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誕生日には歌を  作者: 風花てい(koharu)
41/86

恋の障害 10

「結婚相手を要さんにしておいたら……って」

首から頬、頬から頭のてっぺんに昇った熱が、橘乃の全身に急速に広がっていく。 


「き、急にそんなことを言われても」

「でも、橘乃さんの相手が決まらない限り、冬樹さんは妄想を膨らませていくばかりだと思うんですよ」

 頭から湯気を吹きださんばかりに動揺している橘乃と比べると、梅宮は落ち着き払っている。 


「橘乃さんが結婚相手を決めない時間が長いほど、彼は自分こそがあなたに愛されていて、あなたを迎えにくるのを待っているのだという思い込みを深めていくことになると思うんです。 しかも、邪魔が入るほど、彼は、あなたへの想いを募らせていくようです」

だからこそ、冬樹になにかしらの《結末》を与えてしまったほうがいいのではないかと、梅宮は言う。


「幸いというかなんというか、冬樹さんの妄想によれば、僕は六条さんによって選ばれた橘乃さんの夫候補のナンバーワンであるようです。 せっかくですから、これを利用しましょう。 冬樹さんには、僕と婚約したことにしておけばいいです。 冬樹さんは妄想を更にたくましくしていろんなことを言ってくるでしょうけれども、そんなのは全部無視……というよりも、あなた自身は彼には極力接触しないほうがいい。  冬樹さんとの応対は執事さんや外で守っている男の人たちに任せて、あなたは出来るだけ家に引っ込んでいてください。 どうやっても橘乃さんには会えず、しかも決まった相手もいるとなれば、いくら冬樹さんでも諦めるしかないでしょう」

「つまり、これは、冬樹さんを遠ざけるための一時的な措置ということですか?」

 回った時と同じぐらいの速さで、橘乃を火照らせていた熱が一気に冷えた。


「ええ。 まずは冬樹さんに諦めてもらうのが最優先です。 彼が付きまとわなくなったら、橘乃さんはお婿さん選びを再開すればいい。 というより、僕との婚約そのものが嘘なのですから、冬樹さんに気がつかれないなら、僕に気兼ねせずに他の人と恋愛してくれてもかまいません。 もちろん……」

 キビキビと話していた梅宮が急に口ごもった。  ようやく自分の申し出の大胆さに気がついたようだ。 

「も、もちろん。 嘘がそのまま本当になっても、僕としては嬉しいと申しますか、ありがたいと申しますか……」

 橘乃から顔を逸らした梅宮の声が消え入りそうなほど小さくなる。 顔も、耳まで赤い。 まるで茹ダコだ。


(この人って……)

 やたらと照れている梅宮を見つめる橘乃の頬が緩む。

 茅蜩館に泊まった時にも思ったことだが、梅宮は、客に対している時には非常に手際が良く、痒いところにまで手が届くような人なのに、自分のことになると、途端に要領が悪くなるというか、あまり考えていないというか、どこか抜けているようなところがある。

 おそらく、日頃から、茅蜩館の客や親戚や弟たちの気持ちを優先させてきた結果だろうと思うのだが、そのギャップが面白いといえば面白い。


「つまり、私の嘘の恋人の役を、要さんが演じてくださるってことですか」

「は、はい、そういうことです。 よろしくお願いします」

 気の毒なほど赤くなっている要に橘乃が助け舟を出すと、彼は、本当に溺れかけているところを助けてもらったかのように、ホッとした顔をした。

 とはいえ、あからさまに安堵されるのも、橘乃としては腹立たしい。 

「なあんだ。 ビックリして損しちゃった」

 せめてもの腹いせにと、唇を尖らせる。 すると、叱られた犬のように梅宮がうなだれた。


(なるほど、茅蜩館のみんなが、要さんをからかいたくなるわけだわ)

 いけないことだとわかっていても、からかわれた時の梅宮の反応が面白い。 というよりも、可愛らしい。

 しかしながら、今は彼で遊んでいる場合ではない。 いやいや、そもそも、梅宮は橘乃を助けようとしてくれているのだから、からかうのは失礼だ。 それに、気になっていることもある。


「でも、そんなに簡単に冬樹さんが諦めてくれるかしら?」

 橘乃が真っ先に不安に感じたのは、そこである。


 冬樹は諦めるどころか、父親が選んだ(……と彼が信じている)梅宮と橘乃が一緒になると知ったが最後、こちらが考えつかないような独創的な理由を作り上げて更に思い込みを深め、より過激な行動に出るのではないだろうか? 

 その時、屋敷の外にさえ出なければ、橘乃の安全は保障される。 

 父親の源一郎も、まず大丈夫だろう。 源一郎は、もともと人の恨みを買いがちな人だ。 日頃から備えているだろうから、冬樹が何をしようと返り討ちに会うだけだ。


 だけども、梅宮は?

 自分の恋を邪魔する者として、梅宮が冬樹に恨まれてしまうのではないだろうか? 

 そして、冬樹は、茅蜩館ホテルに梅宮がいることを知っている。 


「私のせいで、要さんが危ない目に会いでもしたら……」

「ご心配いただかなくても大丈夫ですよ」

 梅宮が橘乃の心配を笑顔でいなした。


「そうは見えないかもしれませんけど、僕は、わりと強いですから」

「そんなこと言って」

 全く強そうに見えない梅宮に向かって、橘乃は顔をしかめた。 


「自分だけ安全な所で隠れているなんて、要さんを囮にするみたいで嫌だわ」

「囮になるほどの度胸は、僕にはありませんよ。 でも、冬樹さんが僕に襲い掛かってきてくれたら、むしろ都合がいいかもしれませんね。 警察に突き出せますから」

「要さん!」

「冗談です」

 顔を真っ赤にして怒る橘乃に、要が穏やかな笑みを向ける。 「うちのホテルには要人もいらっしゃいますから、茅蜩館の警備体制も、こちらのお家以上に万全です。 僕が危ない目に会うこともないでしょう。 なにはともあれ、今は冬樹さんの気持ちの方をなるべくあなたから遠ざけることが先決です。 ついでに言えば、これは、ぼ、僕が、僕を橘乃さんに、う、売り込むチャンスでもあるというかなんというかですね、その……」

 梅宮の声がまたしても小さくなっていく。 


「要さん。 そういうことを無理して言おうとしなくてもいいですよ」

 笑いたいのを堪えながら、橘乃は彼を気遣った。

「はあ、すみません。 こういうことは、どうにも言い慣れていなくて……」 

 梅宮が苦笑いを浮かべながら頭を掻く。 


 ホテルで働いている時に彼が見せる隙のない笑顔とは違う照れた笑顔が、橘乃には少し眩しかった。


 *****


 その後まもなく、大学から帰ってきた妹の紅子が応接間を覗いたのを切っ掛けに、梅宮は普段の手際のよい有能なキャラクターを取り戻したようだった。


 彼は、まずは紅子に、冬樹対策として自分が橘乃の恋人のフリをすることになったことを打ち明けた。 ついで、屋敷の外を守ってくれている若者たちと、外からの侵入者に備えて、どこをどれぐらいの人数で見張るべきかを具体的に話し合った。 若者たちをまとめているリーダー格のふたりは、当たり前のように梅宮の意見に真剣に耳を傾け、彼の助言に従うことにしたようだ。


 それだけではない。 話し合いが終わる頃合いを見計らって食堂で茶を入れて待ち受けていた妹たちや義母たちへの梅宮の対応も完璧。 小さな頃から茅蜩館でホテルマンとして厳しく仕込まれてきただけのことはあって、礼儀に煩い紫乃の母親も、冬樹のことを『子供のまま育っちゃった変態』呼ばわりしていた明子の母も、冬樹が屋敷の周りに出没する度に『頭が痛くなる』と溢していた紅子の母も、『冬樹さんを夫にするぐらいなら、目を瞑りながら適当に電話帳を開いて、目を瞑ったまま適当に指差した電話番号に電話をかけて、出てきた人に独身男を紹介してもらって結婚するほうがマシだと思うわ』とコメントしていた月子の母親も、梅宮を気に入ってくれたようだった。  また、気難しいところのある夕紀の母親でさえ梅宮にはケチのつけようがなかったようで、彼がいる間は終始微笑みを浮かべていた。 

 

 妹たちも同様である。 梅宮に名前と顔を覚えられていた紅子はもちろんのこと、皮肉屋の末っ子の月子も『人当りが柔らかすぎるところが私にはもの足りないけど、お人好しの橘乃姉さまには、梅宮さんみたいな人のほうが一緒に暮らしていくうえでストレスがたまらなくていいかもね』と言ってくれた。

 なにより驚いたのは、ひどい引っ込み思案の夕紀が、梅宮が帰る頃には「せっかくだから、お夕食を召し上がっていけばいいのに」と、今まで聞いたこともないことを言いながら残念そうな顔をしていたことだった。 

 

 梅宮が帰った後も大変だった。


「『仮』とか『フリ』とか『暫定的』とか面倒くさいことを言ってないで、あの人に決めちゃえばいいじゃない?」

 義母たちも妹たちも、梅宮との結婚を強く勧めた。

「それとも、橘乃ちゃん、梅宮さんに不満でもあるわけ? ああいう人、嫌い?」

「もしかして、梅宮さんが孤児院にいたことを気にしているの?  そんな人と一緒になったら、友達に笑われると思っているの?」

「そんなこと、一度も思ったことないわ! 冗談でも、そんなこと言わないで!」

 橘乃は、月子を叱った。


 梅宮が孤児であることなど、橘乃は気にしたことがない。 いわゆるお嬢様学校出の橘乃の知り合いの中には、そういうことを気にする者もいるかもしれないが、梅宮のことを知らずに彼を蔑むような人がいるなら、その人との付き合いは、金輪際こちらから願い下げた。


 不機嫌な顔さえめったに見せることがない橘乃の剣幕に驚いた女たちが、目を丸くする。

「橘乃ちゃんが、そこまで怒るってことは、やっぱり……」

「と、とにかく、そういうこといったらダメよ。 もしも梅宮さんの耳に入ったら、傷付くじゃない」

 勝手に合点する女たちに慌てて言い繕うと、橘乃は自室に戻った。


******


 ひとり部屋に戻った橘乃は、窓際に置かれた肘掛け椅子に腰を下ろすと、ため息をついた。

 夕暮れ時。 窓の外では、執事と若者たちによる防犯用のサーチライトの点灯実験が始められていた。 サーチライトは、先ほど梅宮が彼らに設置を勧めて行ったものだ。


「嫌いなわけではないのよ」

 柵を乗り越えようとする人間に反応して眩しく光るライトを眺めながら、橘乃がつぶやく。


 梅宮が嫌いなわけではない。 それどころか、梅宮と結婚するのもいいかな……と、最近の橘乃は思っていないでもない。 

 いや、むしろ、梅宮ならいいかもしれない。 梅宮であればいい……とすら考えているような気がする。


 だが、肝心の梅宮はといえば、冬樹にしつこくされている橘乃に同情して、やむを得ずに恋人の役を引き受けてくれただけなのかもしれないのだ。

 厭々ではないにせよ、茅蜩館のために橘乃を助けようと思っているだけかもしれない。 一時的だからこそ、引き受けてくれた恋人役かもしれない。 


「そりゃあ……」

 橘乃は唇に指を乗せた。 梅宮とキスしかけたことはある。

「だけど。 要さんは、いずれ、茅蜩館の総支配人になる人だもの」

 そして、そのように決まったのが橘乃とキスしかけた直前であったことを、彼女は翌日に聞かされた。 


「もしかしたら、あの時の要さんは、『いずれ総支配人になるからには、橘乃さんの夫選びにも参戦しなければ!』っていう気分だったかもしれないじゃない」

 今回のことにしたって、次期オーナーの橘乃が事件に巻き込まれれば茅蜩館の評判に傷がつくかもしれないと考えて手伝ってくれるだけかもしれないのだ。 それに、次期総支配人にしてみれば、次期オーナーとの関係が良好であるに越したことはない。  恩を売っておくもの悪くないと思っているだけかもしれない。 

 なにより、梅宮は、万が一にでも冬樹が橘乃の夫になるようなことがあったら大変だと思っているに違いない。 梅宮と冬樹は、いわゆる水と油。 性格的に正反対であるし、梅宮は、口には出さないものの、冬樹のことを全く認めていないようだ。


「でも、もしかしたら」

 もしかしたら、彼も橘乃のことを好いてくれている……かもしれない。

 でも、ただただ義務感から橘乃を守ろうとしているだけなのかもしれない。 


「わかりづらいのよ。 あの人は」

 梅宮は、相手を不快に思っていても、実は迷惑だと思っていても、それを相手にわからせるようなヘマはしない。 そういうふうに訓練されてきた人だからだ。 

「違うわ。 あの人は、計算してやっているのではないのよ。 人を不快にさせるのが、苦手なだけ。 とても善い人なのよ」

 彼は、自分のことよりも相手の気持ちを第一に考えて行動してくれる。 ある意味、橘乃以上のお人好しなのだ。

 

 だからこそ、橘乃は、彼に不本意な未来を押し付けるようなことはしたくない。


「今までだって、いろいろ我慢して生きてきたのだろうと思うのよ」

 祖母や養母や茅蜩館のスタッフに良くしてもらった、弟たちも慕ってくれている。 梅宮は、そのように言ってはいるが、それでも、彼は孤児だからという理由で苛められもしたし、寂しい思いもしてきたに違いない。 だからこそ、彼には温かい家庭を築いてほしいと、橘乃は思う。 彼が心底想う人と結ばれて、幸せになってほしい。 

 『孤児だから』『育ててもらった恩があるから』などという思いから、梅宮を橘乃の夫にしたいと考えている彼の祖母や養母に勧められるまま断り切れず、やむなく橘乃を嫁にするような真似だけはしないでもらいたい。


「でも、要さんって、いかにも、そういうことをしてしまいそうな人なのよねえ」

 だから、橘乃としても、積極的な行動に出るのが怖いのだ。 

 橘乃がその気になった途端、この縁談には決着がついてしまうだろう。 誰も彼もが、橘乃と梅宮を添い遂げさせようとするに違いない。 そうしたら、梅宮の逃げ場がなくなってしまう。 


「困ったなあ」

 橘乃は背中にあたっているクッションを引っこ抜くと、その中に顔を埋めた。


 梅宮の本心が知りたい。 


「でも、要さんに直接訊いてみたところで、私に調子を合わせてくれるだけだろうしなあ」

「そうよねえ。 困ったものよねえ」

 出し抜けに橘乃の頭上で声がした。 

「お母さま?!」

「でも、梅宮さんのために、そこまで考え込んじゃう橘乃ちゃんって、かなり彼のことを好きなのではないかと思うんだけど。  違う?」

 

 驚いて顔を上げた橘乃の前に、いつも以上にレースとフリルで飾り立てた母の美和子が微笑んでいた。



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