1年生 その8 学園長室
8 学園長室
1年生女子のロッカールームの前に立っていたレイティアは妹の笑顔が作りものであることは分かったが、その場では事情聴取をするのは避けて、食堂とは反対側にある休憩室へと向かった。
お弁当を食べてから落ち着いて話を聞いたレイティアは、貴族らしく感情の高ぶりを見せる事は無かった。自然な表情をしたまま、自分の中に発生した怒りを消化していった。
「謝らなくていいわ。私も家も迷惑をかけられたなんて思わないわ。第一王子も活躍の場面を手に入れた訳だから。ね、大丈夫だから。」
この三か月間、何度か妹を深く知る機会を持ったが、その中で確信できたのは、報恩を行動原則の1つにしている事だった。それは人として良性の性質ではあったが、公爵家に対して、それを向けるのは良い事では無いとレイティアは考えている。自分たちは姉妹であり、公爵家は家族なのだから、妹が受ける全ては恩ではなく、家族として当然の事だった。ミーナという女性の公爵家への貢献と、家族としての待遇を受ける事が無かったセーラの状況を考えると、妹が公爵家で手に入れた何もかもが、未だ足りないと言えるものであった。
それなのに、妹は1つ1つの事を恩と感じて、それを返さなければならないと考えていた。妹自身がはっきりと言ってはいないが、同じ屋敷で暮らしていれば、それは分かった。
「その、カーニー君だっけ。セーラに一目惚れしたのだったら、少し可哀そうかも。」
「え!」
「不思議でも何でもないわ。セーラは綺麗だもの。」
午後からの学園案内のために気分を変えるための冗談だろうと思ったが、熱心に妹の美しさを語ってくれた姉の気遣いに配慮して、賞賛を受け止めてから、同じように姉の美しさを褒め称えるという、何度目か分からないやり取りをした後、お互いに、他人から見られると恥ずかしい事をしているのではないかと思い至って、少し顔を赤らめてから、休憩室での食事と対話を終えた。
3日目、セーラは授業終了後に担任のミレーネ先生から学園長に呼び出された事を知らされた。言うまでもなく一昨日の事に関しての事情聴取である事は間違いないが、第一王子が治めた件でもあるので、簡単な報告を求められるだけだと思っていた。
「入りなさい。」
「失礼します。」
「失礼します。」
学園長室に入ると、すでに応接用のソファーに座っているゲンガー・ダルトン伯爵が、担任に隣席を勧める。配置的に、2人の向かい側のソファーがセーラの席になるので、軽く会釈をして座ろうとすると、待ったがかかる。
「セーラ嬢、君は注意を受けるべき人間だ。そのまま立っていなさい。」
「学園長、一昨日の件でしたら。」
「ミレーネ先生。話を聞いた上で、学園としての判断をしなければならない。もちろん、殿下がその場を治めてくださったことは知っているが。」
「事情については、私が報告いたしました。」
「もちろん、覚えている。ただ、当事者から確認する必要がある。」
本当に学園長自らの聴取が必要であれば、昨日するべきであり、一日遅れたことは、ケネット侯爵派の意図が働いている事を物語っていた。実際に、派閥の上位者でもある学園長は、この事案を派閥の会合で披露して、どのようにするべきかを相談していた。新公女の失態とは言えなかったが、事件が起こったのだから、情報収集をした上で、何らかの牽制が可能であれば、それを実施するという決定がなされていた。
派閥が一番回避したいのは、セーラ公女とコンラッド第一王子が接近する事であった。2人が仲良くなり、形だけの最初の味方をしている公爵家が、本格的に第1王子の後見をしている宰相派に深く取り込まれるのだけは避けなければならなかった。王子が介入した所までは、最悪のシナリオが展開していたが、最終的にはセーラは王子に対しても怒を示したため、2人が接近する事はなかった。2人が互いに良い印象を持っている状況ではなかったが、接近のきっかけになる可能性がある以上、政治勢力の争いをしている大人達が無視できる事では無かった。
「カーニー君の無礼な行為に対して、何からの処罰を求めるかね。」
「求めません。謝罪を受け、許しています。」
気の強そうな美人になりそうな少女という容姿に関する報告の正しさには納得できるが、激昂すると状況判断を間違える事があるという報告に関しては、まだ分からなかった。すぐに感情に支配される庶民出の公女と言うのであれば、それを利用する事は難しくはないし、公爵家の弱点にも成りうるのだから、歓迎すべき事と言えた。
だが、学園長に呼ばれて、立たされている中、困ったような表情を全く出さない第2公女は、貴族令嬢として合格点は得ていた。ただ、どのレベルのプレッシャーに耐える事ができるのか、どのような挑発に弱いのかは見定める必要はあった。
「なるほど、その件は解決したという事だな。それで、その時にカーリー君に暴力行為に及んだと聞いたが。」
「学園長、平手打ちです。暴力と。」
2人のやりとりに介入する機会を狙っていた担任の援護射撃を躱して、攻撃を続けるつもりの学園長は、左手を差し出して、担任の言葉を遮った。
「抵抗しない人間に対する攻撃を暴力と呼ばずにどうするというのだ。」
「暴力ではありません。仮にそうだとしても、セーラはその事を謝罪しています。」
「そうか。セーラ嬢は謝罪したのかな。」
「はい。謝罪しました。」
「それは良かった。もちろん許すとの言葉ももらっているのであれば、問題は解決したという事になるな。」
謝罪はしたが、相手の言葉を待たずに立ち去った事を当然学園長は当然知っていた。カーニー令息の行動は、派閥の工作活動の一環であり、詳細な報告が上がっていた。
「許しの言葉は、もらっていません。」
躊躇いを全く見せずに言い切った少女が何を考えているのかは分からなかったが、発した言葉そのものは力強かった。
「なぜ、許しの言葉を受けなかったのだ。公爵家の令嬢は、格下の子爵令息の言葉は必要ないと考えたのか。」
庶民との混血と揶揄するセーラを攻める方法には色々とあった。庶民と直接罵る方法もあれば、最上位貴族の娘としての行動として不適切であるという攻め口もあった。何か切り口を見つけたいと考えている学園長の言葉は、穏やかな口調ではあったが、悪意が込められているのがはっきりと分かった。
「ん。」
学園長室と教員室をつなぐ扉の向こうに何らかの気配を学園長は感じた。
ドンドン。
「入室の許可はきちんと得ますから。」
扉の向こうの声が姉レイティアであり、教員の誰かと話をしていた。
「妹のセーラが学園長に注意を受けていると聞きました。保護者でもある姉である私の同席を許可してもらいたいのですが。」
そう言い放った直後に、扉が勢いよく開かれて、レイティアが笑みを浮かべながら入室していた。
「な、勝手に。入室の許可は出しておらん。」
「保護者として、叱責を受けている妹と同席するのは当然の事。ここに来るのが遅れたこと、お詫びいたします。」
「叱責ではない。本人から話を聞いているだけだ。保護者は必要ない。」
「そうは見えません。話を聞くと言うのであれば、なぜセーラは立ったままなのですか。単なるお話と言うのであれば、座っているはずです。」
「これは、気が利かなかったな。セーラ嬢、座るように。レイティア嬢は。」
レイティアは追い出される前に、セーラの隣に座った。美貌の乙女の笑顔に恐ろしさを感じるのは、美しすぎるからではなく、笑顔のまま戦士としての能力を発揮できるからだった。母親に瓜二つの公女が、その武勇もそっくりであるのだから、姉の逆鱗に触れる事は、命を失うリスクを手に取るのと同じだった。
そして、この姉は、妹のために戦う意志を示したのだから、妹に攻撃を仕掛けている学園長はたじろいでしまった。
「私も参加させていただきます。学園長、確認したいのですが、まかさ、第一王子が解決してくださった件についての話で、セーラを責めていたのではないでしょうね。」
姉がソファーに腰を下ろしながら、学園長に刃を向けた瞬間、セーラの担任であるミレーネは、不本意ながらも、学園長の危機に助け舟を出さなければならないと考えた。セーラの担任になる前の3年間、レイティアの担任を勤めていた彼女は、公爵家の長女の強さを良く知っていた。それは圧倒的な速さであり、思考においてもずば抜けた速さを持っていた。武技に限らず、その速さで圧倒できるレイティアと戦う最善手は、同じ戦場に立たない事であった。対話での戦いの席に着いた時点で、レイティアの圧倒的優勢は確定していた。
この圧倒的に不利な状況の学園長の唯一の策は、黙っていることだった。最大の防御策で嵐に耐え切るしか選択肢はなかった。もちろん、敗北を認めて謝罪して逃走するのが理想的な展開ではあるが、それを学園長が行うとは思えず、ミレーネはどのタイミングで2人の会話に割りこめばいいのかと、その機会を探っていた。
「お姉様、学園長とミレーネ先生に報告が遅れたことを謝りに来たんです。コンラッド様に取りなしていただいた事で、全てが終わった事だと勝手に思ってしまった私のミスです。ミレーネ先生にも学園長にも、あの後すぐに報告して、対応について不備があるかどうかを確認しないといけなかったのに、それを怠ってしまいました。」
公爵家の姉妹が2人共、頭の回転が速く、素早い状況判断と決断ができる事を理解したミレーネは、この機会を活かすしかないと考えた。妹の意図がどこにあるのかまで理解できなかったが、助け舟を出したのは間違いなかった。
「いえ、セーラは悪くありません。コンラッド殿下からの報告を学園長に上げるのを怠った私のミスです。月末の報告会の事案であっても、王子が関わっていたのだから、すぐさま報告しなければならなかったのです。申し訳ありませんでした。今後は一層気をつけます。学園長。セーラにも面倒をかけてしまったわね。ごめんなさい。レイティアにも心配させてしまったわね。」
その場にいる3人にそれぞれ頭を下げながら、担任はその場を納める最善手を打ち出した。学園長が引き下がる事を期待しながら、レイティアに向けた視線で、この場はこれで納めて欲しいと懇願した。
大事になって公爵家が動き出したら、ケネット侯爵派が8割を超えている学生も教師も大きなダメージを受ける事になるとミレーネは考えた。多くの貴族が、戦公爵は圧倒的な武力は持っていても、派閥闘争や政治分野では能力が低いと考えていた。実際に、公爵は宰相補佐にはなっているが、政治分野での献策は全くないし、宰相のために派閥を盛り上げるような動きも全くしていなかった。だから、実績に基づいた公爵家の政治分野での低い評判は間違いではないが、公爵家の人間の能力が低いという判断は明らかに誤りであった。公爵家が派閥闘争に力を費やす事に対して、価値を見出していない事を全ての貴族は理解した方が良いと、ミレーネは心から願っていた。
派閥が違っても全ての生徒たちは可愛いし、学園内では教育を語り合う同僚も仲間であった。その全てを破壊できる力を持っていても、使わないだけという公爵家の強さを、25年に1度だけでなく、常に考えるべきであると、ミレーネは訴えたかった。
「そうだったのですね。通い始めたばかりのセーラが心配で、無作法な事をしてしまいました。学園長、ミレーネ先生、申し訳ありませんでした。後で、教員室での無作法も先生方に謝罪いたします。」
許されたと安心したミレーネが溜め息を漏らすのを見ていた学園長は、引き下がる事が最善であることを理解した。派閥が違いながらも、10年後には学園長に推挙したいと考えている娘ぐらいの年齢差の才女を高く評価もしていたし、子供達を育てる場としての教師としては絶大な信頼を向ける事ができる才女の判断に従うべきだと考えた。
その日、レイティアがセーラを救出したのか、セーラが学園長を救出したのか、どちらの認識をしたのかは、各々の立場と持っている情報量によって変わるが、公女レイティアの能力の高さと、そこから類推される公爵家の能力を切々と語ってもらった学園長は、自分がセーラに救われた側であったことを理解した。




