Dream.24 消えていく夢 〈1〉
赤槻町、喫茶“Tomo”。
「本当に一緒に行かなくて良かったのぉ? 曜子ちゃん」
「行っても役に立たないと言ったのは、あなたでしょう?」
カウンター席に腰掛けた曜子が、カウンターの奥に立つトモへと素気なく言葉を返す。すでに朝海たちは月の出総家へと出発しており、喫茶Tomoにはトモと曜子、そして茜だけが残った。
「そりゃ言ったけどさぁ、本当に大人しく待機するとは思わなくって」
「私には傷の治療という、大事な役目があります」
トモが淹れたカフェオレに目を落としながら、曜子が真剣な表情を見せる。
「一緒に行って、自分が傷ついてたんじゃ意味がない。今はしっかり陽を休息させて、皆が戻って来た時に万全の治療をすることが私の仕事です」
強い意志を感じさせる曜子の言葉に、納得するように何度も頷くトモ。
「そうだね。俺も皆が戻って来た時に、美味しいカフェオレが淹れられるよう、万全の準備をしとこうかなぁ」
「それで商売してるんですから、いつでも万全にしておいて下さい」
「ハハハ、そりゃそうだっ」
曜子の鋭い言葉に、トモが明るく笑みを零した。
店の奥にある階段の途中に座り込み、トモと曜子の会話を耳に入れながら茜が不安げな表情を見せる。
「朝海クン……」
膝を両腕で抱え込んだ茜は、案じるように朝海の名を呼んだ。
十六夜町、月の出一族別館。一階。
「遅いぞ、三奈」
「ごめんなさい」
大吾以外の皆が集まったその部屋に、地下牢から移動してきた三奈が最後に現れた。地下牢で見せたシャンデリアの姿とは違い、長い髪は束ね上げて帽子を被り、真っ赤な縁の眼鏡を掛けている。椅子に腰かけた朔十のすぐ横に立った利九が鋭く注意するように言葉を向けるが、三奈は特に悪びれた様子もなく、ゆっくりと師走の横に並んだ。
「どこに行ってたんざぁーます?」
「ちょっと罪状の確認にね」
「罪状?」
戸惑った様子で聞き返した師走の横で、三奈がそっと眉をひそめる。
「やっぱり宵が十二暦家の外に生まれたのは、私が償うべき罪だったわ」
「それって、あなたまさか彼女にっ」
「では今から作戦を説明する」
問いかけようとした師走の声は、利九の鋭い声に遮られる。
「すでに博士が四つの夢現空間の作成に取り掛かっている。そこに二名ずつ待機して、侵入者を迎え討て。七緒は大吾と共に宵と姫神子の見張りだ」
「わかりました」
利九に視線を向けられた七緒が、すぐに頷く。
「侵入者と言いますが、本当に連中は来るのですか? 月の出総家ですよ、ここは」
「来るさ」
疑うように問いかけた慎一郎に、確信に満ちた笑顔で答えたのは椅子に腰かけた朔十であった。朔十のその笑みに、慎一郎が少し表情を曇らせる。
「俺の言葉では信用できないか?」
「まさか。あなたを信じたから、僕はここに居るんです」
朔十の問いかけに慎一郎がすぐさま首を横に振る。
「では割り振りを行う。まず一の部屋、三奈と与四夫」
「ええぇ?」
利九が発表した割り振りに、三奈がすぐに不満の声をあげる。
「何でよりにもよって与四夫なわけ? 私、嫌。変えてよ」
「わがまま言うんじゃないざぁーます、三奈」
無茶なことを言う三奈に、師走が呆れた表情で注意をする。
「だって二人なんて嫌じゃない。あいつ、根暗だしうっざいし気持ち悪いし」
「どうせ俺なんて根暗だし、うざいし、気持ち悪いよ……」
「あ、居たの」
すぐ後方から聞こえてきた声に、三奈が今気付いたとばかりに振り返る。すると、そこには色白で細身の体にボサボサの黒髪の、見るからに不健康そうな青年が立っていた。顔は青白く、頬は少しこけて見える。年は三奈と同じくらいだろうか。
「俺は、こんなにもシャンデリアちゃんのファンなのに……」
焦がれるように、手の中のシャンデリアのブロマイドをじっと見つめる与四夫。そんな与四夫の姿に、三奈が少し眉をひそめる。
「与四っ」
「ま、嘘だけどね」
「何なのよ!」
あっさりとブロマイドを捨て去る与四夫に、声を掛けようとしていた三奈が一気に顔をしかめて怒鳴りあげる。
「だっから嫌なのよ! こんな嘘つき野郎と組むなんて!」
「そういえば」
与四夫が捨てたブロマイドを拾い上げながら、亜八華が不思議そうに首を傾げる。
「どうして変装してるわけぇ? ここは街中ってわけでもないのに」
「別に変装なんかしてないわ」
亜八華の問いかけに、三奈がきっぱりと答える。
「ただ、弥生三奈として戦う覚悟をして来ただけ」
その三奈の鋭い表情はどこか自分自身を追い込んでいるような、そんな表情にすら見えた。
「とにかく私は嫌よ。こんな一瞬も信用出来ない奴と一緒になんて戦いたくない」
「まぁそう言うな、三奈」
口を尖らせた三奈に、宥めるように声を掛けたのは朔十であった。
「お前の望み通り、日下部朝海と戦わせてやるから」
朔十から出る朝海の名に、三奈が表情を一変させる。
「本当?」
「ああ。だから与四夫で我慢しろ」
「我慢って……」
朔十からのあまりの言われように、こっそりと落ち込む与四夫。
「死にたいくらいショックだ。まぁ、嘘だけど」
「何のための嘘だ」
一瞬にして落ち込みを掻き消す与四夫に、利九が呆れた表情を見せる。
「わかったわ。でも絶対よ。絶対、日下部朝海の相手は私だけに任せるって約束して」
「ああ」
念を押すような三奈の言葉に、朔十があっさりと頷く。朔十の頷きを確認すると、三奈は満足げな表情を見せた。
「よし、じゃあとっとと行くわよ。与四夫」
「まだ夢現空間は出来ていないんじゃ……? って、ちょっと待ってよ」
与四夫の言葉になど聞く耳を持たずに部屋から出て行く三奈を、与四夫が慌てて追いかけていく。二人が出て行き扉が閉まると、利九は呆れたように肩を落とした。
「単純な女だ」
「いいじゃないか。扱いやすくて」
毒づく利九の横で、朔十が冷たく微笑む。
「だが、いいのか? 日の出の神子の朝力を持っているのは三奈だ。三奈が負けて力を取り戻されては厄介なことに」
「問題ない」
利九の懸念を朔十があっさりと振り払う。
「三奈の強さは、お前もよく知っているだろう? 俺たちの中では、三奈が一番強いんだ」
言葉を続けながら朔十がそっと天井を見上げる。
「何せ、抱いている夢が一番大きいんだからな」
朔十のその言葉を聞きながら、師走は少し不安げに視線を落とした。
夕刻を過ぎた頃、朝海たちは赤槻町から獏に乗って空を移動し、電車で十分程の距離にある十六夜町へとやって来ていた。十六夜町の中でも住宅街から離れた、まったく日の当たらない暗い土地に造られた大きな洋館。月の出総家別館の前へと辿り着く。洋館の前にはまるで行く手を遮るかのように、見るからに強固で大きな黒い鉄製の門が存在していた。
「成程ねぇ。ここが月の出総家かぁ」
「別館ですがね」
晃由の言葉にそっと付け加える憬一郎。夕刻を過ぎたとはいえ洋館の周囲の空はあまりに暗く、雲がかっているわけではないというのに星の光り一つ見えなかった。
「水無月家に似てるな」
「水無月邸も月の出所有の建物ですので、造りはほぼ同じです」
灯子の言葉にも、憬一郎が丁寧に答えていく。
「これが夜結界というものか」
「平気ですか? 朝海」
「ああ、今のところ特に問題はないよ」
朝力のない朝海を気遣うように旭が声を掛けると、朝海はすぐに笑顔を見せた。
「灯子は?」
「私も平気だ」
今度は朝海が灯子に声を掛け、灯子が短く言葉を落とす。
「君のお陰だな」
向けられる朝海の笑顔に、素気なく視線を逸らす修夜。総家に張られた夜結界に入る前に、修夜が朝力しか持たない朝海、灯子、旭の三人の体の周囲に薄い夜力の膜を張ったのである。その修夜の夜力に守られ、朝海たちは夜結界の影響を受けずに入ることが出来た。
「で、これからどうするの? 正面突破?」
つい先程皆と合流した盟治の妹、盟莎が、修夜と憬一郎に問いかける。
「正面突破はダメだろぉー。何せ、月の出の総家だぜぇ?」
「いや、夜結界に入った時点で相手には気付かれていると思うから、正面突破でいいと思う」
「え、正面突破でいいの?」
修夜の言葉に、晃由が意外そうな表情を見せる。
「神無月朔十はあれこれ手を打ったところで、普通に通じる相手じゃないからな。問題は夜力で作られたあの強固な正門をどう砕くかだが……」
「正面突破していいなら、とっとと行こうぜ。盟治、盟莎、灯子ちゃん!」
悩み込む修夜とは対照的にやる気満々で声をあげた晃由に、呼ばれた三人が同時に頷き、それぞれの体に刻まれた日の出の紋に手を触れる。
「“輝”!」
「“燈”」
『“明”!』
四人がそれぞれの獏を目覚めさせると、真っ暗な空の下に一際輝く四匹の金獣は迷うことなく突進していき、洋館の前で行く手を阻んでいた巨大な鉄製の黒門を一瞬で砕いて突破した。
その圧倒的突進に、修夜が思わず大きく口を開く。
「夜結界の中じゃこの程度か」
燈の長い尾を撫でながら、灯子が不満げに声を漏らす。
「四匹の獏が揃い踏みとは、さすがに壮観ですねぇ」
「ああ」
満足げに頷きながら朝海が晃由と共に輝の背に、旭が盟治と共に明の長い首の上にそれぞれ乗り込む。灯子も燈に、盟莎も自身の明の頭上に乗り込んだ。
「置いてっちゃうよぉ? 水無月くんっ」
「修夜様」
「あ、ああっ」
一番先頭から声を掛ける晃由に、憬一郎が自身の獏である京を目覚めさせて修夜をその背の上へと誘導する。八人を乗せた計五匹の獏は突き破った正門から前庭を駆け抜け、真正面に月の出総家へと向かっていった。
「獏が五匹か。さすがに初めて見る光景だな」
洋館の屋根の上に乗った朔十は、下方で向かって来る五匹の獏の姿を見下ろしながら、どこか楽しげな笑みを浮かべていた。
「お前が瀕死を負わせたはずの日の出の獏まで居るぞ」
朔十の横に立った利九が、皆と同じように駆け込んで来る燈の姿を捉えて眉をひそめる。
「ああ。治癒能力に長けた仲間がいるようだ」
「それも計算済みか? 特に驚いてもいなそうだ」
「驚いているよ。計算はしていなかったわけじゃないがな」
「……恐ろしい男だ」
朔十の言葉を聞いた利九が、感心するように声を漏らす。
「神無月」
そこへ朔十を呼ぶ声が響き、二人が振り返ると博士の姿があった。
「出来上がったぞ。ご要望通り、四つの夢現空間」
「いいタイミングだ、霜月博士」
「当然だろう。僕を誰だと思っている」
「偉そうに」
得意げに胸を張る博士に、利九が小さく毒づく。
「では早速、解放するか。夢に見ろ、霜月博士」
朔十のその言葉に、博士が少し表情をしかめる。
「……ああ」
小さく頷きを落とすと、博士はまるで眠るようにゆっくりとその瞳を閉じた。瞳を閉じた博士の全身から黒い煙が噴き上げていく。
「朝の光りに砕けし夢よ、闇深き夜の中に眠れ」
そっと笑みを浮かべ、静かに言葉を落とす朔十の額に、修夜や小夜子と同じ神子の証である月の出の印が浮かび上がる。
「“御夜棲魅”」
朔十がその言葉を発した途端、博士の体から噴き上げた黒煙が強い光りに変わると、一気に暗い空へと突き上げた。
「これは」
暗い空の下に更にもう一層重なるようにして広がっていく黒い光りに、輝の背の上に立っていた朝海が顔を上げて眉をひそめる。
「夢現空間かっ」
朝海のすぐ横で言葉を発する晃由。燈の上の灯子や他の皆も、広がっていく夢現空間の気配を感じ取っていた。
「どうして今、夢現空間が……、あっ!」
「朝海!」
空から降り注いだ稲妻のような黒光が朝海を狙い打ち、それを避けた朝海が輝の背の上から転がり落ちていく。
「修夜様!」
同じ頃、京の背の上に居た修夜も同じように黒い稲妻に打たれて京の上から飛び降りていた。
獏の背から振り落とされ、地面に着地した朝海と修夜を足元から黒い光りが包み込んでいく。獏の足を止めてそれぞれの神子の元へと駆けつけようとした晃由と憬一郎であったが、その輝と京の足元からも黒い光りが噴き上げた。
「お兄ちゃん!」
「盟莎!」
盟治と旭を乗せた明と、盟莎の明の間にもまるで壁を作るような巨大な黒い光りが突き上げる。
「クっ……!」
盟莎と共に黒い光りの中へと包まれていきながら、灯子は険しい表情を見せた。




