1年生 その7 第一王子
7 第一王子
学園初日、2人と友達になれそうだという現状にセーラは浮かれていた。
公爵邸の住民にとってのセーラは、信仰の対象であるかのようだった。彼らは何でも許したし、何でも認めてくれた。それが嫌だとは思えなかったが、13歳の赤ん坊になったような気分は楽しいものではなかった。何もかもの全てに対して配慮してもらう事を、セーラは敬われているとは感じられなかった。自分を対等な人間と見なしていない行動のように思えた。貴族というのが、誰かに傅かれながら生きて行く存在である事を、言葉として認識していたが、それを体験した事がないセーラには、それを日常にするにはまた時間が必要だった。
相手が興味あるものを聞き、自分が興味あるものを話し、お互いの何かを少しずつ知り合うという関係は、とても楽しかった。
「ごめんなさい。話をしたいのだけど。お昼は、お姉様と一緒に食べる事になっているの。」
「食堂で一緒にしてもいい?」
机を挟んで立っているキャロットは生まれた時から貴族だったのではなく、傭兵として活躍した父が騎士爵を叙任された5歳の時からの貴族であるから、セーラの立場に対して共感する部分があった。その上、他の貴族たちの多くが距離をおくように話しかける中、セーラは友人を作るために踏み込んで話をしてくるのだから、自然に好意を向けるようになった。
公女が友人と言ってくれるのであれば、自分も友人と名乗りたかった。それが友情の始まりであると思うと同時に、少なくとも自分は赤髪の凛々しい彼女のファンになったのだと理解していた。
「ごめんなさい。今日はお弁当を持ってきたから。食堂とは違う所で、お姉様と一緒に食べる約束をしているの。」
「お弁当って、誰かの手作りなの?公爵夫人の手作りとか?」
「ううん、私が作ってきたの?」
「セーラも料理が得意なの?」
「得意な方だと思う。もってことは、キャロットも得意なの?」
恥ずかしそうな表情を見せた友人の代わりに、隣の席から称賛の声が聞こえる。
「キャロの料理はおいしいわ。何度か食べたこと・・・。レイティア様を待たせていいの?」
初等部1年生上級クラスの半分の生徒はすでに教室を出ていた。多くが午後の活動が始まる前に食堂へ行こうとしていた。
「ううん。行かないと。今日は話しかけてくれてありがとう。また、明日。」
「また明日。」
「もし、明日私達もお弁当を持ってきたら、一緒に食べてもいい?」
「もちろん。」
「私はキャロみたいに作れないけど。」
「リリアの分は作ってくるから。」
「ありがとう。セーラもまた明日。」
公爵邸の食材の豊富さを思い浮かべながら、明日のお弁当は少し多めに作ろうと考えながら、廊下へと出た。
カバンの取手を両手で握りしめながら、淑女として滑るように静かに歩くことを心がけながら、姿勢を正してまっすぐと廊下を歩き出した。学園自体が大きくて広いため、廊下も教室も広さが十分にあった。
このまままっすぐ歩いていくと、自分の正面に立ちはだかる事になる男子が1も人立っていた。お互いに歩いているのであれば、すれ違う時にお互いに右側にずれて歩く事で衝突を避ける事ができた。廊下には十分な幅があった。
しかし、金髪金目の男子は歩かずに、そこに立っていた。
表情を変えないで対応できるかが、貴族の社交の第一歩であると教えてもらったように、セーラはそのまま歩いた。自分よりも少しだけ背の高い男性は、男らしい美男子ではなく、中性的な美男子で線の細さを感じさせる容姿だった。金髪を肩まで伸ばしているため、女生徒の制服を着ていれば、短髪の女性としか見えなかった。
3歩の距離でセーラが立ち止まる。
「綺麗な赤い髪だね。」
その言葉と共に一歩踏み出した美男子が、右手をセーラの髪に差し出してきた。どんな意図がある行動なのかを考える前に、真っ赤な瞳を見開きながら、セーラの体が動いた。
両手をカバンの取手から外すと、赤い髪に触れられる前に、左手の甲で相手の手のひらを弾いた。その直後に流れるように右手首をつかんで、逃げないようにすると、セーラは大きく右足を踏み込みながら、右手を直線的に動かした。
伸びた右手が男子の頬を打ち据えてから、手首をつかんでいた右手を放して、軽く胸を押した。
何が起こったのかが分からなかったが、胸を押されてバランスを崩した事を感じたカーニー・ギリアムは、二歩後ろに下がる間にバランスを取りなおして、倒れる事を防いだ。
「なにを。」
「失礼な事をしないで!!!」
良く通る高い声が廊下に響き渡った。
頬を打たれた男子は、自分の白い肌が赤くなる色を見る事はできなかったが、打たれた所が熱くなるのを感じた。そして、徐々に自分の置かれた状況を整理し始めた。
ケネット侯爵派の一員として、公女セーラに接触する命令を父親から受けていた。大人たちからは、美少年と褒められる容姿を利用して、恋人になるようにと言われていた。自分の男らしくない容貌が嫌いだったが、女子の中には、こういう容貌を好む者は少なくなく、外見だけで言えば、女性の心を掴みやすい事を、彼は良く理解していた。それを利用できる間は利用しようとは考えていた。
そして、考え抜いて出した策を実行した。無礼に当たる行為であっても、相手がそれを嫌わなければ、それが許される事を彼は理解していた。だから、実行したが、この策は無残にも砕け散った。砕け散ってみれば、繕う事ができない愚策である事を理解した。その上、誤魔化すなり、言い訳する時間すらも与えられなかった。
「名乗りなさい!!!」
無礼を働いた者の名前を名乗らせる事は、その責任を問う事を意味している。
赤髪に触れようとした行為が、セーラの逆鱗にも触れた行為であることを理解できる同級生はいなかった。13歳である事と、学生である事から、極めて失礼な行為でしかないが、貴族たちの夜会で、酒を飲める場面で、男性が女性を口説こうとする時には、相手の同意を確かめながらする行為としてはあり得た。
推奨される事は無いが、貴族社会の中で許される事もある行動であったから、カーニーはセーラの今回の反応を予想すらしていなかった。
酒の飲める大衆食堂で働いていた看板娘にとって、気安く体を触らせる行為が、どのような意味を持っているのかを、きちんと理解していた。
大衆食堂の中には、食事や酒だけでなく、給仕する女性を商品にする処もある。そういった所では、体を触られる事も商品の一部であり、差し出す金額によっては、食事処の個室で体を好きにできる所もある。
母と一緒に働いていた食堂では、夜時間に酒を提供していたが、女性を商品にするようなことはなかった。それでも、時々勘違いした客が、ミーナに触れようとする事があり、その度に食堂の伯父さんが、勘違いした客を殴りつけて叩き出していた。ミーナ自身も護身術の心得があったので、触られるような事は一度もなかったが、触られそうになったことは何度でもあった。手を出さない代わりに、金を出して買いたいと直接声をかけられることもあった。
食堂で酒を出す夜時間には、セーラは2階に避難して、本を読んでいた。時々聞こえる1階の騒ぎの原因を知っているのは、おじさんがセーラにも気をつけるようにと、きちんと説明していたからだった。そして、おじさんは、セーラに対して、体に触れようとする人間には、どんな事をしても構わないから、きちんと拒絶するようにと教えていた。
だから、セーラは教えられたとおりの当然の行為をしたが、ここは貴族令息令嬢が通う学園であり、庶民のくだらない争いという事で処理できるものではなかった。
間違ったとは思わなかったが、これからどうすれば良いのかという教えをセーラは受けていなかった。
ただ、母が庶民だからという理由で、公女である自分に無礼な事をしても構わないと考えているのであれば許せなかった。そういった言動まで加われば、頬を打つだけで許す事ができないとセーラは考えていた。
公爵と庶民の血が混じっている事で侮辱されるのは分かっていた。自分に能力がない事を、庶民の子だからと言われて侮られる事は覚悟していた。だけど、セーラはまだ何もしていなかった。褒められるような事は何1つしていないが、侮られるような行為も何もしていなかった。今のセーラに対して侮辱できる理由は、庶民の血を引いている事しか存在していなかった。
この侮辱は娼婦に対するような軽い気持ちで行われていて、している方には侮辱している認識すらないように思えた。目の前の無礼者が、怒鳴りつけられている事にただただ驚いている表情を見せている事も、セーラの冷静さを奪った。
「名乗ることができないの!!!」
さらに大きな音量と怒りを増した声を正面から受け止めたカーニーは、自分の行為が公女の何かに触れてしまったことに気付くと同時に、この状況を好転させる術がない事にも気付いた。
「・・・。」
怒りの罵倒を浴びる中で、逆鱗に触れたのが、単に髪を触ろうとしたからなのか、他に何かがあるのか、それを見定めたいと彼は考えていた。これ以上の失敗は、自分だけでなく、我が家にも多大な迷惑がかかる可能性が高いと判断した。
「セーラ嬢、話に割り込んですまないが。」
「黙っていて!!!」
左後ろから近づいてきた男子の方を見る事すら怒鳴った。
冷静さを取り戻していたのであれば、激怒している公女に話しかける事ができる上位の人間は王族しかいない事がすぐに分かったはずだった。しかし、貴族社会の最初の洗礼が、娼婦扱いだとは思っていなかったため、自分の中に渦巻いた怒りをどこに向ければいいのかが分からなかった。
セーラよりも一回り大きな王子は、優しい眼差しを赤髪の女性との背中に向けていたが、それに気づいてもらえることなかった。だが、公女に叱られているカーニーには、戦士としての容貌を持っている第一王子の姿が良く見えていた。刈り上げている金色の短髪が優雅さではなく、男らしさを引き立てている王子は、救いの神に見えた。
「コンラッド殿下。」
「カーニー、無礼を謝罪するんだ。」
騒動を治めるための最善手であった。そして、セーラの怒りを向けられている美少年も、その流れにすんなりと入ってきた。姿勢を正してから深々と頭を下げた。
「失礼な事をした。許してもらいたい。」
怒りを無理やりでも抑え込まなければならない場面にいる事を理解しても、すぐには言葉を出す事はできなかった。
彼は王子と言う地位に対して頭を下げた。相手の地位を配慮して態度を変える事ができるというのであれば、無礼を働いたと怒っている公女に頭を下げる事は難しくないはずだが、それをすぐにはしなかった。その事も、セーラの怒りを煽る要因になった。
「セーラ嬢、許してやって欲しい。」
「許します。」
ゆっくりと頭を上げている男子に向けていた視線を、廊下の天井の方に少しだけ向けて、冷静さを取り戻すように自分に言い聞かせていた。目の前の少年に対する怒りは消えていないが、後ろにいる第一王子への配慮を忘れてはいけないのだと、ギリギリのところで考える事ができた。
「セーラ嬢、無礼から身を防ぐ行為は当然だが。平手打ちはやり過ぎだった。」
後ろを振り向いてから静かな声で応じるのが精一杯だった。静まりかけた怒りが再び溢れ出してきた。
「庶民として食堂の給仕として働いてきた私の常識では。初対面の女性に触れてくる男性は、殴られようと文句は言えません。貴族の作法がどうかは知りませんが。許可もなく、体を触れるような行為は・・・。」
教室から廊下に飛び出していたリリアとキャロットの姿が視線に入り、心配そうな表情を向けられることに気付いた。強制的に冷静さを取り戻した新人公女は、カーニーの方に向き直って、静かに言葉を紡いだ。
「平手打ちをしたことは、謝罪します。ごめんなさい。」
深々と頭を下げた後、再び第一王子の方を向いた。
「ご配慮感謝いたします。」
深々と頭を下げてから、床に落としたカバンを拾うと、その場から立ち去ろうとするセーラに2人が駆け寄ってきた。
「心配してくれてありがとう。」
食堂で身に着けた笑顔を見せると、そのまま廊下を歩いて行った。




