にも知られぬまま未使用の昔のレジスターブックを8冊も所有している隆文には、偽のレジスターブックを作成するにあたって、埃だらけの物入れにわざわざ体をねじ込む理由がない。「なんだよ~。だったら、隆文の部屋から、かっぱらってくればよかった」と、浩平が、脱力したように腰を曲げた。
「偽のレジスターブックは、僕たち茅蜩館の者を騙すためではなくて、冬樹さんを騙すために作られたものだったんだね?」
膝に両手を置いてうつむいたままの浩平に、要が声をかける。冬樹は、あのレジスターブックが偽物であることを疑っていなかった。マリアのことも本物のボタンの娘だと信じて疑わなかったのだろう。だからこそ「このレジスターブックとマリアがいれば、茅蜩館に大恥をかかすことができる」と彼は考え、茅蜩館を窮地に陥れるために、意気揚々とパーティーの場にやってきた。しかしながら、あの場で実際に窮地に陥ったのは、冬樹だった。
すべて、浩平たちが仕組んだことだった。
「あの時、中村さまが助け舟を出してくれなくても、マリアさんは冬樹を裏切る予定だったんだろう?」
大勢の前で醜態をさらしたことによって、冬樹の評判は、散々なものになった。武里グループの次期総帥はもちろんのこと、秋彦を追い落として手に入れたばかりのホテルセレスティアルの代表の器でさえないと、大っぴらに貶されるようになってしまった。秋彦の社長復帰を望む声も、この日を境に大きくなった。『できすぎている』と、要が疑いをもったのはこの時だ。その数日後に、冬樹は皇居に対して尻を突き出した新設ホテルをテレビを介して世間に堂々と発表してひんしゅくを買い、その流れで、武里リゾートと政治家の癒着までもがマスコミで取り上げられるようになった。冬樹の失脚は、もはや決定的だ。
「思い返してみれば、冬樹さんは、僕たちに関わるたびに評判を落としていた」
ならば、悪意のターゲットにされているのは、自分たちではなくて冬樹なのではないか? そんな疑問をもってからいくらも経たないうちに、偽レジスターブックの作成に浩平が関わっていることもわかった。ならば、浩平は、偽のボタンの娘を名乗っているマリアとも関わりがあるに違いない。もしかしたら、橘乃の求婚者として六条家に紛れ込み、冬樹の失脚が決定的になった頃にさりげなく姿を消していった若者たちとも関係しているかもしれない。だが、消えた若者たちの行方に全く心あたりがないかといえば、そうでもない。茅蜩館を辞めた若者のひとりが、引き留めようとした八重に対して、地方にある武里のリゾートホテルでの働き口を世話してもらったから辞めたいのだと打ち明けていた。要が武里リゾートの人事課に問い合わせてもわからなかったのは、彼らが偽名を使っていたからかもしれない。そう考えた要は、彼らと浩平の写真を持たせて、探偵たちに各地の武里リゾートを巡ってもらうことにした。
「ホワイトヘブンに目を付けたのは?」
「冬樹さんに恨みをもっている人なら、潰れかけている武里リゾートの関係者かな……と思っただけ」
「なるほど」と相槌を打った浩平は、「今までのところ、8割がた当たってたかな」と評した。
「要が想像したとおりだよ。あのレジスターブックは、冬樹を騙すために作った。竹里冬樹は目的を果たすためならどんな汚いことでも平気でやってのける最低の人物だと、大勢の人間に印象づけるためにね。もちろん、中村さんが助けてくれることは想定外だったから、当初の予定では、『他の年のレジスターブックを丸写ししただけの偽物かもしれないから書庫のレジスターブックを確認すべきだ』って、僕が提案する手筈だった」
原本を丸写ししたのは、そうしたほうが誰にとっても偽物だとわかりやすいだろうと、浩平が考えたからだそうだ。
「でも、浩平がレジスターブックが偽物であることを暴き立てたら、それまでのことも浩平が冬樹さんを陥れるために仕組んだことだって、バレちゃったんじゃないか?」
「そんなことないよ。だって、冬樹は、僕のことを知らないから」
「そうなのか?」
これは意外だった。要は、浩平が直接冬樹をそそのかして、茅蜩館に嫌がらせをさせていたのだろうと思っていた。
「冬樹は何も知らないよ。あいつは、茅蜩館を手に入れようとした竹里剛毅によって送り込まれた子供がいたことさえ知らないよ」
浩平があざけるような笑い浮かべる。
「第一さあ。僕が、『茅蜩館も手に入れるために橘乃さんを籠絡しろ』とか、『茅蜩館にひと泡吹かせてやれ』なんてけしかけたところで、冬樹がやる気になると思う? それに、どれだけ頑張って隠したところで、僕が冬樹と友達になっちゃたら、僕が茅蜩館の人間であることぐらいは、簡単にばれると思うよ」
途中で正体が知られてしまったら、それこそ計画が水の泡になる。浩平としては、そんな危険は犯せなかったそうだ。
「だから、例えば、浩平が茅蜩館に恨みを持っているとかなんとか作り話をして、冬樹さんを信用させるとか。あるいは、冬樹さんをおだてまくって何かするとか……」
よくわからないけれどもそういうことなのではないかと、要は思っていた。
「なんだよ? その適当な推理は?」
「でも、浩平がそそのかしたんじゃなければ、いったい誰が? 茅蜩館への嫌がらせはともかく、冬樹さんの恋人役を演じていたマリアさんが、別の女性との結婚話を彼に勧めるなんて不自然だ…… いや、そうじゃないのか?」
話しているうちに、要は自分の思い違いに気がついた。違う、これも逆だ。浩平は、冬樹を貶めるために茅蜩館を利用した。ならば、橘乃の持参金騒ぎも、何かの別の目的のために利用されたのかもしれない。
「もしかして、浩平は、冬樹さんを橘乃さんにくっつけるためじゃなくて、冬樹さんをマリアさんから引き離すために、橘乃さんの婿選びを利用したのか?」
探るように要が訊ねれば、浩平の視線がわずかに下に向いた。どうやら正解のようだ。
「だけど、六条さんが茅蜩館を橘乃さんの持参金に決めたことは、誰にとっても寝耳に水の話だったよね? ということは、浩平の復讐計画っていうのは、成り行きまかせの、行き当たりばったりなものだったってこと?」
要の指摘に、浩平がふてくされたように横を向く。これも、当たっているようだ。己の発言に自信を持った要は、「ずっと前から冬樹さんを恨んでいた、破滅させたいと思っていたって言っているわりには、ずいぶんとずさんな計画だね」と弟に揺さぶりをかけてみた。
「ねえ? 本当のところ、浩平は、マリアさんを気の毒に思ってこんなことをしたんじゃないの?」
「だから、本当に違うんだってば!」
いらいらと体を揺らしながら浩平が要の言葉を否定する。
「僕は、本当にずっと前から冬樹のことを恨んでいたし、あいつを追いつめる機会を本当にうかがってたんだよ。そこに、いきなりマリアが割り込んできたんだ。彼女に余計なことをされると、こっちの計画が狂う。だから、いっそのこと巻き込もうってことになったんだよ」
「誰と?」
言葉尻を捉えた要が、「誰と彼女を巻き込もうって話になったんだ?」と訊ねる。浩平は割と素直に「冬樹の秘書の山辺って男だよ」だと答えた。その男のことならば、要も覚えている、冬樹が茅蜩館にやってくる度に彼の後ろにひっそりと控えていた銀縁眼鏡の男性だ。
「その人まで、グルだったのか?」
「そーだよ! 優希耶……じゃなくて山辺とは、それこそ10年来のグルだよ! あいつと一緒に武里リゾートを乗っ取ることが、長年の僕たちの野望だった。だから、マリアのせいでこうなったみたいな言い方するのは、本当に違う。ってか、マリアは、ただでさえ、自分を責めてばかりの面倒な奴なんだから、そういう言い方は--」
とんでもないことをサラッと自白しながらも、浩平は、あくまでもマリアを庇おうとしていた。
(おやおやおやおや~?)
ムキになってグダグダと言っている浩平を見ているうちに、要は、なんだか楽しくなってきた。
「なんだ、そういうこと」
「そういうことって、どういうことだよ?! 違うよ!」
「違うもなにも、まだ、何も言ってないよ」
「でも、違う! 始めからちゃんと順を追って説明するから、聞いてよ!」
要がニヤニヤしているうちに、積極的に自白する気になっている浩平が叫ぶ。タイミングよく、芝生の向こうからこちらに歩いてくる、もう一人の弟の姿が見えた。
「なんで、隆文まで、ここに来るんだよ!」
「今日の隆文は、早番だから。仕事が終わって3時になったら、ここでおやつにしようって、僕が誘っておいた」
多忙な菱屋会長が要相手に長話をすることはないだろうと予想がついたから、この場所に到着する時間も予想することができた。
「隆文だけ仲間外れにするのも可哀そうかな、と、思って」
「可哀そうじゃないよ! 要は、気が回りすぎなんだよ! 絶対、職業病だ!」
顔を真っ赤にして浩平が叫ぶ。なにも知らない隆文は、「しかし、寒いねえ! 途中で、コーヒー買ってきてよかった」と笑いながら、コートのポケットから缶コーヒーを取り出して、要と浩平に手渡してくれた。「ありがとう。 隆文も、とっても気が回るね。 職業病かもしれないよ」と、ニヤニヤしながら要が浩平への当てこすりを言えば、ヤケ酒でも煽るかのように浩平がもらったばかりのコーヒーを飲み干した。
「ところで、秘密の話ってなに? それより、おばあちゃんのところに、とんでもないお客さんが来てるよ。誰だと思う?」
秘密めかして隆文が微笑み、「なんと、マリアさんなんだ!」と、訊ねられた二人が口を開くのを待たずに答えを言った。
「おやまあ」
「あの馬鹿。来なくていいって言ったのに……」
浩平が舌打ちをする。
「それで、マリアさんは?」
「おばあちゃんと橘乃さんが話を聞いている。 すごく深刻そうだった」
現在の八重の居間は『立ち入るべからず』的な空気が濃厚に漂っているそうだ。「おかげで、僕は出てきやすかったんだけどね」と言いながらも、隆文が、残してきた者たちを案ずるように来た道を振り返った。
「マリアさんは、おばあさまと橘乃さんに任せよう。大丈夫。絶対に悪いようにはしないはずだから」
要は、隆文に……というよりも、浩平に言い聞かせた。マリアさんは、大丈夫。八重はもちろんのこと、橘乃も聞き上手だ。彼女たちと話すことで、マリアが心の重荷を少しだけでも降ろすことができれば……と思う。
「というわけで、さしあたって、僕たちにできることといえば」
要は浩平を見た。これ以上話をややこしくしないために、まずは、彼から詳しい話を聞きださなければならない。
「なにがどうしてこうなったのか。僕たちにわかるように、洗いざらい順を追って話してもらうよ。 もちろん、マリアさんのこともだ」




