Dream.30 再起の朝 〈2〉
翌々日。赤槻高校、放課後。
「神なんて居ないんだわ……」
「まぁまぁ元気出して、麗華ちゃん」
「んっ……」
机に顔を埋めて低く覇気のない声を発する麗華へと、硝子が励ますように声を掛けていたその時、硝子の隣の席で眠り込んでいた朝海がゆっくりと目を覚ました。
「あ、日下部君」
「おはよう……」
「うん、もう放課後だけどね」
朝の挨拶をする朝海に、硝子が少し呆れたような笑みを向ける。一時間目からずっと眠り込んでいた甲斐あってか、朝海の目の下の隈はいつもに比べてかなり薄くなっていた。
机の上から上半身を起こした朝海が、同じように机の上で項垂れている麗華に気付く。
「どうしたんだ? 君も眠いのか? 杉浦」
「相沢よ! 一文字もあってないし、万年睡眠不足のあんたと一緒にしないでくれる!?」
朝海の言葉に突っ込みを入れるべく、麗華が勢いよく顔を上げる。項垂れていた割には特に体調が悪い様子もなく、どちらかというとかなり元気そうである。
「だいたい、あんたみたいな趣味の奴ばっかだから、私がこんな目に遭うのよ!」
嘆くようにそう言って再び机の上に顔を埋める麗華に、朝海がさっぱりわからないといった様子で首を傾げる。
「どうしたんだ? 一体」
「麗華ちゃん演じるバナナ子の親友梨絵が主役のスピンオフドラマの話ね、シャンデリアちゃんが芸能活動復帰したから普通にバナナ子主役にするっていって、無くなっちゃったんだって」
硝子が麗華を気遣うように、朝海に小声で伝える。
「そうか。種しかないスイカみたいなドラマにならなくて良かった」
「うん。まぁ正直、それが当たり前だよね」
「全部聞こえてるわよ!」
容赦ない会話を繰り広げる朝海と硝子に、麗華が再び勢いよく顔を上げる。
「こうなったら、今度のドラマでシャンデリアを食う位、目立ちまくってやるわ! そのためにも稽古よ、稽古!」
自分自身に気合いを入れるように目一杯教室に大声を響かせると、麗華はすぐに席を立って足早に教室を後にしていった。あまりの早さに別れの挨拶を向ける間もなく、朝海と硝子はどこか唖然とした表情を見せる。
「行っちゃった……」
「あの打たれ強さが彼女の良さだな」
呆気にとられる硝子の横で、朝海が感心するように小さく笑みを零す。
「確かに、麗華ちゃんは強いよね」
朝海と同じように少し笑みを零して、硝子が朝海の隣の自分の席へと腰掛ける。麗華が去ったことで二人以外には誰も居なくなってしまった教室を、妙な静けさが包み込んだ。
「羨ましいくらい」
前方の黒板を見つめ、その笑みを少し苦しげなものへと変える硝子を横目に、朝海が表情を曇らせる。
「硝……」
「ねぇ、日下部君」
呼びかけようとした朝海の声を、硝子が同じく呼びかけで遮る。
「私ね、わかったような気がする」
「え?」
急な硝子の言葉に、戸惑うように首を傾げる朝海。
「日下部君が、朝から夕方までずっと眠ってる理由」
振り向いた硝子が、まっすぐな視線を朝海へと送る。
「昼に眠っちゃうのは、夜に全然眠ってないからじゃない?」
硝子のその問いかけに、朝海がすぐに眉をひそめる。
「夜は息苦しくて、眠れないからじゃない?」
続く硝子の問いかけに、朝海の表情がどんどんと曇っていく。朝海はすぐには答えようとせずに、少し考えるように間を置いた。
「……どうして、そう思うの?」
「私も息苦しいから」
「え?」
答えた硝子がすぐに戸惑いの表情を見せた朝海から目を逸らし、再び前方の黒板を見る。
「最近毎日ね、夜明けが近づくと、すぐに目が覚めちゃうの」
黒板をまっすぐに見つめたまま、硝子が少し目を細める。
「朝がとっても息苦しくて、目が覚める」
硝子の言葉を聞いた朝海が、一気に険しい表情となる。
「宵の力を使うたびに、朝がどんどん息苦しくなっていく。宵の力を使うたびに、私は宵にどんどん近づいていってる。そんな気がするの」
確信を持って響く硝子の声に、朝海は何も言えずにそっと俯いた。
「だから、日下部君もそうなんじゃないかなって思って。違った?」
再び振り向いて問いかける硝子に対し、朝海は黙って俯いたままだった。答えようとしない朝海に、硝子が何かを察するように少し肩を落とす。
「ごめんね。困らせてばっかりで」
「君が謝ることじゃないよ」
謝る硝子に、朝海がすぐさま言葉を向ける。
「ごめん」
「日下部君が謝ることでもないと思う」
同じように謝った朝海に、硝子がすぐに首を横に振る。
「私たち、これから先、どうなっていくんだろうね……」
不安げに呟いた硝子の言葉に何も言葉を返すことが出来ずに、朝海はただ俯いたままであった。
A組の教室から硝子を迎えに来た灯子は、教室に入る扉の前で立ち止まり、教室の中から聞こえてくる朝海と硝子の会話に耳を傾けていた。
「盗み聞きか? 悪趣味だな」
背後から聞こえてくる声に、灯子がすぐに振り返る。そこには部活動中なのか、ジャージ姿の修夜が立っていた。修夜の姿を見た灯子が、あからさまに表情をしかめる。
「悪趣味だとか、お前にだけは言われたくないな」
「それは悪かったな。それより、そこ退いてくれるか? 忘れ物取りに入りたいんだけど」
「お前は、何か知っているのか?」
扉の前から退こうとはせずに問いかけを向けてくる灯子に、修夜が少し眉をひそめる。
「何かって?」
「あの二人のことだ」
教室の中に居る二人のことを示すように、灯子が首を向けて扉を示す。
「この間の戦いの時、硝子と朝海が放った力は明らかに異質なものだった。共鳴するように蠢く力には、お前だって何か危険なものを感じたはずだ」
灯子の言葉を否定することなく、修夜が少ししかめた表情でそっぽを向く。
「あの二人の力には一体、何が隠されている? 前世で宵と共に在ったお前なら知ってるんじゃないのか?」
灯子の問いかけを聞きながら、修夜が月の出総家別館で宵と会話した内容を思い返す。
――――何度でも生まれ変わる。何度でも巡り合う。それが私たちの宿命――――
宵の言葉を思い出し、修夜が表情を曇らせる。
「知らないね。僕だって、前世の記憶をすべて持ち得ているわけじゃないんだ」
灯子を退かすことを諦めたのか、教室に入るべく前側の扉へと向かおうとする修夜。
「知りたいとは思わないのか?」
背中から向けられる問いかけに、修夜が踏み出したばかりの足を止める。少し間を置いた後、修夜がゆっくりと灯子の方を振り返った。
「知ったところで、僕等に出来ることなんてないよ。たぶんね」
断定するようにそう言うと、修夜はまた灯子に背を向けて、前方の扉からD組の教室の中へと入っていった。
「あれ、修夜君。どうしたの?」
「鞄忘れちゃって」
「間抜けだな」
「お前にだけは言われたくないね!」
修夜が教室に入っていくと、開いたままの扉の奥から軽快な会話が聞こえてきた。
「あっれ、灯子ちゃん。中入らないで何してんのぉ?」
そこへ朝海を迎えに来たのか、晃由が陽気な笑顔で歩み寄って来る。晃由を一瞬見た後、灯子はすぐに廊下の窓から外に広がる空を見つめた。
「出来ることはない、か」
「んん~?」
小さな呟きを落とす灯子に、晃由は大きく首を傾げた。
その頃、喫茶“Tomo”。
「あれから十三年、か」
客の居ない喫茶店のカウンターに一人たったトモは、神妙な表情で両手に持った写真立てを見下ろしていた。写真には若い男女と一人の小さな男の子が写っている。男の子の目の下にくっきりと刻まれた隈は、その男の子が朝海であることを強く証明していた。よく見れば幼い朝海の横に写る男性も目の下に隈があり、逆隣に立つ柔らかな笑顔の女性の顔立ちは朝海によく似ている。
写真立てをカウンターの上に戻し、そっと肩を落とすトモ。
「綸音……」
「ただいま」
トモがその言葉を落としたまさにその時、喫茶店の扉が勢いよく開き、赤いランドセルを背負った茜が帰って来る。
「ああ、茜。おかえり」
すぐに優しい笑みを作って、トモが茜を出迎える。だがその笑みを見た途端に、茜は何かに気付くように眉をひそめた。
「どうしたの? 何かあった? トモさん」
心配するように問いかける茜に自身の感情が隠し切れていなかったことを悟り、トモが少し困ったように笑みを零す。
「別に、何でもないよ」
「そう」
誤魔化すように笑顔でそう言うトモに、茜はそれ以上踏み込もうとはせずにすぐに頷いた。茜がカウンターの前を通り過ぎ、二階へと続く階段に向かう。
「あっ」
階段に足をかける前に、もう一度足を止めて振り返る茜。
「リンネって、誰?」
茜のその問いかけに、トモが少し驚いたように目を開く。
「誰かの名前、だよね? 呼びかけてる感じだったし。今までも何回かトモさんが、その人の名前呟いてるの聞いたことあるけど」
聞かれていたことに動揺を見せるトモであったが、すぐにその表情に落ち着きを取り戻し笑みを浮かべた。
「茜のお母さん、かな」
「“かな”?」
曖昧な言い回しをするトモに、茜が困惑するように首を傾げる。
「トモさんも青春時代には色々あったんだよ。あんまり詳しく聞いてやらないであげて」
まるで懇願するようなその言葉に、そっと目を細める茜。
「わかった。ごめん」
踏み込んではいけないところまで入ってしまったと察したのか、どこか申し訳なさそうに言葉を落とした後、茜が二階へと駆け上がっていく。茜の二階へと上がっていく足音を聞き終えると、トモは少し険しい表情で頭を掻いた。
「謝るのは、俺の方だよ」
まるで懺悔のように、トモが小さく声を落とす。
「ごめんな、茜」
トモの深い謝罪の言葉が、誰も居ない店内に静かに響き渡った。




