Dream.21 日を喰らう時 〈1〉
赤槻高校、保健室前。
もう下校時間も過ぎ、まるで人気のない廊下に座り込んだ朝海と晃由は、神妙な面持ちで閉まったままの保健室の扉を見つめていた。
その時扉が開き、保健室から白衣姿の曜子が姿を見せる。
「曜子先生!」
すぐさま立ち上がって曜子の名を呼ぶ晃由。朝海も真剣な表情を曜子へと向けた。
「灯子は?」
「今、“陽”に治療させてるわ。傷は深いけど、もう大丈夫」
「良かったぁ」
立ち上がっていた晃由が曜子の言葉を聞き、ホッとした様子で再びしゃがみ込む。
「手当てがもう少し遅かったら、手遅れになってたかも。本当にありがとうね。日下部君、仲河君」
感謝の言葉と共に、二人に笑みを向ける曜子。だがその笑みは晴れやかなものではなかった。
「それにしても一体、誰が硝ちゃんを」
浮かない曜子の言葉を遮るように勢いよく保健室の扉が開くと、中から灯子が姿を見せた。
「灯ちゃんっ!?」
現れた灯子に、曜子が驚きの表情を見せる。灯子のすぐ後方には、どこか困ったような顔で長い舌を持て余している亀レオン、陽の姿があった。恐らく手当ての最中に、灯子が飛び出してしまったのだろう。
「何してるの、灯ちゃん! まだ傷塞がってないんだから、安静にしてないとっ」
「何故、何故、硝子を助けに行かなかった!?」
注意する曜子をあっさりと無視して、灯子が座ったままの朝海の胸倉を掴み上げる。
「灯子ちゃんっ!」
「お前なら連中を追うことが出来たはずだ!」
止めようとする晃由を振り切り、灯子が怒りの形相で朝海を見る。
「なのにお前は、硝子を見す見す連れて行かせた……! 何故!」
「それなら、あの時言ったはずだ」
怒りに満ちた灯子とは対照的に、落ち着き払った声を灯子へと返す朝海。
「俺は、君の治療を優先させただけだ」
「私の命なんて、んなもん硝子に比べたら何でもっ……!」
「いい加減にしなさい、灯子!」
激しい灯子の言葉を止めたのは、廊下に強く響き渡る曜子の声であった。普段穏やかな曜子のその大声が余程珍しかったのか、灯子が思わず言葉を呑み込む。
「もし日下部君が瀕死のあなたを置いて、硝子を助けに行ったとして、それを硝子はどう思うと思う?」
曜子の鋭い問いかけが、灯子の背中に突き刺さる。
「きっと、とても苦しむはずよね。ただでさえ、あなたを犠牲にしてきたって気持ちのある硝子なのに」
「それ、はっ……」
曜子の問いかけに思わず口ごもる灯子。硝子がどう思うかなど、曜子よりも灯子の方が容易に想像出来た。
「日下部君が守ったのは、あなたの命と硝子の心よ。最善の行動だったと思うわ」
はっきりと告げる曜子の言葉に、反論もなくきつく唇を噛み締めた灯子は、すぐに朝海の胸倉を掴んでいた手を離すと、その場を駆け去っていった。
「あ、灯子ちゃん!」
「追って、陽。どんなに暴れても最低限、傷は塞ぐのよ」
追いかけようとした晃由の横を通り抜け、曜子の指示に頷いた陽がピョンピョンと跳ねながら灯子の後を追いかけていった。
「ごめんなさいね、日下部君」
「いえ」
灯子に胸倉を掴まれたことで乱れていた襟元を整えながら、朝海がそっと首を横に振る。
「正直俺も、硝子を追いかけようとしました。でも硝子が目で言った。“灯子をお願い”って。だから俺は硝子の意志に従っただけです」
「あの子たちは、昔からずっとそう。自分よりもお互いの方が大事なの。困ったほどにね」
少し肩を落としながらも、曜子が愛おしそうに笑みを零す。
「灯子のことは陽に任せるとして、問題は硝ちゃんをさらった者たちのことね」
「はい」
「それなら、さらった連中の中に一人、知った顔があったぜ」
真剣な表情を見せた朝海と曜子が、晃由の言葉に視線を向ける。
「柊憬一郎。月の出の獏だ」
「月の出の、獏?」
晃由の言葉に、曜子がすぐに戸惑いの表情となる。
「どういうことかしら? 硝ちゃんと同じ月の出の獏が、硝ちゃんをさらうなんて」
「それは、わっかんねぇけど」
「たぶん、違う」
そっと挟まれた朝海の声に、首を傾げていた晃由が振り向く。
「違うって?」
「彼は、柊憬一郎じゃない」
「ええ、マジ? 見た目、完璧柊憬一郎だったけどなぁ~、見間違えたかぁ?」
朝海の言葉に驚きながらも、晃由が困惑した様子で何度も首を捻る。
「確かに見た目はよく似ていたけど、どこか違う人間だと感じた」
「あなたは日の出の神子。月の出の獏の気配を感じ分けられたとしても不思議じゃないわね」
「でもじゃあ一体、誰が硝子ちゃんを」
「月の出の獏じゃなかったとしても、彼等が夜力の使い手だったことは間違いない。だから」
視線を動かした朝海が、まっすぐに曜子の方を見る。
「すぐ調べるわ。水無月修夜の住所ね」
「ありがとうございます」
すべてを察した様子で素早く保健室の中へと入っていく曜子に、朝海が軽く頭を下げる。
「水無月がまた、性懲りもなく硝子ちゃんをさらったってことか?」
「いや」
確認するように問いかける晃由に、朝海がすぐに首を横に振る。
「そんなに単純な話じゃないと思う。今回は」
意味深に言葉を落として、朝海はそっと眉をひそめた。
一方、学校を飛び出した灯子はフラフラな足元を何とか動かしながら、どこへともなく歩を進めていた。傷は粗方塞ぎ終わっていたため血は出ていないが、多くの血を流した影響か視界は霞み、意識も朦朧とし始めている。
「硝子、硝子っ……」
それでも硝子を追い求めるように、必死に足を前に出す灯子。だがやがて力尽きたようにその場に崩れ落ちると、灯子はそのまま深く瞳を閉じた。
倒れ込んだ灯子の元へと、ゆっくりと歩み寄る一つの足音。小さな体をしゃがみ込ませて、倒れた灯子の顔を覗き込んだのは茜であった。学校の帰りなのか、赤いランドセルを背負っている。
「傷だらけ。一人ぼっちで、泣いている獣……」
まっすぐ真剣な表情で、茜が灯子を見つめる。
「私と、同じだね」
共感するように言葉を落として笑みを浮かべると、茜は深く瞳を閉じたままの灯子の頬をそっと撫でた。そこに人のものとは明らかに違う異質な足音を立てながら、陽が姿を見せる。
「あなたは」
気持ち悪い部類に入るであろう巨大亀レオンを見ても、茜は特に驚く様子を見せなかった。
「手当てに来たのね。ここは人目につくから、この人を運んで。うちに行こう」
主人でもない茜の言葉に、陽は当然のように素直に頷いた。
赤槻町の小さな喫茶店、“Tomo”。
「トモさんっ」
営業時間中のはずがクローズの看板が下げられている喫茶Tomoの扉を勢いよく開いて、自宅へと戻って来た朝海。朝海の後方には晃由、曜子の姿もあった。
「灯子は?」
「茜の部屋で眠ってるよ。陽が頑張ってくれたから傷は完璧に塞がったし、もう大丈夫。代わりに陽はぐったりだけどね」
トモがカウンターから店の奥を指差す。一番奥のテーブルの上に体を丸めて、陽がすやすやと眠り込んでいた。その姿を見ても、かなり疲労困憊の様子であることが伝わって来る。恐らくは陽をゆっくりと休ませるために、店を休みにしたのだろう。
「ご苦労様、陽」
足早に店の奥へと進んだ曜子が、眠る陽の背中を撫でる。
「茜が付いてるし、しばらくは起きないだろうから、無茶する心配もないと思うよ。灯子ちゃん」
「そうか」
「良かったぁ~」
トモの言葉を聞いた朝海と晃由が、ホッとした様子で胸を撫で下ろす。
「連絡してくれて助かったよ、トモさん。実はちょっと色々あって」
「茜が灯子ちゃんの獏に聞いてくれたから、だいたいは把握してるよ。今回もまたエライことになったみたいだねぇ」
「まぁ」
暢気な笑顔を見せるトモに、朝海が少し苦い表情で肩を落とす。
「それでこれから、どうするの? 敵さんの正体もまったく不明なんでしょ?」
「今から俺と晃で、水無月の家に行って来る」
「あらら、月の出の」
朝海の言葉に、トモが驚いた様子で目を丸める。
「夜結界張ってあるだろうから、無暗に入らないようにね。体には十分気を付けるんだよ」
「うん」
トモの忠告に朝海が素直に頷く。
「朝海を頼むね、晃由」
「まっかせといて下さい!」
トモに声を掛けられると、晃由は満面の笑みで親指を突き立てた。
「曜子先生」
「二人は先に行って。陽の朝力が回復したら、私もすぐに追うわ」
「わかりました」
曜子と簡単に言葉を交わすと、朝海と晃由は一瞬の滞在ですぐさま喫茶店を出て行った。トモが手を振って見送る中、二人の出て行った扉がゆっくりと閉まる。
「さて」
訪れる沈黙を恐れるように、すぐに言葉を発したのはトモであった。
「陽の朝力、回復させたげようか? 曜子ちゃん」
「いえ、結構です」
トモの言葉に、曜子が今までの穏やかさとは一転した刺刺しい返事をする。トモと曜子の間には、互いによく知った様子の空気が流れていた。
「あなたの力なんて、私には必要ありません」
突き放すように言葉を発すると、曜子はすぐに陽を光りへと戻して自分の体の中へと戻した。
「冷たいなぁ」
曜子の背中を見つめながら、トモが困ったような笑顔を見せる。
「俺は、君の神子なのに」
トモがスキンヘッドの境界のよくわからない額に日の出の印を輝かせると、それに呼応するように曜子の胸元に日の出の黒い紋が浮かび上がった。浮かび上がった紋を見て苦しげに表情を歪めた後、曜子がゆっくりとトモの方を振り返る。
「あなたが、それを言うんですか?」
どこか責めるような口調で、曜子がトモへと問いかける。
「私ではなく彼女の……、あの少女を傍に置くと決めたのは、あなたでしょう? 朝成さん」
向けられる曜子の鋭い視線を受け止めるようにまっすぐに見つめ合うトモであったが、トモは曜子のその言葉に何かを答えることはしなかった。答えようとしないトモの様子にまた苦しげに表情をしかめた後、曜子がトモから視線を移す。
「あの時、言ったはずです。“私にだってプライドはある”って」
俯いた曜子が搾り出すように声を発する。
「灯子の様子見たいんで、上がらせてもらいますね」
「どうぞ」
曜子がトモと視線を合わせないまま、店の奥にある階段へと向かっていく。
「あっ!」
奥へと足を踏み入れた曜子が、丁度階段を降りて来ていた茜と鉢合わせになる。びっくりした様子で声をあげた茜と目を合わせると、曜子はあからさまに表情をしかめた。曜子のその表情の変化を読み取り、茜がそっと目を細める。
「あ、あの、部屋、二階上がってすぐ右です」
「……ありがとう」
階段へと続く道を譲りながら案内するように指を差した茜に、少し間を取ってから礼を零すと、曜子はそのまま二階へと上がっていった。曜子が部屋の中に入っていくところまで確認した後、茜が奥から店へと顔を出す。
「トモさん、あの、今のって……」
茜が遠慮がちに問いかけると、トモはそっと視線を落とす。
「自業自得、なんだろうね」
トモのどこか自分を責めるようなその言葉に、茜は何も言わずに静かに表情を曇らせた。
十六夜町、月の出総家別館。一階、睦月慎一郎自室。
「はい、手当て終わり」
「すみません、亜八華」
硝子や灯子により激しく傷を負わされた慎一郎は、朔十への報告の後も自室でビキニ美人の亜八華から傷の治療を受けていた。負わされた傷が相当に深かったのか、すべての傷を塞ぎ切るには相当の時間を要した。
「これで、いつ水無月が来ても戦えます」
拳を握り締めて手の感触を確かめながら、慎一郎がやる気に満ちた様子で言葉を発する。
「そのことなんだけどねぇ、慎ちゃん」
どこか甘えるような愛らしい声が、慎一郎へと向けられる。
「これから一緒に、水無月修夜を迎えに行っちゃわない?」
「え? しかし朔十様からは待機するよう命令が」
「私、待つのって好きじゃないの」
少し首を傾げて、亜八華が可愛らしい笑みを浮かべる。
「好き嫌いの問題ではありません。我々は朔十様の命令で動いているのであって、それを無視することは」
「慎ちゃんは、憬ちゃんに会いたくないの?」
亜八華からの問いかけに、慎一郎が思わず口ごもる。
「私は会いたいわぁ。憬ちゃんに今すぐにでも会いたい」
「それは」
「だからねぇ、慎ちゃん。一緒に行こう?」
迷うように声を落とした慎一郎の手の上に自らの手を重ね合わせ、亜八華はもう一度誘うように言葉を掛けた。
「ワタクシも行きますわ!」
その時、勢いよく扉が開き、ある人物が二人の前へと現れる。今までの話をすべて聞いていた様子のその人物に亜八華は一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに楽しげな笑みを浮かべた。
「いいわ。これで役者は揃ったって感じねっ」
満足げに言い放つ亜八華の横で、慎一郎はどこか複雑そうな表情を見せていた。




