依頼① > 廃校 > 遺品 ⇒③
依頼人:佐藤由美
依頼内容:娘が使用していたクラリネットの回収
回収対象:クラリネット
対象特徴:“佐藤梨穂”の刻印
募集人数:6人
募集要項:過去、辿陽高等学校に在籍したことがあり、それを証明することができる者
報酬:340万円
(PM:18時23分)
5人が校舎に侵入し、最初に把握したこと。それは、あれだけ綺麗に保たれていた外装に対し、中は大きく荒れ果てているということだ。
白いコンクリート校舎の割に、中身は木製であるという矛盾を抱えたこの学校のギャップと言えるのだが、それは夕陽影の存在によりたいへん不気味だと認識される。
夕陽影を頼りに校内を進み、時に足元の廃材に足を躓かせる5人は、夕陽影がこれ以上伸び切らないよう、再三確認しつつ歩みを進める。
最も、この校舎があるのは山中の奥深く。夕陽影が伸び切ることは、創立して以来一切訪れたことがないことを、5人は忘れてしまっていた。
ゆえに、夕陽影は時間の経過とともに徐々に色褪せ、やがて月光がこの校舎を支配するのだろう。そうなってしまえば、もはや逃げ場などあってないようなものである。
(PM:18時27分)
「体感だが、そろそろチュートリアルが終了する。ここから先、死んでも文句は言えないぞ」と、結乃が言った。
その言葉に、千風の身体を掴んで離さない望結の手に力が入る。鷲が得物を捕らえる時のように。
改めて、千風は懐かしい母校の今を目の当たりにする。卒業時、そこそこ老朽化が進んでいたこの校舎。荒廃していなかった場所はそこそこ荒廃し、老朽化が進んでいた場所は完全に破壊されている。
壊れた壁の板材が床に倒れ、教室にあるはずの机や椅子が廊下のいたるところに散らばっている。
壁に掲載されていたポスターや学校新聞などは床にうつ伏せとなり、虫に喰らわれるのをただただ見ていることしかできなかった。
が、それよりも違和感のあること。皆揃って「構造が変わっている」と、低い声で言った。
5人は相談の上、障害物や遮蔽物の少ない職員玄関から校舎に侵入した。結乃の言っていた、“角待ち”を防ぎ、逃走経路を確保するためである。
しかし、どうにも5人の記憶している校舎の構造ではないようで、残された短いチュートリアルの時間を浪費してしまうだけに終わった。
もはや、一刻の猶予もない。されどもどうにもならない。始まりの鐘を鳴らすべく、死神は大ハンマーを振りかぶっている。
依頼開始地点からの距離、敷地の広さ、そして校舎の構造変化が探索を拒んでいる。同見ても意図的なもの。この依頼へ招待した存在は、参加者を生かして返すことを嫌っているのだと直感せざる得ない。
「……結乃、こういうときはどうやって逃げるべき?」と、周囲を警戒しながらも紗希は言う。
「とにかく走るしかない。角を上手く使って殺人鬼を撒くのが定番とでも言おうか」と、結乃は冷静に言う。言葉だけ聞けばアクションホラーであるが、ここは現実。リスポーンなど存在しない。
文字通り、デスゲームなのである。
(PM:18時31分)
突如、望結が千風の裾を引く。そして小さな声で「千風ちゃん」と、名を読んだ。
「何?」と、千風。望結は相変わらず背中に張り付いたまま言った。「絶対に生き残ってね」と。付け加えて言おうとするも、それは結乃によって防がれる。
そこで始めた気づいた。地面が揺れているということに。
(PM:18時32分)
結乃の指示に従い、4人は近場の遮蔽物に身を隠し、呼吸の速度をわざと遅くさせる。その代わり、目だけはこの先にある十字廊下をはっきりと捉えていた。
徐々に地響きは近づき、周囲に転がる木や石の粒は周囲を右往左往する。もはや、5人の呼吸音すら聞こえない。
粒子すら恐怖するそれは、ついに姿を現した。
(PM:18時33分)
廊下右側から、それは姿を現した。
どこからどう見ても人間ではないそれは、足を進めるごとに地響きを誘発させる。
そもそもとして、眼前のそれは本来、遊園地などに立つべき存在である。いや、しかしどう見ても子供ウケする外見ではない。
継ぎ接ぎだらけの肥えた身体。手先からは、3本の鋭利な紅色の爪が生えている。僅かに見える瞳は、充血したかのごとく深紅に染まっている。加え、その頭に抜き付けられたのは、典型的な兎の耳である。
のそのそと不気味に歩くその姿。認識する5人は、ただ必死に、厄災が通り過ぎるのを待つしかなかった。
が、しかし、厄災は皆が隠れる障害物のほうに目を向ける。動きを止め、ただじっと、その方向を見つめている。
参加者の心拍数が跳ね上がる。抑えていた呼吸も僅かに速くなり、体中から冷や汗が噴き出す。夏場であるため、これは非常によろしくない事態であった。
千風は隣にいる結乃に目を向ける。が、そこにあったのは、にわかには信じがたい光景。冷静を保っていたはずの彼女が、今や絶望に満ちた表情を宿している。
依頼を3度生き抜いたベテランですらこうなるのかと、もはや諦めが脳裏を過る―――しかし、厄災は踵を返し、進むべき元の方向へ歩き出す。間もなく、それは廊下の壁へと姿を消した。
(PM:18時35分)
地響きはやがて遠ざかり、徐々に平穏が訪れる。正確には違うのだが、一旦、その場は平穏だった。
皆、張り詰めていた糸が切れたようにこぞって酸素を肺に押し込む。体温は急激に上昇し、またもや汗をかく。
千風は聞く。
「結乃、あの怪物は何なの?」
「…………」
返ってきたのは沈黙だけだった。が、結乃自体、容態が良くなかった。呼吸は浅く、目の焦点は合っていない。額から流れた冷や汗が頬を伝い、床にポトポトと流れ落ちている。
本来、この状況ならば容態が回復するまでそっとしておくべきなのだろう。しかし、今回は全員の命が掛かっている。
極限の生存本能は、生物に秘められた底力を引き起こすものだ。
「結乃、しっかりして。あなたがいなければ、私たちは生き残れない。私は親が遺した借金の返済と学費のために、この依頼を後4回は達成しなければならない」と、結乃の肩を激しく揺さぶった。
渾身の揺さぶりにより我に返った結乃。深呼吸して「すまない」と、一言謝罪。続けて「あのような個体を見たことがないんだ」と言った。
「それはどういうこだい?」と、今まで沈黙を貫いていたギルが問う。質問者の千風よりも速く、誰もが知りたい答えを問う。
「……少なくとも、私が経験した依頼の中において、殺人鬼は人型だった。容姿は仮面で分からないが、誰もが必ず武器を所有している」
「例えば?」
「主に近接武器が多い。ナタとか肉切り包丁とか、そのあたりだ。それに加え、サブウェポンとして拳銃を所持している」
「じゃあ、今回の殺人鬼は……」
「言葉のとおり、私のデータに含まれていない」
もはや分かりきっていたことだ。皆、驚きはしない。
しかし、その言葉は明確に生存確率の低下を示す。自然と発生した絶望は、波を起こして襲いかかってくる。
皆、固唾をのむばかりであった。
千風は考える。全員が生還できる方法はないものかと。この理想論を現実にできないものかと。
しかし、幾度思考を巡らせど答えは出ない。アドバンテージが封殺されたゆえ、もはやそれは叶わない。
「……わかった。なら、今は生き残ることだけ考える。結乃が教えてくれたこと、無駄にしないように」
そう、千風は何かを堪えるるような声で言った。彼女の右手は、今にも震えだしそうな左腕を強く握っていた。
結乃は考えた。ついさっきまで右往左往していた、まだひよっこの女が短期間でここまで到達できるものかと。
それが生存本能なら妥当。が、結乃が見るに、どうにもそれは生存本能ではないらしい。千風の瞳がそう、訴えかけてきたからだ。
間違いなく、彼女は目的だけで動いている。今後、自分が社会の中で生きていくだけのために。
「……そうだ。その調子で―――」
(PM:18時37分)
理解が追いつかない殺人鬼は去っていった。
あの、肥えた瓢箪型の体をした継ぎ接ぎだらけの怪物は、この校舎の深部へと歩みを進めていた。そう、眼球が脳に情報を流したからだ。
では、今、眼前にある黒い影は何なのか。黒いスーツに身を包んだ、道化師の仮面を装着した、地獄への列車の発車を告げ装備を持ったそれは、何なのか。
全員の脳が理解したとき、もはや遅かった。眼前を、太くて、黒くて、液体を撒き散らしながら宙を舞う一片ありけり。
脳を突き刺す生への慟哭は、当事者、実行者を除く全ての者の脳を一突きする。耳を塞げど、それは隙間を貫通して脳を突き刺すばかりである。
千風が我に返ったとき、眼前には手を引いて走る結乃の姿があった。足は自然とその動きについいけており、疲れすら知らないと言った。
が、同時に脳は冷静で、曖昧な記憶を脳裏にはっきりと、映像として映し出した。
何よりもの証拠。その背後からは、聞き覚えのある声と、何かが引き裂かれ、潰れるような酷い音が絶え間なく響いてくる。
背後を振り返ろうとする。小さくなった瞳孔で、現実を直視するべく。
が、それは力強く腕を引く結乃によって阻止される。そのままの流れで「振り返るな」と、彼女の心からの叫びが放たれる。
生存本能と脳裏に焼き付く光景の再生で、千風の心はもはやぐちゃぐちゃだった。喉元までこみ上げる酸味のあるそれを、酸素の取り込みで必死に抑えながら、彼女たちは走り続けた。
(PM:18時41分)
もはや、どれだけ走ったのかすら分からない。言えることがあれば、普段からあまり運動をしない千風にとって、先ほどの逃走はあまりにも酷であったということだ。
また、ここには千風と結乃以外の誰もいない。つまり、他の参加者と逸れてしまったということになる。
誰もが違う方向に逃げたのは明白。むしろ、それで正解だったことを、結乃は安堵した。
一方、千風は未だに整理がついていなかった。にわかには信じがたい、脳裏に焼きついて離れないあの光景の。
口元を抑え、今にも出てきそうな酸味のあるそれを必死に抑える。瞳孔は小さくなり、現実と記憶の乖離と、逃走によって、彼女の体からは汗が滝のように流れていた。
もう日没時。山中の気温は低くなり、体温が低下し始める。隙間風の影響もあり、体は瞬時に冷たくなった。
依頼が始まってもう少しで1時間。未だ収穫はゼロ。回収品の手がかりすら掴めていない。
夕日の動きが、徐々に彼女たちの動きを制限する。このような状況でも、参加者の目的だけは変化することはない。
「行こう、日が落ちる前に」と、結乃は言う。
少し遅れて「分かった」と、千風は返した。
生存者:?/6人




