Dream.27 夢くれし人 〈1〉
夢現空間“冬”。憬一郎vs慎一郎。
「“破魔矢”」
夜力で出来た黒色の弓を構えた慎一郎が、黒光の矢を白い月の輝く空へと打つ。放たれた矢は上空で弾け飛ぶと無数の小さな刃となって憬一郎と憬一郎の獏、兎狐の“京”の元へと降り注いで来た。
「避けますよ、京」
憬一郎の指示に頷いた京が背中に素早く憬一郎を乗せて、大きく跳躍して後方へと下がり慎一郎の放った矢をすべて避け切る。
「避けてばかりですね、さっきから」
後ろへ下がった憬一郎へと鋭い視線を送りながら、どこか呆れた表情を見せる慎一郎。
「それでも誇り高き月の出の獏ですか?」
挑発めいた慎一郎の言葉に、憬一郎が少し眉をひそめる。
「夜の帳で防げぬ以上、私にあなたの攻撃を防ぐ手立てはありません。防げぬのであれば避けることが最適。下手な挑発はやめて下さい、慎一郎」
まるで慎一郎の心情をすべて知り得ているような口調で、憬一郎が言い放つ。
「あなたにどんな言葉を向けられたところで、私の意志は揺らぎません。睦月の家を捨て、小夜子様の獏となったことに少しの後悔もない」
憬一郎の迷いのない言葉を聞き、慎一郎が不快そうに表情をしかめる。
「少しの後悔もない? お前らしい言葉だ」
慎一郎がしかめたままの表情で、そっと笑みを零す。
「お前が睦月の家を捨てた後、僕がどんな扱いを受けたかわかるか!?」
突然声を荒げた慎一郎が、身を乗り出して言葉を放つ。
「お前を説得して連れ戻すと言った僕にあの父親が何と言ったと思う!? “獏も持たない役立たずが偉そうな口をきくな”だぞ!?」
今まで丁寧だった口調も変えて、慎一郎が言葉を続ける。
「母親は、僕の姿なんて見えてすらいないかのようだった! あの家にとって獏を持っていない僕は、何の価値もない人間なんだ!」
「そういう家です」
大声を張り上げる慎一郎とは対照的に、憬一郎は今まで通り落ち着き払った声で答える。
「自分の子供の価値も、獏であるかどうかでしか判断出来ない。そういう家です、あの家は。だから私はあの家を捨てた」
すべてを受け入れるような憬一郎の言葉を聞きながら、慎一郎がきつく唇を噛み締める。
「……捨てられる奴はいい」
きつく噛み締めていた唇を開き、慎一郎がそっと言葉を落とす。
「獏も持たない僕があの家を捨てたところで、どこに行ける? お前みたいに水無月の姫神子に必要とされているわけでもない僕が、何も持たないこの僕がっ」
慎一郎が空っぽの自分の中を表すように何度も、自分の左手で自分の胸を叩く。
「どこにも行けないさ!」
弓を構えた慎一郎が、憬一郎に向けて再び破魔矢を放つ。
「京」
その場で大きく跳び上がって、慎一郎の破魔矢を避ける憬一郎と京。
「“門松”!」
慎一郎が空いている右手を高々と空へと掲げると、跳び上がった京のさらに上方から先の鋭く尖った松の枝が無数に降り注いで来た。翼を持たない京は跳び上がった状態では身動きが取れず、京の背の上で憬一郎が険しい表情を見せる。
「クっ……!」
そのままどうすることも出来ずに、憬一郎と京は無数の門松に打たれて地面へと叩き落された。京の巨体が落下したことで起こった雪煙を見つめながら、慎一郎が満足げな笑みを浮かべる。
「終わりですよ、憬一郎」
「“夜偽”」
自分の勝利を確信していた慎一郎が静かに聞こえてくる自分と同じその声に、途端に表情をしかめる。慎一郎が声の聞こえてきた後方を振り返ると、銀色の光りに包まれて無傷の京が姿を現した。京の背の上には勿論無傷の憬一郎の姿があった。
「何故っ」
「上空に跳び上がった京は、初めから残像です」
戸惑いの表情を見せる慎一郎に、憬一郎があっさりと答える。その答えを聞き、益々戸惑いの表情となる慎一郎。
「僕の攻撃を読んでいたというのですか?」
「読んでいたと言うよりは、わかっていたと言った方が正しいのかも知れません」
答えた憬一郎が少し自嘲するような笑みを浮かべる。
「もう離れて暮らして何年にもなるというのに、あなたの考えていることだけは何となくわかるんですよ。不思議なものですね」
憬一郎が見せる穏やかな笑みに、慎一郎が対照的な険しい表情を見せる。
「僕はお前の考えていることなど、わからないですけどね」
「本当ですか?」
確かめるように問う憬一郎に、慎一郎が眉をひそめる。
「本当に、わかりませんか?」
「何が言いたいんです?」
「あなたはすべて、わかっていた」
聞き返す慎一郎に、京の背の上から降りた憬一郎がまっすぐな視線を向ける。
「睦月の家の愚かさも、水無月に付くことを選んだ私の心もすべて、わかっていてくれたはずです」
「何をくだらないことをっ」
「だから、止めなかったのでしょう?」
否定しようとした慎一郎が、続けて向けられた憬一郎の問いかけに言葉を止める。
「あの日、私が睦月の家を出たあの日、あなたは何度も“考え直せ”とは言ったけれど、私の行く手を阻もうとはしなかった」
思い出される過去の日の映像を鮮明に思い返しながら、憬一郎が優しい笑みを向ける。
「あなたが私をわかっていてくれたからこそ、今の私が在るのです」
憬一郎の笑みから逃げるように深く俯いた慎一郎が、きつく右拳を握り締める。
「……そんな言葉、今言われたところで」
開いた右拳に握られる新たな黒光の矢。
「何の救いにもなりはしない、“破魔矢”!」
まっすぐに向けられる破魔矢に、憬一郎が少し悲しげに眉をひそめる。憬一郎はすぐにまた京の背の上に乗り込んで、向かって来る破魔矢を避けた。
「“破魔矢”、“破魔矢”、“破魔矢”!」
慎一郎は避けた京へと、休むことなく矢を放ち続けた。矢を放つ度に額に汗を滲ませ、顔色を青くしていく慎一郎に、憬一郎はどこか心配するような視線を送る。
「力を使い過ぎです、慎一郎! このままではあなたの夢がっ!」
「構いません」
警告するような憬一郎の言葉にも、慎一郎は耳を傾けない。
「どうせ叶うことのない僕の夢など、お前のようになりたいなどという忌々しいだけの僕の夢など、消えて構わないっ」
上空を跳ぶ憬一郎には聞こえない小さな声を落としながら、慎一郎が悲しげな笑みを見せる。
「消えてしまえばいい! お前が得た、その場所と共に!」
「ううぅ!」
押し寄せる矢の一本が京の右後ろ足を掠めると、連動するように憬一郎の右足も切り裂けて赤い血が流れ落ちた。足に傷を負った京は新たに跳び上がることが出来ずに、力なくその場に着地する。
「これで本当に終わりです、憬一郎。“破魔矢”!」
雪の上に座り込んだまま、特に防ぐ様子も避ける様子も見せない憬一郎と京の元へと、どんどんと迫り行く慎一郎の破魔矢。
憬一郎が覚悟を決めるように強く唇を噛み締めたその時、上空から舞うようにして、小夜子が憬一郎の目の前へと降り立った。
「小夜子様っ」
憬一郎が驚きに目を見張る中、近付く破魔矢の強風に煽られローブのフード部分が吹き落とされ、小夜子の美しい姿が露となる。小夜子はすぐに両手を破魔矢の向かってくる前方へと突き出した。
「“黒傘”」
小夜子が夜力で大きな傘を作り上げ、慎一郎の破魔矢を遥か空の向こうへと弾き飛ばす。弾き飛ばされた矢を確認した後、慎一郎が小夜子へと視線を移す。
「姫神子、どうやって地下牢から」
「私が憬一郎に言ったのです。睦月の家を捨て、私に従うようにと」
小夜子が返した言葉は、慎一郎の問いかけの答えとは別の物だった。
「小夜子様、何をっ」
「それこそが夜を律し、すべての人の夢を守るためだと、そう私が憬一郎に強制したのです」
憬一郎の声をすぐに遮って、真剣な表情を見せた小夜子が、慎一郎へと強く訴える。
「ですから恨むのであれば憬一郎ではなく、私を、私を恨んで下さい」
傷ついた右足を庇いながら京の背の上から降りた憬一郎が、強く主張する小夜子の背を見つめ、少し困ったような表情を見せる。小夜子と憬一郎の表情を同時に見た慎一郎が眉をひそめる。
「……僕は、あなたは恨みません」
少しの間を置いた後はっきりと答える慎一郎に、小夜子と憬一郎が戸惑いの表情となる。
「僕があなたを恨めばそれは、僕が憬一郎を恨むことよりも、憬一郎が悲しむことだと、僕がそうわかってしまっているから」
「慎一郎」
自分の心情を察するような慎一郎のその言葉に、憬一郎が少し驚いたように名を呼びかける。
「こんな夢、いっそ消えてしまえばいいと思って朔十に付いたけれど」
慎一郎が左手で強く握り締めた弓を見下ろす。
「どんなに使っても使っても、消えなかった」
弓を消し去り、慎一郎が力なくその場に膝をつく。
「僕はこんなにも、あなたになりたかったんですね……」
自分の夢の深さを今知ったかのように静かに言葉を落とす慎一郎を見つめ、憬一郎は掛ける言葉もなくそっと俯いた。
「憬ちゃん!」
静かだったその空間に何かが破れるような音が響くと、暗い空にあいた大穴からサーフボードで黒波に乗った亜八華が突如姿を見せる。
「亜八華?」
「憬ちゃん、憬ちゃあぁーん!」
顔を上げた慎一郎が眉をひそめる中、下方に居る憬一郎へと巨大な黒波を向ける亜八華。
「待って下さい、亜八っ……!」
「大波の中で一生、私と流れましょう、憬ちゃん! “今晩波”!」
止めようとする慎一郎の声など一切聞かず、亜八華が躊躇いなく大波を憬一郎の元へと落とす。
「京、小夜子様を!」
「憬一郎……!」
小夜子を京の方へと押し飛ばす憬一郎。京はすぐに小夜子を背の上へと運び、その場を離れるために跳び上がる。上空へと向かう京の背の上から、小夜子が必死に憬一郎へと手を伸ばした。
一人その場に残った憬一郎の元へ、亜八華の大波が迫る。
「憬一郎!」
「クっ」
慎一郎も思わず身を乗り出す中、憬一郎が厳しい表情で唇を噛む。
「喰らえ、輝! “魂日破”!」
憬一郎の前に目にも留まらぬ速さで舞い降りる輝。その背の上で晃由が叫ぶと、輝が大口を開いて昼力の塊を放ち、憬一郎へと向かって来ていた大波をあっという間に吹き飛ばす。
「きゃあ!」
輝の昼力の勢いに押され、別の波に乗っていた亜八華のサーフボードが引っ繰り返ると、亜八華はそのまま雪原の上へと落下した。ビキニ姿の亜八華は直に肌が雪に触れると、肌が瞬間的に赤く染まる。だがそんなことは気にした様子もなく亜八華はすぐに立ち上がって、憬一郎へと右手を突き出した。
「今度こそ、憬ちゃんっ……!」
「いい加減にしとけ」
「う!」
亜八華のすぐ後方へと現れた灯子が、亜八華の首の裏に手刀を振り下ろすと、亜八華はすぐに気を失ってその場に倒れ込んだ。
「諦めの悪い女は見苦しいだけだぞ」
「灯子ちゃん!」
現れた灯子に気付いた晃由が、すぐに輝を移動させて灯子へと近付いていく。
「灯子ちゃん、傷だらけじゃん! 大丈夫!?」
輝の背から飛び降りた晃由が、心配そうに灯子へと駆け寄る。灯子の腹部からは師走の氷柱が突き刺さった傷により、赤い血が滴り落ち続けていた。
「気のせいだろ」
「いやいや、見るも明らかだって」
強気に言い放つ灯子に、晃由が必死に首を横に振る。
「傷だけでも塞いだ方がいいって。燈出して」
「チっ」
心配する晃由に煩わしげな表情を見せながらも、灯子は大人しく燈を出現させた。輝から朝力を送られ燈の傷が癒えていくと、連動して灯子の傷も塞がっていく。
その間に京と共に地上に降りた小夜子はすぐに地面に降り立ち、雪の上に倒れたままの亜八華を寒さから守るためにか、自身が纏っていたローブをそっと被せた。
「この夢現空間はどうすれば消えるのでしょうか」
「制御はすでに霜月から僕に移っています。すぐに消せますよ」
憬一郎の手を借りて立ち上がった慎一郎がそっと右手を挙げると、白い月の照らす雪原の夢現空間はあっという間に消え去り、そこには元の月の出総家別館の前庭の光景が広がっていた。
「灯子さん」
「師走」
「おっ、盟莎!」
「晃っ」
元の世界へと戻った灯子の元に、傷だらけの盟莎に肩を貸しながら師走が歩み寄って来る。師走たちの居た夢現空間も博士が完全に意識を手放したことで消え去ったのだろう。傷だらけの盟莎も晃由の姿を見て、嬉しそうに笑顔を見せた。
「残る夢現空間は後一つですか」
前庭に一つだけ残った巨大な黒光の塊を見つめ、慎一郎が少し肩を落とす。
「修夜様でしょうか?」
歩み寄って来た小夜子へと問いかけを向ける憬一郎。
「いえ、修夜はすでに外に出ています」
「では、もう一人の日の出の神子様とその従獏の方の夢現空間ですかね」
憬一郎が灯子や晃由たちの姿を確認し、最後の一つの夢現空間に居る者を推測する。その横でまっすぐに夢現空間を見つめ、表情を曇らせる小夜子。
「あの夢現空間、少しおかしいですね」
『え?』
小夜子の言葉に、憬一郎と慎一郎が同じ顔で戸惑いの表情を見せる。
「徐々に、小さくなっていっている……」
異質な空気を纏いながら、まるで圧縮していくように形を変えていく夢現空間を見つめ、小夜子はその美しい表情を険しい表情に変えた。




