Dream.28 禁断の獏 〈2〉
「“炎天”!」
持っていた筆を懐にしまうと、七緒が空いた右手を前方にいる修夜へと向けて黒い炎の塊を放つ。
「修夜君!」
修夜の前に出た硝子が再び背中に黒い巨翼を生やして、両翼を翻して向かって来る炎を吹き飛ばした。
「フフフ」
返って来る自身の炎を笑顔で躱しながら、七緒が先程書いた短冊を硝子の巨大な黒翼に向かって投げ放つ。短冊は空中で二枚に分かれると、すぐに左右それぞれの翼に貼りついた。
「えっ?」
前へと振り下ろしていた翼を背中の後ろに戻そうとした硝子が、意志とは異なり、まったく動かない翼に首を傾げる。
「まさかっ」
「“動きませんように”」
七緒が短冊に書いた願いを知ると、硝子はすぐに険しい表情を見せた。笑みを浮かべたままの七緒が、どこからともなく大きな白色の団扇を取り出す。
「“烈風”!」
「きゃあああ!」
七緒が振り切った団扇が巻き起こした強風に煽られ、硝子が部屋の端まで吹き飛ばされていく。
「浅見さん!」
「行かせませんよ」
吹き飛ばされた硝子のもとへ駆け出して行こうとした修夜に、七緒が左手を伸ばす。
「“天の川”!」
七緒の左手から放たれた、きらきらと銀色に輝く光りの綱が修夜の右手を捕らえ、強い力で修夜をその場に引き止める。
「お会いしたかったですわ、彦星様」
「冗談じゃない」
どこか台詞のような言い回しでそう言う七緒に、修夜が大きく表情をしかめる。
「お前みたいな織姫なんて、絶対にお断りだな」
「あら、冷たい。あなたが追い求める織姫に比べたら、よっぽど安全な存在だと思いますけどね。私は」
七緒の言葉が誰のことを表しているのかをすぐに察した修夜が、さらに表情を曇らせた。
「年に一回しか逢えないなら、多少の危険も愛しく感じるさ」
「フフ、名言だこと」
「夜よ、帳を下ろせ!」
黒光の壁を上空から突き落として、修夜が七緒と繋がっていた天の川を叩き斬る。
「“炎天”」
七緒がすかさず黒炎の塊を修夜へと放つと、修夜は右手を伸ばして下ろした夜の帳でそのまま七緒の炎を受け止めた。炎が帳に当たった瞬間に壁が不安定に大きく波打ち、修夜が表情を歪める。修夜が表情を動かしたのはたった一瞬だったが、七緒はその変化を見逃さなかった。
「大吾も少しは役に立ったみたいですね」
楽しげに微笑んだ七緒が、左手を天井へと掲げる。
「“遠雷”!」
迸る雷が、目にも留まらぬ速さで修夜の背中へと落ちた。
「うぅああああ!」
先程五月雨を受けた背中にさらに雷を受け、修夜が苦しげに叫び声をあげてその場に膝をつく。それと同時に炎を受け止めていた帳も掻き消えたが、小さく身を屈めることで何とか炎は避ける修夜。
「ハァ、ハァ」
「大吾を元に戻すことに、相当の夜力を使ってしまったようですね。あの程度の攻撃、本来のあなたの力であれば余裕で防げるはずですのに」
苦しげに息を乱した修夜が、ゆっくりと歩み寄ってくる七緒を見つめ眉をひそめる。
「五月雨で負った傷も多少はきいているのでしょうか? まぁどちらにしろ、私が有利であることに変わりはありませんが」
「誰がお前なんかにっ」
七緒の言葉に強気に言い返した修夜が、額の月の出の印を強く輝かせる。
「喰らえ、“月光”!」
右手を七緒へと向けた修夜が、夜力の塊を七緒へと放つ。
「“消えてなくなりますように”」
筆をすらすらと走らせて文字を綴った短冊を、その向かって来る夜力へと放つ七緒。短冊が当たると、修夜の夜力は音もなくその場で砕け散った。
「あっ」
あまりにもあっさりと掻き消える自身の夜力に、修夜が驚きで目を見開く。
「やはり大したことはありませんね」
その笑みに確信を深めて、七緒がさらに修夜との距離を縮める。
「あんな子供一人助けるために力を使い果たすなんて、愚かな月の出の神子だこと」
嘲笑う七緒に、修夜がまっすぐな視線を向ける。
「違う」
強く否定する修夜に、七緒が少し眉をひそめる。
「それが、“月の出の神子”だ」
誇らしく堂々と言い放つ修夜に、七緒はまた嘲るような笑みを浮かべた。
「くだらない。とっとと譲って頂きますよ、その称号をね。“炎天”!」
七緒がまだ膝をついたままの修夜へと、再び炎の塊を放つ。炎を放ったすぐ後に新たな短冊を取り出し、何やら文字を綴っていく七緒。
「“大きくなれますように”」
七緒が書き終えたばかりの短冊を放つと、短冊の当たった炎が突然巨大化し、天井まで届きそうな勢いで燃え盛って修夜のもとへと向かっていく。あまりに巨大な炎を前に避けるという選択肢すら失くした修夜は、防ぐ術もなく険しい表情で唇を噛んだ。
「さぁ、燃え尽きてしまいなさい! 水無月修夜!」
「“宵”」
甲高く響く七緒の声とは対照的に落ちる、冷静で小さな一つの声。
「あっ……!」
修夜の前に、まるで修夜を守るように飛び出してきた巨大な黒色の片翼が、修夜へと向かってきていた七緒の炎を受け止めた。燃え盛る炎の勢いにもビクともしないその力強い翼に、顔を上げた修夜が思わず目を見張る。
「浅見、さん」
修夜の前へと翼を伸ばしたのは、部屋の隅に吹き飛ばされ倒れ込んでいたはずだというのに、いつの間にか立ち上がった硝子であった。戸惑いの表情を向ける修夜の方は見ずに、硝子はまっすぐ射るような瞳を七緒へと向けている。
「何故、あなたが? 両翼は先程、確かに短冊で動きを封じたはず」
「こんなものじゃ、私は止められないわ」
怪訝そうに眉をひそめる七緒に堂々と言い放ったその瞬間、硝子の両翼に貼りついていた七緒の短冊が黒い光りに包まれ消えていく。
「私の短冊がっ」
その様子に七緒が驚きの表情を見せる中、硝子が両翼を振り切り、七緒が修夜へと向けた巨大な炎の塊を天井方向へと吹き飛ばす。あまりに巨大な炎だったため、地下の部屋の天井は丸ごと吹き飛ばされ、炎はさらに上空に舞い上がったのか、大きく穴のあいた上方から夜空までもが見えるようになった。
自分の最大限の攻撃すらあっさりとはね退けた硝子の力に、七緒が見えるようになった夜空を見上げながら、どこか唖然とした表情を見せる。
「浅見さ、ううぅ」
立ち上がろうとした修夜が傷が痛むのか、上げた膝を再び地面につける。
「休んでて、修夜君」
しなやかに翼を翻しながら、硝子が修夜のすぐ前方へとやって来る。
「彼女は、私が」
そう言って修夜の方を振り返った硝子の表情には、いつもの硝子の穏やかさがなくどこか冷ややかで、その瞳は少し赤みがかっていた。不安げな表情で眉をひそめる修夜にすぐさま背を向けて、硝子が再び両翼を翻す。
「“夜蝶”」
無数の羽根が蝶の形を作って、七緒のもとへと飛び出していく。
「“消えてなくなりますように”」
七緒が素早く短冊に文字を綴り、書き終えた短冊を向かってくる蝶たちへと放り投げる。だが数匹の蝶が掻き消えただけで、すぐに短冊の方が蝶の放つ黒光に包まれて掻き消えた。
「やはり無理ですか。“烈風”!」
今度は右手に持っていた大きな団扇を振り下ろし、強い風を巻き起こして蝶を吹き飛ばそうとする七緒。だが強風にも煽られることなく、蝶はまるで糸にでも引かれているかのように、まっすぐに七緒へと向かってくる。
「こちらでも無理ですか。“飛べますように”!」
書き終えたばかりの短冊を自らの額に貼って、その場で飛び上がり、硝子の蝶を避ける七緒。夜蝶はすでに崩れ落ちている壁に当たり、更なる崩壊を呼ぶ。柱が傾くような音も響き、このまま激しい戦闘を繰り返せばこの地下部屋自体が崩れ落ちてしまうことを十分に感じさせた。
「あまりゆっくりもしていられなさそうですね。“天の川”!」
すっかり風通しがよくなり、直接見えるようになった夜空の遥か下方に、銀色に輝く星の光りの川を作り出す七緒。
「思いっきり食らいなさい、“大遠雷”!」
川を形成する星の一つ一つから、鋭く迸る雷が硝子に向かって落ちてくる。だが大量に降り注いでくる雷にも、硝子は焦りの色一つ見せなかった。
「帳を下ろして、宵」
硝子がそっと言葉を落とすと両翼が、まるで硝子の体を守るように小さく折り畳まれる。その翼にすべての雷が降り落ちたかと思うと次の瞬間、勢いよく翼が開いて受け止めた雷を辺りに振り払った。
「ううぅ!」
振り払われた雷の一つに右腕を撃たれ、七緒が思わず表情を歪める。
「あれだけの攻撃を防ぐなんてっ」
「“夜蝶”」
「あっ……!」
七緒が動揺を見せる間もなく、部屋に目一杯両翼を広げた硝子が再び無数の蝶を七緒へと向ける。向かって来る蝶の群れに、大きく目を見開いて焦りの表情を見せる七緒。
「ク! あああああ!」
短冊に文字を書く間もなく、他に防ぐ術も持たなかった七緒が、ついに蝶たちに襲われて後方へと吹き飛ばされる。
「う、ううぅ」
床に倒れ込んだまま苦しげに声を漏らす七緒に対し、すぐにまた両翼を翻す態勢を整える硝子。その硝子の様子に、後ろから見守っていた修夜が焦りの表情を見せる。
「ダメだ。完全に暴走してる」
先程よりもずっと赤く染まった硝子の瞳を見つめ、険しい表情を見せる修夜。
「止めないとっ」
修夜が額の月の出の印を輝かせ、全身から夜力を放つ。だが、修夜の放つ夜力に硝子はまったく反応を示さなかった。左肩に刻まれた月の出の紋は修夜の印と共鳴し、強く輝いているというのに、硝子は気にする素振りもなく七緒へと歩を進めていく。
「止まら、ない? どうして」
集中力を高め、全身から放つ夜力も強める修夜であったが、それでも硝子は止まらずにどんどんと七緒に向かっていっていた。
「力が足りないのか? 傷の影響? それとも」
考えを巡らせた修夜が、どこか悲しげに硝子の背を見つめる。
「僕ではもう制御出来ないほどに、君の力が増しているというのか? 宵」
修夜の力のないその問いかけが、硝子に届くことはなかった。
「こんな、こんなはずじゃっ……」
夜蝶により全身に深く傷を負った七緒が両腕を震わせながら、ゆっくりとその場で上体を起こす。その唇は大きく震え、まるで今の状況を理解しきれていないかのように険しい表情を見せていた。
「私、私は新たな月の出の神子になって、宵の力を手に入れて、それから、それからっ……!」
言葉を続けていた七緒が、七緒から少し距離をあけたところで足を止めた硝子の足音に気付き、顔を上げる。美しいまでに力強い黒い翼を背負った硝子のその姿を見つめ、七緒が強く唇を噛み締める。
「新たな月の出の神子になることが、あなたのその力を手に入れることが、私の夢なのです!」
床に手をついたまま硝子を見つめ、七緒が大声で主張を始める。
「あなたは他人の夢が消えてしまうかも知れないという事実に涙した! 大吾の夢も命懸けで守った! なら、私の夢は!?」
自分の胸に手を当て、身を乗り出すようにして問いかける七緒。
「私の、私の夢だけは消しても構わないというのですか!? そんなの、あんまりではありませんか!?」
必死に問いかけを続ける七緒を、硝子が冷静な表情のまま見つめる。
「心優しいあなたなら、人の夢に優劣をつけたりなどしないでしょう!? だったら私の夢も消すなんてことはしなっ……!」
「あなたの抱いているものは、“夢”なんかじゃない」
七緒の言葉を力強く遮り、硝子が落ち着き払った声を響かせる。
「あなたが抱いているのは、ただの“欲”よ」
硝子にはっきりと告げられた七緒が、返す言葉もなく一層厳しい表情を見せる。
「さぁ、消えて」
「う……!」
翼を振り上げる硝子に、七緒が背筋を震え上がらせる。
「待って! 浅見さっ……!」
「“夜蝶”」
修夜が止める声も虚しく、硝子は大きく両翼を翻し、無数の蝶を再び七緒へと浴びせた。
「あああああ!」
すでに立ち上がる力すら残っていなかった七緒は真正面から硝子の蝶を浴び、激しい叫び声だけを残してその場に仰向けに倒れ込んだ。
七緒が床へと倒れ込む音を最後に部屋に静寂が訪れると、硝子がそっと背負っていた翼を掻き消す。
「あっ……」
茫然と様子を見ていた修夜が、深く目を閉じたまま指一本動かさない七緒の姿を見つめ不安げな表情を見せる。
「大丈夫、生きてるよ。彼女の夢のすべてを宵で喰らっただけ」
「喰らった?」
「そう。だからもう二度と、彼女は月の出の神子になりたいなんて夢は見ない」
まるで修夜の不安を察するように、言葉を落とす硝子。だが硝子の言葉にも修夜は安心の表情を見せることはなく、ただ険しい表情で硝子の方を見つめていた。
「そんな顔、しないで」
修夜の方を振り返った硝子は、もう黒色に戻った瞳を見せながら、少し困ったように微笑んだ。
「私まで、悲しくなる」
硝子のその言葉に、修夜は返す言葉もなく深々と俯いた。




