11. 春の大曲線
【テラ軍本部 道場】
「ありがとうございました」
道場の中央で正座をしたリラは頭を下げた。
正面には道着のグオ。
彼は師範で、正式にテラ軍の合気道指導者だ。
「ライフルはイマイチだけど、合気道は筋がいいな、相変わらず」
あっという間に日々は過ぎていく。
一見すれば、平穏な時間が流れていた。
だが、その裏でカルザ帝国軍は侵攻の準備を進めているはずだ。
この静けさが、かえって落ち着かない。
「シャワー浴びて帰るわ」
「ああ、じゃまた明日」
グオはこの後もまだ指導だ。
ロッカールームに戻り、シャワーを浴びて私服に着替える。
荷物を手に外へ出ながらホロセルを確認すると、メッセージ着信を示す点滅があった。
[道場裏に天体望遠鏡を持って来てる。ひまならおいで]
──ルークだ。
メッセージを見た瞬間、足取りが軽くなる。
帰って夕食にしようと思っていたはずなのに、そんな考えはどこかへ消えた。
[グオに合気道の受けの相手をしてもらったところ。終わったから行く]
そう返して、裏庭へ向かう。
五月初旬の夜は、まだ少し肌寒い。
晴れた夜空には、星がはっきりと見えた。
海へと続く芝生の斜面。
植え込みを抜けた先に、ルークはホロ天体望遠鏡を据え、その横で寝そべっていた。
「おつかれさま」
リラに気づき、体を起こした。
「おつかれさま」
リラは彼の隣にすわった。
「確かにこのあたりの斜面はちょうどいいわね」
海に映った月の明かりが細く揺れている。
「ホロで見なくても、肉眼でも十分きれいだ」
ルークはそう言ってふたたび仰向けに横たわる。
リラも真似して、隣に体を横たえた。
「ほんとね……」
ここから星を見ようなどとは思ったことがなかった。
確かに、静かで景色の美しい場所だ。
「今の時期は……〝春の大曲線〟がきれいに見える」
「ああ……北斗七星の柄のカーブから始まるのよね」
「よく知ってるな」
「だって子どものころよく見てたもの」
ルークはリモコンでホロ天体望遠鏡のスイッチを入れた。
望遠鏡の先端が淡く発光し、次の瞬間、二人の周囲に光のドームがひらける。
夜空に重なるように、星々がいちだん近く、触れられそうな距離でまたたいた。
実際の星と投影された星が溶け合い、境界がわからなくなる。
「北斗七星の柄から……うしかい座のアークトゥルスをとおって……」
ルークはそう言いながら、春の大曲線をなぞるように指を動かす。
「おとめ座のスピカにつづくのね」
リラはその先を指さした。
「そう。オレはスピカの青白い色が好き」
「そう? 私はアークトゥルスのオレンジ色が好き」
星を追っていると、現実の輪郭が少しずつ遠のいていく。
任務のなかにいることなど、忘れてしまいそうだった。
「あっ、流れた」
「流星群だ」
一粒の星が流れたのを合図に、次々に流星が降り注ぐ。
「すごい……」
言葉がそれ以上続かない。
ただ静かに、見つめる時間が続いた。
「そろそろ戻らないと。長く寝てると冷える」
ルークが体を起こす。
「そうね、何時?」
リラも起き上がり、ルークの腕時計をのぞき込んだ。
「20時40分」
腕時計と重なる位相ノイズのブレスレットが光を受けていた。
ふと、それがお揃いのように見えて、落ち着かない。
顔を上げると、すぐ目の前にルークがいた。
不思議な色の瞳が、まっすぐこちらを見ている。
目をそらす理由が見つからない。
ルークの方が、先に視線をはずした。
「オレは望遠鏡を隠して帰るから、先に帰って」
「わかった」
リラは立ち上がった。
「また誘う」
頬がゆるむのを止められなかった。
「うん、ありがと。じゃまたね」
「ああ、おやすみ」
「おやすみ」
背を向けて歩き出した途端、呼吸が乱れる。
大きく息を吸い、ゆっくり吐く。
チームとして動く以上、この距離は崩せない。
何より彼は、〝特定の相手はつくらない〟と言っていた。
──それでも。
胸の奥で、何かが戻れない場所に触れていた。
来た道を戻り、道場の裏口を入ろうとすると、そこにグオがいた。
「グオ」
道着のまま腕を組んで壁にもたれかかっている。
「どうしたの?」
「どうしたのか聞きたいのはこっちだ」
少々怒ったような表情。
「ルークと2人でいただろ」
え……
「見てたの?」
「帰るって言ってたのに裏口から出て行くのが見えたから気になって……こんな時間にあっちは危ないだろ」
夜、海に続く斜面は確かに足元が危ない。
「もしかしたら、ゼノンの神経リンクが復活して、操られてるんじゃないかとか思ったりしてさ」
心配してくれていたらしい。
「そしたら……ルークに操られてた」
リラは吹き出した。
「笑いごとじゃない。あんな暗いところでヤツと二人になるなんてガードが甘い」
「彼はチームメンバーよ」
「いやいや、そういうことじゃなくて」
「じゃ、どういうことよ」
グオは一呼吸おいて答えた。
「興味本位だって」
不意にリラの鼓動は大きくなる。
「きょうみ、ほんい……?」
そして次のグオの言葉に冷水を浴びせられた。
「ゼノンの愛人だった女がどんなふうなのかやってみたいだけだって」
──ゼノンの愛人だった女。
その言葉はまるで烙印のようだった。
「やめてよ、そんな言い方」
──でも。
〈愛人になるのって、告白されるの? つきあってください、みたいな〉
一緒にごはんを食べたときの言葉を思い出す。
ゼノンの愛人だったから、単純に興味を引かれるのは事実かもしれない。
リラはうつむく。
「帰る」
リラの態度にグオは短く息を吐いた。
「ごめん」
リラは何も言えず、そのまま歩く。
「まっすぐ帰れよ」
「言われなくてもそうするわよ」
振り返らずに答えて足早にその場を去った。
反論できなかった。
そうだ。
うかれている場合じゃない。
重要な任務の最中だ。
そのために、顔も体も名前も変えた。
けれど、つけてもらったブレスレットを見ると、切なくなるのは紛れもない事実だった。
下を向いて歩いていると、声をかけられた。
「ミタライ中尉!」
顔を上げて見ると、行方不明になっていたはずの軍用犬部隊のクドウ一等兵だった。
「クドウ……あなた、戻ったのね?」
クドウはリラの前までかけ寄ってくると深く頭を下げた。
「ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした!」
「迷惑だなんて……リアムのことならいいのよ、でもあなたを心配してたわ」
「はい……」
クドウはガックリ肩を落として事情を話し始めた。
「実は、はずせない急用ができまして、昨日と今日の二日間、休暇届を提出して昨日の朝でかけたんですが……その休暇届が通信エラーで送信されてなくて……」
事情はそれだけだった。
「ホロセルを見るひまもなく、先ほど戻ったらこんな騒ぎになっていて……本当に申し訳ありませんでした」
「そうだったの……とにかく無事で良かったわ。キリュウ大尉が、あなたは無断でいなくなるような人じゃないから、何か事件に巻き込まれたんじゃないかって心配してたのよ」
「はい、キリュウ大尉にはすぐに謝罪に行きました」
ホロセルを見る余裕もない急用とはなんだったのか。
彼の性格上、突然そんな休暇届を出すこともなかったはずだ。
気にはなったが、そこまで親しい間柄でもないので、それ以上の詮索はやめた。
「とにかく良かった。リアムも待ってるわ」
「はい、本当に申し訳ありませんでした。では、失礼します」
彼はもう一度深く頭を下げ、その場を去って行った。
リラはそんな彼の後ろ姿を見送ると、ふたたび宿舎に向けて歩き始めた。
フードコートの手前の角まで歩くと、キリュウと一緒になった。
「今、退勤?」
彼はまだ軍服のままだった。
「ああ、民間との会合の後、第三戦闘部隊の大尉と話してた」
クドウのことだろう。
「あ、今そこでクドウ一等兵に会ったわ、良かったわね、無事で」
キリュウは肩をすくめ、ため息をついた。
「まったく、あいつが突然、二日続けて休暇を取るなんて思ってないから……」
そう思うのは当然だ。
「どうしたのかしらね、急に……」
軍用犬のハンドラーは、職務上、休暇を取るタイミングには気を使う。
当然クドウもそうしていただろう。
「突然、二日続けて休むなんて、何かあったんじゃないかって上長も心配してたが、本人はプライベートなことでくわしくは言えないと」
「そう……」
そう言われてしまえば、それ以上、追求もできない。
「ま、とにかく、明日からまたいつもどおりのヤツでいてくれればいいんだが」
「そうね。これでリアムも落ち着くわ」
キリュウは大きく息をつき、肩を落とした。
「ああ……落ち着いたら腹へった……」
その言い方は、リラにとって、等身大の〝同級生〟のような感じがした。
「もうごはん食べた?」
そう聞かれてリラは首を横に振った。
「ううん、まだ。さっきまで師範の特訓を受けてたから」
「ああ、そうか」
キリュウは穏やかに笑った。
……笑うとステキなのに、いつも怖い顔をする。
リラはひそかにそう思いながら笑みをうかべる。
「良ければそこで食べる?」
キリュウはフードコートの方を見てそう言った。
「うん、そうね」
どうせ何か食べようと思っていたところだ。
「特訓のせいで私もお腹ペコペコよ。なに食べよう」
リラはキリュウと共にフードコートへ向かった。
【道場の裏庭】
ルークはホロ天体望遠鏡にカバーをかけ、以前と同じ場所に押し込んだ。
窪地に茂みがかぶさる、都合のいい隠し場所だ。
枝に引っかかってめくれた布を直す。
その拍子に、手首のブレスレットが視界に入った。
……こんな細工はいらなかった。
バングルにすれば簡単だったし、位相ノイズも強く出せる。
それなのに。
指先でチェーンをなぞる。
──同じものを作っていた。
「特定の相手、か……」
つぶやきながら、その場を離れる。
女性がめんどうなときは、〝特定の相手はつくらない〟が逃げ口上だった。
実際、宇宙を飛び回るのが生き甲斐で、女性にマメに会いに行くことなどできない。
だから、軍をやめて今の生活になって以降、本当に特定の相手はいない。
ましてやテラ軍の女性になど、二度と深入りはしないと決めたはずだ。
しかも相手は、ゼノンの愛人だった女。
個人的に関わるべきではない。
自分にそう言い聞かせながら斜面を上がり、宿舎へ向かう通路を一人歩く。
フードコートの近くまで来ると、まだ夕食中の人々がまばらにいた。
そのなかの一席に、彼女とキリュウの姿が見えた。
キリュウはいつになく穏やかな表情で彼女と話していた。
意外だった。
チームメンバーで食事を共にすることはあるだろう。
だが──
珍しい。
ヤツがあんな顔をするのは。
視線が自然と彼女の方へ流れる。
肩の力が抜けた、やわらかい表情。
キリュウ相手でも、ああいう顔をするのか。
胸の奥に、わずかな違和感が残る。
別に、彼女にとっては、自分もキリュウも同じチームメンバーだ。
──それだけだ。
それ以上でも、それ以下でもない。
ルークは足早にその場を通り過ぎた。




