Dream.28 禁断の獏 〈3〉
月の出総家別館、前庭。
「うぅー、もう限界!」
苦しげに言葉を吐き捨てた晃由がその場に力なく座り込むと、小夜子の夜力を朝力に変換に続けていた輝の姿がその場から消え去った。
「何、甘ったれたこと言ってんだ! 死ぬまで変換し続けろっ!」
「鬼だね。灯子ちゃん……」
燈と共に晃由に朝力の補助を行っていた灯子が、座り込んだ晃由に容赦ない言葉を吐き捨てる。
「いえ、私の夜力の半分は変換して頂きました。予想以上です。これ以上を求めることは酷でしょう」
「半分? マジかよ」
灯子を宥めるように言葉を挟む小夜子に、晃由が思わず驚きの表情を見せる。相当の量の夜力を朝力に変えたつもりだったが、小夜子にとってはそれでもまだ半分だという事実に驚きを隠せなかった。
「けど、もし朝力が足りなかったら」
<いえ>
盟莎の獏“明”を通して、夢現空間の中に居る旭の声がその場に響く。
「十分です。皆さん、ご協力ありがとうございました」
利九の意志により上空の月が膨張を続ける夢現空間の中では、旭が盟治の明を通して外に居る晃由たちへと言葉を返していた。小夜子の夜力が晃由により朝力へと変えられ、そしてその朝力が盟莎、盟治の明を通って旭へと伝えられていた。
朝力を伝えられた旭は、先程までよりも明々と額の日の出の印を輝かせている。
「空間破壊の際には、かなりの衝撃が予想されます。皆さんは夢現空間から離れて下さい」
<わかった>
<お兄ちゃん、気を付けて!>
「ああ」
明から伝わって来る晃由と盟莎の声に、盟治がしっかりと頷きを返す。旭の指示通りにその場を離れたのか、それ以上明から外に居る皆の声が伝わって来ることはなかった。
「よし、これですべてだ」
「ありがとうございます、盟治」
盟治からすべての朝力を受け取り終えると、旭が盟治と繋いでいた手を離す。
「内部でもかなりの衝撃が起こるはずです。あなたも少し離れた場所へ移動して下さい、盟治」
「断る」
すぐさまあっさりと返事をする盟治に、旭が驚いた様子で目を丸める。
「神子の命令が聞けないのですか?」
「今のお前の言葉は、日の出の神子としての命令じゃない。日下部旭としての、ただの俺の身の心配だ」
旭の心情をすべて見透かすように、盟治がすらすらと言葉を続ける。
「そんなものをすべて聞いていたら、俺は俺の身ばかりを守って、お前を守れなくなる。だから断る」
盟治の言葉を聞いた旭が一瞬驚いたような表情を見せた後、すぐに穏やかな笑みを浮かべる。
「困ってしまいますね。お互い、お互いの心配ばかりで」
「まったくだ」
頷く盟治を見て、旭はより一層笑みを深めた。
「わかりました。どうかそこに居て下さい、盟治」
「ああ」
その場で強く足を踏み直す盟治の姿を確認した後、旭がゆっくりと前方に体を向ける。視線の先に映るものは、膨張していく月とその下に立つ利九。一度まっすぐに利九を見据えると、旭は深く瞳を閉じた。
集中を始めたのか、旭の額の日の出の印が強く輝き、旭の全身が朝力を纏い始める。
「……今更、何をしたところで無駄だ」
旭が体に朝力を集約させていくその姿を特に焦りの表情も見せずに見守りながら、利九がどこか諦め切ったように言葉を落とす。
「もう、この月の膨張は止まらない」
ゆっくりと顔を上げ、空間いっぱいに膨らんでいく白い月を見上げる利九。
「お前たちの日は、今ここで消えるんだ」
利九のその言葉は予言めいたものではなく、最早確信に満ちていた。
気力の何もかもを失くしたような表情にすら見える利九を見つめながら、盟治が少し眉をひそめる。何やら考え込むような表情を見せる盟治の横で、旭がゆっくりと目を開いた。
「行きます」
「ああ」
意を決するような旭の言葉に、盟治が間髪入れずに答えて背を押す。旭は一瞬満足そうに口元を緩めると、すぐに真剣な表情となって両手を上空へと掲げた。
「悪しき夜に呑まれし夢よ」
掲げた旭の両手から溢れ出た朝力の光りが、旭の上空でどんどんと集約されて大きな塊を作り出していく。円を形作って明々と輝きを放つその光りは、まるで小さな太陽のようであった。
「今再び朝の光りの中に目醒めよ」
大きさでは上空の白月にまったく敵いはしないが、輝きだけは負けない程に放っているその小さな太陽を、旭が思い切り両手を振り上げて上空の月へと放つ。
「“御破夜宇、御在増”!」
旭の両手から放たれた小さな太陽が、見る見る内に巨大化して一層輝きを増して上空の月へと突き上がっていく。明々と輝くその光りは直視出来ないほどに眩しく、巨大化と共に光りを増して、上空の月の輝きをも呑み込み、空間中を照らし始めた。
「な、何だ!? この光りは……!」
あまりの眩しさに思わず目を細め、顔を俯けながら、利九が戸惑いの声を発する。一方の旭と盟治は眩しさなど気にならない様子で、まっすぐに旭の放った太陽を見上げていた。
巨大化して突き上げた旭の太陽は上空の月と正面から激突し、激しいぶつかり合いを見せる。その影響からか空間には強い風が吹き荒れ、立っていることすら困難になるほどであった。
「旭!」
旭を強風から守るように、盟治が明に乗って旭の前に立つ。明の大きな背に守られながら、その長い首の先にある月と太陽を見つめる旭。
「どうか」
旭が祈るように両手を組むと、額の印がもう一度強く輝く。
「どうか、届いてっ」
祈る旭の言葉がまさに届いたかのように、その瞬間、太陽と強くぶつかり合っていた月に大きくヒビが入る。小さな亀裂はどんどんと巨大な月全体に広がっていき、やがてそのヒビは夢現空間全体へと広がっていった。
「あっ」
どんどんとヒビ割れていく空間を見回しながら、どこか力の抜けた表情を見せる利九。
「日が、月を呑み込む……」
崩れ落ちていく月よりも輝きを増して、取って変わるように空に輝く旭の太陽を見上げ、利九がそっと眉をひそめる。
「日が、俺を呑み込む」
言葉を続けた利九が、口元にそっと笑みを浮かべる。
「日に焼かれて死ねば、あなたのもとに逝けるのかな。母さん……」
力なく言葉を落とした利九はゆっくりと目を閉じ、崩れ落ちていく空間の中で膝を負った。
「すぐに崩れる! 旭、脱出を!」
「はい!」
伸ばされた盟治の手をしっかりと掴み、旭が明の背の上へと引き上げられる。
「彼は?」
明の背の上で周囲を見回し、どんどんと崩れ落ちていく空間の中の人影を探す旭。地面に膝をついたまま、まったく動こうとしない利九の姿がすぐに見つかった。
「盟治、彼を!」
「わかっている!」
旭が指示を出し切る前にすでに、盟治は明を利九のもとへと走らせていた。上空から崩れ落ちてくる月の欠片を必死に避けながら、明が座り込んだままの利九のもとへと急ぐ。
「おい、乗れ!」
盟治が声を張り上げて、明の長い首を利九の前へと差し出すが、利九はその場に膝をついて目を閉じたまま、盟治の言葉にもまったく反応を示さなかった。
「無視か」
「遠慮はいりませんよ、明」
表情をしかめる盟治の横から、旭が落ち着き払った声を放つ。
「噛みついてでも、連れて来なさい」
旭の言葉にあっさりと従うように、明が大きく口を開いてその鋭い牙を利九の服と背中の間に引っ掛ける。
「んなっ!?」
明の牙に引っ掛けられて持ち上げられた利九が、空中で足をバタつかせながら焦りの表情を見せる。
「行きましょう、盟治」
「ああ」
「ま、待て! 俺を置いて行け!」
旭の指示に盟治が頷くと、明がその場で高々と飛び上がって崩れ落ちていく空間の中からの脱出を図る。その様子に焦ったように声を張り上げる利九。
「日を消せないなら俺はっ、俺はもう生きている意味などないんだ! 日の光りの下に戻るくらいなら、もういっそこのままっ……!」
「あなたのお母様は何故、自分の身を危険にさらすと知りながらも、日の光りを浴び続け、迷子のあなたを探したのでしょうか?」
声を荒げる利九へと、明の背の上に立った旭がまっすぐに言葉と視線を向ける。
「あなたのお母様にとって何よりも、あなたの命が大事だったからではないでしょうか?」
旭の向けたその言葉に、利九がハッとした表情を見せる。
「あなたが亡くなったお母様のためにやるべきことは、日を消すことなどではありません」
はっきりと言い切って、旭が利九へと強い視線を送る。
「一生懸命生きること、ただそれだけです」
「……っ!」
旭の言葉を受けた利九が、大きく見開いた瞳できつく唇を噛み締める。
「う、ううぅ……」
深く俯いて目を閉じた利九は、それ以上抵抗を見せることはなかった。
「これだけいい話っぽくしておいて、間に合わずに全員死んだら笑い草だな」
「ええ、そのためにも全速力で頼みますよ。盟治、明」
「わかってる」
旭の言葉にしっかりと頷くと、盟治は飛び上がる明のスピードをさらに速めた。
「何だ何だ、何だ何だぁ!?」
どんどんとヒビ割れていく夢現空間を外から見つめながら、晃由が焦りの表情を見せる。ヒビから溢れ出る強い光りはどんどんと増していて、その光りを収め切れずに空間が大きく変形を始めていた。巨大な爆発の予感すら察し、晃由の他にも皆が険しい表情を見せる。
「もっと離れた方が良さそうですね。前庭の端まで移動しましょう」
焦る皆の中で一人冷静に声を発する憬一郎。
「その程度の距離では、何も変わりませんよ」
「小夜子様?」
あっさりと憬一郎の言葉を否定した小夜子が、空間から離れようとする皆とは対照的にどんどんと前方に歩を進め、空間との距離を詰めていく。
「水無月の姉ちゃん、何をっ!」
「あなた方は、私の真後ろへ」
焦る晃由たちに冷静に指示を出しながら、小夜子が額に月の出の印を浮かび上がらせる。爆発の瞬間が迫り、一層風が強まる中、小夜子は前方へと強く両腕を突き出した。
「“夜よ、大帳を下ろせ”!」
上空から小夜子の前へと、濃い黒色の光りの壁が下りる。壁が形成された一瞬後、夢現空間は内部から爆発するように勢いよく砕け散った。
『ううぅ……!』
吹き荒れる強風に、皆が小夜子の後ろで堪えるように身を屈める。小夜子もかなりの圧を両手のひらに受けて表情を歪めながら、それでも前方に張った壁を揺らがすことはなかった。
砕け散った夢現空間の破片が空に舞い、地面に落ちて掻き消えていくと、徐々に風が収まっていく。完全に風が収まったことを確認すると、小夜子はゆっくりと両手を下ろした。掻き消える黒い壁の向こうを見ようと、晃由や灯子が立ち上がる。
「すっげぇ……」
前方に見えたのは、底深い大きな穴であった。前庭の美しい緑の芝生や花壇はすべて吹き飛ばされ、ただの土の山と化している。その山の中央に抉られたように出来た巨大穴。晃由が歩を進めて、深い穴の底を見下ろすが、そこに人影は見えなかった。
「お兄ちゃん? お兄ちゃん!」
晃由と同じように底を見下ろした盟莎が、居ても立ってもいられなくなった様子で明の頭に乗り、穴の中へと飛び降りる。ワニモグラの明に爪で穴の中を掘らせ、盟治の姿を探す盟莎。
「盟治……」
盟莎の様子を見つめながら、晃由もまた不安げな表情を見せる。皆が不安げな表情を見せる中、その静寂を破るように、甲高い携帯音が鳴り響いた。
「ん?」
その音が自分の服のポケットからであることに気付き、晃由が慌ててポケットの中の携帯電話を取り出す。
「はい?」
「俺だ」
聞こえてくるその声に、晃由が大きく目を見開く。
「ちなみに俺は、オレオレ詐欺じゃない」
電話の向こうからと共に聞こえてくる上方からの声に、晃由が勢いよく顔を上げる。星空の前に浮かび上がった巨大な金銀の獣の上に、携帯電話を耳に当てた盟治の姿があった。盟治の横では旭が笑顔で手を振っている。旭の横には、がっくりと肩を落とした利九の姿もあった。
「お兄ちゃん!」
「利九」
家族や仲間の無事の姿に、盟莎と師走がそれぞれに笑みを零す。
「お前の来る前の直前電話に、こんなに感謝したのは初めてだぜ」
「いつも感謝しろ。わざわざオレオレ詐欺を予防してやってるんだからな」
電話越しに会話をしながら、盟治は明をゆっくりと地面の上に降ろした。
「お初にお目にかかります。ご協力ありがとうございました、月の出の姫神子」
「いいえ。ご無事で何よりでしたわ、日の出の姫神子」
明から地面へと降り立った旭が、すぐに小夜子のもとへと歩み寄り笑顔で握手をする。ようやく皆を安心の空気が包み込んだその時、月の出総家の方から大きな衝撃音が響いた。地下から湧き上がって来るような衝撃が、皆の居る前庭の地面もかすかに揺らす。
「何だ? また爆発?」
「宵の力が使われたようですね」
「宵の?」
小夜子の言葉に、灯子がすぐさま眉をひそめる。
「じゃあ硝子が?」
「恐らくは。まぁ修夜が一緒に居ますので、日の出総家の時のように暴走するようなことはないかと思いますが」
小夜子の言葉が続く中、今度は別方向からも大きな衝撃音が響く。
「あら、あちらからも?」
「朝海だ」
戸惑うように首を傾げた小夜子に、今度は灯子が確信を持ってはっきりと告げた。
「朝海が戦ってる」
灯子と同じように朝海の力を感じながら、どこか心配するような表情を見せる晃由。
「……朔十」
灯子の言葉を聞いた利九が師走に支えられながら、ポツリと朔十の名を落とす。利九が出したその名に師走や小夜子はすぐさま険しい表情を見せた。




