1年生 その13 帰り道
13 帰り道
デビューの夜会が終焉へと向かおうとする中、最後の退場を前にロイドは水色の美女と腕を組んでいた。
セーラの立場を明確にするという点で最高の夜会であったが、無視できない問題点が発生していた。第1夫人が見せた隙のない笑顔での対応は本心からのものであったが、それを見ている貴族達には別のものに見えていた。常識では考えられない女神の笑顔の中には、とてつもない怒りが含まれているのではないかと考える者は少なくなかった。
娘のためとはいえ、故人である女性をわざわざ第2夫人として、家族勢揃いの夜会会場で発表する事は、第1夫人に対する侮辱行為でもあったから、エリスの表情と態度はあり得ないと考えるのは当然だった。そして、公爵夫妻の関係は完全に崩壊しているから、第1夫人が笑顔で居られるのではないかと危惧する者達が多数現れた。
夜会の間、できるだけ多くの貴族と話をするために、夫婦が別々に行動していた点も、参加者の想像力を悪い方向へと加速させていた。公爵家を敬う貴族達ばかりであったため、夫婦の関係で陰口を叩くような事は無かったが、ロイドに対して真相を尋ねる質問が殺到していた。
公爵家に隙ができたと思われたままでは、ケネット侯爵派がどのような動きをするか分からないとあって、ロイドは退場する公爵家の組み合わせでフォローする事にした。
公爵が第一夫人をエスコートして、アランがレイティアを、エリックがセーラをという編成を提案したところ、レイティアがロイドのエスコートを要求してきた。主催者として主役一家を送り出す立場であることを説明したが、断固として譲らないという決意を示したレイティアの笑顔に逆らう事は誰にもできなかった。
そこで、兄弟には2人で、主役のセーラをエスコートして退場してもらう事になり、主催者でありながら、迎え入れた公爵一家と一緒に会場を退場していくという、微笑ましい演出をロイドは選択した。
「ロイドも家族なんだから。」
「そうだな。」
「怒ってるの?」
「怒っていないけど、主催者だから、本当は・・・。玄関前までエスコートするだけだから。公爵邸までは送れない。」
「分かっている。どうしても、このドレスの私をエスコートして欲しかったから。」
「綺麗だよ。とっても。」
この美姫が今回のドレスに強いこだわりを持った理由は、ロイドが勧めたからだった。
世界で一番美しいと評する事に躊躇いが要らないと呼ばれる母親と、瓜二つの公女と物心つく前から婚約者であり、家族同然に過ごしてきたロイドにとって、彼女の美しさは改めて評価するものではなかった。だから、レイティアの美しさを褒めるような言葉をロイドはあまり言わなかった。そして、レイティア自身同様に、ロイドも婚約者の装いに無頓着だった。何を着ていても美しく、好きだという気持ちに変動はないのだから、公女の服装に注文を出した事はこれまで一度も無かった。
そんな中、セーラを主役だと認識させるためだとしても、このドレスを着た方が良いとの言葉をもらったレイティアは今までにない喜びに、心を支配されていた。挨拶程にも価値を持たないと思っていた美しいという賞賛が、婚約者から出てくると、全く異なる感情を自分に与えてくれた事をレイティアは知った。
何でも似合うのだから、何でも良いのではなく、より美しく見える衣服を一緒に考える事をすべきだったと反省しながら、ロイドは一般的な貴族令嬢に対する行動を今からでも選択しようと考えた。
馬車の前で別れの挨拶をする時、ロイドは手の甲ではなく、初めてその頬にキスをした。
セーラを馬車までエスコートしていた兄弟は、これから自分達が騎乗する馬の前で立ち止まってセーラと話をした。すぐにでも帰宅の途に着くことができるのだが、姉と兄の素敵な時間をしばし与える事にした。
「セーラ姉さんは、馬に乗れるの?」
「乗れるわ。」
「乗馬訓練はした事があるの?」
「訓練みたいなのはしたことがないけど、食堂に来た商人に乗せてもらう機会があって、乗れるようになったわ。」
「じゃあ、今度の休みに遠乗りに行こうよ。」
「少し練習させてもらってからね。」
「明日は時間がある?一緒に練習しようよ。」
エリックとセーラの会話にアランが入ってきた。
「明日は、宰相邸にお礼の訪問がある。」
「兄さん、今お礼を言いに行くのは・・・。駄目だよね。」
「慣習だから。それにレイティア姉様が、お礼には行かないなんて聞いたら・・・。」
「そうだね。でも、帰ってきてから少し位時間は取れるから、一緒に練習してくれる?」
「そうね、そうしましょうか。」
「うん。」
一時の幸福感の中にいたセーラは、帰宅のために4人乗りの馬車へと入り込んだ。夫妻と姉妹の4人が向かい合って座った。兄弟は騎乗の人になると、馬車の前後を歩み始めた。
公爵夫妻と姉が嬉しそうな笑顔を見せていた。取り繕った表情ではなく、心からにじみ出る嬉しさを表情に乗せているのがセーラにも分かった。姉はこれまでに何度かこういう笑顔を見せてくれたことがあったが、目の前の第一公爵夫人と左前の公爵がこのような笑顔を見せたのは初めてであり、その理由をセーラは理解していた。
今しかない。と心の声がした。
「あ・・・こう・・・あ・・・。」
セーラが何かを言おうとして言えずに、俯いて視線を下げた。
その様子に、夫人の笑顔がすうーと消えた。喜んでくれていた。償いができたとは一生思えないだろうが、今日のデビューをセーラが喜んでくれていた。さっきまでそう思っていたが、別の問題を作ってしまったのではないかと第1夫人は慄いた。
良く考えなくても、パーティーの主役が笑顔以外の表情を見せる事ができる訳ではなく、どんなに嫌な事があっても、その笑顔を崩す事は貴族社会にとってはマイナス評価にしかならなかった。
独りよがりに喜んで、またセーラを傷つけたのかもと考えると、公爵夫人エリスの灰青色の瞳が潤んできた。
「どうしたんだ。セーラ、何か気になる事でもあったのか。」
公爵の声に顔を上げたセーラは、父親からの問いかけよりも、泣き出しそうな義理の母の表情に驚いた。そして、2人が娘のためにこれまでの名声を捨てる覚悟をしている事を今一度思い出して、自分と母ミーナに向けられた誠実な思いに、きちんと向かうべきであると自分に言い聞かせた。
「お・・・。」
言いたい事であっても、言う事を避けるべき場面で、口を閉じる事は何度もあった。食堂で働いている中で、何でも話していい訳ではない事を学んできたセーラは、そういった失言を回避する能力を持っていた。自分の言いたい事が失言ではないと分かっていても、それを言い出しにくいと考えて戸惑ったのは、2度目の事だった。
落ち着けば言えるという気持ちと、早く言わないと、何も言えないまま公爵邸に着いてしまうという焦りが心の中で入り混じる中、これまで庶民だった自分が、公女だと知った時から持っていた戸惑いが、どうにもならない渦となって、心を支配していくようだった。
「こ、あ、お。」
「一度、目を閉じてみて。」
左手に温かい感触が、左耳にどこまでも透き通っていて柔らかく心地よい声が、自分の中に入ってきた。姉の発した命令の強制力は、渦巻いていた何かを吹き飛ばすと、セーラは目を閉じる事ができた。
何を言えばいいのか、何を言ってはいけないのか。そう考えるのではなく、何を伝えたいのかだけを考えれば良かった。今日、新しい家族たちが、自分が何をしても非難する事さえしない事を知った今、何かを恐れて、大切な事を伝えない事は、公爵家への裏切りでもあるとセーラは考えるようになった。
静かに目を開いた。心配そうな父親と泣き出しそうな母親が目の前に居た。きっとこれからすぐに、お母様が泣くのだろうと、不思議なほど落ち着いているセーラは、そう考えていた。
「公爵様、公爵夫人。お願いがあります。」
娘からのお願いに、期待と不安が半分の公爵に対して、不安ばかりが募っている公爵夫人はほんの少しだけ手が震えていた。衣装合わせの時の拒絶が鮮明に思い出された。与えようとすると拒否をする娘の気持ちが分からない訳ではなかった。これまで1人育ててきたミーナの忘れ形見を大切にする公爵家としての姿勢を示す事は、当然の善行に見えるだろうが、裏を返せば、これまで放置してきた母娘への罪を誤魔化すための行為とも言えた。
セーラと言う少女が、深い恨みのようなものを持っている訳ではないのが理解できるが、これまで何かを与えようとすると、遠慮して、時には拒否する事を見てきた公爵夫人には、セーラに何かを与える事がとても難しい事に思えた。そして、失敗した場合、この少女を大きく傷つける事になると知っていた。
第2夫人の意味を伝えずに発表したのは、セーラが絶対に受け取らせるべきものがあったからだった。公表すれば拒否できないと考えたから、セーラがどのような感情を持つかが分からないまま、この選択をした。そして、この馬車に乗るまでは、その選択が正しいとばかり考えていた。
「なんだい。できる限りの事をする。」
力強く約束した美丈夫の方に少しだけ体を向けて、2人に正面から向くような姿勢を取った。
「お二人を、お父様とエリスお母様と、お呼びしてもよろしいでしょうか?」
「ああ。ああ。もちろん。ああ、もちろんだとも。」
「ありがとうございます。お父様。」
「ああ、セーラ。」
涙を溢れさせている母と娘の視線が重なった。その視線が何を意味しているのは分かるが、母と娘は特に言葉にする必要があった。公爵一家の中で、血のつながりがないのが、セーラとエリスの2人だけであった。ミーナがつなげてくれた絆だったが、そこには血の絆はなかった。それが親子の絆となるには、心のつながりが必要であり、その第一歩は言葉でしか組み立てる事はできなかった。
「呼んで。欲しい。」
美声ではなく、鳴き声が混じっていたが、はっきりと言葉にする事ができた。
「ありがとうございます。エリスお母様。」
「はい。セーラ。」
3人ともすぐに親子としての絆が結ばれるとは思わなかったが、絆を結び始めるスタート地点に立つことはできた。
3人を見守っていたレイティアが、ぐっと妹を抱き寄せると、優しく話しかけた。
「私たちが、ミーナ母さんって呼ぶのを許してくれる?」
「はい。お姉様。」
肩書だけの第2夫人もこの日、公爵家の家族になった。




