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番外編:ワルツ・アンダー・ザ・スターズ

 千の星と書いて千星ちせと名づけられた。考えたのは母だ。身ごもったのが娘だとわかった日に、彼女は提案したのだという。名付けの理由を直に聞くことのないまま、私が6つのとき、母は病気で亡くなった。


 小さな頃から、目を閉じれば見える。暗闇にダイヤの屑をぶちまけたような、無数の光。

いつも淋しくはなかった。なぜなら私にはそれが、母や伯母や祖母――若くして死んでいった一族の女たち、私の女たちの魂だと感じられるから。

 そう、ずっと感じている。いずれ遠くないうちに、私もそこに連なると。


***


 空になったグラスにおかわりを注ごうとしたら、一瞬先にワインボトルを奪われた。私はできる限り不満な表情をつくって、“陛下”を見つめた。

「飲み過ぎだ」

「いいじゃないですか。明日まで休みだし」

「お前はな。俺は午後に成田だ」

「14時発の便でしょう、余裕ですよ」

 いくら成田空港のアクセスが悪いといっても、都内からなら2時間あれば着く。せっかちなジェイルさんはどうせ荷造りを済ませているはずだし、朝は7時きっかりに目を覚まして、ジョギングに出かけるだろう。正月休みの真っ最中だろうと、ここが彼にとって初めての日本であろうと、ルーティーンを変えないのがこの人だから。

 4年半前の夏、私がヴェイラに押しかけて始まった関係は、国際的な距離を挟みつつも、一応途切れずに続いている。会うのはだいたい年に2~3回。私がヴェイラを訪れるのが基本だが、ロンドンとベルリンを一緒に旅行したりもした。

 ただ一昨年、祖母であるラーニア様が体調を崩され、そのままお亡くなりになってしまった。私も葬儀に参列したけれど、喪主であるジェイルさんは諸々の対応や相続の手続きなどすべきことが多く、ゆっくり過ごすことはできなかった。さらに『アフターキング』の映像化も同時進行していて、この1年ほど、ジェイルさんはずいぶん忙しくしていた。ようやくまとまった日数会えたのが、今回の年末年始というわけだ。その貴重なホリデーも、帰って寝たら、終わりを迎える。

 隙をついてワインボトルを奪い返した。なみなみと自分のグラスに注いで、空にする。

「油断も隙もない」

「おいしいワイン残すの、もったいないじゃないですか。赤ワインは日本で飲むほうがおいしいって言ったの、ジェイルさんだもん」

 亜熱帯のヴェイラでは、あまり赤ワインは飲まれない。というか、そもそも流通量が少ないので、物価が低いにも関わらず、ワインの価格が日本とそれほど変わらない。日本で飲むほうがお得だし、気候にも合っている。

「そういう話をしてるんじゃない」

「じゃあ、どういう話ですか?」

「自分ではわからないかもしれないが、目つきが酔っぱらってるぞ」

 11歳年上のこの人は、ときどきこんなふうに、子どもをたしなめるような言い方をする。それがちょっと気に食わないので、出会った夏の夜の、彼の醜態を引き合いにした。

「私が、お酒で迷惑かけたことあります? 誰かさんと違って」

「……それを言われると、俺が引くしかないってわかってるだろう」

 ジェイルさんが嘆息した。

「あのときは悪かった。とにかく、飲んだら帰るから」

 からかったつもりが、真面目に返されてしまった。

 私はただ、この夜を、もう少し延長したいだけなんだけどなあ。返事をする代わりに、私はゆっくりワインを飲み干した。


 暖房の効いた店内から一転、外の空気は冷え冷えとしている。

「ひゃー、風が冷たい」

 吹きつける風に、目を細めた。コートの首元を手できゅっと締める。3が日から開店している、ありがたい駅前のワインバルから、うちまでは徒歩7分。都心住まいなので、街灯やコンビニが多くて、道のりは全然暗くない。けれども今は、年末年始独特の静けさがあった。明るいけれど、闇を切るように厳かな、東京のお正月の、この空気感が好きだ。

 昨今、日本の亜熱帯化が叫ばれているが、定期的に行き来する者からすれば、日本と東南アジアの気候はやっぱり違う。ヴェイラは冬でもふわっとした熱気があって、いい意味で緊張感がない。

 一歩前を歩くジェイルさんが、ぶるりと肩を震わせた。10代から20代をスイスとイギリスで過ごしていたから、寒いのは平気だと言っているけれど、それでも10年近くヴェイラに住んでいるのだ。急激な気温の変化は身に沁みるだろう。

 黒いPコートを着た背中には、余計な贅肉がない。ポケットに突っ込んだ腕と、ウエストの間にちゃんと隙間があって、なんだか、とてもらしいなと思う。

 コートを着ているジェイルさんなんて、滅多に見られないというか、今回の来日で初めて目撃できた。そんな貴重な姿も見納めかと思うと、このまま帰るのがやっぱり惜しくなる。

「ジェイルさん、もう少し散歩して帰りません?」

 なんていい思いつき。私は顔をほころばせて呼びかけたが、聞こえなかったのか、ジェイルさんは振り返らない。肩を叩いて、私は同じ言葉を繰り返した。

 ジェイルさんの眉根にシワが寄る。

「今日は、帰ろう」

 足を止めたのも束の間、ジェイルさんは首を横に振ると、すぐにまた歩き始めた。なんなら、面倒くさそうな顔をして。

 つっっっまんないの。

 帰ろうって、そこ私の家じゃん。お前の家じゃないじゃん。今日はって、明日からはもうしばらく会えないじゃん。最終日だからあえて言ってんじゃん。

 言いたいことは次々に出てくる。後を追いつつ、声に出さずに、口の形だけ動かした。ぶちまけたっていい。普段ならそうする。でも言わないのは、冬の東京にはるばる来てくれて、ありがたいって思っているからだ。なんにでも理由が必要で、めちゃくちゃ腰の重いジェイルさんが、年末年始を東京で過ごしてくれた。それが彼にとってたやすいことじゃないとわかっているからこそ。ここが私のホームタウンだからこそ。

 感情を声に出す代わりに、夜空を見上げた。排気ガスの排出量が減っているからなのか、東京のど真ん中なのに、星がよく見える。冬の大三角、オリオン座。吐く息が、星座を少しぼかしたのち、高いところへ吸収されていく。

 星には詳しい。千星なんて名づけられた人間は、そうなるに決まっている。小さな頃から、図鑑やギリシア神話の本を繰り返しめくってきた。春夏秋冬、すべての季節の星の地図が頭の中にインストールされている。目を閉じる。そうすると、肉眼ではよく見えないおおいぬ座やおうし座、うさぎ座の存在も、はっきりと感じられる。昂ぶっていた気持ちが徐々に落ち着いていく。


 星空はいつだってそこにあって、小さな頃から心の拠り所みたいな場所だ。ある意味、私にとっては墓苑のようなものでもあった。お墓参りをする代わりに、心の中で死者に呼びかける代わりに、私は夜空を見上げる。今日も“彼女たち”はそこにいる。

 死んだ母たちがそこにいると、なぜ思い込んでしまったのかはわからない。幼い子どもが親の死を受け入れるのに、単にわかりやすかったのかもしれない。

 たとえば、既存のルールに納得がいかなかったり、誰かのちょっとした悪意にあてられたりするときなど、気持ちが瞬時に処理できないときは、よく空を見上げた。現世とまったく違う時間の流れが存在していることを確認すると、些末なことに心をとらわれるのは無為だと思い出せた。私にはそんなことを気にしている時間はない。明日訪れてもおかしくない死の前に、すべきことはたくさんある、と。

 よかれと思って、この感覚を何人かに話したこともある。小学校の同級生だった悠香ちゃんは、「こわい」と泣いてしまった。美愛ちゃんは、自分の親に相談して、そこ経由で教師から事情を聞かれることになった。

 教師からの連絡を受けた父は、しばし考えたあと泣き笑いみたいな顔で、ちぃちゃんらしいね、確かにお母さんたちはそこにいるだろうね、と言った。そしてこう付け加えた。だけど早死にすることなんて考えちゃいけないよ、その話は人にしないほうがいいかもしれないね。

 母、伯母、祖母、ほかにも把握しきれない一族の女たちが、判を押したように早逝していったという事実。同じ運命が私の血管にもまた流れているという、悟りにも似た感覚。それを説明したり、共有するのを願ったりすることを求めるべきではないのだと、理解してからもう何年が経つだろう。

 街は静かで、時折車が通る以外は、私とジェイルさんの足音だけが響く。飛行機を乗り継いで9時間かかる場所にある国の元国王とふたりきりで、東京の夜空の下を歩いている。吐息にまぎれる星の声に、私は耳を傾けた。私たちは、彼女たちにどう見えているのだろうか。


 帰宅してみると、やっぱりジェイルさんは荷造りを終わらせていた。それなら寝る前にお茶でも入れてゆっくりできるじゃないかと思うのだが、どうにもそんな雰囲気にならない。

 ふと思い至り、彼の顔を下から覗き込む。

「ジェイルさん、もしかして熱があったりします? 寒くて風邪を引いたとか」

 そう言って額に手を伸ばしたら、思いきり後ろにのけぞられた。その勢いに目を丸くしていると、ジェイルさんがはっと我に返る。

「悪い。体調は、大丈夫だから」

「そうですか。……私、先にお風呂入っちゃいますけど、いいですか?」

「ああ。俺のことは気にするな」

 湯船に浸かって温まりながら、私は首をかしげた。なんか、噛み合っていないんだよなあ。

 じつは昨日から兆候はあった。日本滞在の疲れが出たのかな、くらいに思っていたが、体調は悪くないと本人が言い張っている。

 私は両手で水鉄砲の形をつくり、お湯をピュッと飛ばした。見事シャンプーボトルに当たって、跳ね返る。何度か遊んだあと、今度は鼻までお湯に沈めてみる。ぶくぶく、と泡が浮き上がった。『地獄の黙示録』にこんなシーンがあったな、と思いだしてちょっと笑う。

 私とジェイルさんは交際していると認識しているが、いまだに現実味のない部分がある。一緒に過ごした時間はそう多くないし、お互いまめに連絡を取り合うタイプでもない。再会すれば自然に親密でいられるけど、相手が普段どんなことを考えているかは、知るところではない。

 それにはっきり言って、ジェイルさんは面倒くさい人だ。ムダに秘密主義で、神経の張り巡らせ方が細やかな半面、妙に隙が多い。それが彼らしく、愛すべきところだが、面倒くさいことには変わりない。

 なにか悩んでいることがあるのかもしれないが、言わないということは、まあ、放っておいてほしいということなのだろう。


 お風呂から上がってみると、テレビでは見たかった新春お笑い特番をやっていた。ジェイルさんと一緒だと落ち着いて見られないので、年末年始の気になる番組はとりあえずHDDに録画予約している。

 明日ジェイルさんが帰ったら、頭からゆっくり見ることにして、チャンネルを変えた。BSのクラシック番組が、ヨーロッパの景色を背景に、新年にふさわしい華やかな音楽を流していた。

 シャワーと歯みがきを終えたジェイルさんが、バスルームから出てきた。テレビの画面を指差して話しかける。

「ジェイルさん、サン=スーシ宮殿ですよ」

 一緒に旅行した場所だ。「懐かしい」と言う代わりに、ジェイルさんは不自然な空白をおいて、「そうだな」とだけ呟いた。

 またしても生返事。

 これはもう寝るしかない。私は飲んでいた炭酸水のグラスを洗うと、部屋の反対にあるベッドへ行き、縁に腰かけた。

「寝ます。ジェイルさんも準備できたら、電気消してください」

「待て、その前に話がある」

 ジェイルさんはすかさず歩み寄って横に座ると、体を乗り出すようにして、私を見た。苦悶を我慢し、絞り出すように言う。

「とても大切な話だ」

 あ、そうか。なるほど、と思った。別れ話だ。

 ずっと言いだせなくて、ジェイルさんは落ち着かなかったのだろう。最終日の夜なので、とうとう腹をくくったというわけだ。

 いろいろなことに合点がいって、あまり驚かなかった。代わりに、父親のことを考えた。今回ようやくジェイルさんに会えたお父さん。4年前の夏の私たちの冒険について、詳しいことは話していない。「ゼミの先生の友人で、日本語がペラペラのヴェイラ人と交際している。ちなみにその人は元国王」という私の話をずっと冗談だと思っていたらしく、その元国王が日本に来るから会わせたいとなったら、もう大騒ぎだった。何を着ればいいのか、家がいいのかお店がいいのか、ご馳走するのは逆に失礼じゃないのか……。

 とにかく気を使わなくていい、あっちも緊張しているはずだからと説得して、12月30日に高島屋の喫茶店で待ち合わせた。私の人生でもっとも親密な男ふたりが、向かい合ってコーヒーをすすっている図はなかなかユニークだった。大した話はしていない。日本の季節の話、カンヌで賞を獲った映画の話、私の幼少期の話。それで十分だったのだろう。別れ際、父親はやりきった顔をしていた。

 一人娘の交際相手と挨拶をするという人生の大仕事を終えて、晴れやかな気持ちで新年を迎えただろう彼に、やっぱり別れましたと告げたら、落ち込むだろう。心配性だけに、自分の責任とでも言いだしそうだ。その図を想像すると少し気が重くなった。でも、起きてしまうことは仕方がない。人生は待ったなしだ。父親だってよくわかっているだろう。人は出会った以上、いつか別れるから。それは不可避の運命だから――。

 両手をぐっと握りしめて、ジェイルさんは告げた。

「結婚を、する頃合いではないかと、考えている」

 あれ。

「結婚といっても、生活を無理に変える必要はないと思う。ヴェイラに来てほしいとは願わないし、俺も、日本に引っ越すのは、今のところ難しい」

 私が黙って見返していると、ジェイルさんは弁解するように続けた。

「無理をさせるつもりはない。正直、タイミングはいつでもいい。ただ、ラーニア様の弔いも無事に終わったから。それに、離れているからこそ、意志を伝えておくことが大事だと考えた」

「今日、帰るのを急かした理由は、これですか」

 ジェイルさんは観念したように、ふうと息を吐いた。

「日本にいる間に、言わなくてはと……」

「王族ならではのプロポーズとかって、ないんですか?」

「え?」

 ジェイルさんが目をぱちくりとさせる。

「代々伝わるルビーの指輪とか? 翡翠のネックレスとか? 王家の末裔なら、なんかそういうロマンチックなのありそうだなって」

 知らんけど。

 切れ長の目が限界まで見開かれ、そのまま固まった。1月なのに、額に汗までにじませて。息がつまるような沈黙。一方、背景のテレビからは流麗なワルツが流れていた。まるでコントだ。

 もちろん、デカい石のついた指輪がないなら返事をしないとか、そういうわけではない。ジェイルさんがあまりにもジェイルさんなので、ちょっとツッコんでやりたくなっただけだ。20年近く前に国王を引退した男をからかっては可哀想だ――冗談ですよ、そう言おうとしたときだった。

「わかった」

 ジェイルさんが立ち上がる。同時に、私を手首ごと引っ張り上げた。

「宝石、あるんですか?」

「ない」

 じゃあなんだと思っている間に、体と体が向き合い、両手をそれぞれ捉えられる。

「王族のようなことをする」

「え」

「踊ろう」

 マジで、と言うより先に、ジェイルさんの脚が動き始める。引きずられないように、あわてて爪先の動きを合わせた。1、2、3という3拍子のステップ。ジェイルさんにリードされ、くるっと体を回される瞬間に、テレビ画面が視界を横切った。あろうことか、私たちは、流れてくるワルツに合わせて踊っているのだ。

 7畳程度の1Kの床は、障害物だらけだ。右足でクッションを踏んづけてしまい、転びそうになる。寸前で踏みとどまると、今度はショルダーバッグ。左足で潰す前に、思いきり蹴り飛ばした。

「こんな、特技、あったんですか」

 回転のさなかに、なんとか話しかけた。

「王族のたしなみだ」

 ステップを踏みながら、ジェイルさんは口の端を上げた。つられて私も、笑顔にならずにはいられない。だって、斜め上すぎるでしょう。お互い寝巻きで、半乾きの髪の毛で、一人暮らしのマンションで、私たちはワルツを踊る。

 1、2、3、1、2、3、1、2、3……。


 舞踏会で何時間も踊ったような気がしたけど、実際は2~3分のものだろう。一緒に大きく回転したところで、まず私がよろけ、ついでにジェイルさんの足がもつれて、ふたりでベッドに倒れ込んだ。もつれ合った姿勢のまま、上がった息を落ち着かせる。

「俺も、だいぶ酔ってるな……」

 ヒゲの口元が、言い訳めいたことを言った。

「社交ダンスって、初めて踊りました」

「俺は20年ぶりだ」

「あら、もったいない」

「これが嫌で国王を辞めたんだ」

 照れながらも真面目にレッスンを受ける少年の姿が思い浮かんだ。東南アジアにかつて存在した宮廷で。この東京から遠く離れた時間と場所で。

「ジェイルさん」

 顔を少し動かすと、目の前に切れ長の瞳があった。

「私、早く死にますよ」

 今度はからかいではなく、ただ素直に言った。ジェイルさんは視線を動かすことなく、一度だけ瞬きをして、答えた。

「そもそも、俺が11歳も年上なんだ。ちょうどいいだろう」

 私は首を伸ばすと、薄くて形のいいその唇に、ちゅっとキスをした。間髪入れず、絡まった体をほどいて、ベッドの奥へとはいのぼる。

「お風呂上がりで踊ったから、酔いが回っちゃいましたよ。今度こそ寝ます」

「あ、おい」

 抗議の声が聞こえたが、眠気が迫ってきているのは事実だった。有無を言わさずまぶたを閉じる。あわててテレビや電気を消してきたジェイルさんが、狭いベッドの横で、こちらを窺っている気配を感じた。目を閉じたまま、私は言った。

「結婚の細かいことは、明日起きてから決めましょう」

 闇に紛れるように、かすかな独白が聞こえた。ヴェイラ語の「ありがとう」だ。一拍おいて、てのひらが髪を撫でる感触があった。その下で、私の意識はゆっくりと沈んでいく。

 きっと今、呆れたような、苦笑いのような、でもほっとしたような、そんなやさしい顔をしている。ヴェイラ王国の元国王陛下は。大好きな、私の陛下は。

 眠りに落ちる脳内で、世界はくるくると回る。夜空に満天の星が瞬く。


 星々の墓苑は、死は、いつだって私のそばにある。その感覚を人にわかってくれとは思わない。これは私だけの夜空だから。ジェイルさんは、夜空を塗りつぶそうとしない。それがただただ嬉しかった。

 死ぬのが怖くない、なんてこれから先も絶対に思わない。早く死にたくなんてない。でも今夜、私にはわかったことがある。

 あの星たちが、早くに亡くなった私の女たちが、暗闇の中で永遠に輝いているのは、彼女たちがそれぞれに思い出を抱えているからだ、と。時間の流れと切り離された場所で、終演のこない名画座のように、とびきりのシーンが繰り返されている。

 そして今、私が死んだら、今夜のダンスを何度も見るだろう。星は光り輝くことだろう。

 その確信だけで死ぬまで生きていける、と思った。

 瞼の裏に幾千の星を見ながら、私はやさしい手を握った。


お読みいただきありがとうございました。

本作「ワルツ・アンダー・ザ・スターズ」は、時系列的には、本編ラストの結婚式の半年前になります(本編は2010年代前半の設定なので、今回のエピソードと結婚式も、ギリギリ新型コロナウイルスが流行する前でした)。


元国王が主人公ということで、社交ダンスシーンをどこかに出したかったのですが、本編ではかなわず。そこでチセ目線の番外編に入れてみました。


一人称で書くときは、文体そのものに語り手らしさを出したいと思っています。チセは、周りのことをよく観察しているけど、本人の自意識は薄い(くどくど悩まない)というキャラクターなので、本人の心情そのものではなく、ジェイルの反応や、会話に感じる違和感といったものを、なるべく緻密に書きました。


チセは結婚については、プロポーズされるまで全然意識していなかったと思います。自分のことを早死にすると思っているし、法律的な結びつきにもあまり価値を置かない人なので。「有り得るのかなー?」と考えたことくらいはあるでしょうが、本気で検討してはいなかったというか。

相手が大事だから自分を変えるのではなく、譲れないものがあるけどそれでも一緒にいよう、という結婚の意志を書くのがテーマでした。


『アフターキング』にまつわるお話は、いったんこれで終了です。この番外編も含めれば足掛け9年書いてきたことになります。手放すのが少しさみしいけれど、たくさんの方に楽しんでいただくことができ、私にとっても記念碑的な作品です。


お読みいただき本当にありがとうございました。

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