Dream.21 日を喰らう時 〈2〉
同じく、月の出総家別館。地下牢。
「んっ……」
地下牢内に設けられた簡素な木製ベッドの上に横たわっていた硝子が、ゆっくりと瞳を開く。すぐに視界に入って来た天井の白熱灯に、硝子は眩しそうに目を細めた。
「ここ、は……」
見慣れない天井に戸惑いながら、硝子が徐々に光りに慣れた瞳を改めて開いていく。
「気が付いた!?」
「うわっ!」
いきなり目の前に飛び込んでくる顔面に、硝子が思わず飛び起きる。
「あ、気が付いたぁ!」
起き上がった硝子を見て嬉しそうに声をあげたのは、九才、十才位のまだ幼い子供であった。服装からして少年であろうか。顔の半分を占めそうなぱっちりとした瞳は、少女のように愛らしい。新聞で出来たカブトを被っており、右手には小型の鯉のぼりを持っていた。少年が常に手を動かしているため、小型の鯉のぼり家族は風に舞って泳いでいる。
「良かったぁ。お姉ちゃん、お名前は?」
「しょ、硝子」
「硝子お姉ちゃん! これあげるぅ!」
「あ、ありがとう……」
差し出された鯉のぼりに戸惑いつつも、無邪気過ぎる笑顔を邪険にも出来ずに素直に受け取る硝子。
「えっと、あなたは」
「大吾」
牢の外から響く女性の声に、少年がすぐさま振り返る。
「あなたはまた、勝手に牢に入って」
牢のあるその部屋へと扉を開いて姿を見せたのは、浴衣姿の美しい長身の女性であった。二十代前半くらいであろうか。鮮やかな花柄の浴衣が、長身のその女性によく似合っている。結い上げた髪からわずかに落ちた零れ毛が、何とも妖艶だ。
「勝手をしては、また朔十様に怒られますよ」
言葉を続けながら、懐から何やら短冊のような淡い紫色の細い紙を取り出した女性が、同じく懐から出した筆でさらさらと文字を描いていく。女性は文字を描き終えたその短冊を、牢の中の少年へと放り投げた。
硝子が少年に張り付いた短冊の文字を見ると、“牢から出れますように”という願いごとのような言葉が書かれていた。
少年の体が光りに包まれると次の瞬間、少年は牢の外の女性のすぐ横へと移動していた。
「え、えっ……?」
目の前で起こった出来事を理解しきれずに、硝子が思わず何度も瞬きをする。
「あなたは見張り役なのに、一緒に牢に入ってどうするのです? 大吾」
「ごめんね、七緒」
「今のは、一体……」
まるで母と子のように親しげに言葉を交わす大吾という名の少年と、七緒という名の女性を見つめながら、困惑の表情を見せる硝子。
「今の力もまた、夜力ですよ」
すぐ横から響く声に硝子が振り向く。硝子の横たわる寝台の横に置かれた椅子の上には、相変わらず全身を黒いローブで覆った小夜子が腰掛けていた。用意してもらったのか、戦いの中で焼け焦げたはずの黒ローブが復活している。
「小夜子さん、無事だったんですね。良かった」
「あまり良い状況とは言えませんけどね。フフフ……」
安心の笑顔を見せる硝子に答えながら、小夜子が恐らくは大吾から貰ったのであろう鯉のぼりを楽しげに振っている。不気味に笑うこのローブの下に、あのような美しい女性が隠れているとは想像もつかないだろう。
内心勿体ないと思いながら、硝子は起き上がった状態のまま体の向きを変えて小夜子の方を見た。
「小夜子さん、さっきの力も夜力って」
「能力こそ異なりますが今彼女が使ったのは、あなたや私が持っている力と同じ、夜力」
「じゃあ、あの人たちも月の出の一族」
「ええ」
硝子の言葉に頷きを返したのは小夜子ではなく、牢の外に立つ七緒であった。
「月の出一族、文月七緒と申します。こちらは、皐月大吾です。朔十様から、あなたがたの見張り役を申し付かりました」
七緒が丁寧に頭を下げ、硝子に名を名乗る。
「ちなみにこの牢内は、私の力により夜力を封じております。無理に使おうとすればお体に支障を来す可能性がありますので、ご注意ください」
七緒の警告のようなその言葉に、硝子がゆっくりと牢を見回す。二人を取り囲んだ牢には、先程七緒が出した短冊が至る所に張られていた。その短冊から何かしらの力が発せられていることは、硝子も感じ取ることが出来た。
「仲良くしてね、硝子お姉ちゃんっ」
「う、うんっ……」
七緒の横から大吾が満面の笑みで硝子に手を振る。この状況でどう仲良くなればいいのかもわからなかったが、大吾の無邪気な笑顔に硝子は思わず笑顔で頷いてしまった。
「彼女たちも先程現れた者たちや私と同じ、月の出一族、十二暦家の人間です」
一通りの自己紹介が終わったところで、小夜子がそっと言葉を付け加える。
「あの、その十二暦家って一体何なんですか?」
先程の戦いの最中には聞くことが出来なかった問いかけを、硝子がようやく小夜子へと向ける。
「十二暦家とは、月の出一族の中でも特に優れた夜力を持つ十二の家の呼称です」
小夜子がローブの中から声を響かせ、静かな牢内に独特の空気を醸し出す。
「日の出一族では、光りの神子は血によって受け継がれますが、月の出では神子は十二暦家による交替制を取っています」
「交替制?」
「つまり今、月の出の神子である我々が死すれば、次代の月の出の神子には水無月の人間ではなく、文月の人間が選ばれるのです。次は葉月、その次は長月と、どんどんと神子が巡っていく」
「どうして、そんな面倒な制度を?」
「長い歴史の中で築かれたものですので本当のところはわかりませんが、恐らくは一つの家に力を集中させないために、このような制度を設けたのでしょう」
力や権威で揉め事の絶えない日の出の総家を見て来たばかりの硝子にとって、小夜子のその答えは十分に納得のいくものであった。
「簡単に言い過ぎかも知れないですけど、親戚、みたいなものですよね? ならどうして、こんなこと」
硝子の疑問の声が、今度は七緒へと向けられた。
「それは、あなたが現れたからです。宵」
「私?」
はっきりと向けられる言葉に、硝子が戸惑うように眉をひそめる。
「宵は、月の出の長い歴史の中でも最も強いとされる獏。宵の力さえあれば我々月の出は、光りの一族の中でも圧倒的な力を持つ日の出を上回ることすら可能とされています」
「日の出を、上回る?」
七緒の言葉に嫌な予感を覚え、思わず表情を曇らせる硝子。
「今こそ、日を喰らう時。日の出に代わって我々月の出が、光りの一族の先頭に立つ時なのです」
確信に満ちた口調で話す七緒を見つめながら、硝子がどんどんと表情を険しく変えていく。
「ですが彼女、水無月はあなたの存在を我々に隠していた上、宵を我々に渡すことを強く拒みました」
「当然です」
厳しい口調で、小夜子が言葉を挟む。
「彼女は、月の出が日の出を倒す為の道具ではありません」
「小夜子さん」
硝子を庇うように言葉を発する小夜子に、硝子がそっと目を細める。
「いいえ、獏は道具です。神子の為の、神子が力を得る為の道具」
七緒が小夜子の言葉をあっさりと覆す。
「あなたもそうやって、睦月憬一郎を使って来たでしょう?」
どこか挑発するような七緒の言葉に、小夜子がローブに覆われた顔を少し俯ける。
「神子であるあなたが使う気がないというのであれば、我々が使うまで。我々の考えはそれだけですよ、水無月様」
「あなたがたは、間違っている」
ローブの奥で鋭く瞳を光らせる小夜子。
「彼女は、普通の獏とは違う。彼女の力は、夜の深い闇の中に眠らせておくべきものなのです」
小夜子の言葉にどこか不安を感じたのか、硝子が眉をひそめて俯く。
「いいえ、今こそが日食の時」
七緒は再び小夜子の言葉を覆した。
「今こそ我々月の出が、日の出に代わって空を支配する時なのです」
考えが相容れないことを察したのか、小夜子はそれ以上の言葉を七緒に向けはしなかった。
「七緒」
そこへ部屋に長髪の男、利九が姿を見せる。
「朔十からの招集だ。一階に集まれ」
「わかりました」
利九は七緒の返事を確認すると、すぐに部屋を出て行った。
「では大吾、ここをお願いします。今度は牢に入ることなく、しっかり見張っているのですよ?」
「はぁーい」
まるで教師と生徒のような会話を繰り広げると、七緒は右手に持っていた筆で、新たに懐から出した短冊に何やら文字を書いていく。
「“一階に上がれますように”」
願うように短冊に書いた言葉を読み上げると、七緒はその短冊を自らの額に張り、眩い光りに包まれてその場から消え去っていった。その不思議な光景を、硝子が茫然と見つめる。
「あなたは、行かなくていいの……?」
「うん。僕行っても、朔十兄ちゃんの言ってること、よくわかんないから」
「そう」
無邪気に答える大吾の姿に、硝子が穏やかな笑みを浮かべる。その少年は敵とは思えぬほどに愛らしい空気を発しているため、見ていると思わず笑顔になってしまう。
「日食の時、ですか。そんなに難しいお話なのでしょうかねぇ……」
「あの」
寝台から降り立った硝子が、少し遠慮がちに小夜子へと声を掛ける。
「本当にあれだけ、何でしょうか? さっきの七緒さんの話」
「あれだけ、とは?」
「小夜子さん、言いましたよね。心悪しき者に、私の力を渡さないでほしいって」
聞き返した小夜子に、硝子が真剣な表情を向ける。
「日の出に勝ちたい、月の出が一番になりたいという気持ちが、そこまで悪しき気持ちだとは私には思えません。実際修夜君だって日下部君に戦いを挑んだけど、あなたはそれを止めはしなかった」
七緒が口にした希望は、鬼気迫っていた小夜子の言葉とはどこか不釣り合いなように硝子には思えていた。
「それに、あなたはこうも言いました。渡さないで、“神無月にだけは”って」
硝子が発したその名に、牢内に流れる空気が緊張したように張り詰める。
「もっと何か、他の理由があるんじゃないんですか?」
少し問い詰めるような強い口調で、硝子が小夜子へと問いかける。
「だから小夜子さんは、私のところに警告に来たんじゃないんですか?」
硝子から向けられた問いかけに、小夜子はしばらく押し黙ったまま口を開かなかった。硝子も、そして空気を読んでか大吾も言葉を発しなかったため、牢内にはしばらくの間沈黙が流れる。
「あなたは聡明な人ですね」
どこか感心するように、小夜子が呟きを落とす。
「すべてをお話するにはまずは、あの男のことをお話せねばなりません」
覚悟を決めた様子で、小夜子がゆっくりと口を開く。
「あの男、神無月朔十」
改めて小夜子が発したその名に、硝子がすぐに一人の男を思い浮かべる。たくさん現れた月の出の一族の中でも一人、明らかに他とは違う空気を纏っていた男。他を寄せ付けないその空気は、硝子も十分に感じることが出来た。
「神子になる資格を無くした家に生まれた、あの青年のことを」
「神子になる資格を、無くした?」
小夜子の言葉に硝子は戸惑うように首を傾げた。
その頃。同じく月の出総家別館、一階。
「遅くなりました」
額に張った短冊を剥がして、七緒が朔十たちの居る一階のリビングへと姿を見せる。
「どうだ? 宵の様子は」
「先程、意識を取り戻しました」
「そうか。じゃあ後で、挨拶にでも行くかな。我々の大いなる力に」
朔十がどこか楽しげに笑みを見せ、言葉を発する。その朔十の横には利九が、そして部屋の中には三奈や師走、他にも数人の者の姿があるが、水無月を覗く十一人が集まったはずのその場には明らかに人数が足りない。
「三人程見当たらないようですが」
「睦月と如月と葉月だ。どうやら勝手に、水無月邸に向かったらしい」
「水無月に?」
利九の言葉を聞いた七緒が、すぐに眉をひそめる。
「そのような勝手、宜しいのですか? 朔十様」
「構わないさ」
玉座のように堂々と椅子に腰かけた朔十が、焦ったような表情を見せる七緒とは対照的に、余裕の笑みで頷く。
「あの二人は十二暦家を出て姫神子の獏になった憬一郎に、特別思い入れがあるからな。予想出来なかった事態じゃない。まぁ如月まで行ったのは予想外だったけどな」
朔十の言葉に納得し切った表情ではないものの、七緒はそれ以上の進言をすることもなかった。
「亜八華たちに先を越されたざぁーますね、三奈」
「別に、修夜にも憬一郎にも興味ないわ」
師走に声を掛けられた三奈が、はっきりとした口調ですぐさま答える。
「私が興味あるのは、日下部朝海だけ」
「日の出の神子ざぁーますか? 他人に興味のないあなたが珍しいざぁーますね」
「ちょっとね」
少し驚いた様子で眼鏡を押し上げる師走の横で、三奈は鋭い瞳を見せた。




