第58話 『若き技術者と侵入者』
西暦257年6月
博多湾岸の作業場には朝から槌の音が絶え間なく響いていたが、槍太は寝る間も惜しんで試作艇を作っている。
まず必要なのは丸太だった。
船大工たちの誰も手を貸そうとしない以上、木を伐り出すところから一人でやるしかない。SPROが手配してくれた工具箱の中には弥生の斧よりもはるかに仕事の早い刃物が入っていた。とはいえ、狙った太さと真っ直ぐさを持つ木を選び、倒し、枝を払って作業場まで運び出すだけで丸一日が潰れる。
日が落ちる頃には、槍太の手のひらにはいくつもの豆ができていた。
次に待っていたのは製材。
丸太を長さで切り分け、楔とハンマー、時折借りたノコギリで板状に割っていく。
狙った厚みに揃えるのは根気のいる作業で、失敗して薄すぎる板や歪んだ板を何枚も無駄にした。それでも槍太は手を止めなかった。夜は用意された寝床で泥のように眠り、朝は握り飯を口に押し込みながら作業場へ戻る。
その繰り返しだった。
ようやく板がそろうと、大学で学んだ流体力学の知識と、SPROが手配した現代の工具を頼りに、伝統工法とは異なる手順で船体を組んでいく。反り返らせた底板の接合には釘ではなく木釘を使い、隙間には松脂を混ぜた樹脂を塗り込めて水密性を高めた。
「浅瀬でも沈まない、平底の船……理屈は間違ってない」
独り言のようにつぶやきながら、槍太は何度も設計図と実物を見比べた。フツヌシたち船大工は相変わらず遠巻きに眺めるだけで、手を貸そうとする者はいない。それでも作業場の隅では、まだ10代と思しき見習いの少年が一人、槍太の手つきをじっと見つめていた。
「兄さん、その板の曲げ方……見たことない」
「ああ、蒸気で木を柔らかくして曲げるんだ。教えてやろうか?」
少年は一瞬迷った顔をしたが、フツヌシの視線を気にしながらも小さくうなずいた。たった1人の理解者を得て、槍太の作業には少しずつ勢いが戻っていく。
反らせた板を組み上げ、隙間という隙間に樹脂を塗り込める。船底、舷側、そして最後に竜骨代わりの補強材を打ち付ける。
7日目の夜、ついに試作艇の船体が完成した。
完成した船体を前に、槍太はしばらく声も出せなかった。
不格好で、継ぎ目は歪み、あちこちに削り損ねの跡が残っている。それでも、確かに船の形をしていた。
「……明日、浮かべる」
誰に言うでもなく、槍太はつぶやいた。
■翌朝 博多湾岸
噂を聞きつけたのか、作業場には船大工たちが集まっていた。フツヌシも腕を組んだまま少し離れた場所に立っている。槍太は試作艇を浅瀬まで運び、静かに水面へ下ろした。
船体はわずかに沈んだだけで、水面にぷかりと浮いた。
「見ていてくれ」
槍太は自ら乗り込み、サオを使って岸を離れていく。若い衆たちのざわめきが背後で広がった。
順調だ——。
船は思った以上に安定して水面を滑っていく。あくまで人一人を乗せただけの、無積載での話だが。積荷を積んだ状態での喫水がどうなるかは、また別に試す必要がある。それでも、喫水の浅さそのものは実感できた。この分なら、本番の水路——二日市水道でも通用するはずだ。
だが、少し沖に出たところで、船底の継ぎ目の1つがわずかに軋んだ。
「……っ」
槍太の顔が強張る。にじむように、板の隙間から水が染み込み始めていた。
一枚板を削り出す丸木舟しか知らない船大工たちの目に、それは何よりも雄弁な答えに見えただろう。
「……やはりな」
フツヌシが低くつぶやいた。だが、その声に今までの侮蔑はない。
「板を組んだだけの船が、荒波に耐えられるとは思えん。だが……浅瀬であれだけ滑らかに進むとはな」
老棟梁の目は、沈みかけた試作艇ではなく、その航跡を見つめていた。
槍太はサオを必死に操り、なんとか岸まで戻る。ずぶ濡れになりながらもその目に諦めはなかった。
「継ぎ目です。接合方法を変えれば、水は入らなくなる。……教えてください、あんたたちのやり方を」
槍太は深く頭を下げた。壱与の前で覚悟を示した時とは違う。フツヌシたちに頭を下げるのは、これが初めてだった。
老棟梁は長い沈黙のあと、深いシワを刻んで小さく笑った。
「……面白い小僧だ。明日から、道具の使い方を叩き込んでやる」
作業場に、これまでとは違う空気が流れ始めていた。
■同じ頃 湿地帯「龍の通り道」
「動くな。囲め」
近藤の声は低いが、有無を言わせぬ響きがあった。SPROの隊員たちが音もなく散開し、葦原の一点を扇状に取り囲んでいく。修一自身もSPROに守られてはいたが、それでも佐伯と美保を背にかばいながら、その中心へ視線を向けた。
葦が不自然に揺れ、やがて一人の人影がゆっくりと姿を現した。
古びた麻の衣をまとった痩せた老人。
弥馬壱国の民とも、狗奴国の兵とも違う。衣の意匠には、修一が今まで見たどの様式とも異なる、渦を巻いたような文様が織り込まれている。
老人は逃げようとせず、ただ静かに一行を見渡した。その手には、木の板が一枚握られている。表面には、水門の遺構に刻まれていたものと同じ文様が彫り込まれていた。
「言葉が……分かるか」
修一は弥馬壱国の言葉で、慎重に問いかけた。
老人の目にわずかな驚きが浮かぶ。修一の言葉が通じたことに対してか、それとも別の理由か。
彼はしばらく修一を見つめたあと、震える声で、聞き取れないほど小さく何かをつぶやいた。それは修一の知る邪馬壱国の言葉ではなかった。もっと古い、もっと異質な響きを持つ言葉だった。
「近藤さん、彼を傷つけないでください」
修一が声を上げた瞬間、老人は身を翻し、葦の茂みへ飛び込もうとする。
「待て!」
近藤の部下が動くより早く、老人の足がぬかるみに取られて体勢を崩した。倒れ込んだ老人の懐から、何かがこぼれ落ちる。
泥の中に転がったのは、錆びついた小さな青銅の飾りだった。
そこに刻まれていたのは——「徐」の一文字に似た、古い漢字の欠片。
修一は息をのんだ。
伝承が、単なる伝承ではなかったことを、その一文字が静かに告げていたのである。
倒れ込んだままの老人は、身じろぎひとつしなかった。抵抗する体力も、その気力も残っていないのか、ただ濁った瞳で修一たちを見上げている。
「近藤さん、手荒な真似はしないでください」
修一が念を押すと、近藤は小さくうなずき、部下に指示を出した。隊員たちが慎重に老人の腕を取り、拘束というよりは支えるような形で立たせる。
「……済まぬ」
老人が絞り出すように発した言葉は、やはり修一の耳には馴染みのない響きだった。だが、その声音に敵意はない。むしろ、諦めにも似た色が滲んでいた。
「? なんと言っているんですか? 修一さん、彼の言葉が分かるんですか?」
近藤の問いに、修一は首を振った。
「いえ……分かりません。今のは、オレが知っている邪馬壱国の言葉でもないようです」
その答えに、近藤の眉間のシワが深くなる。言葉の通じない、正体不明の来訪者。警戒すべき要素が、また1つ増えたということだ。
「連れて行きましょう。ここに長居するのは危険です」
近藤の判断に異論はなかった。
隊員たちが老人を支えながら湿地帯を後にする準備を始める。修一は泥にまみれた青銅の飾りを拾い上げ、懐に収めた。最後にもう一度、葦原へ目を向ける。
風もないのに、遠くの葦が小さく揺れた気がした。
何かが、まだそこにいる。
根拠のない確信だけが、胸の奥に残っていた。
次回予告 第59話『言葉なき来訪者』
7日間かけて丸太から組み上げた槍太の試作艇は、浅瀬での優れた航行性能を示す一方、継ぎ目からの浸水という弱点もさらけ出した。
それでもその可能性はフツヌシの心を動かし、槍太は初めて頭を下げて技術指導を請うことになった。
一方、龍の通り道の奥で修一たちが遭遇したのは、言葉の通じない一人の老人。その懐からこぼれ落ちた青銅の飾りは、徐福伝説が単なる伝説ではないことを静かに物語っていた。老人を保護し都へ引き上げる一行だったが、修一の胸には「何かが、まだそこにいる」という拭えない確信が残る。
次回、老人はなぜ、そして何のためにこの地に留まっていたのか。修一たちは、言葉の通じない来訪者との対話の糸口を探ることになる。




