痛む思考の先に
お腹の膨れた一同は、人が多い遊園地を流離う。
午前中で数多の絶叫マシンに乗ったためか、先ほどから安谷光と穂枯雫は大人しい。
ゆっくりと園内を回り、時にはクレープを頬張り小腹を満たす。
とてもゆったりとした時間、楽しい一時。だが僕は何かを忘れているのだ、とても重要な何かを。
ここに来る要因の一つになりえたものを、本当に忘れるはずなどなかった。
僕は自らの使命を思い出そうと必死にもがいて見せるが脳がそれを拒絶し、頭がズキリと痛む。
一体何があった、僕は一体何をしなければならない。
探す回答は見えず、虚無の迷宮に落とされた。出口の見えない答えは、こちらを嘲笑うかのようにその姿の一片を見せる。
掴み取れそうで取れない距離、答えはすぐそこにあるというのに覗かせてはくれないのだ。
近くの人々、道を歩く有象無象の塊。笑顔を貼り付け、声を上げ、大げさな動作をし。
全てが作り物に見えてくる。違うのだ違う、ここは僕の知る世界じゃない。
そうだここはゲームの世界、乙女ゲームの世界。
僕は死亡フラグを与えられた案山子で、神はあの乙留桜花という少女。
勝てっこない勝てっこない、世界は僕を拒絶する。
近くにあるはずの確かな感触も、今は気持ち悪い。早く手放そうとすれども纏わりつく泥のように、僕を苦しめるのだ。
やめてやめて、苛めないで。殴らないで。
前世の僕はいじめられっ子。暴力にただ怯えるだけしかできなかった。
ひたすら耐えて、一人でいることにも慣れて、でもそれだけじゃあ本当は寂しくて。
友達なんていらないと強がった。
でも本当は人の温もりを何よりも求めて、ネットに逃げ込んだ。
強がって強がって、本当の自分を隠して。強い言葉で他者を貶めて、正論を吐けば相手も黙る。
閉じられた世界でも僕は一人だった。
誰も頼れずギャルゲーや乙女ゲームをプレイすることで自分を慰めた。こんな世界に行きたいと切に願い、行けなくてもせめてこのキャラ達みたいに自由にと願う。
だから今のこの状況は夢みたいなもので、僕にはとても持ちきれなくて。
ついつい意地悪なことも言っちゃうけど、でもそれはけして本心じゃない。
僕を嫌わないで、ずっとそばにいて欲しいよ。
そんな幼稚な考えが頭を駆け巡り、僕の脳に優しく溶け込む。
素直な気持ち、僕の思い。再び僕の体は立っていられなくなる。
頭は警戒を表すように体全体が揺れているのだと錯覚させる。
酷く頭が痛い、何もかもが崩れて溶けて無くなってしまいそうだ。
なんでこんなに苦しまなくてはならない、僕が僕が何をした。
前世での行いが悪かった?現世で僕はいちゃいけない子だった?
ネガティブな思考は留まることを知らず、今すぐ消えて無くなってしまいたくなる。
でも脳裏に映るグレートスさんや他の笑いあう人々の姿。
僕の居場所はここであると確かに感じさせるビジョン。ならばこんなところで塞ぎ込んでいる場合でもない。
何とか僕は頭を上げた。
目の前は掠れ、今にも倒れそうだったけど何とか前を見ることが叶う。
するとどうだろう、僕の瞳の先には見知った顔が二つ並んでいる。
乙留桜花と会長さん、二人の睦まじい姿が脳に焼付く。
そうだ、そうだった。僕は二人を邪魔しなきゃいけなかった。
ようやく僕は本来の目的を思い出した。
二人のデートを邪魔するのだ、そして自分の生を限りなく完全なものとしなければならない。
なぜ忘れていたのだろう。これほど自分の考えを思い出せもしないとは、世界が規制をかけているとしか思えない。
世界が二人のデート、約束事を邪魔させまいと忘却の渦に僕を放った。
おかげですっかり忘れていたよ。今の今まで、この不自然な感じが頭の隅を纏わりつくのはそういうことだったのか。
僕は一歩その身を前に出す。
すると全身が断裂するかのように皮膚を裂くイメージが伝わる。
重たい足はそれ以上行っては命が危ないと忠告していた。
僕はこれ以上一ミリたりとも体を動かせない。全身を噴き出す汗が、首を伝って服の中へと落ちる。
世界はここまでするのか、何者にも邪魔させないと、そういうことなのか。
僕は二人の追跡をとりあえず諦め、心配そうに見つめる四人の元に足を向ける。
するとあんなに重く感じた体はすっかり元に戻り、非常に軽く感じる。
強制力とはこれほどまでかと一人戦慄する僕に、話しかける二つの声。
「おい、あわせ。お前さっきのなんだよ、パントマイムか?」
「汗がいっぱい出てるのです、どうしたのですかあーちゃん!」
先ほどまで痛みで頭が狂いそうになった所為か、心配する二人が今は愛おしい。
僕は一人なんかじゃないと思える、心を強く持つことが出来る。
だからだろう、思わず僕は二人を強く抱きしめてしまった。
「おい、あわせ!いきなり何を」
「ふわぁあーちゃんから抱きついてくれたです。とっても嬉しいですよあーちゃん。」
理由は話せない、彼女たちを僕の事情に巻き込むことなんてできない。
僕は死ぬかもしれない、君たちの前から姿を消すかもしれない。
だから学校でも努めて関わろうとしなかったし、話しかけられたらすぐに切り捨てた。
でも彼女たちは健気に僕を慕う。友達だと、ほっとけないと僕の後につく。
それがどれだけ嬉しかったことか今ならわかる。
もう巻き込まないでいるなんてできそうにない。今日も二人がいたから、グレートスさんがいたから楽しかった。
この居場所を、僕は無くしたくなんてない。
「…ありがとうしずくちゃん。ひかりちゃん」
「へっ!?おっおいお前、今俺の名前を…」
「わーい久しぶりに名前で呼ばれちゃったね。こちらこそありがとうですあーちゃん」
僕はしばらく二人に抱きついて離れなかった。
それは昨日までの僕を否定するかのように、彼女たちに今までもらった温もりを少しでも返すために。
恥ずかしそうにしているしずくちゃんが離れようともがき、なされるがままとなるひかりちゃんは頬を赤く染める。
その光景を見ていたグレートスさんは流石にこの時ばかりは間に入ることなく、いつものようにその口元に薄く微笑を浮かべていました。
全く、どうやら僕はこの温もりを手放せそうにない。
天は今日も快晴、雲一つない空に拙い笑顔が咲いたのでした。
 




