Dream.26 怒れる獣 〈1〉
夢現空間“夏”。
「“除夜百八鐘”!」
雪で作られた百八の鐘が次々と灯子へと向かっていく。
灯子は巧みに羽根を翻す燈の背の上でどんどんと鐘を避けていったが、迫り来る鐘の数はあまりに多く、四方を囲まれるようにして攻撃されると、逃げ場もなく鐘の雪に打たれた。
「うあああ!」
打たれた灯子が燈と共に雪原へと墜落していく。
「ハハハ、いいぞ。師走、君の力はなかなか使い甲斐がある」
鉄琴の音色で師走を操りながら、自分自身はまったく戦うことなく満足げに笑みを浮かべている博士を、師走が乗っ取られた体の首だけを動かして、博士の方を振り向き睨みつける。
「適当な技を使わないで欲しいざぁーます。セイントベルはクリスマスであって、除夜の鐘とは別物で」
「うるさいよ」
「あっ、ああああ!」
訂正を求めるように言葉を口にした師走に、博士が百八ある鐘のうちの一つを落とす。自らの雪に打たれると、師走はその場に倒れ込んだ。
「日本人にとっては大晦日もクリスマスも同じようなもんだろう。ほら、とっとと立てよ。次の技、行くんだから」
「う、ううぅ」
傷を負った師走は少しの間倒れ込むことも許されずに、博士の鉄琴の音に操られて立ち上がらされる。
「霜月っ……!」
無理やり立ち上がらされ、苦しげに表情を歪めながらも、博士を睨みつける瞳には力のこもる師走。
「いくら、そんな目で睨んだってダメさ。今の君は、ただの僕の操り人形なんだから」
余裕の表情でそう言い放って、博士が鉄琴を打ち鳴らす。鉄琴の音が雪原に響くと、師走の体の向きは博士から前方の灯子へと変わった。
「さぁ、トドメ行くよ。“大雪崩”!」
博士の声に合わせるように右手を突き出した師走が、まだ雪原に倒れ込んだままの灯子へと大きな雪の塊を放つ。
「クっ、燈!」
険しい表情を見せた灯子が燈の名を呼ぶと、燈が灯子の前へと飛び出し大きく口を開く。
「“走馬砲”!」
燈の口から朝力の塊が放たれると、灯子の朝力と師走の雪が正面からぶつかり合った。しばらくの間激突を続けた両者の力だが、やがて灯子の朝力が師走の雪を掻き消して前方へと進む。
「うわぁっ!」
やって来る朝力に焦りの表情を見せた博士が、鉄琴を抱えて慌ててその場を離れていく。
「ちょ……!」
去っていく博士の背に視線を送りながらも、その場を動かない師走。博士によりコントロールされ、自身の意志では動けない師走は、ただその場で灯子の朝力が向かって来るのを待つしかなかった。
「どうせ操るんなら、防御もやって欲しいざぁーますね!」
呆れたように言葉を吐き捨てながら、師走が覚悟するようにきつく唇を噛み締める。
するとその時、師走の目の前に灯子が降り立った。
「貴女っ」
「“走馬刀”!」
灯子は右手に持った金光の刀を振り下ろすと、師走へと向かって来ていた自身の朝力を自らの手で真っ二つに斬り裂いた。斬り裂かれた朝力は欠片となって雪原の中に消えていく。
「無駄な力の使い方を。私が傷を負って倒れた方が、貴女にとっては都合がいいのに」
「それじゃあ約束が違う」
少し非難するように言う師走へと、灯子がまっすぐに視線を送る。
「私はお前とは戦わない。そう、お前に言ったんだから」
迷いなく答える灯子に、師走は一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐにどこか困ったように微笑んだ。
「あのデブの鉄琴を壊せば、お前の操作は止まるか?」
「ええ、恐らくは」
「わかった。燈!」
灯子が燈を呼ぶと燈はすぐにその場に駆けつけた。駆けつけた燈の背に乗った灯子が、逃げた博士のもとへと飛び出していく。
「狙いを僕に変えたか」
振り向いた博士はやって来る灯子の姿を捉え、目付きを鋭くして鉄琴を奏でる。
「後ろから攻撃するざぁーます!」
響く師走の声に灯子が振り向くと、後方の師走が博士に向かう灯子の背に向け、無数の氷柱を放った。師走の俊敏な声に反応した灯子が燈の体の向きを反転させると、燈は先程と同じように大きく口を開く。
「“走馬砲”!」
圧縮された朝力の塊で、師走の放った氷柱を一本残さず溶かす灯子。
「チっ」
氷柱を防いだ灯子の姿を見上げ、博士が煩わしげに舌を打ち鳴らす。
「本当に何の役にも立たない女だね。“狂操曲”!」
「ううぅ……!」
博士が鉄琴を先程までとは違い、より一層強く打ち鳴らすと、師走が苦しげに口を閉じた。何とか言葉を発しようともがく師走だが、まったく口は開かなかった。
「これで君は言葉の自由も失ったよ、師走。さぁ、次の攻撃を」
「攻撃すんなら自分で攻撃しろ。女使って攻撃してんじゃねぇよ、男のくせに!」
鉄琴を鳴らそうと構えた博士のもとに、燈の背の上から飛び降りた灯子が飛び込んでいく。刀を振り上げて降りて来る灯子に、博士は少し眉をひそめながらも素早く鉄琴の音色を響かせた。
「残念だったね、一歩遅かった」
「何? ううぅ!」
灯子が博士に刀を振り下ろそうとしたまさにその時、鋭い一本の氷柱が灯子の背中から腹部までを勢いよく貫いた。氷柱を向けたのは勿論、師走であった。最早言葉を発することすらも出来ない師走は、氷柱に貫かれた灯子を見つめながら、苦しげに表情を歪めている。
腹部から赤い血を滴り落とした灯子が、力なく雪原に着地する。何とか両足で堪えるが、灯子は今にも倒れ込んでしまいそうであった。
「さぁ、今度こそトドメだ。師走」
「こ、のっ……!」
「うわぁ!」
再び鉄琴を鳴らそうとした博士へと、灯子が腹部を庇うように背を折り曲げながらも刀を振るう。必死に後退した博士は傷こそ負わなかったが、刃先が博士の持っていたバチの先を切り落とした。
「何て凶暴な女だっ」
灯子を見つめ険しい表情を見せながらも、博士が懐から新しいバチを出して鉄琴を鳴らす。すると師走が博士のすぐ前へと移動して来て、傷を負った灯子へと両手を突き出した。
「“大雪波”!」
師走の放った雪の大波に流され、灯子が遥か後方へと吹き飛ばされていく。
「まるで獰猛な獣のような女だ。あれは両手両足を潰さない限り、向かって来るね」
雪に倒れ込んだ灯子の姿を見つめながら、博士がまるで怯えるように数度首を横に振る。
「動けなくなるまで、何度も攻撃してやれ。師走」
「“大雪波”!」
博士の指示に従い、まだ倒れた状態の灯子へと師走は何度も何度も雪の大波を向けた。
放たれる雪波が十回を超えた頃、師走が力なくその場に膝をつく。
「ん? 何だ、どうした?」
片眉を上げた博士が、師走の前に回って座り込んだ師走の表情を覗き込む。師走の顔色は青く、額にも大粒の汗が滲んでいた。体調が悪いことが見るだけで伝わってくるような様子である。
「何だ、もう力切れかい? まぁ僕は遠慮なく使うから、君が普通に戦うよりも君への負担は大きいのかもね」
何とか必死に顔を上げた師走が、訴えるように強く博士に視線を送る。
「これ以上使ったら、君の夢が消えちゃうって? うん、わかってるよ」
視線を受け止めるように頷いた博士が、そっと笑みを見せる。
「消えればいい」
残酷な言葉と同時に鉄琴の音が響くと、師走はまた前方へと両手を突き出して大きな雪の波を放った。
「消えればいいよ。アイドルになりたいだか何だか知らないけど、あんな女の夢が潰えたって誰も困ったりしないんだから」
もう一度大きな雪波を放った師走が、さらに苦しげに肩を落とす。もう自分の力では腕も上げていられないほどに、その体は弱り切っていた。
「三、奈……」
項垂れるように深く俯いたまま、師走が封じられたはずの口から小さく声を漏らす。
「ごめん、ね……」
謝る師走の瞳からは、涙が溢れ出していた。
「嫌ねぇ。霜ちゃんたら、完全にこっちのこと忘れてるわぁ」
雪原の博士と師走の姿を見つめながら、サーフボードの上に立って海に浮かんだ亜八華が少し呆れた様子で肩を落とす。
「まぁいいか。霜ちゃんの力を借りなくたって、あなた、もう動けそうにないし」
「う、ううぅ……」
亜八華が砂浜へと視線を移すと、そこには傷だらけの盟莎が倒れていた。盟莎の獏、ワニモグラの明も盟莎と同じように傷を負い、その巨体を砂浜に横たわらせている。
「さぁーて早く憬ちゃんのとこ行きたいし、こっちもとっととトドメをっ」
「知ら、ない、から」
「は?」
盟莎が発した言葉に、攻撃を向けようとしていた亜八華が大きく首を傾げる。
「何言っ」
「あんなに灯子を怒らせて……、どう、なっても、知らないからっ」
顔を上げた盟莎が、睨みつけるような鋭い視線を亜八華へと送る。
「はぁ~? 何言っちゃってんのよ。あんだけの大雪喰らってんだから、あの女はもうっ」
「“走馬砲”!」
「えっ?」
言葉の途中に聞こえてくる叫び声に、亜八華がすぐさま視線を移す。空に輝く白い月まで届くように突き上げた強い金色の光りが、雪原の雪をどんどんと金色に染め上げていく。
「こ、これはっ」
金に染まる足元の雪に、焦りの表情を見せる博士。博士が危機感を持って視線を前方に移すと、空へと突き上げた金光に包まれて、傷だらけの灯子が燈と共に立ち上がっていた。灯子は傷はひどいものの、まったく変わらない射るような瞳をまっすぐに博士へと向けている。その瞳に気圧されるように、少し眉をひそめる博士。
「しぶとい女だ。おい、師走!」
博士が師走に呼びかけ、強く鉄琴を打ち鳴らす。だが師走はまったく動かなかった。
「おい、師走! 師走!? おい、動け! 動けよ!」
何度も鉄琴を鳴らす博士だが、何度鳴らしても師走は言う通りには動かない。
「どうしたって言うんだ!? 本当に夢切れか!? あっ」
師走を覗き込んだ博士が何かに気付いたように声を漏らす。師走の体は金に染まった雪から伝わった灯子の朝力によって、優しく包み込まれていた。
「朝力で僕の夜力を防いでるっていうのか? そんなことが」
「これ以上、こいつの夢は使わせない」
燈の背に乗って移動して来た灯子が、博士と師走の間に割って入るように降り立つ。目の前に現れた灯子に、博士は少し後退して身構えた。
「お前みたいなクソ野郎に、こいつの夢を使う価値はないっ」
「クっ」
向けられる鋭い視線と金光の刃に、一気に険しい表情となる博士。
「いいさ。別に師走なんか使えなくたって、今度は君の体を操ってやっ……!」
「燈」
再び鉄琴を鳴らそうとした博士であったが、上空から急降下してきた燈がその巨体で博士の鉄琴を粉々に叩き潰した。
「うあっ……」
破片となって雪原に落ちた鉄琴に、博士が思わず言葉を失う。
「終わりだ」
「ク、クソ!」
宣告するように言い放つ灯子に背を向けて、博士が必死にその場から逃げ去る。
「こんな、こんなことになるなんて聞いてないよ! やっぱり神無月の言うことなんて聞くんじゃなかった!」
灯子から離れたその場所で大きく両手を振り上げ、何もないはずのその場に大きな穴を作り出す博士。その穴からは外の世界の景色が見えていた。
「後で神無月に文句を言ってやろうっ」
博士が忙しなく穴に右足を掛け、夢現空間から脱出しようとする。
「逃がすか」
「うわああ!」
上空に現れた燈が脱出しようとした博士を、前足で勢いよく蹴り飛ばす。燈に蹴られた博士は鼻から血を流しながら、雪原に倒れ込んだ。
鼻血を拭きながら起き上がった博士の前に、刀を構えた灯子が降り立つ。
「ひぃ!」
まるで鬼のように険しい形相で見下ろす灯子に、背筋を震え上がらせる博士。
「ゆ、許してくれ! 頼む!」
「悪いが」
必死に乞う博士に、灯子がはっきりと言葉を向ける。
「お前だけは、絶対に許さない」
博士の表情が恐怖に歪む中、灯子は容赦なく刀を振り下ろした。
「うああああ!」
振り下ろされた刀から放たれた強い金光に打たれ、博士が雪原の遥か彼方、雪山のすぐ傍まで吹き飛ばされていく。雪の上に倒れ込んだ博士は気を失った様子で深く瞳を閉じ、そのまま指一本動かさなかった。
「ふぅ」
息を吐いて肩を落とした灯子が、右手に持っていた刀を掻き消す。灯子はすぐに体の向きを変えると、座り込んだままの師走のもとへと歩み寄っていった。
「残ってるか? 夢は」
「ええ」
灯子の問いかけに、顔を上げた師走が笑顔で頷く。
「確かに、残っているざぁーます。私の夢が」
両手で自分の胸を押さえ、確かめるように頷く師走。
「貴女のお陰です」
向けられる師走の笑顔に、灯子も少しホッとしたように笑みを零した。
「憬ちゃん。憬ちゃ~ん、待ってて! 今行くから!」
「あっ!」
二人が笑顔を見せていたその時、博士が作った夢現空間の脱出穴から、盟莎と戦闘中だったはずの亜八華が黒波に乗って外世界へと飛び出していく。飛び出していく亜八華に、一気に焦りの表情となる灯子と師走。
「亜八華!」
「ごめんなさい、灯子! 私っ」
「大丈夫だ」
砂浜に倒れ込んだまま、申し訳なさそうに声を張る盟莎に灯子はすぐに制するように右手を突き出した。
「盟莎を頼めるか? 師走」
「承ったざぁーます」
灯子の言葉に師走が快く頷く。
「追うぞ、燈!」
灯子は傷だらけの体を気にした素振りもなく燈の背に乗り込むと、燈はその大きな羽根を広げて穴から夢現空間の外へと飛び出していった。
「三奈っ……」
灯子を見送った師走は、どこか不安げに三奈の名を呼んだ。




