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誕生日には歌を  作者: 風花てい(koharu)
44/86

巡り巡って 2

 橘乃に遅れること16時間。 つまり、翌日の昼。


 『竹里冬樹本人が、橘乃と婚約したと言い触らしている』という噂は、要の耳にも届いていた。  届けてくれたのは、橘乃の兄の和臣である。 


 六条建設の一員として茅蜩館の建て替え及び改修工事プロジェクトに携わっている和臣は、このところ度々茅蜩館にやってくる。 「入社したばかりの新人ですから、使い走りです」と、本人は謙虚なことを言っているが、六条建設との打ち合わせに参加した茅蜩館のスタッフの間では、「新入社員とは思えない態度のデカさと、デカい態度に見合うだけの能力の高さを兼ね備えている青年」と、もっぱらの評判であり、八重などは、「あの子は、新入社員の猫をかぶった虎だね。さすが、六条さんの息子さんだ」と笑いながら評していた。


 ここ数日、和臣と要は、頻繁に連絡を取り合っていた。 

 主な目的は、休館前に六条建設と取り交わしておくべき書類と関係各機関に行っておくべき手続きの確認のためであるが、橘乃の様子を聞くためでもあった。 「橘乃の報告だけでは、梅宮さんが安心できないでしょう」と、和臣のほうから気を回してくれたのだ。 冬樹のことを兄に相談するようにと、要が橘乃を説得した返礼であるとのことであった。


「あの子は、姉妹の中でも特に甘いというか、警戒心に欠けているところがありますからね」

 兄だけあって、和臣は、橘乃のことをよくわかっているようだった。 

 父親譲りなのだろう。 彼もまた家族を守るために少々過激に走る傾向があるようだ。 だが、冬樹に対抗するなら、それぐらいで丁度いいのかもしれない。 とはいえ、その和臣でさえ、冬樹には手を焼いているようだった。


「すぐに嘘だとわかるような噂をまき散らして、あの男は何がしたいんでしょうね。 橘乃に拒否された負け惜しみや嫌がらせなのか。 それとも、本気で塔の中の姫君を救い出す白馬の王子さまになりきっているのか……」

「つまり、王子さまになり切っている彼が、『今は会うことができないけれども、いつか必ず君を救い出す』というメッセージを、噂に託して橘乃さんに送っているということですか?」

 馬鹿馬鹿しいとは思うが、冬樹のやることは要の常識を軽く超えている。 冬樹の思い込みの異常さも目の当たりにしているだけに、彼は、『ありえない』と笑い飛ばすことができなかった。


「橘乃さんは、大丈夫なんですよね。 冬樹さんからの電話はこなくなったと、橘乃さんが言っていましたけれども」

「全くではないですけれども、家に掛かってくる電話は、橘乃が気がつかない程度に減りました。ですが、竹里冬樹が我が家に掛けてくる電話の回数に、さほどの変化はないようですよ」

「掛けてくる回数? そんなことが、わかるんですか?」

 要がたずねると、和臣は、途端にバツの悪そうな顔になった。

「それはですね。 ええと…… 先日の盗聴器はもちろん、こういうことも絶対にしてはいけないんですけれども、電話工事を装いまして、武里冬樹の家と彼の会社――つまり、武里リゾートの本社ビルですね――に引き込まれている電話線に、ちょっとした細工をしてもらいまして」 

「細工?」

「ええ。 六条家の電話番号を検知すると、別の電話番号に置き換えるような装置を付け足してみたというか」

「別の電話番号というと?」

 煮え切らない和臣の答えに焦れったさを感じた要は、和臣の後ろで笑いを噛み殺している葛笠に顔を向けた。 


「六条コーポレーションの秘書室の電話番号です」

 葛笠が答えた。 

 要するに、和臣が仕掛けさせた装置とやらは、冬樹が彼の自宅や武里リゾート本社から六条家に冬樹が電話をかけると、電話局を経由する前に六条グループの本拠地である六条コーポレーションの秘書室の電話番号に変換されるような仕組みになっているらしい。 

「ちなみに、下一桁だけランダムな番号に置き換わるようになってますので、10回に1回ほど社長室にも繋がります」

「六条さんにも?」

「もっとも、父が出たとわかった瞬間、あちらは切ってしまうようですけどね」

 そのため、源一郎は、ただの間違い電話だと思っているらしい。


「竹里冬樹が妹から手を引き次第、電話は元に戻しますよ。 それから、彼が言い触らしている噂については、僕に確認に来た人には、きっちり否定しておきました。 そのうちに収まってくれればいいのですが」

「噂の否定ではなくて、竹里冬樹という存在そのものを否定しているようにしか聞こえませんでしたけどね」

 葛笠が苦笑いを浮かべながら、和臣の口ぶりを真似る。 「『竹里冬樹? 知りませんね。 誰ですか?』なんて」

「たずねてきたほうも、それで納得したようだから、いいじゃないか」

 若者らしい子供っぽさを滲ませて、和臣が葛笠に言い返す。


 和臣の言うとおり、彼に噂の審議を確認しにきた者は全て、『竹里冬樹など知らない』という彼の答えから、ほぼ同じように納得した。 すなわち、『六条家の御曹司という生まれに胡坐をかくこともなく、跡取りとしての自分の才覚を認めさせる努力を怠らずにきた六条和臣が、巷でも話題になっている武里リゾートの社長の名前を知らないはずがない。 また、冬樹と妹との間に恋の噂があるとなれば、和臣が関心を示さないはずがない。 その和臣が『全く知らない』と言い切っている。ということは、彼が竹里冬樹を忘れたいほど毛嫌いしているということに他ならない。 そして、兄にさえ毛嫌いされるような男が、あの父親に好かれるとも思えない。 つまり、竹里冬樹は、間違いなく六条家に嫌われている』 


 『ゆえに、冬樹と橘乃の結婚はありえない』と結論付けた人々は、ついでだからと、『本当に進んでいるのは、橘乃と茅蜩館のオーナーの養子との縁談であるらしい』という噂についても和臣にたずねてみたようだ。 

 そちらの噂について、和臣は、「そういう話もあるようですね」と言葉を濁しただけ。 だが、うっすらと笑みを浮かべながら答える和臣を見れば、その言葉だけでも充分であるともいえた。


 六条家3女と茅蜩館の養子との縁談は、かなり進行しているようだ。 和臣の発言から確信を深めた人々の中には、同じ話題を源一郎に振ってみた勇気のある者もいた。

 娘のことになると何をするかわからないと評判の源一郎ではある。 だが、「上のお嬢さんふたりに続いて3番目のお嬢さんにも良い話があるとか? お相手は、茅蜩館の若者だと聞きましたが?」という婉曲な問いかけに、源一郎が気を悪くしたように見えなかった。 「もう、そんなことになってますか」とか「皆さん、私よりも耳が早いですな」と、終始ご機嫌であったという。


 これはもう、間違いない。 


 そう判断した人々の多くが次に向かった先は、茅蜩館であった。 

 なにしろ、日頃からなにかにつけて利用することの多いホテルである。 人によっては、何十年来の付き合いという者もいる。 八重の居間の常連もいれば、要のことを小さい頃から知っている者も多い。 『自分が彼を祝ってやらずに、誰が祝ってやるというのだ?』と、多くの者が意気込んだ。 また、竹里冬樹が相変わらず各所で橘乃との仲を吹聴していたことも、彼らを茅蜩館に呼び寄せる一因になっていたともいえた。 『冬樹が恋路の邪魔をするなら、それこそ自分たちが総力を挙げて、梅宮くんを応援してやらなければ!』と思ってくれたらしい。


 おかげで、要は、自分で思ってみなかったほど多くの人から、祝福を受けることになった。 遠くから祝電を寄越してくれた人もいた。

 事前に橘乃と打ち合わせていたこともあり、要は、幾分の罪悪感を感じながらも、堂々と彼らの祝福に応じた。 「竹里冬樹になんぞに、負けるんじゃないぞ」という激励にも、「頑張ります」と、控えめながらも応戦する意志を示した。

「ああ、そうだ。 結婚の前祝と言うほどのものじゃないんだが、ふたりで行ってくるといい」と、彼らの会社が所有していう美術館や遊園地や協賛するイベントなどのチケットを、要にくれた人も多かった。



 一方、御婦人たちの多くは、和臣や源一郎に噂の真相を確認するなどという面倒くさい手続きを省いて、躊躇なく要のところに押しかけた。

「発言の過激さと見てくれの良さだけで騒がれている男なんて、そのうちに馬脚を現すに決まっています。 六条家の娘さんたちは、聡明な方ばかりだもの。 橘乃さんが、あの男になびかないことぐらい、誰に確認しなくとも、私たちにはわかっています。 あなたも、あの男のことなんて気にせずに、大きく構えていればいいんですよ」

 女性たちは4,5人の集団でレストランやティーラウンジにやってきては要を呼び出し、数々のアドヴァイスやら励ましの言葉をくれた。 


「そうはいっても、自分から嘘の情報を撒き散らしている竹里冬樹とかいう方は、うっとうしいですね。 聞く人によっては、橘乃さんが同時に複数の男性とお付き合いするような浮ついた娘さんだと誤解しかねません」


 六条家長女紫乃の夫の大叔母であり、東栄銀行の元頭取の妻として一部の女性たちの間で絶大な発言力を持つ中村葉月は、「ですから、これをあげましょう。 紫乃から橘乃さんに渡してもらおうかとも思いましたが、私が橘乃さんであれば、誘うより誘ってもらう方が嬉しいですから」と、2枚のチケットを要に差出した。


「『百聞は一見にしかず』といいます。 こういった根も葉もない噂を消すためには、言った相手を非難するよりも、多くの人々にそれ以上の真実を見せつけてあげるほうが、ずっと簡単で効果的ですよ。 なにより、下らない噂に振り回されずに、あなたたちが幸せでいることのほうが、私には大事なことに思えます。 でも、そのお席は、とても目立ちますからね。 うっかり居眠りなどしないようにね」


〇 ● 〇 ● 〇



 その晩。


「明後日の歌舞伎座の昼の部のチケットを2枚いただいたので、一緒に行きませんか?」


 要からの誘いの電話に、橘乃は大喜びしてくれた。

 要や家族に心配をかけまいと、家の中でも毎日楽しく過ごしているようなことを言っていても、外出を著しく制限されていることが、彼女にはかなり堪えていたようだ。


「ふたりでお出かけするデートって、初めてですよね?」

 冗談のつもりなのかもしれないが、橘乃に言われて要はどきりとする。


(確かに、デートだな)

 そして、チケットをくれた葉月も、下らない噂に悩まされることよりも、ふたりが幸せでいることのほうが大事だと言っていた。 冬樹の戯言を封じることも必要だ。 だが、それ以上に、要は、久しぶりに外出する橘乃に楽しい時間を過ごしてもらうことに注力するべきだろう。


 デートの約束をしてからの2日間は、要以上に周りの者たちが浮足立っているようだった。 

 特に服装。 彼らに言わせると、要はセンスが悪いわけではなく、仕事着以外の服に無頓着なのだそうだ。 『当たり前の服を何の工夫もなく着ているだけなので、面白くない』らしい。 面白がってもらえなくてもいいと要は反論したくもあったが、茅蜩館のスタッフは、このデートを切っ掛けにして、彼の私服をどうにかしてやろうと決意したようだ。


「相手は六条家のお嬢さまで、場所は歌舞伎座なのよ。 Tシャツにジーンズというわけにはいかないでしょう」

「スニーカーもダメだからね」

「かといって、竹里冬樹みたいに洒落のめすのはよろしくない。 あれは、逆に滑稽だ」

「ところで、橘乃さんは何を着てくるんだ? なに、聞いていない? そういう大事なことをどうして聞いておかないんだ?」

 仲間たちは、要をそっちのけにし、衣装部のスタッフや一部の客まで巻き込んで大いに盛り上がっていた。

 

 いったい何を着せられることになるのかと要は怯えたが、コーディネイトされた当日の服装は、新調した紺色の麻の上着といい、それに合わせたシャツといい、普段着ているものと大差ないように要には思われた。 しかしながら、今日に限って橘乃が彼の服装を誉めてくれたところをみると、彼の感知できないところで、いつもの服装とは何かが違うのかもしれない。


「橘乃さんも、お綺麗です」

 要も、橘乃をお世辞抜きで誉め返した。 

 今日の橘乃は、ふんわりとした布でできた黄色っぽい花柄のワンピースを着ていた。 暖かな色やフェミニンな洋服が彼女には良く似合うと、要は思う。

「本当? ありがとう」

 誉め言葉に対して素直に礼を言うところも、実に橘乃らしい。

 橘乃は、今日もまた要に母親を引き合わせられなかったことをしきりに気にしていた。

「またの機会でいいですよ」

 そう言いながら、要は、彼と彼女のために茅蜩館が用意してくれたハイヤーの扉を開けた。


「でも、せっかく、要さんがここまで迎えにきてくれたのに。 それより、ここまで迎えに来てくださらなくてもよかったのに。 だって、歌舞伎座は、茅蜩館の目と鼻の先でしょう?」

「そういうわけにはいきません」

 橘乃に続いて車に乗り込むと、要は生真面目に首を振った。 六条家の皆が橘乃の身を心配している。 その彼女を連れ出すのだ。 万が一のことがあってはならない。


「今日一日、どんなことがあろうと僕が橘乃さんを守りますから」

 大真面目に宣言する。 ……と同時に、言ったばかりの自分の台詞の恥ずかしさに気がついて、要は耳まで赤くなった。 言われた橘乃も面喰ったように目を見開いていた。 さすがなのはハイヤーの運転手である。 車内ミラーに映る彼は、こんな現場に居合わせても、プロに徹して眉毛ひとつ動かさないでいてくれた。 


「と、とにかく、今日は安全第一ですから、できるだけ僕の傍を離れないでください」

 要は、恥ずかしさを咳払いで誤魔化しながら、もったいぶった口調で指示した。 

 橘乃は、照れている彼を面白がっているようでもある。 


「わかりました。 今日の私は要さんにくっついていますね」

 クスクスと笑いながら、橘乃が心もち要に身を寄せた。 

 おかげで、要の顔は更に赤くなり、無関係な第三者に徹する運転手の頬をも、ほんの少しだけ緩ませた。

 

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