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    ■ 決断と別れ ■







 電車が来るまであと十分。そわそわとしながら待っていると、聞こえていたサイレンの音が止んだ。それに八潮が一番に反応して、私を引っ張ってサッと近くの自動販売機の後ろに隠れる。

 すごく必死な顔に、本当に私を思ってくれているのだと理解できた。

「……八潮」

「静かに」

「八潮、ありがとう」

「ん?」

 私を見下ろす灰色の目が、柔らかく細まる。八潮のいつもの穏やかな笑顔だ。いつもと変わらないそれに安堵し、近くにある八潮の身体を抱きしめた。

 どうか、彼だけでも無事でありますように。

「真潮、大丈夫。僕が守るから」

 まるで安心させるように、八潮が私の頭を撫でる。

 これは、八潮の口癖。

 何かあればすぐに、僕が守るから、と笑うのだ。

「……うん、私も、八潮を守るよ」

 これまですごく巻き込んだ。その自覚はある。どうして八潮が今一緒に居てくれているのかは分からないけれど、これ以上はいけないのではないか。

 そう思い強く抱きしめれば、八潮の頭を撫でる手が、私の背中に優しく回り込んだ。

 バタバタと複数の足音が遠くから聞こえる。ホームに立っていた電車待ちの人たちからは驚きの声があがり、それは悲鳴にも思えた。


「……真潮、真潮は、家族が好き?」

 静かな声で、けれど確かに私の耳を打つ。

「……そりゃ、好きだよ。家族だもん」

「……じゃあ、僕と、どっちが好き?」

「え?」

「僕が居るのと、家族や友達が居るの。どっちがいい?」

 急に、どうしたの。

 真面目な顔で、何でそんなことを聞くの。

 そんな疑問も口から出ないまま、私はただ八潮を見上げるしかできない。

「……いや、ごめん、意地悪だったね。真潮は、僕も家族だと思ってくれてるもんね」

「……そう、だよ……八潮は、和泉八潮で、私の、私たちの家族でしょう? お父さんもお母さんも、お兄ちゃんもみんな八潮を家族だと思ってるよ。友達だって、みんな八潮ともっと仲良くなりたいって、よく言ってるよ……?」

 この会話の終わりに待っているであろうものに、なんとなく嫌な予感がする。

 言葉が震えた。それに気づいているはずの八潮はそれでも何も言わず、ただ私を優しい目で見下ろす。

「うん。僕は幸せだった。この世界はあまりにも居心地が良くて……良すぎて、もっともっと長居したくて、こうして真潮を連れ出しちゃった」

「何、言ってるの? 八潮?」

「……僕の望んだ世界、だったんだ」


 私を抱きしめる手が、ゆっくりと解かれる。

 振り向けば、警察の制服を着たお兄ちゃんが無表情で、私に拳銃を突きつけていた。


「お兄ちゃん、やめて」

 言っても、その指先は引き金から離れない。むしろグッと力が入り、今にも引こうとしていることは明らかだった。

「いや! 八潮!」

 助けて、と彼に縋れば、彼は黙って私を引っ張り、兄から離れる。

 同時に、電車が遠くから来ているのが見えた。八潮はきっとこれに乗るつもりなのだろう。

「八潮! もう真潮を返してくれ!」

 後ろから、兄の声が響く。

 何の話かは分からないが、私を殺すために私を返せと言っているのならば、兄はなんて酷いのだろうか。

 八潮。八潮は私の味方だ。

 そう確信して、私の手を引っ張り続ける八潮の大きな手を強く握る。

「八潮!」

「分かってる!」

 穏やかな八潮からはありえない程の怒声。イラついたような口調で兄の言葉にそう返すと、八潮は私をふわりと線路に突き飛ばした。


 ――八潮は。八潮だけは、私の味方で、


「真潮、忘れないで」

 まるでスローモーションのように、身体に浮遊感を感じながらも首をひねると、電車が来るのが見えた。運転手の焦り歪んだ顔。ホームに居た人があげる悲鳴。一身に受けて、八潮を見つめ返す。

「僕はずっと、真潮の側に居る。愛してるよ」







    ■ 目覚め ■








 目を開けると、ふわふわと揺れる白いカーテンが一番に視界に飛び込んできた。

 天気が良いと分かるほどに温かな風が頬を撫でて、陽の光がほどよく室内に差し込んでいる。

「……あ、れ……?」

 生きている。

 確かに電車に轢かれたはずだ。減速を始めてはいたけど、まだスピードを保っていた電車に轢かれて、身体が少し痛む程度で済むのだろうか。

 右腕と背中から主に痛みを感じるが、電車に轢かれたにしては軽傷とも言えるほどの痛みである。

「……ま、真潮?」

 震える声に視線を向ければ、信じられないモノを見るような表情で病室の入口に立っている母が居た。

「真潮、真潮! ああ、どうしましょう、知らせなきゃ、よかった、あなたやっと起きたのね、ああ良かった、本当に……!」

 駆け寄ってきた母はそう言って、私の胸に顔を押し当ててわんわんと泣き出した。

「お、お母さん……? あの、私……」

「起きなくていいの、無理はしないでちょうだい! すぐにお兄ちゃんとお父さん呼ぶからね。絶対に無理をしちゃダメよ」

 ひとしきり泣いたあと、母はそう言って立ち上がった。しかし私はそんな母の服の裾を、行かせまいと強く掴む。

「どうしたの?」

「お、お母さん、八潮、八潮は? どこにいるの?」

 この病室には姿はない。だとすれば今はまだ学校だろうか。それとも線路に私を突き飛ばした罪で警察に捕まってしまったのだろうか。あの場には警官である兄も居たのだ。その可能性もありえなくはない。

 不安を詰め込んで母に救いの言葉を求めたけれど、母は苦しそうに視線を落とすばかりで何も言おうとしない。

(そんな、やっぱり、八潮は警察に……)

「……八潮は、あの事故で死んだわ。……あなたの心臓が一回止まった時にね、八潮が亡くなったんですって。そうしたらね、あなたの心臓が何故か動き出したのよ。きっと八潮は、自分の命をあなたにあげたのね」

 ――事故?

 電車のことならば、轢かれたのは私一人のはずだ。

 どういうことか分からない私を置いて、母は病室を出て行く。


(死んだ? 八潮が? 何で? 事故って何?)

 ふわふわと揺れるカーテンからは、温かな風が吹き込む。それに引っ張られるように外を見て、桜が咲いていることに気がついた。

 今は、文化祭の時期のはずだ。だって、だからあの日、加賀橋先生が「もしも世界が終わるなら」なんて話を始めたことに違和感を覚えたのだ。文化祭の準備がまだ終わっていないのに、と。


 ――何かがおかしい。


 まだ本調子でないからか脳の回転も処理も遅く、何かを忘れているような気はするのに思い出せない。

 八潮、そうだ、八潮は時々変なことを言っていた。

 なんて言っていたっけ。

 思い出そうとしても、喉元まで理解しているのに出てこようとしない。


 何か、何かないだろうか。きっかけがあれば――そう思い病室をぐるりと見回して、サイドテーブルに花と写真立てが置かれているのが目に付いた。

 色とりどりの花が差し込まれた花瓶の下、こげ茶のフレームにはめ込まれた写真。

 白い猫を抱いて、頬ずりしている私が居る。


「……あ、」


『そういえば私さ、小学校に入る前、小さな猫を拾ったんだよ。雨にうたれていた子猫を連れて帰った記憶はあるのに……。そういえば、その後はどうなったんだっけ』


 ――でも、真潮の家は、猫飼ってないだろ?



「……八潮?」




 子猫を拾った。あれは、小学校に入学する数日前だった。

 大雨に打たれて、電信柱の元で丸まっている、薄汚れて灰色になっていた白色の猫。雨に濡れているためか元からなのか、やせ細った身体があまりにも痛々しくて、眠りに落ちそうだったその猫を気がつけば抱き上げていた。

『大丈夫、大丈夫だよ』

 驚いたように暴れた猫は、しばらくそう呟いていればしだいに大人しくなる。

 持っていた傘が落ちていることにその時初めて気がついて、私も猫もびしょびしょに濡れて、なんだかおかしくて「おそろいだね」と猫に笑いかけた。


 確かに、家に、連れ帰ったのだ。

 家族は皆、猫を快く受け入れて、家族が増えたねと笑った。

 覚えてる。私はあの瞬間、猫を連れ帰ってよかったと嬉しくなったのだ。


『あのね、猫さん。私のお名前、真潮っていうの。だからね、猫さんは、私の好きな数字と、私のお名前からひとつとって、八潮ちゃんね!』


 八潮は、その言葉に満足そうに一つ鳴いて、私に擦り寄ってきた。


 いつでも、八潮は側に居てくれた。

 何があっても、八潮だけは私の味方だった。


 一緒に成長して、十年という月日が過ぎたあの日。

 急に八潮が家から消えたのに気がついて、すぐさま探しに家を飛び出した。

 休日だからか外には人も多く、ただでさえこれまでのほとんどを家で過ごしていた八潮には危険が溢れている。だから早くみつけようと必死に駆け出して、色々な人に聞きまわって、探して――。


「真潮! 起きちゃダメって言ったじゃない! 先生、先生、ほら、真潮が起きたんです!」

「ああ、本当だ……いや、良かったです、本当に、良かった。……和泉真潮さん、あなたは交通事故に遭われたんです、覚えていますか?」

 母に連れられて、医師であろう初老の男がベッド脇にある椅子に座り、私の手から脈の確認をする。後ろでは、母が泣いていた。私も、自分が泣いているということに、一瞬遅れて気がついた。

「……和泉さん?」

「……覚えてます……私は、八潮と、事故に遭いました」



『大丈夫。僕はちゃんと、真潮の側に居るから』

『真潮と話せて、真潮と並んで歩けてる。ずっと望んだ、僕の姿だった』

『僕は真潮と離れたくないんだ』

『真潮と話せるのは喜びだった。真潮と笑い合えるのは感動だった。共に歩けるのは……泣きたくなるほどの歓喜だった』


『真潮、忘れないで』

『僕はずっと、真潮の側に居る。愛してるよ』



 八潮はもう、ゆっくりとした動作しかしなくなっていた。

 もう長くないんだろうなあ、とは、あの時には気づいていた。だから、できるだけ一緒に居られるようにバイトも少しだけ休みをもらって、学校から帰ったら必ず八潮の側に居た。


 だけどあの日は、姿が無かった。

 まさか、と思うままに家を飛び出して、必死になって走り回って、悔しさも噛み締めて泣きそうになりながら、商店街のアーケードが遠くに見えた時。

 何かをくわえた八潮を見つけた。

 草のような何か。それを取りに行っていたのかと頭のどこかで納得したけれど、ゆっくりと道路を横断しようとした八潮に車が突っ込んできたのが見えて、考えもどこか遠くに飛んで、



 











 和泉八潮という男の子が、気づけば隣に居た。物心つく頃にはもう、私に対して宝物に触れるような扱いをしていた、皆にミステリアスだと言われていた男の子だ。私が居ればいい、ほかには興味ない、なんてことをひょうひょうと言うほどに、私を大事に大事にしてくれる男の子だった。

 真っ白な肌に、色素の薄い髪、灰色の瞳。

 綺麗な八潮。



『初めまして、真潮。ぼくのなまえは、八潮だよ』



 記憶の最初に居る八潮は、微笑みながら涙を流して、道端に咲いているような質素な花を一輪こちらに差し出していた。



 

 

念のための補足:八潮が死んだ日に、八潮の「望んだ世界」が終わりました。真潮が狙われたのは「真潮が死ぬことが元の世界に戻る条件」だからで、真潮が親しくしていた人ほど真潮を狙ったのは戻って来て欲しいという気持ちがより強かったからです。


読了ありがとうございました。

これほどジャンルに困った作品はありません。

恋愛でもなくて、純文学でもなくて、SFというジャンルはそもそもないし、パニックなんてもってのほかだと。もうヒューマンドラマです。


それでは、最近いちだんと冷え込んでまいりましたが、体調不良には充分お気をつけてお過ごしください。

数ある作品からお読みいただきありがとうございました。

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