25◇この黒騎士を倒してから
「めへッ!?」
首に両腕を回して抱き着いた私に、羊さんみたいな声を漏らすザック。
月明りでもわかるくらい顔を真っ赤にして、ぐるぐると目を泳がせています。
──同時に、ギィンと金属音が響き渡る。
見ると、勇者の女剣士が跳び退いたところでした。
その手には刃のない細剣が握られていて、彼女の目線を追ってみると、根元から折られた黒刃の切っ先が地面に真っすぐ突き刺さっています。
おそらく、ザックの右手で白い光をまとう長剣が、私の心臓を狙った凶刃を叩き折ったのでしょう。
「その剣って、聖騎士団長の……?」
「はい。エリックさんが団長から預かってきてくれました。代々の団長に受け継がれるこの剣は、代々の聖女様から祝福を受け続けたことで、いつしか白い光をまとう聖剣『エクスキューズ』と成った。そう伝わっています」
私の問いに彼は、朗々と解説を披露する。いつものように。
ちなみに補足すると、恋仲だった当時の聖女と騎士団長が「月に一度の剣の祝福」を逢引の言い訳にしていたら、祝福だけ代々受け継がれ、何代目か後には聖なる力を宿す剣になっていた──ゆえに『言い訳』の銘が付いている、らしいです。
「──ええ、よく知っています。私の祝福も二十年分、がっつり込めてある」
なお、これは代々の聖女だけが知る(私の場合は先代が失踪したので、教育係になった先々代から教わった)秘密です。
「あ、そうでした! ということは世界最強の聖剣だ!」
おそらくは団長の独断でしょう。バレたらきっと退任だろうに、粋なことをしてくれます。
「ああもう、そんな勇者失格さっさと片付けてッ!」
「お任せを」
苛立ちを隠さないドロテアの声に、応じるのは左に控えていた重戦士。黒い大斧を軽々と構えて、大地を蹴る。
「メイベルさま、失礼をば」
対するザックは短く口にして、私の腰に腕を回し抱き寄せます。同時に背中の(カバンくんから生えた)龍翼がバサリと羽ばたいて、足元がふわりと浮かび、夜空は下に大地は上に──視界がぐるり反転する。
「なんとッ!?」
重戦士の驚嘆を挟んで視界は再び反転し、足元に地面が戻る。
目の前には重戦士の無防備な背中があり、白光をまとう聖剣の切っ先が後頭部に突き付けられています。
クラクラする視界の中で私は、自分がザックと共に彼の頭上を飛び越えたのだろうと理解する。
「──これもエリックさんが、王都の革職人さんから預かってきてくれた。付属品のベルトで、カバンくんと同じ素材だそうです」
ジャケットの胸前で交差する幅広の革ベルトは、背後のカバンくんに繋がっているようです。その色は確かにカバンくんと同じワインレッド──素材はもはや疑いようもなく、皇炎龍の翼皮膜製なのでしょう。
「だからなのか、カバンくんと気持ちが繋がってる気がする」
その言葉と同時に、重戦士の首筋に左右から龍翼による手刀──もとい翼刀が振り下ろされて、呻き声とともに彼は前のめりに昏倒していました。
「すごいな。異能を失くした身で、勇者三人を圧倒するなんて」
穏やかな声で称賛するのは、重戦士の巨体の影から近付いていた黒鎧のレオン。両手で構える黒の大剣が、先ほどまでより一回り巨大になって見えます。
その色は照らす月光を否定するように漆黒で、闇そのものを凝縮して刃を包み込んだよう。おそらくは聖剣に対抗する、黒女神の祝福。
ドロテアは武器を失った勇者二人に左右を守られて、紅い唇には余裕の微笑が戻っています。
「僕だけの力じゃないさ。団長、カバンくん、革職人さん、エリックさん、セフィアさん、ニコラス、サーリャさん、代々の聖女様──そして誰よりも力をくれる、メイベルさま」
真っすぐレオンに視線を向け応えるザックの首から腕をほどき、その手で剣を握る彼の手を包みます。
「──闇断ち切るは女神の正義」
もうすることも思っていた聖剣への祝福を施して、手を放し一歩離れる。彼は小さく頷いて、輝きの増した聖剣を両手持ちに切り替え、翼を畳んで私の一歩前に出ます。
「そうか。ならば黒の力とどちらが上か、勝負といこう」
「……ねえレオン、あなたはいいの? ドロテアをあのままにして」
無駄だと分かってる。勇者は黒聖女に従うものでしょう。
なのに言葉が口をつくのは、ドロテアの記憶から作られた人格だとしても、彼があまりにあのころの、優しいレオンのままに思えてしまうから。
「メイベル、そういう話はこの黒騎士を倒してからだよ」
変わらず穏やかに答えるレオン。「倒せるものならね」と言葉を継ぐドロテア。
外周から静かに見守る使徒たちも、全員が黒騎士の勝利を疑っていないだろう。
「ザック、勝って」
「──御意のままに」
そして二人は同時に動いた。黒の大剣と白の聖剣がぶつかり合い、互いの祝福が干渉して発生した衝撃波が風になって何度も吹き抜けます。
力ではレオンが勝る。速さではザックが勝る。ただし、レオンには先読みの異能がある。ザックの聖剣が描く白光の軌跡は、レオンの大剣のまとう闇にことごとく阻まれる。──けれど、今のザックには龍の翼がある。聖剣と同時に別方向から襲う翼刀までは、防ぐことができない。
「そこだッ!」
頭部を狙う翼刀を避けるため体勢を崩した瞬間に、聖剣の突きがレオンの右肩を鎧ごと貫いていた。これで大剣を自在には使えなくなる──と思えたのは一瞬で、彼の全身は黒い煙となって霧散し、数歩下がった位置で実体化する。
「きみの異能はすごいね。攻防一体、間違いなく勇者として最強クラスだ」
使徒たちから歓声の上がる中で、再び煙化するレオン。
ドロテアがザックから剥奪した異能を、彼に付与したのでしょう。
「ああ。その異能の恐ろしさは、僕がいちばんよく知ってる」
けれどザックに動揺した様子はない。ただ背の両翼をいっぱいに広げる。
「──そして弱点もね」
ばさり、と大きな羽ばたきが風を起こして、彼の真横に一瞬浮かんだ黒い人型の影を吹き飛ばす。さらにその場で左右交互に羽ばたき続け、周囲に風を巡らせます。
風の中で何度か集まった黒い煙は、そのたびに実体を取ることなくかき消されてしまう。
「強い風の中では、煙から実体に戻れない。そして戻れない状態が続くと」
彼は上体を背後に反らしながら、夜空に向かって一際強く両翼を羽ばたかせる。星を隠すように夜空に実体化しかけていた黒い塊を突風で消し飛ばすと、静かに翼を止めた。
「実体には、負荷が蓄積されていく」
数歩離れた位置でようやく実体化したレオンはよろめいて、地面に突き立てた大剣を杖代わりに寄りかかる。口の端から黒い血が一筋、つうと流れ落ちます。
──そうか。ザックは、こんなにも危険な力で私を守ってくれていたのね。
「僕の勝ちだ、黒騎士」
ゆっくり歩み寄って、聖剣の切っ先を突きつけるザック。対してレオンは地面に片膝をつきながらも、剣の切っ先を翠色の瞳でまっすぐ見つめ返します。
「まさか、煙化を使った時点で詰みとはね。ああ、きみの勝ちだよ」
ザックの背中越しに見える繊細な美貌に、浮かぶのは穏やかな笑み。
月光に照らされた額の黒い紋章が、薄れてゆく。
「──そして、私の勝ちだ」
「え?」
「これだけ黒の力が弱まれば、私でも抵抗できる。きみがそうして見せたようにね」
「待って、何を言ってるのお兄様? ここはいったん退きましょう!」
ドロテアの声が割り込むけれど、レオンは構わず続ける。
「彼女をあのままにして良いのか、って話だったね」
そういう話はこの黒騎士を倒してから、と先ほど彼は言った。
つまりそれは、黒騎士を倒して黒の女神の力を弱めれば、私として話ができる、という意味だったようです。
「良いわけがない。彼女がああなったのは私のせいだ。どうやら私は司祭になって調子に乗って、無茶をして死んでしまったらしい」
憶測なのは、今の彼に存在しない記憶だから。
彼の命はもうずっと、いつ擦り切れてもおかしくなかったから、きっと他者を救うために無茶をして、そのまま本当に擦り切れてしまったのでしょう。悲しいけど、とても彼らしいとも思えてしまう。
ザックが、ゆっくりと聖剣の切っ先を下げます。
「だから私を蘇らせるため、彼女は黒女神にすがった。そして偶然か運命かわからないけれど、彼女にもきみと同じく──いや、逆にと言うべきか。黒の聖女としての才が宿っていたんだ」
ゲホ、と咳き込んで彼が口元の血を片手でぬぐった直後、肘から先を覆っていた鎧が、がしゃんと音を立てて地面に落ちます。その内側から、暗灰色の塵がふわりと舞って散った。
支配への抵抗によって、屍人たる彼を生かしている黒女神の力が急速に失われつつあるのでしょう。
「やめてお兄様! もういいから!」
懇願するドロテアにゆっくり首を振って、それでも彼は静かに続ける。
「──けどねメイベル。私たちを屍人として蘇らせるために、彼女は聖者を生贄にしていない。誰も犠牲にせず、綺蹟でそれを成したんだ」
「綺蹟……でも、あなたはすでに一度……」
「らしいね。だけど黒聖女の綺蹟に回数制限はない。大切な人を取り戻したい人のため、そのせいで大切な人を失う人を増やさないため、ドロテアは何度も綺蹟を重ねた。成功率の低い『勇者』の儀式も、それで確実に成功させた」
言葉が出ない。私は彼女が屍人を勇者にするために「借金に借金を重ねている」と表現しました。私の心臓を生贄に捧げることで、彼らの不安定な状態を恒久化しようとしていたのは確かでしょう。だけど。
「そんなの……」
綺蹟は神の権能の行使です。人の身が、人の身に対して、あんなものを無制限に使えていいはずはない。──何らかの代償を負わなければ。
「それが正しいことかどうかは、横に置こう。あの子は、我儘だけど優しい僕らの妹のままなんだよ」
がしゃん。もう片方の腕も足元に落ちる。美しい黒髪も、くすんだ暗灰色に変じていく。
「だからねメイベル。ドロテアのことを頼む。あの子は綺蹟の代償として、黒女神の依代に成りかけてる」
聞こえるのはドロテアのすすり泣き。
「──ええ。まかせてレオン」
私の即答を聞いて「ありがとう」と満足そうにうなずいた彼は、微笑んで続ける。
「それと、ザックくん」
「はい……!? 僕ですか?」
そこで急に名を呼ばれ、戸惑いを隠せないザック。
「メイベルのことを頼むよ。油断するとすぐ自分以外を優先してしまう子だから、彼女を最優先してくれるきみのようなひとが、隣にいてあげてほしいんだ」
最後まで言い切ってから、ぐらりと彼の体が傾いた。
子供のように泣き叫ぶ聖女に、左右の勇者も、そして周囲の使徒たちもみな呆然としている。
──自分こそ、最後まで自分以外ばかりだったじゃない。
止まらない涙に霞んだ視界の向こう。
墓標のように大地に突き立つ黒い大剣の傍らに、コトリと転がった胸鎧の内側から、塵が夜空へ昇ってゆきます。
それを見上げ、ザックがぼそり呟く。
「ずるいな。そんなの、勝ち逃げじゃないか⋯⋯」
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