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誕生日には歌を  作者: 風花てい(koharu)
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厳しい理想と甘い現実 8

 竹里冬樹が橘乃と食事の約束をした夕方の6時半まで、要は比較的穏やかに過ごしていた。

 

 もっとも、昨夜のうちに要自身が橘乃と夕食を共にしたことで、彼の周囲は昨日以上に騒々しくなっていた。 

 

 祖母の助言に忠実に従い、彼は外野からの声を一切無視することに決めた。皆が言うとおり、食事をしたことで要と橘乃との距離は確実に縮まったのかもしれない。しかしながら、それと結婚とは、また別の話だ。理想論かもしれないが、結婚は互いの同意の上で行うものだという要の考えに変わりはない。 

 それに、橘乃は、選択権を父親から与えられている。決められた相手に嫁がされた彼女の姉たちには許されなかった自由だ。最大限に活用させてやりたい。でなければ、いつか彼女が後悔するかもしれない。 

(今日だって、朝から張り切っていたしな)


 要は、今朝の橘乃を思い出していた。 

 冬樹と会うのは夕方だというのに、彼女は、もうめかしこんでいた。しかも、今日のワンピースは、昨日の彼女が着ていたものと比べると、ずっと大人っぽく、女性らしさを強調するようなデザインだった。 

 彼女があの服を選んだのは、竹里冬樹を特別な異性として意識しているゆえであろう。そんな時に自分だけが一方的に彼女への想いを募らせるのも、なんだか空しい。せめて今日ぐらいは、誰にも要を橘乃にけしかけるような真似をしないでほしかった。


 あからさまに反抗的な態度を取ったことで、自分への風当たりが更に強くなることを覚悟した要ではあったが、意外なことに、誰もが要の気持ちを尊重してくれた。 

「昨日初めて打ち解けて話をしたような女性との結婚を今日考えられるほど、要は器用じゃないだろうからね。ゆっくり考えるといい」

 日頃から彼と親しい者は、苦笑しながら彼を許してくれた。


 そして、これまた意外なことに、要の依怙地な態度は、これまで彼を嫌っていた者たちからも好意的に受け入れられた。

 彼らは、「若造がケツの青い理想論を…… そんな悠長なことを言っている間に、竹里のガキに橘乃さんを持ってかれたら、どうするんだ?」と、文句を言いながらも、「いつもよりも、ずっといい」とか「普段から、そういうことを言っていればよかったのに」と、言ってくれもした。 

 不思議に思った要は、彼らから詳しく話を聞いてみた。すると、要は、彼らから『何を言われても抵抗もせずにヘラヘラ笑っているだけの得体の知れない奴』だと思われていたことがわかった。

「腹の中で何考えているかわからない奴が、顔を合わせるたびに人の顔色をうかがうようにしているから、こっちだってイライラするんだ」と、彼らのひとりは言っていた。「今まで、いろいろとごめんな」と、謝ってくれた人もいた。

「つまり、今まで僕が遠慮しすぎていたってことか?」

 そして、そのせいで相当捻くれた性格をした腹黒い奴だと気味悪がられていた……と、いうことなのだろうか?


(ショックだ……)

 要は落ち込んだが、ウダウダといじけている暇はなかった。 

 来年5月の閉館まで、時間がない。昨日貴子や横浜の事務長と話し合っただけでも、今すぐに決めておかなければいけないこと、着手しておかなければいけないこと、そのための準備が山とある。しかも、今日の午後には、それらを具体化し役割分担を決める会議が行われることになっている。東京のホテルの各セクションの代表者だけでなく、鎌倉や横浜の総支配人も出席する予定である。

 

 午前中の要は、フロントや他の業務の手伝いも断り、会議の下準備に専念した。

 11時半ごろに仕事にひと区切りをつけた要が本館4階の食堂に向かおうとしたところ、橘乃を見かけた。どういうわけだか、彼女は、朝着ていた大人っぽい洋服を脱いで、客室担当の女性用のユニフォームである水色の前開きのワンピースとエプロンに着替え、作業用のカートを押しながら同じ格好をした同年代の女の子たちと歩いていた。 


「お部屋のお掃除の仕方を教えていただいたんです」

 要を見つけて近づいてきた橘乃が、嬉しげに報告する。 

「客室の掃除をされたんですか?」

 戸惑いながら要が彼女の背後に控える女性たちに目をやれば、彼女たちは、なぜかバツの悪そうな表情を浮かべながら、思い思いの方向に顔を背けた。

 ひとつの客室を整えることがどれだけの重労働か、客を寛がすために客室係がどれだけ気を配っているか、そして、彼女たちが担当する客室がどれだけ多いかを短い時間にほぼ一方的に語り尽くすと、橘乃は仕事に戻っていった。 


「私が見ていますから、大丈夫ですよ」

 橘乃と入れ替わりに近づいてきた小菅という女性が、苦笑しながら要に約束してくれる。目元の黒子が色っぽいなよやかげな女性ではあるが、こうみえても、彼女は客室担当部門の副支配人であり、実質的には客室係の最高権力者である。


「とはいえ、あのお嬢さまに限って言えば、心配する必要もないかもしれませんね。彼女、たいした心臓の持ち主ですよ」

 橘乃たちが去っていった方向に目を向けながら、感心したように小菅が息を吐く。

 なんでも、橘乃は、聞えよがしに彼女に関する嫌味を言っていた女性たちの群れの中に、自分から突っ込んでいったらしい。知らせを受けた小菅が慌てて駆け付けた頃には、あの通り。橘乃は、客室係の中でも特に彼女に反感を持っていた若い女たちのグループから、客室掃除のコツを伝授されていたのだそうだ。しかも、ひどく楽しそうに。


「あれだけ楽しそうだと、教えるほうも張り合いがあるでしょうね。小さかった要ちゃんに掃除のやり方を教えた時のことを思い出したましたよ」

 大きくなった要越しに子供の頃の要を見るように、小菅が目を細めた。

 ちなみに橘乃は、小菅が見る限り、幼い頃の要や新人として入ってくる女の子たちよりも呑み込みが早いし、作業も手馴れているという。

 労働力として全く使い物にならないわけでもない。なにより、鬱憤をため込んだ女たちが橘乃という人物を見直す切っ掛けになる。そう判断した小菅は、橘乃のしたいようにさせておくことにしたという。


「鬱憤……たまっていたんですか? 橘乃さんに対して? なんで? どういう?」

「そりゃあ、女っていうのは―― もちろん全員じゃないけど、たいそう嫉妬深い生き物ですから」

 驚く要に、小菅が、清掃係という比較的に地味な職業従事者には不釣り合いなほど嫣然とした笑みを向けた。 

「自分がもっていないものを持っている人を見ると、許せなくなったり、無性に引きずり下ろしたくなったりするものなんですよ。これが群れている女だと、特に始末が悪い」

 しかも、客室係のような仕事は、女性がするにしては重労働ではあるけれども、手と口を一緒に動かしながらでもできる単純な作業の繰り返しだ。家柄にも容姿にも金銭的にも恵まれている橘乃など、彼女らの毒舌の格好のターゲットなのだと小菅は言う。

「しかも、今の橘乃さんには、彼女たちの憧れの的でもある、うちのホテルの王子さまたちを袖にする権利がありますからね。悔しかったり妬ましかったりするのは当然でしょう?」

「王子さま?」

「あの子たちにしてみれば、君たち兄弟だって、充分そう見えるってことよ」

 困惑する要の胸元を、小菅が指で軽く小突いて笑う。


「でも、お嬢さまの方が一枚上手だったかな。要と似合いの夫婦になれそうじゃない?」

「そんなこと、まだわからないよ」


 気安い口調に戻って、要が息を吐く。彼の子供時代を知っている古株のスタッフは、彼にとって最も内心を打ち明けやすい相手でもある。

「橘乃さんは、いい子だと思うし、嫌いじゃないよ。けど、結婚のことなんて、まだ考えられないっていうか……」

 橘乃の話は今日はしないことにしていたはずなのに、相手が小菅であるゆえか、要は律儀に自分の正直な気持ちを打ち明けた。 


「あら、そうなの?」

 少し前から砕けた口調に戻っていた小菅が、目を丸くする。「私、要は、その気なんだとばかり思っていたわ。だって、橘乃さんって思いっきり要のタイプじゃない?」

「え?!」

「いやだ。自分で気がついてなかったの? ここ」

 小菅が笑いながら、要の目尻を指差した。「あなた、昔っから笑顔の可愛い優しそうな女の人にメチャクチャ弱いのよ。ここがシワシワのお婆さんとか、今はそうじゃなくても、いずればシワシワになりそうな人が大好きでしょう?」

「大好きなんて……」

 要は、否定したくても否定しきれなかった。大好き……かもしれない。 

「態度に現れてたってこと? そんなにあからさまだった?」

「大丈夫。今は、そんなことないようよ」

 昔はしっかりと態度に現れていたことを言外に匂わせつつ、小菅が彼を慰める。ついでに、昔は、『要が懐く客にハズレはない』と、もっぱらの噂だったのだと打ち明けてもくれた。


「それにね。 橘乃さんって、八重さんに感じが似ていると思わない?」

「オーナーに? 言われてみれば、似ているかな」

 そういえば、誰にでも物怖じせずに話しかけてしまうところとか何を言われてもへこたれずに笑っていそうなところなどが、他人とは思えないほど、そっくりである。


「でしょう?」

 我が意を得たりと言わんばかりに、小菅が微笑んだ。  

「みんなが躍起になって要と橘乃さんとくっつけたがっているのは、だからだと思うわ。 はっきり言って、誰が次期オーナーの座に就こうと、待遇さえ変わらなければ、私たち従業員にとっては、どうでもいいことだもの。でも、要には幸せになってほしい。あなたは、私たちの仲間だし、ボタンが遺した子供みたいなものだからね」

 かつてボタンと一緒に働いていたという小菅は、励ますように要の肩を叩くと、持ち場に戻って行った。だが、要は複雑な気持ちだった。 

 

(つまり、僕は、みんなからババコンだと思われているということだろうか?)


 午後の会議の間も、その疑問は彼の頭の片隅に残っていた。 

 一方で、悪意があるとまでは言えないだろうが、橘乃を快く思っていないらしい女たちと行動を共にしている彼女のことも心配だった。引き続き小菅が見守ってくれるということだったが、彼女は大丈夫なのだろうか? 嫌がらせなどされていないだろうか? 

 彼の心配は、3時ごろに会議の進捗をたずねに入ってきた八重が解消してくれた。彼女は、《おやつ》も運んできてくれた。ホットケーキである。このおやつは、横浜の総支配人など、ある程度の年齢を重ねた者たちを大喜びさせた。 


「カラメルソースとは、懐かしいな」

「戦争が終わったばかりの頃は、メイプルシロップなんて手に入れようがなかったんだよなあ」

「ケーキとケーキの間に散らしてある、このザラメがいいんだよね」


「橘乃さんが、思い出させてくれたんですよ」 

 ケーキの切れ端を突き刺したフォークを手に思い出に浸るオジサンたちに、八重が説明する。八重は、ついさっきまで橘乃と一緒だったのだそうだ。橘乃と橘乃に掃除の指導をしていた女たちの仕事がひと段落するのを待って居間に呼び、いつものように茶飲み話をしていたらしい。ホットケーキとカラメルソースの話も、その時に出たのだという。 


「小菅が、橘乃さんと客室の女の子たちの間でひと悶着あるんじゃないかって心配していたけど杞憂だったね。みんなとすっかり仲良くなっていたよ。無邪気なようで、存外に強かだね。あのお嬢さんは」

「強かって……。 お祖母さま、そういう言い方は……」

「誉めてるんだよ」

 眉をひそめる要に手を振りながら、八重が笑う。 

「要も彼女を少し見習ったほうがいいよ。お前さんは見かけによらず引っ込み思案で言うべき時に言いたいことが言えなくなっちまうから、誤解されやすいんだよ」

「はあ」

 八重を諌めるつもりが、妙な方向に話が逸れた。逸れた話は、鎌倉の支配人――つまり、八重の夫であった久助の姉の息子に当たる人の、「ふうん。さすがに六条さまが育てた娘さんだけのことはあるねえ」の一言で逸れたまま加速度を増し、会議は完全に脱線した。 

 要の手前一応遠慮していてくれたらしいのだが、ここに集まった時から、誰もが本日予定されている竹里冬樹と橘乃との会食の話をしたくてウズウズしていたようだ。 


「武里の小僧を迎え撃つ準備は、ちゃんとできているんだろうな?」

「誰がおいでになろうと、いつも通りに、おもてなしするだけです。うちは、どこぞの王族や大富豪がアポなしで立ち寄っても、『もう一度来たい』と思わせる自信があるわ」

 剣呑な顔で問いかける横浜の総支配人(こちらは、戸籍上だと、隆文のかなり年が離れた兄にあたる人である)に、貴子が言い返す。

 かなり傲慢な発言に聞こえるかもしれないが、誰も、そうは思わなかった。同席していた茅蜩館東京のスタッフは皆、貴子の言葉の裏を取るように重々しくうなずいてみせたし、それ以外の者たちは、彼女の言葉に満足げに微笑んだ。 

「結構だ。 その《いつも通り》で、武里のボンボンを圧倒してやるといいよ」

 皆の気持ちをまとめるように、横浜と鎌倉の総支配人が貴子に向けて発破をかけた。


「ところで、お席は?」

「今朝がた、秘書の方から電話で、『個室を』とのご要望があったそうですが、ほとんど初対面の男性と個室にふたりきりにされたのでは橘乃さんが気詰まりだろうからと、スタッフが先方にお話しして、メインダイニングにご用意することを納得してもらいました」

 要が答えた。  

「いきなりふたりきりになりたいって言ってきたのかい? ずいぶん行儀の悪い男だねえ」

「そんな男を橘乃さんに近づけても大丈夫なのか? なにかあってからじゃ遅いぞ」 

 冬樹の要望に対する要の憤りは、鎌倉横浜の両総支配人が代弁してくれた。  


「それで、冬樹さんのお迎えは? 一応武里リゾートの社長なんでしょう? 誰か出た方がいいんじゃないの?」

「それは、貴子と要がやりますよ」

 当たり前のように八重が答えた。


「僕もですか?」

 裏方に徹するつもりだった要は、驚いた。

「恋敵として次期総支配人として、これから先、冬樹さんと張り合う時間が長いのは、私よりもあんたでしょう? 頑張りなさい」

 自分を指さす要に、厳しい顔で貴子が命じる。 

「橘乃さんも要が一緒にいてくれたら、心強いってさ」

 八重も、ニコニコしながら橘乃の意向を伝えた。そんなことを言われてしまったら、要とて逃げるわけにはいかない。

「負けるなよ」

 要に向けられた周囲の視線が痛かった。

 

 そして、約束の6時半。 

 正面玄関で待機する要たちを苛立たせ、部屋で迎えが来るのを待っていた橘乃を不安にさせること20分。悪びれもせずにやってきて、謝りもせずに橘乃の手を取った竹里冬樹の印象を、要がホテルに勤める者らしく、もっとも当たり障りのない言葉で表現するとしたら、それは……


『流行の最先端』だった。 




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