記念日問題 A
日曜の朝。リビングの片隅に置かれたカレンダーをぼんやり眺めていた誠は、ある数字の上に小さく書かれた文字を見つけ、血の気が引いた。
「……やばい。今日、付き合って一年……だ」
そう、美咲と付き合い始めてから、ちょうど丸一年が経つ日だった。
問題は、既に夫婦だということ。結婚してまだ数か月しか経っていない。果たして「付き合って一年記念」を祝うべきなのか。それとも夫婦になった今となっては、結婚記念日だけでいいのか。
誠の脳内会議が始まる。
⸻
「結婚してるんだから、結婚記念日一本に絞るべきだ!」と、理性役の誠が机を叩く。
「いやいや、奥さんは若いし、付き合い記念も祝いたいはずだ!」と、感情派の誠が反論。
「祝えば祝うほど、財布にダメージだぞ!ケーキ代に花束代、下手すりゃ旅行まで要求される!」と、経理担当の誠が青ざめる。
「しかし!もし『なんで覚えてないの?』と涙目で言われたらどうする!それに1度祝うと翌年以降に祝わなくなると、またそこで喧嘩リスクが増加する。」と、リスク管理担当の誠が叫ぶ。
脳内は完全な株主総会。議題は「記念日を祝うべきか否か」。
⸻
そして誠の脳裏に、過去の“記念日トラウマ”が走馬灯のように蘇る。
•三か月記念事件
当時の妻に「三か月記念日だよ!」と言われ、「え、そんなの祝うの?」と答えた瞬間、フルーツタルトを顔面に投げつけられた。いまだに頬に残る幻のイチゴの冷たさ。
•百日記念アルバム地獄
「100日だから、アルバム作って!」とリクエストされ、仕事そっちのけで深夜に切り貼りした写真アルバム。渡した瞬間、「センスが古い」と一蹴。
•半年記念豪華ディナー
奮発してミシュラン2つ星のフレンチフルコースを予約したのに、「なんで私の好きな和食じゃないの?」と拗ねられ、トイレで一人デザートを食べた。
数々の黒歴史。あの日々は、まさに「記念日アレルギー」を植え付けるに十分だった。
⸻
「ふぅ……今回は違う。美咲は天然でポジティブ。たぶん、たぶん大丈夫……」
これまでの美咲を見てきて、誠は美咲となら大丈夫だと思えていた。
誠は深呼吸する。しかし頭の中で悪魔の囁きが聞こえた。
(でもなぁ……“バツ24”っていう実績があるんだよな……? 祝わなかった場合、美咲も頭では気にしてなくても、何かあった時に記念日を祝わなかった過去を思い出すかもしれん。つまり!今日は最大の地雷日だ!)
誠はソファに倒れ込み、天井を睨みながらうめいた。
「くそっ……結婚生活、早くも最大の試練かもしれん……!」
⸻
今日は美咲は友達と買い物に出掛けている。
もし、美咲が1年記念日を覚えていてプレゼントやケーキを買ってこられたらどうする。
不安ばかりが無限に吹き出してくる。
誠はスマホを取り出し、検索窓に打ち込む。
『付き合って1年 結婚後 記念日 祝うべき』
出てきた回答はどれもバラバラ。
「結婚したら結婚記念日だけで十分」
「いや、付き合い記念もちゃんと祝うべき」
「両方祝うのが愛され妻の秘訣」
「……ネットはいつも無責任だな……!」と誠は机を叩いた。
⸻
どれだけ悩んでも答えは出ない。
夕方、美咲が買い物袋を抱えて帰ってきた。
「どうしたの?お腹でも痛いの?」
「いや、ちょっとな……」
誠は恐る恐る切り出す。
「なぁ美咲……その、今日は特別な日だと思うんだけど……」
美咲はきょとんとした顔で振り返る。
「え?今日?……あっ!そうだね!」
誠の心臓が跳ねる。
(やっぱり覚えてたか!やばい、プレゼント何も用意してない!せめてケーキでも――!)
しかし美咲は笑顔でこう言った。
「今日はスーパーで牛肉が半額の日だよ!」
誠はずっこけた。
⸻
ま、待て!もしかして本気で忘れてるのか!?いや、天然のふりをして俺を試してるのか!?これは心理戦か!?俺は今、尋問室に座らされてるんじゃないか!?
誠は美咲の横顔をじっと観察する。
無邪気に肉を冷蔵庫にしまうその姿。汗も涙も見せていない。
……天然か?それとも、策略家か?
くぅっ……女ってやつは、わからん……!
⸻
食卓に並んだのは、美咲特製のステーキ。誠はナイフを持ちながら、意を決して切り出した。
「なぁ……今日、付き合って一年なんだよな?」
美咲は「えっ」と目を丸くし、そしてぱっと笑った。
「ほんとだ!すごい!誠さん覚えてたんだ!」
誠はぽかんとする。
「……え、えぇ……?」
美咲は嬉しそうに手を叩いた。
「でもさ、もう夫婦なんだから、記念日は“全部”まとめちゃえばいいと思うんだよね!」
「ま、まとめる……?」
「うん。付き合い始めた日も、結婚した日も、初めて一緒にご飯食べた日も、誠さんと一緒にいる日はぜーんぶ大事な記念日!だから、今日も“おめでとう”だね!」
誠は言葉を失い、思わず笑ってしまった。
(なるほど……そういう考え方もあるのか……)




