恋の障害 9
「六条家に行く人? どっから聞いてきたのか知らないけど、橘乃さんは、茅蜩館ホテルの関係者かホテルの仕事をしている人としか結婚しないって言ってる。 あんたがそういう人じゃないなら、ここから先に行っても意味ないと思うよ」
要の目的地が六条家であることを確認すると、若者たちのリーダー格らしきネズミ顔の青年が言った。 駆けつけてきた時の殺気立った雰囲気から比べると、彼らの語り口は拍子抜けするほど穏やかだ。
六条家の事情にも通じ屋敷への出入りを制限しようと動いているところからすると、彼らが六条家の関係者であることは間違いないのだろう。 だが、使用人にしては若い男ばかりである。
(昔の言葉で言うところの書生ってやつなのかな)
六条源一郎も、かつては桐生喬久の書生だった。 これだけ広大な屋敷である。 彼がそのような食客を置いても、おかしくはないだろう。 だが、彼らが雇われている身ではないとしても、要には、彼らの礼儀作法や話し方がひどく気になった。 六条家を訪れる客は、橘乃の求婚者ばかりとは限らない。 生まれついた家や社会的な地位から、自分は大事に扱われて当然だと信じている人間も、たびたびやってくることだろう。 彼らの不躾な物言いに気を悪くする者がいるかもしれない。
それはさておき、要としては、ここで追い返されるわけにはいかなかった。
ホテルで働いている者だとわかれば通してもらえそうなので、要は、名刺を渡そうと麻のジャケットの内ポケットに手を突っ込んだ。
その時である。
「奴が来たぞ!」
若い男の声が、雑木林の奥から響いてきた。
「またか?!」 「しつこいなっ!」
受け取った名刺を確認しようとしていた5人の若者たちが、要を置いて駆け戻っていく。
要も、好奇心から彼らの後に続いた。
彼が100メートルほど進んだ頃、前方に見える男たちの数がどっと増えた。 雑木林の奥へと続いている坂から、一斉に駆け降りてきたのだ。 どうやら、その坂の上に屋敷があるらしい。 騒ぎは、その坂を降りきったすぐの所で起こっていた。
「ただの《その他大勢》のくせに、僕の邪魔をするとは生意気な! そこをどけ! 僕は橘乃さんに会いにきただけだ」
騒ぎの真ん中から聞こえてきた横柄な声に、要は聞き覚えがあった。
「冬樹さん?」
「《その他大勢》で悪かったなあっ! ってか、言うことがいちいちムカつくんだよ。この野郎!」
要の呟きを、竹里冬樹を取り囲んだ若者たちの怒声が掻き消す。
「電話やら贈り物やら、毎日毎日しつこいんだよ。 橘乃さんは、すっげー迷惑してるんだ」
「あなた、また、そんなことをしていたんですか?!」
要は叫んだ。 どうりで橘乃に電話が繋がらないはずである。
驚きに満ちた彼の声は、「そーだ、そーだ!」と騒ぎ立てる若者たちの声を圧倒した。 振り返った若者たちは、見慣れない要を訝しみながらも、彼のために道を開けてくれた。
「また、君か」
今日も今日とてショーウィンドウのマネキンからそっくり借りてきたような服装でキメている冬樹が、要の姿を認めて、寄りかかっていた赤いスポーツカーからゆっくりと体を起こした。
「ここまで僕の邪魔をしにくるなんて、君は暇なのか?」
要を馬鹿にしたように、冬樹が鼻を鳴らす。 「それとも、まさか、君も橘乃さんにプロポーズするつもりなのかな? 茅蜩館に養われている、ただの孤児でしかない君が?」
「だったら、なんだっていうんです?」
薄ら笑いを浮かべる冬樹に、要は精一杯突っ張ってみせた。
彼の返答に、後方の若者たちがどよめく。 先ほど渡した名刺を確認しているのか、「『茅蜩館ホテル東京、支配人補佐』だってよ」「なに? 本物の茅蜩館関係者か?」と、ヒソヒソと言い交す声も聞こえた。
しかしながら、肝心の冬樹は要のことをライバル視する気はないようだ。 「身の程知らずだな」と嗤われた。
「恥をかくのをわかっていながら、こんな所までノコノコやってくるとはね。 君と僕では勝負にならないことがわからないのか? 僕に茅蜩館を奪われるのが、そんなに癪なのかい?」
「少なくても、あなたに奪われる心配はしていません」
要は傲然と言い返した。
茅蜩館に引き取られて以来、彼は度々今と同じようなことを言われてきた。 だが、これほど厭味ったらしく言われたこともなければ、これほど言った相手に対して腹立たしさと失望を感じたことはなかった。
(こんな男に……)
こんなふうに平気で人を見下すような……見下していることすら意識していないような男は橘乃に相応しくないと、要は強く思った。
橘乃と冬樹。 このふたりの、考え方や人への接し方は、まったくの正反対ではないか。
正反対のふたりが結婚して、似合いの夫婦になど、なれるわけがない。
橘乃が幸せになれるわけがない。
こんな男に橘乃はやれない。 やるわけにはいかない。
「橘乃さんは、あなたと結婚する気にはなれないようですよ。 未練がましく彼女に付きまとうようなことをして、彼女を困らせるのはやめていただけませんか。 さもないと、あなたこそ恥をかくことになりかねないと思いますが?」
冬樹に負けるまいと、要は、精一杯の虚勢を張ってみせた。
しかしながら、要の怒りも意地も、冬樹の前では《糠に釘》みたいなものでしかなかったらしい。
「君は、なんにもわかっていないな」
冬樹が要を憐れむかのような顔をしながら、首を横に振った。
「困らせているのは、僕じゃなくて彼女の父親のほうだ。 古びたホテルを持参金に押し付けられて、ロクでもない男にばかり言い寄られて。 挙句の果てに結婚しなくちゃならない? それのどこか幸せだ? 彼女の幸せはどこにある?」
「そ……それは、確かにそういう捕えかたもできるかもしれませんけれども……」
「馬鹿! なにを弱気になってんだよ!」
うっかり言い包められかけた要を、隣にいた男が肘で小突いた。 先ほどのネズミ顔の男である。 どうやら、彼は、冬樹と敵対する立場を取る要を自分たちの味方だと認識したようだ。 後方からも、「しっかりしろ! 負けるな」という声援が送られてきた。
要は咳払いをして気持ちを立て直すと、「確かに、この縁談には、橘乃さんにとって意に沿わない側面があるかもしれません」と、ひとまず冬樹の言い分を認めた。
「ですが、橘乃さんは茅蜩館を気に入ってくださっています。 私ども茅蜩館としましても、彼女の気持ちを一番に考える所存です。 彼女の気持ちを踏みにじるような結婚を無理強いする気持ちは、私も含めて誰にもありません」
「でも、結局のところ、それも橘乃さんが本心から望んでいることじゃない」
冬樹が言い切った。 「父親が望むから、彼女は茅蜩館を好きだと思い込んでいるだけだ。 僕を心底嫌っているようなことを言うのも、僕を遠ざけようとするのも、全て父親のため。 かわいそうに。 彼女の心は、あの暴力的な父親の支配から逃れられないんだ。 だからこそ、僕が彼女をこの家の呪縛から解き放してやろうとしているんじゃないか」
「はあ? あなた、なにを言っているんですか?」
要は、冬樹の言い分が理解できなかった。
冬樹は、なにやら妙な使命感に燃えているようだが、橘乃と一回食事をしただけの彼に、彼女の何がわかるというのだろうか? しかも、その一回の食事の間、彼は橘乃をうんざりさせていただけだったではないか?
(なんなんだ? この人?)
自分の頭が鈍いのか、それとも、冬樹が変なのか?
だんだん冬樹が薄気味の悪いモノに思えてきた要は、解説を求めて後方に目を泳がせた。
「頭おかしいんだよ。こいつ」
隣にいる男が、冬樹に向けて顎をしゃくってみせた。
「橘乃さんが、はっきり『嫌いだ』って言ってんのに、全然理解しないんだ。 なんでもかんでも自分の都合の言いように解釈して、今では姫を助ける白馬の王子さま気取りだ」
「橘乃さんが、この人に面と向かって『嫌い』って言ったんですか?」
気遣い上手の彼女がそうまでするとは、余程のことである。 源一郎は、このことを知っているのだろうか。
(でも、こういう人っているよな)
要は、これまでに遭遇した扱いの難しい客と冬樹の言動とを重ねた。 絶対に自分が正しいと信じているから、自身の主張を譲らない。 下手に出れば増長するし、強気に出れば怒り出す。
実際、これほど話がややこしくなったのは、先日橘乃の父親が公衆の面前で橘乃の父親が彼を罵倒したからかもしれない。 橘乃に『嫌い』だと言われたことも、冬樹に反感を抱いているらしいここの若者たちの存在も、彼の気持ちをこじらせた原因のひとつかもしれない。
しかしながら、冬樹の目的は橘乃である。 彼がなんと言おうと、彼の言うとおりにするわけにはいかない。
(さて、どう言ったらいいものか……)
「橘乃さんは、その…… 自分の気持ちに正直な人ですよ?」
冬樹の反応をうかがいつつ、要は慎重に言葉を選んだ。
「六条さまも、あなたが考えているほど悪い方ではありません。 時に無茶なこともなさいますが、いつでも娘さんの幸せを第一に考えていらっしゃいます。 娘さんの意に染まないことは、絶対になさいません。 ましてや、橘乃さんに望まない結婚を強要するようなことはありません」
「わかった」
冬樹は言った。
「わかってくださいましたか?」
「ああ。 つまり、君も六条のオヤジとグル……というわけだ」
全然わかっていなかった。
「茅蜩館の次期総支配人の座をエサに、あのオヤジがお気に入りの君を橘乃さんに近づけることにした。 僕と橘乃さんの仲を引き裂くために。 そうだろう?」
憎々しげに要を見据えながら、冬樹が、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
「な? なんで、そんな話になるんですか?!」
要は、冬樹という人物が完全にわからなくなった。
これまでのやり取りのどこをどう解釈すると、そういう結論に達するのだろうか?
「な、変だろう?」
冬樹の異様な気迫に負けて後ずさりかけた要を押しとどめるように、ネズミ顔の男が彼の肩を支えてくれた。
「自分に酔ってんだよ、こいつ」
「そうそう。 まともな話し合いなんて、どだい無理なんだって」
奥からのっそりと出てきた背の高い男が指を鳴らしたのを合図に、冬樹に向けられている男たちの敵意が一気に膨れ上がる。
自分にとって都合の悪い話を理解できない冬樹とはいえ、殺気だった大勢の男たちを相手にするほどの向こう見ずではなかったようだ。
「ふん。 そこまで言うのならば、橘乃さんに会えばいい!」
捨て台詞らしきものを呟きながら、冬樹が車の中に退却した。 「彼女に会いさえすれば、僕の言っていることが本当だとわかるはすだ」
〇 ● 〇 ● 〇
ところが(……というよりも、要の予想どおりでしかなかっただけだが)、橘乃に会っても、冬樹の言葉が真実となることはなかった。
冬樹が去った数分後に、「ごめんなさい! 『冬樹さんが来ているから危ない』って、みんなが外に出してくれなくて」と謝りながらサンダルをパタパタいわせて坂道を駆け下りてきた橘乃は、要に剣突を食らわせるどころか彼を心から歓迎してくれているようだったし、「要さんがいらっしゃることは伝えてあったはずなんだけど、この人たちに脅かされたりしなかった?」とか、冬樹さんから変なことを言われなかった?」と心配してくれもした。 坂の上にある屋敷の入口までふたりに同道してくれたネズミ顔の男が冬樹と要とのやり取りをそっくり再現してみせると、「あの人、そんな失礼なことを言ったの?!」と、憤慨してくれもした。
橘乃の表情や声から、彼女が冬樹に対して嫌悪感を抱いていることは明らかだった。 また、彼女が彼を警戒し恐れているであろうことも、充分に見てとれた。
「本当にごめんなさいね。 私のせいで、嫌な思いをさせてしまって」
「僕のことはいいんです」
心配なのは、橘乃のほうだ。
「大丈夫ですか?」
人見知りが過ぎる実母の代わりだといって挨拶にきてくれた紫乃の母が応接間から姿を消すやいなや、要は橘乃に確認せずにはいられなかった。
「電話とか贈り物とか、冬樹さんから相当しつこくされていると聞きました」
「ええ、まあ」
橘乃が弱々しく微笑む。
「でも、みんなが守ってくれているし、私も気を付けているから大丈夫ですよ。 家でおとなしくしているおかげで、『前より女らしくなった』って誉められちゃったぐらい。 そんなことより、要さん」
「『そんなこと』とか言っている場合ではないですよ」
いまひとつ危機感に欠ける橘乃を、要は厳しい顔で問い詰めた。
「冬樹さんのこと、お父さまに、お話されていないんじゃないですか?」
要が六条源一郎に会ったのは、昨日だ。
娘が困っているのを知っていたら、源一郎が穏やかな顔をしていられるわけがない。
案の定、橘乃は源一郎に何も話していないようだった。 上目づかいに要を見ながら、拗ねたように「だって」とつぶやいた。
「『だって』じゃないでしょう!」
要の声が大きくなる。 驚いた橘乃が、小さな悲鳴を上げながら身をすくめた。
「失礼」
要は詫びた。 だが、話をここで終わらせる気はなかった。 「でも、なにかあってからでは遅いんですよ」と、根気よく橘乃に言い聞かせた。
「わかっているし、お母さまたちも『そうしたほうがいい』って言っているわ。 でも、お父さまはお父さまで、こんなことになっているって知ったら、冬樹さんに何をするかわからないしぃ……」
泣きそうな顔で、橘乃が弁解する。
理由を聞かされれば、要も、「ああ、なるほど」と、うなずかずにはいられなかった。
源一郎には《前科》がある。 長姉の紫乃の時は夫の家業を潰しかけたし、次女の明子の時には、前夫を不幸のどん底に突き落とすついでに、現在の夫を含めた前夫の一族郎党をパニックに陥らせた。
愛娘が冬樹に粘着されていることを知った源一郎がどう動くかは、誰にも予想できない怖さがある。 少なくとも冬樹は無事では済まないだろう。 武里グループも巻き込まれる可能性が大きい。
「確かに困った人だと思うし、迷惑しているのよ。 でも、そこまで悪い人ではないと思うの」
両手を組んだ橘乃が要に訴える。 「それ以上に、お父さまに、ひどいことさせたくないの。 それでなくても、『史上最強の親馬鹿』とか『最終兵器オヤジ』って陰で言われているのに」
「そんな噂が?」
「有名なのよ」
苦笑いを浮かべた要に、橘乃が真剣な表情でうなずく。
「では、せめて、お兄さまには話してください」
橘乃に押し切られる形で要は妥協案を出した。
「お兄さまに? どうしても話さなくてはダメ?」
橘乃はそれも渋ったが、彼女の身の安全を考えると、それ以上は譲れない。 要は「話してください」で押し通した。
「お母さまたちも安心なさるでしょうし、お兄さまならば、何があっても橘乃さんの安全が脅かされないように万全の対策を考えてくれるはずです」
それに、和臣は冷静だ。 彼ならば自分を過信したり情に流されることなく、自分にできることとそうでないことの区別がつけられるはずだ。 彼ならば、自分の手に負えないと判断した時点で父親に相談してくれるだろう。
「それから。 外を守ってくれている人たちを、更に組織化する必要がありますね。 今は私道の入り口を中心に守っているようですが、屋敷の裏手も含めて要所要所に数人ずつ配置してもらってください。 それから、外出時は必ず車を出してもらってください」
応接間の中を当てもなく見回しながら、要は、橘乃を守る手段が他にもないものかと考えた。
とはいえ、ひたすら防御に徹しているだけで状況が改善するとも思えない。 できるだけ早くに、冬樹に橘乃を諦めさせたい。 さもなくば、彼女はいつまでも怯えて生活することになる。
(冬樹さんに橘乃さんを諦めてもらうには、どうしたらいいだろう?)
結論だけを言えば、冬樹が橘乃を嫌いになればいい。
もしくは、彼女に言い寄っても無駄だと思いこませればいい。
(そういうことなら……)
手がないわけでもない。
要は、不安げな表情でこっちをみている橘乃に提案した。
「橘乃さんの結婚相手ですけど、僕に決まったことにしておいたらどうでしょう?」




