1年生 その12 デビュー
12 デビュー
宰相セドリック・ファロンは、51歳になる伯爵で20年間王家を支える優秀で忠実な政治家で、国王から絶大な信頼を得ていた。黒い噂はなく、権力に対する執着心がほとんどなかった。だが、宰相派として第一王子を後継者に擁立している立場を取っていた。これは、国内最大派閥のケネット侯爵派に牽制を加えるのが目的であって、自身の牽制を維持する考えはなかった。
今の侯爵家当主が、先代のように無理やり勢力を広げるような政治運動は行っていない事を鑑みて、宰相が派閥会議を開く回数は極めて少なくなっていた。公爵家からの支援で建築した、屋敷内の豪勢なパーティー会場が使用される時、その主催者として取り仕切るのは、孫である15歳のロイドだった。
自分が主催者となっては派閥会議と疑われて、国内に不要な対立を生み出す危険があるから、孫であるロイドが主催者となるのが最善であるとの建前を言うが、次期宰相を孫にさせたるために経験を積ませる意図が宰相にはあった。そして、学生でありながらも、レイティアの婚約者たる宰相の孫は、何の問題もなく宰相の代わりの仕事をこなしていった。
ロイド自身は仕事を任される事そのものに不満は無かったが、せめて学生を卒業してからにしてもらいたかった。未成年の自分では対応できない仕事も存在していて、任務に支障をきたす事が現実にあった。自分の未熟さを知る事は良い事ではあるが、その経験のために国政にマイナスを与える事は許されないと考えていて、その辺の配慮だけはしっかりするようにと祖父に何度も諫言していた。
諫言する事も含めて、学びであると言い張る宰相に仕事を回され続けたロイドは、主催のパーティーの準備を滞りなく済ませた。
総勢360名の貴族が集まった会場には熱気があった。宰相派のほとんどは公爵家のファンであり、公爵が参席するというだけでも盛り上がるのに、デビュー前のアランとエリックがエスコート役として登場する事が告知されていたため、様々な注目と期待を集める事になった。
楽団が会場に穏やかな雰囲気を演出する中、正面の大扉がゆっくりと開くと、騎士礼服のエリックと腕を組んだレイティアが入ってくる。美しい姉弟の身長差が絵柄としては少し足りなかったが、愛らしいカップルとしては最高の組み合わせだった。ロイドは嫉妬しているかしらと思いながら微笑んでいるレイティアの期待は外れていて、大好きな将来の弟に、どんな可愛らしい婚約者を紹介すれば良いのだろうかと考えていた。
続いてアランと腕を組んだエリスが入ってきた。親子である事は分かっていても、若々しさを失っていないエリスとの組み合わせは、美少女美少年のカップルにしか見えなかった。公爵夫人の紺色のドレスが落ち着き演出して、成長期前の身長が幼さを強調している事から、姉をエスコートする幼い弟には見えても、親子には見えなかった。
本日の主役を迎い入れるために、ロイドは楽団に合図を出した。
オレンジ色の花姫が公爵のエスコートで入場してきた。
清流に漂う一凛の花をイメージした演出ですと言い切れば、誰もがその見事な演出に感嘆の声を上げたであろうが、今回はロイドの演出を超えた感動が会場内にはあった。唯一の赤髪の少女は、公爵家に違和感を与えるのではなく、特別な一輪である事を印象付けた。それは、どこへ行っても主役にしかなれない公爵家の人間が、今日だけは脇役になっていたからだった。
新しい家族を迎える公爵家の配慮があるのは確かだが、その中にあって、主役として認識できる凛とした美しさを誇示しているセーラを、侮る者はこの会場には居なかった。最初派であり、公爵を信奉する者達が、セーラを貶めるような行為をするはずはないが、賞賛すべき理由も無かった。だが、公爵家の異端児でありながら、怯んだ様子を欠片も見せない少女の登場が与えた衝撃は小さくはなかった。
セーラと言う少女は、セーラ・オズボーンであり、紛れもない第2公女であるとこの場での貴族達は認めていた。
美の女神、美姫と、主役としての絶賛しか向けられる事がなかったエリスとレイティアが、添え花としての美しさを誇っている光景を始めてみたロイドは、再び楽団に合図を送って、演奏の音量を下げた。演出の一環ではあったが、そのようなものが無くても問題なさそうであると安心できる程に、会場は公爵一家に飲まれていた。
会場の中央後方に設置した高台に3組の男女、6人家族が順番に上がってきた。主催者としてすでに高台にいたロイドが中央の場を譲るように、公爵とセーラが中央に立つと組んでいた腕を解いた。
「今日は参集してくれた皆に感謝したい。」
美声ではないが、力強く大きな声が会場を駆けた。
「ハミルトン男爵家から、オズボーン公爵家に嫁いだ、第2公爵夫人ミーナ・オズボーンと私ギルバード・オズボーンの娘である第二公女セーラ・オズボーンの披露目会に来てくれたこと、嬉しく思う。娘の事、よろしく頼む。」
半歩下がった公爵の代わりに、セーラが一歩踏み出した。公爵家にはない赤髪と赤瞳が目立つのは間違いなかったが、家族の中に違和感らしきものは見当たらなかった。
「セーラ・オズボーンです。皆様、よろしくお願いします。」
一斉に拍手が鳴り響いて、デビューに対する祝意が示されると、主催者であるロイドがパーティーの開催を告げた。
アランとエリックはデビュー前のため、すぐに奥の控室に入った。公爵夫妻とレイティアが壇上を降りると、それぞれが談笑の輪へ加わっていった。主催者であるロイドは、壇上から降りる時だけセーラの手を引いてエスコートすると、共に参加者への挨拶に向かった。
敵対派閥がいる訳ではないので、終始和やかで好意的な会話が続いた。その中で、常に姿勢を正し、正々堂々と会話を楽しんでいるセーラは、貴族令嬢として満点の対応をしていた。4カ月前まで市井の人であったとは思えない立ち振る舞いに驚いた参加者たちは、その理由を聞くのを我慢していた。その褒め方によっては、セーラをけなす言葉になる可能性があったからだった。
セーラの会話の内容も満点だった。料理や裁縫などの女性としての嗜みの多くが得意であるセーラを、ロイドが褒めるというのが基本会話の流れであるが、その中でセーラは庶民と言う言葉は使わなかったが、食堂で働いた事や、刺繍のいくつかを商品として納入した事など、自分自身について隠すような事は無く積極的に話をした。これは参加者の知りたい情報を提供する意味もあったが、無礼になるかどうかの線引きをセーラ自身が行っていた。そうすることで、お互いに交流を深める事ができるようになる事は、参加した貴族達にとって重要な事であった。王都で唯一の公爵家に対して、どのような配慮をすれば良いのかが分かるのと、分からないのでは、王都での過ごしやすさが全く違った。
公爵夫人と第1公女は、美の化身ではあるが、社交界に凛然と輝く花とは言えなかった。母娘とも社交界にあまり興味がなかった。エリス夫人は明らかに社交的とは言い難い言動があった。娘のレイティアは社交的ではあったが、すでに婚約者のいる身であるため、男性を引き寄せる花にはなれなかった。それは、ロイドが嫉妬するからではなく、レイティアが婚約者以外に興味を持つ事が無かったからだった。
第2公女セーラのデビューは、社交界の新たな華の誕生を予感させた。
堂々とした立ち振る舞いだけでなく、赤目赤髪の強気に見えるつり目気味の眼差しは、社交界の支配者に相応しいと思えた。実際に、会話を楽しんだ貴族達は、第2公女の知的水準の高さに驚いていた。セーラにしてみれば、顧客の顔を覚えて、顧客の望む会話を提供する事は、食堂の看板娘として自然に学んだ事で、本人には特別なものだとは思えなかったが、それは貴族社会においても特別だった。
国境の街で活躍する商人達から信頼を得ているセーラの技能は、王都でも評価を得る事になった。多くの貴族が興味を持っているお金儲けの話が普通にできるのだから、その評価が高くなるのは当然だった。
話をした時点で、自分の名前を知られていて、領地の特産のいくつかも知っていて、商売上の狙い目まで指摘されれば、侮る要素は存在せず、流石公女と褒める事しかできなかった。もちろん、それが目的のパーティーではあるが、過剰なお世辞を言う必要がないのだから、貴族達は純粋に楽しむ事ができた。
2時間程過ぎると、喉の渇きと疲れを感じたロイドは、セーラと共に飲み物を手にして、会場の隅にある軽食のテーブルに近づいた。そこには、淡いピンクを基調としたドレスを着たキャロットと、淡い黄色を基調としたドレスのリリアが待っていた。
「一通りの挨拶は終わったから、ここで休憩をしていいから。私か公爵が来るまでは、ゆっくりしていていいよ。私は主催者として、早めに帰宅する何人かを見送るから。何の問題も起きないと思うけど。あそこの席の給仕にセバスチャンがいるから。手を上げれば、すぐに来てくれる。リリアとキャロットは話し相手になってあげて。」
主役と離れる主催者は、このパーティーの成功に疑いはなかったが、公爵家にとって最良のパーティーになるかどうかまでは分からなかった。
焼き菓子と果汁水を口にしたセーラは、会場を見渡しながら2人の友達と話した。
「キャロットが作ってくれた方が美味しかった。」
自分の右隣の友人に賛辞を送ったのは主役の責を果たしたからではなかった。純粋に友人の焼き菓子は美味しかった。
「リリアのドレス、とても似合っている。スレンダーで恰好いい。」
今日の自分のドレスに満足はしていたが、家族と同じ金髪に合わせた黄色の衣装を着てみたい気持ちがあった。主役としての特別よりも、家族としての一体感の方をセーラは欲していた。
真ん中にセーラ、右側にキャロット、左側にリリア、3人は会場を見渡しながら並んで立っている。
「聞きたいことがあるけど、聞いてもいい?」
「いいよ。」
「公爵様が私を紹介してくれた時、母さんを第2夫人と呼んで紹介した時、会場の何人かが驚いていたけど。どうしてか分かる?」
いいよと答えたリリアが、答えにくい難問を前にして、いきなり困っていた。それを見たキャロットが、答えではなく、質問をする形で、セーラに答えを伝えようとした。
「他に気になる事はあった?」
「公爵夫人を囲んでいる人達の近くを通った時。自分の事を第一公爵夫人と呼んでほしいと言ったのを聞いたのだけど。その時、公爵夫人は嬉しそうな表情だったのに、周りの人たちは、とても困っているような表情をしていた。それが気になった。」
すっと2人の手がセーラの手に伸びてきて、公女は両手を握りしめられた。セーラを挟んで顔を見合わせた2人は頷き合った。キャロットがセーラを真横から見つめながら話をした。
「先に謝らない事があるの。私たちは、親に言われて、セーラの近くにいたの。公爵様に恩があるから、セーラの力になる事で、それを少しでも返すんだって。お父様たちに言われていたの。」
「謝る事じゃないよ。きっかけはどうでも、友達ができてうれしいもの。」
「そう言ってくれて嬉しい・・・。さっきの質問に答えたいけど、セーラが傷つくことになるかもしれない言葉を使うかもしれないけど。それでもいい?」
「うん。教えて。」
「第2夫人に驚いたのは、正式な妻として認めるって事を公爵様が宣言した事になるからなの。」
「正式な妻?」
「セーラが公爵様の娘であることは何があっても変わらないんだけど、ミーナ様の方は、セーラのお母さんとしての地位と、公爵様の妻としての地位では、意味が全く違うの。」
「何が違うの?」
「第2公爵夫人はれっきとした公爵家の人間として敬われる事になるの。言葉を変えれば、ミーナ様への侮辱は、公爵家への侮辱になるの。もし、セーラのお母さんと言う地位だけになる場合、愛妾という扱いになるから、貴族籍には入る事は難しくなるの。ハミルトン家が復籍できたのは、第2公爵夫人の実家という事になったからなの。」
「お母さんを男爵家の娘と紹介したのは、お母さんの地位を考えて・・・。」
「そうだと思う。でも、これはセーラのためでもあると思う。」
「私のため?」
「男爵家が復籍して、ミーナ様が後継ぎとなったわ。そして、今は、セーラが男爵家の相続権を持っている。ハミルトン家の血を引いているのはセーラだけだから。セーラが望めば男爵家を新たに興す事ができるわ。」
セーラが普通の公女であれば、有力な貴族との結婚は簡単な事で、セーラが貴族としての地位を失う心配はなかったが、庶民の出という事で、セーラの将来の結婚がどうなるのかは分からなかった。だからこそ、セーラ自身が男爵家の相続権を持つ事は、とても意味があった。仮に庶民の男性と結婚しても、新たな男爵に任命する事で、セーラは貴族としての地位を失う事を避ける事ができる。そういう事まで、公爵夫妻が考えているがセーラにも理解できた。
セーラの表情が変わらっていない事と、つないだ手から思いが伝わってくるのを2人は感じていた。
「第2夫人の事をもう少し話すわ。第2夫人とは、2番目というだけで、第1夫人と同格の権利が付与される。財産の継承権も同じように持っているから、今までエリス様が持っていた公爵家の財産の半分はミーナ様が所有する事になる。そして、夫人の財産は、その実子達に継承される事になるから。アラン様の公爵家継承を別にすると、レイティア様とエリック様の継承する財産の2倍をセーラは受け取る事になる。特別な契約が無ければだけど。」
貴族に関する勉強で財産継承については、決まりがある事は知っていたが、その中身は詳しく知らなかった。正確には詳しく教えてもらっていなかった。セーラがそういった決まりを知れば、継承を拒否するだろうと考えた公爵夫妻が内緒にしていた事がセーラにも分かった。
「第一夫人と自分で名乗った事で周りの人が戸惑ったの理由は?」
聞かなくても想像できる事であったが、セーラは聞かずにはいられなかった。
「今度は私が話すから。」
キャロットの目が真っ赤になっているのを見たリリアが引き継いだ。
「エリス様は違うけど。他の夫人であれば、第2夫人という存在を憎むと思う。少なくとも嫉妬はするでしょうし、自分の存在が小さくなると感じるのは間違いないと思う。財産も愛情も何もかも、今までの半分になるのは間違いない事だから。」
「私を紹介した時の公爵様の言葉って、公爵夫人が笑顔で受け入れるような事ではなかったんだ。」
「そう思う。けれど、もっと驚いたのは、エリス様が第一夫人と自分を呼んで欲しいと言ったこと。その場にいた人は本当に困ったと思う。第一夫人とは、侮辱の言葉とも言えるから。第2夫人に財産も愛情も、全部ではないにしろ、奪われてしまった女性を意味する言葉だから。いくらエリス様が自分でそう呼んでくれと言われても、周りの人は誰も言えないと思う。」
主役が表情を変えてはいけないのが分かるから、2人の手を強く握りしめて、動揺を表に出さないようにしていた。
庶民の血が混じった娘と侮られる覚悟はしていた。それは耳を塞ぎ聞こうとしない覚悟であって、聞こえたとしても我慢してやり過ごす覚悟でしかなかった。侮られる事を正面から受け入れる覚悟をセーラ自身はしていなかった。
その覚悟をしてくれていたのは、公爵夫妻の方で、セーラとミーナのために侮られる事を覚悟してくれていた。今、心地よくないはずの会場で、第2夫人と第2公女の存在を他者から貶められないように、公爵夫妻が自分達と同格である事を宣伝していた。
ギルバードは、美人の妻を持ちながらも浮気をしただらしない夫として笑顔を周囲に向けていた。
エリスは、夫の愛情をかすめ取られた不出来な妻として笑顔を周囲に向けていた。
庶民にさえ知られていた英雄夫婦、苦難を共に乗り越えて深く愛し合っている公爵夫妻、2人が築いてきた名声を破壊する事になったとしても、オレンジ色の花弁に包まれた真っ赤な花を大切にしている事を示す事を優先していた。




