Dream.26 怒れる獣 〈3〉
月の出総家、別館。
大吾と七緒の理解を得たことにより地下牢からの脱出に成功した硝子と小夜子は、七緒に案内され総家の出口へと急いでいた。薄暗く長い階段を先頭を切って駆け下りる七緒、固く手を繋いだ硝子と大吾が続き、最後に長いローブの裾を引きずって小夜子が駆ける。
駆けて来た道のりを確かめるように振り返った小夜子が、ローブの奥でそっと眉をひそめる。
「おかしくはありませんか?」
「え?」
背後から向けられる小夜子の声に、しっかりと足元を確認しながら声だけで返事をする硝子。
「私たちは地下牢に居たはずです。なのに何故、脱出するのに階段を降りているのでしょうか」
「地下に隠し通路とかがあるんじゃないですか?」
「隠し通路に繋がる階段にしては、随分と分かり易い場所にあったような……」
「着きました」
言葉を交わしていた二人が先頭を行く七緒の声に足を止める。長い階段を降りた先にあるのは小さな空間と、その先に設置された一つの白い扉であった。扉の前で待つ七緒のもとへ、階段を降り切って硝子と小夜子が向かっていく。
「大吾」
硝子と共に降りて来た大吾を、七緒が自分の元へと呼び寄せる。
「ここが、出口?」
「ええ。さぁ、どうぞ」
戸惑う硝子に対し、七緒は笑顔で扉へと誘導する。七緒の言葉に従うように、扉へと右手を向ける硝子。
硝子が扉を押すようにして開くと、その先に広がっていたのは何もない、ただ広いだけの大きな部屋であった。一切の家具もなく、壁や床、天井はすべて白い。地下だから当然であろうが窓はなく、そして硝子が入った扉以外にも扉はなさそうであった。
「ここ、は……」
部屋の奥へと歩を進め、部屋全体を見回しながら硝子が戸惑いの表情を見せる。
「隠し通路もなさそうですね」
硝子に続くように部屋の中に入った小夜子が、同じように部屋を眺めながら冷静に声を発する。小夜子の言葉を聞いた硝子は少し困った表情で、扉付近に立った七緒を振り返った。
「あの、ここ、どう見ても出口に見えないんですけど……」
「そうでしょうね」
何やら短冊に文字を書いていた七緒が、書き終えたその短冊を白一色の天井へと投げ放つ。
「“明るく照らし出せますように”」
天井に放たれた短冊が白く光りを放ちながら形を変え、明々と輝く小さな太陽となって部屋を照らし出す。
「う、ううぅぅ!」
「小夜子さん!」
小さな太陽が部屋中を照らすと、小夜子は突然その場にしゃがみ込み苦しげな声を上げた。そんな小夜子のもとに、硝子が慌てて駆け寄る。
「日の光り?」
小夜子の背に手を回しながら天井の太陽を見上げ、険しい表情を見せる硝子。普段から全身にローブを纏い、極力日の光りを避けている小夜子だ。いくら小さい太陽とはいえ、こんな至近距離で陰もなく太陽の光りを浴びては体に影響も出るだろう。
「さぁ、この中に入りなさい。大吾、危ないですよ」
「う、うん」
黒い日傘を差した七緒が、日傘の陰となる部分に大吾を引き寄せる。七緒の言葉に頷きながらも、大吾はどこか心配するように小夜子に視線を送っていた。
「大丈夫ですか? 小夜子さんっ」
「大丈夫です。今、夜力で結界をっ……」
「させません。“夜力を封じられますように”」
七緒の書き記した短冊が小夜子のローブの上に貼られると、小夜子が右手から放とうとしていた夜力の光りが掻き消えた。
「あっ!」
消える夜力に、硝子が思わず声をあげる。
「そんな! ん、んん~!」
小夜子のローブに貼られた短冊を剥がそうと必死に引っ張る硝子。だが短冊がまったく剥がれず、硝子の指先へと強い電気を流した。
「きゃああ!」
流れる電気に弾かれるように、硝子が後方へと倒れ込む。
「硝子さん」
倒れた硝子を気に掛ける小夜子であったが、強い日の光りに襲われている小夜子には駆け寄る力すらなかった。
「どうですか? 目一杯浴びる日の光りは」
背中から向けられる声に、小夜子がゆっくりと振り向く。小夜子が振り向いた先には、黒い日傘を差した七緒が立っていた。大吾はいつの間にか部屋の外に出されており、開いた扉の向こうから不安げに状況を見つめている。
「あなたを苦しませるためだけに作ったのです。存分に味わって下さいね」
「七緒、さんっ……」
上半身を起こした硝子が、小夜子へと歩み寄る七緒を見つめる。
「どう、してっ」
「あら、本当に私の心を動かした気でいたのですか? あんな安っぽい言葉で」
問いかける硝子に、七緒が嘲笑うように言葉を向ける。
「動くわけないじゃないですか。だって私は他の連中の夢が消えようが、どうでもいいんですから」
「皆の夢だけじゃない。このまま力を使い続ければ、あなたの夢だって消えて……!」
「いいえ、私の夢は消えません」
「え?」
すぐさまはっきりと答える七緒に、硝子が眉をひそめる。
「いいえ。むしろ私の夢は今、叶うのです」
冷たく笑みを浮かべた七緒が、硝子から目の前の小夜子へと視線を移す。
「あなたとあなたの弟を殺して、私が月の出の神子になることによって!」
「なっ……!?」
まるで宣言するように大きな声で言い放つ七緒のその夢に、大きく目を見開く硝子。小夜子もローブの奥で険しい表情を見せる。
「月の出の、神子に?」
「そうです。月の出の巡る神子制度を考えれば、水無月の次に神子が巡って来るのは文月。私の一族。二人が居なくなれば、必然的に次の神子は私になる」
戸惑いの表情で聞き返した硝子に、七緒は当然のようにすらすらと答えていく。
「そうなれば、月の出の獏であるあなたの力も私の使いたい放題。水無月に言うことを聞かせる必要なんて一切ないのですよ」
七緒の言葉を聞き、硝子が唇を噛み締める。
「最初から、そのつもりでっ……」
「ええ。朔十様も私が神子になることは了承して下さっています。だからこそ、朔十様は私をあなたの傍に置いたのです。あなたをいつでも殺せるようにと」
力なく言葉を挟んだ小夜子に、七緒が大きく頷きかける。
「私は新たな月の出の神子になって、強大な宵の力を手にする。そうすればもう、私は夢の力を使って戦う必要はない」
満面の笑顔を見せた七緒が、硝子へと短冊を持った右手を向ける。
「ごめんなさいね。折角私たちに同情して泣いてまでくれたのに。“炎天”!」
「あっ、きゃあああ!」
七緒が右手から放たれた短冊が空中で黒い炎の塊へと姿を変えると、その黒炎に撃たれ、硝子が部屋のさらに奥へと吹き飛ばされていく。
「硝子お姉ちゃんっ」
炎に撃たれた硝子に、部屋の入口付近の壁を強く握り締めながら堪えるような表情を見せる大吾。
「さぁ、月の出の姫神子」
立ち上がらない硝子を確認した七緒が、改めて小夜子を見る。
「譲って頂きましょうか。その称号を」
「クっ……」
微笑んで短冊を構える七緒に、厳しい声を漏らす小夜子。
「ま、待って! 七っ……!」
「“月光”」
「え?」
七緒を止めるために部屋の中へと飛び込んでいこうとした大吾の横を通り過ぎ、目にも留まらぬ速さでまっすぐに部屋の中の小太陽へと向かっていく強い黒光。
迷うことなく小太陽と衝突すると、黒光はまるで呑み込むようにその太陽を掻き消した。
「この夜力はっ」
「夜の静寂に逝け」
太陽を掻き消した黒光を見上げながら険しい表情を見せていた七緒が、すぐ傍から響く声に素早く振り向く。
七緒が振り向いたその先には、額に月の出の印を輝かせた鋭い表情の修夜の姿があった。
「“御夜棲魅”!」
「クっ……!」
修夜が放つ強い夜力の塊を、七緒が持っていた日傘を投げ放ちながら飛び上がって避ける。夜力に呑まれた日傘は闇の中に掻き消えていった。
「姉さん、大丈夫?」
「修夜」
すぐに小夜子の元へと駆け寄った修夜が、小夜子のローブから小夜子の夜力を封じていた短冊を引き剥がす。
「修夜君!」
「浅見さん、良かった」
嬉しそうに修夜に笑顔を向ける硝子の姿を確認すると、修夜も安心したように笑みを零した。
「よくここがわかりましたね、修夜」
「浅見さんとは月の出の印で繋がってるから」
「硝子さんへの愛のパワーだとでも言うかと思ったのですが」
「言わないよ……」
修夜の手を借りながら、その場でゆっくりと立ち上がる小夜子。そんな二人のもとへ、硝子も駆け寄っていく。
「月の出の神子が二人。願ってもない展開だけど、厄介な展開ではありますね……」
部屋の入口付近に降り立った七緒が、揃った修夜と小夜子の姿を見つめながら、少し考え込むような表情を見せる。今の神子である二人を消し去るには絶好の機会だが、神子二人を同時に相手することはかなり負担がかかる。
「どうしたものか」
「七緒!」
そんな七緒のもとへと駆け寄って来たのは、大吾であった。
「もう、もうやめようよ。七緒!」
「大吾?」
小さな背丈で必死に七緒の着物にしがみつき、顔を目一杯上げて七緒へと訴える大吾。
「硝子お姉ちゃんたち、いい人だよ! いい人だから、もう戦わなくていいじゃん! もうやめようよ、七緒!」
子供の小難しくない言葉ながらも必死に伝えようと言葉を発する大吾を見下ろしながら、七緒が何やら考え込むような表情を見せる。大吾の言葉に揺さぶられている様子は一切なく、むしろ耳にすら入っていないように見えた。
「……そうだ」
「え?」
急に楽しげに笑みを浮かべる七緒に、大吾が戸惑うように首を傾げる。
「ねぇ、力を貸して下さいませんか。大吾」
七緒が取り出した短冊に、すらすらと文字を描いていく。
「私の夢を叶えるために」
大吾が被っていた新聞紙で出来たカブトを取り去った七緒が、大吾の額へと書いたばかりの短冊を貼りつける。
「な、何? 七緒?」
大吾が戸惑いの表情を見せる中、短冊が放つ白い光りに大吾が共に包まれていく。そっと微笑みを浮かべた七緒は、ゆっくりと口を開き短冊に書かれた文字を読み上げた。
「“夢喰になれますように”」
「う、うあああああ!」
「大吾君!?」
部屋中に響き渡る激しい大吾の叫び声に、すぐに振り向く硝子たち。大吾の異変を察した硝子が、思わず身を乗り出して大吾の名を呼ぶ。
「大吾君……!」
「浅見さんっ」
大吾のもとへと駆け出して行こうとした硝子の手を掴み止める修夜。大吾はすでに短冊から放たれる強い夜力に包まれており、硝子が近付いただけでも傷ついてしまうような状況であった。
「ううぅ、ううっ」
一層強くなっていく光りの中に、姿を消していく大吾。
<ウガアアアアっ……!!>
『……っ!』
次の瞬間、光りの中から姿を見せたのは真っ赤に血走った瞳に鋭く尖った牙を光らせた、大きな頭の恐竜のような黒い獣であった。太い首の後ろ側には角のようなものが幾つも生えており、分厚い体は足を踏み込んだだけで床にヒビが入るほどの巨体だ。野太く低い声を部屋中に存分に響かせる。
「大、吾君……?」
あまりにも異なった姿で現れた大吾に、硝子が言葉を失う。
「夢喰化したのか? いや、十二暦家の連中は元々夢喰化してるんだから、力を暴走させたって言った方が正しいのか」
変わり果てた大吾の姿を見つめながら、修夜が冷静に言葉を落とす。
「力の暴走など、元に戻れる保証もないというのに、何ということを……」
七緒の行動を否定するように、小夜子が何度も首を横に振る。
「アッハハ、思ってたよりもいい出来ねぇ。さぁ、大吾。私を神子にするために、あの二人を倒すのですよ!」
姿を変えた大吾へと笑顔で指示を向ける七緒を見つめ、硝子がきつく拳を握り締める。
「……修夜君」
硝子に名を呼ばれ、修夜が少し戸惑った様子で振り向く。
「私ね、自分の力がどんなに危険なものかってこと、きちんとわかってるつもりだよ」
「浅見、さん?」
突然の硝子の言葉に、意味を理解出来ずに不思議そうに首を傾げる修夜。
「不用意に使うべきじゃないってことも、きちんとわかってる。でも、それでもっ」
目の前に現れた獣を見上げ、硝子がきつく唇を噛み締める。
「今の私には、この力を使ってでも倒したい敵がいる!」
振り向いた硝子の覚悟を決めたようなその必死な表情を、修夜はまっすぐに見つめてまるで受け止めるように頷いた。
「姉さん、ここは僕に任せて憬一郎のところへ」
「修夜?」
夜力を纏おうとした小夜子へ、修夜が落ち着いた声を向ける。
「ですが」
「僕たちは大丈夫だから、憬一郎のところへ行ってあげて」
「……わかりました」
修夜の、そして硝子の心情を察した小夜子は、反論することもなく素直に頷くと、強い夜力に包まれてその場から姿を消していった。
「あぁ~あ、行っちゃいましたか。まぁいいです、まずは弟からで」
その場から姿を消した小夜子に気付いたものの、七緒は特に焦りの色は見せなかった。
「どんなに宵の力を使ってもいいよ、浅見さん」
修夜が差し伸べた右手で、硝子の左手を強く握り締める。
「何にも気にせずに力を使っていいよ。どんなに暴走したって、絶対に僕が止めるから」
「ありがとう、修夜君」
力強い修夜の言葉に、硝子が安心したように笑顔を見せる。
「絶対に、あいつを倒そう」
「うん」
七緒の方を振り向くと、二人はそれぞれに月の出の印と紋を輝かせ、強い夜力を纏った。




